森脇美貴夫
まだくたばらないさ。楽しいこともまだまだ残っているだろうしね。・・・
・・・阿佐ヶ谷の町を、夜中に自転車で駆け抜けている男、それはこの僕だ。
『ZOO』 '80、2月号 (以下、ロッキング・オン 82年9月号より抜粋。)
気分としてのラジカリズム、要するにこれなのだ。
『ドール』や『ロック・マガジン』に満ちているのは。
そんなものが本来のラジカリズムから最も遠いものであるのは今更説明することもないだろう。
気分としてのラジカリズムというのを、掛け声としてのラジカリズムという風に言い換えてもいい。
何だか掛け声やポーズだけは勢いがいいが、内実は全くないのである。
安手の青春映画か根性ドラマと同質のものがそこにはある。
「夕陽に向かって走るんだ!」というあの空疎な掛け声、それと「パンクはやるしかないんだ!」という掛け声、結局その空疎さは同じなのだ。
実際に演っているミュージシャンが言うのならともかく、
言葉で仕事する人間がそういうことを言うようになったらオシマイである。 (続き)
『ML』や『音専』のアホらしさや『ミュージック・マガジン』の文化人臭さもウンザリさせるがこの”気分ラジカリズム”というのはある意味でもっとタチが悪い。
批評能力のない連中が、この空疎な掛け声につられてその気になってしまうからだ。
個々に書くと、まず『ドール』。森脇の文章がヒドイ。情緒的で、内容がなく、結局のところ掛け声だけだ。 (続き)
「全てのものを破壊するというのは単純な意味合いにおいて、
物理的な方向性を示唆しているのではなく、ある種の観念の精神をこそ示唆していると受けとめるべきだと思うな。
少なくとも深い現実認識は俺たちに破壊の意味をそのように受けとめさせてしまうものだ。
これ自体不幸なのだと言い切れるが、物理と精神が大きくかけ離れ互いのバランス、つまり遠近による、
ならびに意味性の重力が安定を完全に喪失してしまっている今日においてはごく自然な現象である。」
(『ドール』10号「デストロイ・マニフェスト」) (続き)
何が書いてあるのかひとつもわからない。
人並の読解力はあると思うが「つまり遠近による、ならびに意味性の重力が―」なんて辺りに来ると、
一瞬誤植か校正ミスではないかと読み直してしまった。
続く文章が「ここで問題は、短絡的にいってしまえば、パワー・ゲームの存在、在り方に拠っていることが明かになってくる。」
となるのだが、ひとつも明かになってネエゾ。
で、最終的に文章は「まったく世の中メチャクチャだ。それでも、今日も新聞はちゃんと配達されてくる。もうすぐ朝の5時だぜ!」と終わるんだが、
メチャクチャは世の中じゃなくて森脇の文章の方だ。 (続き)
今、『ドール』は相川が主体となって運営され、森脇はライターとして参加しているだけらしい。そのためか、インタヴューが中心となり情報誌的な性格を強めてきているようだ。
それはそれでいいのだが、基本となる”気分ラジカリズム””素材ラジカリズム”の体質は変わっていない。10号で面白かったのは「ハード・コア激談会!!」だけだ。・・・ (続き)
・・・面倒だからまとめることにする。
(1)”気分としてのラジカリズム”とは、自らの思考や論理のオソマツサを隠ペイするためのもので、強く出ると黙ってしまう日本の悪しきロック・ジャーナリズムの体質の裏返しである。
(2)そのため、パンク、ニュー・ウェーヴといったムーヴメントの実態を見えなくし、一種の掛け声だけのものに風化させてしまう。
(3)阿木や森脇の文章に見られる傾向だが、すぐにミュージシャンとの個人的交遊関係を書き、それによって自らを正当化しようとする。
早い話が自分に自信のないコンプレックスの反映なのだが、それではいつになっても批評は音楽の寄生虫の域から出ない。第一読者やミュージシャンに対して失礼だ。
(4)『ロック・マガジン』に見られる実態のない大仰な観念用語は結局のところ阿木の知的コンプレックスの反映でしかない。曖昧なものを曖昧なまま、自分でもよくわからないで書いてしまうもんだから、ああなってしまうのだ。・・・
(以上、ロッキング・オン 82年9月号より引用。) ちなみに、ドールの初期の号で「キラキラ輝く風景のために」と題した文章を寄与していたのだが、
それも>>5と同じような傾向の文章だった。
今手元にないので記載できないが。 ・・・なんの刺激もなんの意味もない音楽がモテはやされているなんてのは我慢出来ない。
あっちはあっち、こっちはこっちで済まされない。バカヤロー! 冗談いうなよ! である。
ホラ、あっちこっちにゴロゴロしてるだろう。思わせぶりで、もったいぶった音楽がさ。
アートがどうしたって!? 音楽の構造がどうしたって!? まったくいい加減にしてほしいよ!
『Doll』の読者にはいないと思うが、敢えて”おい、みんなそんな連中、音楽に満たされるんじゃねえぞ!”といっておく。
なにもないのにさもなにかありそうに思わせる連中、音楽に気をつけろ!・・・
『DOLL』 '84、4月号 ドール末期頃には老衰化による体調不良で今にも死にそうな日記を書き綴っていた著者も、
昔は、こんなに挑発的で硬派な文章を書いていたんですね(笑) 宝島社自体、パンク・ネタを前面に打ち出した営業戦略は、とっくの昔にやめているので、(中略)
まさに「兵どもが夢のあと」ですね。
でも下手すると、今の中高生って、森脇美貴夫を知らないでパンクを聴いているんじゃないのかな?
私は、彼の作った閉鎖的で偏狭な『DOLL』は嫌いだけど、
温故知新じゃないけど、森脇美貴夫の存在は、ぜひ後世まで語り継いで欲しいと思います。
ちょっと待ってくれ、彼、まだ死んじゃいないよ(笑)
(森脇美貴夫ファンサイトより抜粋) 起きたら夜になっていた
だから僕はジョイ・デヴィビジョンのレコードを何枚も聞いてしまった
ジョイ・デヴィビジョンは夜の夜景にこそ似合うバンドだと思う
僕には真昼の太陽の輝きは眩し過ぎる
あっけらかんとした笑いも眩し過ぎる
だからといって、闇の中で肩を寄せあいながらのヒソヒソ話が好きなわけじゃない
僕は、ただ、雨の日が好きなだけなんだ
忙しい毎日の中で何か大事な事を忘れてしまってるんじゃないか?
ふとそう思う時がある
それは何か?
それについて考えみる事にする
ジョイ・デヴィビジョンのレコードを聞きながら 奥平衣良のマンガ「MODERN LOVERS」の巻末解説も書いてたな 冗談じゃないぜ!俺はいつだって欲求不満なんだ
と遠藤みちろうは吐き捨てるようにいった。
もちろんさ!と俺は彼に相づちをする。
俺は何処まで突っ走れるのだろうか? 丸尾末広のオンリーユーby東京おとな倶楽部にもトンチンかんな事書いてたな 昔は情熱的だったがいつぞやからか病気の話が多くなったな
これほどの体調の悪さに対してロックンロールは何の役にも立たないとか書いてたし
もうとっくの昔にパンクなんかどうでもよくなってんだろうな ニルバーナをよく聴いてるとか書いてなかったか?
情けないと思ったね そりゃお兄さんの葬儀に行けないほどの体調だからパンクどころじゃないだろw
しかしよくこの状態で5年ぐらい生きているよ パンクスピリットで体調を取り戻せ!
そしてまた夜中の阿佐ヶ谷の町を自転車で駆け抜けろ!
fuck'n great!!!! 本当はパンクよりも浅川マキやゴスっぽいニューウェイブのほうが好きなんでしょ? ミューマガ増刊のクロスレビュー総集編にも往年の強烈な原稿が復刻されているね
巻末の執筆者近況に寄せた原稿で本人が驚いていたほど辛口
(ミッキーが公に発表した最後の原稿がそれなのかな?)
バウハウスや山下達郎へのレビューはミッキー節炸裂
ミッキーマニアなら読んで損なし
まったくイカシてるぜ。
ヒュー・コーンウェル、お前はFucking Great!だ。
ぼくらが誰かに「お前の考えは青くさい」といわれたら、こういい返そうぜ、
「あんたはまっ黒だ!」。ハハハ・・・ ー森脇さん自身、ジャズからパンクへ移行してきたというのは?
M:うーん、そのへんは完全にね、回りにそういう奴が多かったというような・・・・・・。 1981年2月号
ブロンディ「オート・アメリカン」
『出来すぎているというのは時として退屈なものだ』D
ジャパン「孤独の影」
『ジャパンは音楽そのものと対峙しようとしている、というのはやや褒めすぎか』G
ジョン・レノン&ヨーコ・オノ「ダブル・ファンタジー」
『なんと言っても声質がいい。ボーカルがいい』F
ロックパイル「ロンドンの街角」
『明るく健康的で楽しさいっぱいのロックンロール。苦悩はひとつもない、といったところだろうが、どっこいこっちは簡単にウカレられないタチなのだ』D
ステイリー・ダン「ガウチョ」
『良質な曲のオンパレードというのは聴いていても流れるように楽なものだ』F
リンカーン・トンプソン&ザ・ラッセズ「ナチュラル・ワイルド」
『聴けば聴くほど味が出てくる佳作』F
ウェザー・リポート「ナイト・パッセージ」
『平和なのだ。ブランデーかワインがあればいいか』A
1981年4月号
チャック・ベリー「トーキョー・セッション」
『これといって不満はありません。しかし、それ以上の意味ということになれば、残念ながら…』E
キム・カーンズ「私の中のドラマ」
『こういうのをAORっていえばいいんだね。いい女がいて、いい酒があって、いい車があれば、その気になって聴きたくなるかもしれない」B
デュラン・デュラン「デュラン・デュラン」
『肝心の音楽そのものということになれば、まだまだ弱いというしかない』E
クラフトワーク「コンピューター・ワールド」
『クールなようでその実ヌメーとしたエロシズムが彼らの音楽にはある』F
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ「ハード・プロミス」
『ラフなパワーに溢れていたのはデビュー当時のことで、かなり後退してしまっている。素晴らしいとか凄いとはいえない」E
フュー「PHEW」
『それでどうした、次に何がある、と大いに自問自答したのですが、よく解らないということしか出てこず、よって採点はパスさせていただきます」
サードワールド「ロック・ザ・ワールド」
『けっして気持ちいいだけのバンドではなかった筈なのに、このアルバムはやたら気持ちいいのだ。逆に気持ち悪くなってきたりもする」B
1981年10月号
バウハウス「暗闇の天使」
『明日は決して無条件に来るものではないと常に懐疑しているぼくにこそぴったりのレコード』I
フライング・リザーズ「フォース・ウォール」
『なんとも楽しいのです。素朴な香りに溢れているのです』G
デビー・ハリー「予感」
『ウキウキするポップ感覚なし」B
リッキー・リー・ジョーンズ「パイレーツ」
『夜の都会の気取り野郎には恰好のBGMであろう。闘うことを放棄した野郎用のBGMであって、断じて戦いのつかの間のBGMにはなりえない。こんなのその気になって誰が聴くものか」A
フェラ・クティ「ブラック・プレジデント」
『レコードをまともに聴くのも今回が初めてという次第。それで?イカしている』G
シーナ&ザ・ロケッツ「ピンナップ・ベイビー・ブルース」
『ロックンロール少年がそのまんま成長というカンジで素敵だ」G
UB40「サイニング・オフ」
『ゆるゆるしすぎてイライラしちゃうところがある」D 1982年1月号
ホルガー・シューガイ「ペルシアン・ラブ」
『無条件でウトウトしてくる音楽というものは、それだけで優れたエナジーがある』G
アース・ウインド&ファイアー「天空の女神」
『どうも最近の彼らは好きになれないのだ。このアルバムだってぼくにはダメ』C
ジャパン「ブリキの太鼓」
『このアルバムでは彼らの才能のナサが露呈されてしまっているね』D
岡林信康「グラフティ」
『ぼくには古ぼけたアルバムであることには変わりない』E
ロジャー「P-ファンクって何だ!?」
『いまの時代に即応した鋭い感覚を持ったリズムにまで仕立て上げているところがいい』G
YMO「テクノドリック」
『音色がどれだけのパースペクティブを表すことが出来るか。その一点だけを読み取りたい』G
ニール・ヤング&クレイジー・ホース「リアクター」
『病気ごっこや自閉症ごっこをしている気楽なガキの脳天をぶっとばすのがここでのニール・ヤングというわけさ。気迫があるよ、気迫が』H
1981年3月号
バウ・ワウ・ワウ「ジャングルでファn・ファン・ファン」
『ぼくはこのバンドのあっけらかんとしたポップ感覚を気に入っているんだね』G
ソロモン・バーク「テイク・ミー」
『ぼくは大いにリラックスして彼の世界の同居人になれるのよ』G
ヒューマン・ルーグ「ラブ・アクション」
『耽美的なポップ感覚の見事さといったら他にちょっとないぜ。理屈ヌキに楽しんでしまえる』I
ラーセン=フェイトン・バンド「フルムーン」
『右にも左にもいかず、上でも下でもない中道的な音楽には、これといった音楽的創造性はないね。まぁ、せいぜい勝手にやってくれ』A
マッドネス「7〜シティ・イン・シティ」
『ここでのマッドネスはドラマじたてのないノーマルなバンドになってしまっている」E
ザ・ポップ・グループ「ウィー・アー・タイム」
『安易な情緒や感性など軽くぶっ壊している彼らのダイナミックや叫びやサウンドは前を強引に見ていこうとする意思以外の何ものでもない」H
山下達郎「FOR YOU」
『原宿や渋谷のナウっちぃ店のBGMにぴったりだということはよくわかっております。なぜ人気モテモテかといえば、これといった毒気もエナジーもなく、ひたすらふんわか感性だけの音楽に徹しているからなのです。うかれガキ女の音楽』A 1982年5月号
B-52'S「メソポタミア」
『デビュー・アルバムに収められていた曲を完全に乗り越えていない』F
BORO「罪」
『過ぎ去った日々を振り返るような音楽は好まない。だからボロの音楽も好まない』E
DAF「愛と黄金」
『BGMとしては結構イケる方だと思うけど、それ以上のものはといえば……』B
グレイス・ジョーンズ「ナイトクラビング」
『いっさいのゼイ肉をそぎ落とした”メタル・マインド・サウンド&ヴォーカル”だ』H
モダン・ロマンス「ロマンティックな冒険者」
『ヒットした曲はそれなりにバカ陽気でよろしいが、他の曲はひたすらカッタルイ』D
スリッツ「カット」
『可愛いではないか。これでいい』F
ウシャコダ「ソウル・トゥ・ユー」
『いかんせんぼくにはなんか気楽でヨロシイナァーという以上のものには思えないのですね』D
1982年7月号
ローリー・アンダーソン「ビッグ・サイエンス」
『なんとなくだけど、きっとこのヒト頭いいのね。その分だけ率直に彼女の音楽を楽しめなかったのです』D
ザ・クラッシュ「コンバット・ロック」
『緊張感、刺激、想像力、ハリタオシがなくてC』
フィリップ・グラス「グラス・ワークス」
『難しいこと言わないで、気楽にBGMとして聴いています』E
細野晴臣「フィル・ハーモニー」
『帯に一生懸命作りましたというコピーがあるけど、ホントにそうなんでしょうか。もしそうだとしたら、彼の一生懸命のレベルなんてたかがしれてると思わざるをえません』C
ルイ・ジョーダン「おもしろ音楽大集合@」
『昼よりは夜に聴きたい。トロピカルドリンクよりはウイスキー』E
ポール・マッカートニー「タッグ・オブ・ウォー」
『40歳を越したのかね。やけにメメシそうな曲が沢山あるな』C
クィーン「ホット・スペース」
『時の流れというのでしょうか、クイーンも変わりました』C 1982年10月号
ABC「ルック・オブ・ラブ」
『どんなにイギリスで人気があってもダメなものはダメといいきるのです』B
ブラック・ウフル「チル・アウト」
『衝撃がなければ用はないとはいわないけれど、もう少しサウンド自体で強力なところがあってもいいんじゃないか』E
Go Go's「バケーション」
『基本になっている楽しみポップスは相変わらずあるわけで、気軽にルンルン出来ちゃう』E
オインコ・ボインゴ「オインコ・ボインゴの謎」
『ライブは面白いといわれるが、レコードがあまり面白くないのはどうしてなのだ。問題あるぞ』C
トム・ヴァーライン「ワーズ・フロム・ザ・フロント」
『エロチックなギターとクールで淋し気なヴォーカルはいつも都会の冷たいコンクリートに十分見合ったポエムなのだ』H
スティーヴ・ウィンウッド「トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト」
『ゆったりと時代の流れを見つめていける、というのはどう考えても羨ましいことだ』G
ウォーレン・ジヴォン「ジ・アンヴォイ」
『おらぁ元気に走っているよといいながら、苦しそうな顔を隠しているのがウォーレン・ジヴォンなのかもしれない。でもぼかぁそんな人が好きだな。辛い辛いなんていいまくってる男なんてきっと女にモテないよ』F 1982年12月号
ダイアー・ストレーツ「ラブ・オーバー・ゴールド」
『聴き流すにはもってこい。BGMにはうってつけ。たっぷりと軟弱叙情のスパイスが効いているのも悪くはない』E
ピーター・ガブリエル「ピーター・ガブリエルW」
『完璧な構成力とヴォーカル。何事につけ完璧というものは多少退屈なものだ』F
ジョー・ジャクソン「ナイト・アンド・デイ」
『いまいち納得いかないところがあって、それは彼が音楽万国博をやることにどれほどの意義があるかということなのです』D
ビリー・ジョエル「ナイロン・カーテン」
『よく出来ている。それだけだ』D
プリンス「1999」
『2枚組というだけでこのところめっきり体力のなくなったぼくは気がメイるんだけど、これは疲労を覚えることなく最後までつき合えた』E
リップ・リグ&パニック「アイ・アム・コールド」
『ドン・チェリーの余裕あるトランペットが美しい』F
ブルース・スプリングスティーン「ネブラスカ」
『淋しいアメリカ。淋しいアルバム』F
1983年4月号
クリストファー・クロス「アナザー・ページ」
『彼はプロフェッショナルといえるけど、なんとも味気のないプロフェッショナルよ』@
ホルガー・シューガイ「舟海」
『美しいレコードだなぁというのが第一印象で、BGMになりそうだなぁというのが第2印象であった』D
ダズ・バンド「オン・ザ・ワン」
『オーソドックスなファンキー感覚が好きな当方はやや面食らってしまった』D
ジャーニー「フロンティアーズ」
『気楽なロックの売れ線プロフェッショナルの好見本レコード』A
ランディ・ニューマン「トラブル・イン・パラダイス」
『単に女にモテるのではなく、いい女にモテる男がランディ・ニューマンだろう』G
サイキックTV「テンプルの豫言」
『軽さと重さのパースペクティブが凄いのだ。笑い顔を見せた後で強烈なパンチを浴びせる。そんな怖さがある』H
ソフト・セル「別れの美学」
『アクが強いのは彼らが並みの存在ではないことを証明しているのだ』F
1983年7月号
ジャパン「オイル・オン・キャンバス」
『彼らの暗さときたら相当なもので、座席に座ってじっとライブを味わうのはそのままイライラ気分だ。つくづくレコードで良かったと思う。基本的に退屈』D
マラリア「エモーション」
『個人的には今やちょっとキツイ音楽だが、女性がここまでヘヴィに迫れるという点は刺激的』F
ミニストリー「ミニストリー・ショック」
『ミニストリーならではのものが希薄みたい』C
スパークス「イン・アウター・スペース」
『失敗したようで面白くない』B
トーキング・ヘッズ「スピーキング・イン・タングス」
『彼らのリズムがこっちの生理にピタッとこない。レコードはキツい』D
ティアーズ・フォー・フィアーズ「チェンジ」
『いかにもイギリス出身ならではといった繊細な情感が実に上手く表されているところがいい』H
YMO「浮気なぼくら」
『まさにプロとしかいいようのない懐の深さがその奥にあるのはさすがだ』G 1983年9月号
ブルー・ズー「2×2」
『グループ名に負けた音楽についてイギーならなんていうかな』C
ピーター・ガブリエル「プレイズ・ライブ」
『たまにはプロならではのレコードを聴くのもいい』G
ハイジ・ファンテイジー「子供たちの軍歌」
『今流行のシロウト感覚たっぷりの、ナウさ一杯のソフト・ダンス・ミュージック』D
ノナ・ヘンドリックス「ステディ・アクション」
『凡百のディスコで両面を通して聴くのがツラかった。二度と聴く気になれなかった』B
マルコム・マクラレン「俺がマルコムだ!」
『それはそれで楽しく聴けたけど、もうひとつ釈然としないものが残ったのはたしか」D
コーティ・ムンディ「秀才ムンディの愉快なスクールデイズ」
『これは困った。今の日本じゃ確実に都会のシャレたカフェ・バー(それもトロピカルな)のBGMだろう』D
サザンオールスターズ「綺麗」
『多様な音楽性を取り入れながらも、それが見事なまでにサザンの音楽として消化されているのが凄い』H 1983年11月号
ジャクソン・ブラウン「愛の使者」
『聴きやすいレコードがそのまま優れたレコードになるとは限らない』E
リック・ジェームス「コールド・ブラッデッド」
『何回も聴いているうちに夜のアメリカが見えた』F
モンスーン「サード・アイ」
『良質なポップ、BGMとしてそれこそ気楽に受け止められるのがいい。僕はウトウトしながら聞き流しています』E
ザ・スタイル・カウンシル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」
『ここまで徹底しちゃうのねといった類の驚きであるわけだが、スタイル・カウンシルならではのモノがあんまり感じられない』D
ワム!「ファンタスティック」
『ここまで味もそっけもなく、元気なんだぞ、そんでもって不良なんだぞと明るく飛び跳ねられると…』C
XTC「ママー」
『その繊細で味わい深い独特のポップ感覚とノリはまさにイギリスのバンドそのもの』H
ニール・ヤング「エヴリバディズ・ロッキン」
『ニール・ヤングは大好きなんだけどね。彼の音楽ルーツを明かしたロックン・ロールで塗り固められている。ただそれだけ』D 1984年3月号
イアン・デューリー「4000週間のご無沙汰でした!!」
『いまやイアン・デューリーといわれてもまったく心ときめかないのは一体どうしたことだろう』C
ユーリズミックス「タッチ」
『良質のポップスここにありといいたい。が、全体となると、前作に比べてやや凝りすぎみたい』F
ジェネシス「ジェネシス」
『これまでの焼き直しにすぎないし、サウンドそのものの核にしたところでかなり散漫ではないか。これは凡作』B
ジョン・レノン&ヨーコ・オノ「ミルク・アンド・ハニー」
『かつての彼の作品ンは遥かに及ばない』B
戸川純「玉姫様」
『生理的に多少のイラつきを覚えたことは確かで、演技過剰。それでも決定的なNOを与えられないのは戸川純の類まれな個性、かわゆさがあるからです』F
ジェームス・ブラッド・ウルマー「オデッセイ」
『10年前のぼくなら真剣につき合えた、だけどいまは退屈だ。少しも好きじゃない。もう二度とぼくのターンテーブルにはのらない』A
ウーマック・アンド・ウーマック「ラヴ・ウォーズ」
『スンナリ楽しめました。たまには刺激抜きの音楽もいい』E パンクが言葉で語られ、行動で語られる時代はとっくの昔に終っている。
今やパンクは伝説であり死語である。
仮に今日においてパンクと出会うことを欲するならは、
その人はまず鍛えぬかれた圧倒的な緊張を感じさせる精神を有していなければならない。
しかも、その中に厳格と軟弱、悲劇と喜劇、世界と私、俊敏と頓馬――などという
奇妙でありながら見事にバランスのとれた相反する二つのものの容合がなければならない。 世界を言葉で裁断しようと試みる人はいずれ言葉によって復讐されることを覚悟しているべきである。
言葉を数学に移し変えてもこの図式は生きつづける。
この図式は厄介なことに普遍的な生命力を保持している。
SEXに快感を求める人はいずれSEXの不快感を味あわせられることになる。
人のあらゆる営為はその通底としてこの図式の呪縛を避けることは出来ない。
夢とはそんな呪縛からの一時的な解放であると同時に見果てぬものとしてのみ存在している。
だが、多くの人は夢を応々にして現実に引きずり込もうとするものだ。
残酷な精神の解体はそうした時に始まっていく。 多くの表現がそうであるようにパンクを単なるエンターテイメントとして受けとる人がいるように、
そうでない人もいる。
そして、時としてこの問題は哲学的命題と化して彼方を散歩していく。
その散歩の行き先を見とどけた人は、幸か不幸か、今だ一人もいないといえる。 DOLLQ清水タケルは森脇氏にファンレターを送っていた過去がある(笑)
本人が言ってたから本当なんだろね。 パンクスピリットで体調を取り戻せ!
そしてまた夜中の阿佐ヶ谷の町を自転車で駆け抜けろ!
fuck'n great!!!!
あんな病気の話ばっかしてたから元気ではないだろうが
それはそれで楽しく過ごせてりゃいいんだがね
今何やってんのかな? 古本屋と温泉が好きだったなあ
枯れた日常とあまり気乗りしなくなったロックへの想いの揺らぎが微妙で、鬱気味な日記だったな 90年ぐらいには既に音楽へ対する情熱は薄れていたよね
昔のことを書いたほうが筆が活き活きしていたもん 仕事柄パンク関係の音源をずっと聴いてきたが、
音楽から離れた人もいる。
年を得るにつれパンクとか音楽関係以外の別のものを見つけられたのなら
それは素晴らしいと思うって述べてたな。
情熱一辺倒ではなく、冷静になっていったのは自然ではあるな。 >バウハウス「暗闇の天使」
>『明日は決して無条件に来るものではないと常に懐疑しているぼくにこそぴったりのレコード』I
明日が無条件に来ないと懐疑していたなら
もっと健康に配慮しておくべきだったのにね・・・ ディスチャージの少年と大人の会話形式のレビューは良かったね コピペされた昔のレビュー見ると
ニール・ヤングやスティーブ・ウィンウッド、ブルースっぽい渋めのソウルみたいな
レココレ読者のオッサンが好きそうなのも嫌いじゃないんだね
意外なのはサザンをベタ褒めしていることか ドール1982・no.1にサケビがメン募出してた。ついでに、あぶらだこのヒロトモも出してた。
だからドールのBNは捨てられないねえ。 美貴夫のfuck'n greatなグラサンをつけさせろ!
さすればpunk spiritはよみがえる 1、2年前に亡くなったらしいな
シティロッカー再発できるじゃん ググッたがミッキーが死んだとかそういう情報は出て来ないぞ 森脇さんが現役だろうが引退だろうが
シティロッカー作品なぜ再発しないのか不思議 コレクターとして再発されるとガッカリするってのが理由だよね
元気な頃ならともかく、あそこまで弱っていたら
自分の持っているものが必要とされるだけで相当嬉しいだろうし
医療費や生活費だって必要だろうから(大した足しにはならないだろうが)
つまらないコレクター心理なんかどうでもいはずだろうにね トラッシュもだろ?
俺が当事者なら
生きてるから無理だよ、なんて言われる方がキツいわ >>80
なんか偽装ナマポ受給者みたいな話だな・・・ 塩キャラメルは来んな!・・・ってレスしときゃコイツ現れなくなるんだよね。
で、森脇さん死んだって本当なの? 本当は浅川マキが好きだったんだよね?
ハードコアとかかなり無理して聴いてたっぽい けど、
「もしディスチャージに全く触れていないロック史があるとしたら、
そいつは話にならないほどデタラメなロック史だ」
・・・とまで言ってんだぜ。