>>698のつづき

─先生の活動は、助っ人的な感じだったのですか?

山岡:そうですね。まぁ、半ば無理矢理な感じでしたけど(笑)、自分自身も楽しんでオールマイティープレイヤーとして動いていました。その後、やはりベースは必要ということで、パーソンズの渡邉貢が入って来ました。それで約1年、シングルは2枚ぐらい出したかな。
当時、しょっちゅうツバキハウスに遊びに行っていたんですね。早めに入ると、1500円ぐらいで朝まで飲み放題、食い放題で遊んでいられたから、金がない奴らはみんなそこに集まっていて。
ある時、そこで布袋寅泰と高橋まことに会ったんです。その前にも原宿のライブハウス・クロコダイルで一度共演していて、サックスやキーボードなど、まだBO∅WYが7人いた時代ですけど、
「この前やったよね」なんて話から好きな音楽の話で意気投合して、今度セッションをやろうと。その後ロフトでオールナイトのイベントをやったときに、ベースは渡邉貢で、布袋と高橋まことが加わって。
そしたら結構いいじゃないかと、布袋はその頃BO∅WYとペッツというバンドでもやっていたから、掛け持ちで。それで1年間活動していました。
私は前の年までリズムオペレーションをしていましたが、布袋たちが入った後はサイドボーカル、コーラスをやることになりました。
そして、『時の葬列』というシリーズギグをやり始め、『時の葬列』(84年)というオムニバスアルバムを出しました。タイトル曲「時の葬列」のギターは布袋寅泰で、最初にドイツ語のセリフが入っていますが、それは私です。

AUTO-MOD ✡ 時の葬列 (1984)
https://youtu.be/QmW8aOpAnD4

ファースト・アルバム『レクイエム』でもコーラスをやっていたり、ライブの時は機材を運んだり、最近はグッズのプロデュースをしたり……そんな具合でちょこちょこAUTO-MODに参加しながら、ずっと東京のインディーズシーンで遊んでいます。

https://i.imgur.c●m/LHhz3Gw.jpg
(「東京ダークキャッスル」にてAUTO-MODのライブを見守る山岡氏)

https://i.imgur.c●m/vYIq43z.jpg

つづく