【UC】無線はアンカバーが一番面白いな
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なんだかんだいっても、やはりアンカバーは無線の王道。
アマチュア無線創成期の立役者もやはりアンカバーだたしな。
合法KWなんて、免許取れた時点がモチュベーションの山
あとは急激に下がり続けてQRT 7.230MHz で運用してました。時効 時効 時効 ! 中波帯と短波帯とFM放送帯で海賊放送局の運用も、もう時効です!
みんな仲良く時効!
良かった!良かった! A1
ー・ −−−
ーー −−− −・ ・ −・−−
・・・ −−− ・・・
・・・・ ・ ・−・・ ・−−・
ーー ・ 久しぶりのトンツー英文訳
no
money
sos
help
me
ですか?
人様にお伺いする前に自分で稼ぎましょう。 臭い臭い納豆汁
まるで履き古しの靴下のにおいがする
ああ、だれかに食わせたい 声は飛ぶけど匂いは飛ばない
だれか匂いもたばしてえな なにもJA10は7Mhzにこだわらなくてもいいんとちゃう?
中波でも短波でもFM放送帯でよくないんか? 430でトラックやダンプの運転手をからかうのが面白いww
いつの間にかに、こっちがアンカバー扱いされてしまってるけど、楽しいぞ!
免許持ってるトラック運転手らに対しての俺の口癖は、お前ら暴走族と一緒じゃ!俺のバイク、車 、登録もして車検もして免許持ってるぜ。
走って何が悪い?と言えば地域社会も許さんだろ?警察も苦労しないだろ?
そう言ってコキブリ駆除するのが楽しい >>163
気持ち分からないでもない。が、しかし、普段グランドで個人的に公私共々
かかわりあっていますと、気持ちの良い親父共もです。なぜか、ハンドマイク
を握ると、変な口調の話し方になるのです。正直言って、自分は無線をしてま
したとは話さない事にしております。分かってしまうと、まあ、あちらの無線
用語でさも得意げになってしゃべりだしてしまうのです。それが、無線に関して
レベルが低く、それだけなら良いのですが、あちら用語でなにか、異次元の
世界へ立ち寄ってしまった感覚になってしまいます。
だけど、親父達も兄ちゃん達も普段は気の良い人間です。家に帰ればかわいい
奥さんと子供達がいて、立派な父ちゃんです。
私の場合は、極力、彼らのまえでは無線屋だとは話しません。
あちらはあちらでの世界で楽しんでいる様なので。
なので、あまりイヤガラセとか、さげすんだりもしません。
この様になったのは国政とでも言いましょうか、なんでもかんでも無線の資格
と称してやたらと免許を取らせたのも間違いである。
昭和30年代にできた電話級なんてのも可笑しな資格ではなかろうか。あの当時
まだメーカー品は少なく、ほとんど自作されていた時代、電信級でしたら分か
りますが、1,2級の下に電信級であって、電話級はVUHF帯に限定するべきで
あったと思う。(HF帯のアンカバーは各々個人の自由ほんぽう無線)
当時はまだUHF帯なんてえのは、まだまだ技術的に進歩しておらず、せめて
VHF帯(当時2mは144Mc〜148Mcまであったと思った)で運用させれば
よかったと思うが、2mの利用者が少ないと言う理由からか削られてしまった。
途中、1970年頃、連盟の会長もH氏に代わって、資格者を沢山排出したのは
非常に結構な事であります。が、将来の事も簡単に考えたのか、もうチョット
資格間の線引きを考えてほしかったと思います。
1.2級は1.8Mhz〜オールバンド、電信級はHF帯はA1のみでVHF帯の
28Mhz〜Ghz帯まで電話でQSOでき、電話級は144Mhz帯〜Ghz帯に
してくれたら良かったと思う。 無線部のハンダゴテは、30ワットだったかで、ハンダが溶けるのが遅かったから、
スライダックでAC105Vくらいだったかな、MAXパワーで半田付けしてたら、
半日たたずにヒーターが断線してしもうた。 ヒーターの替えが無いと頭には来ないが、ガッカリして買いに行くのがめんどくさい 車もしかり、無線機もしかり、簡単に自分達でイジクリまわせなくなった。
若者離れが始まっている。
高度な技術を要するにいたり、便利になった様だが、趣味としての人気が
すたれてきた。
金出して買えば良い車や機種は買えるが、じきに飽きが来る面白くなくなる。
無線機もそうである様に買って1〜3ヶ月ほどで飽きてしまう。
もう飽きたら振り向きもしない。後は、何処かに売りさばくだけ。
もう何台売りさばいたのか。バカバカしくなってきている昨今、今日この頃。
自作しよう! 自作しよう!
ヘボなパクたれ無線機でもアア楽しや楽しや!
型にはまった無線ゴッコより自由気ままなアンカバーごっこ。
A3電波で7Mに出よう、嫌がられるかかいな。 車もキャブレター式が良かった。
ヘッドガスケットは自分で交換出来た。
クラッチも自分で交換出来た。
下手な凹みも自分で板金塗装出来た。
今じゃあエンジンオイルも車種によってはままならない。
デストロビューターもコンタクトポイントも無い。
点火プラグも交換無し。
エンジン調整も何も無し。
ただ普通に乗るだけエ〜。 どんだけ〜! 楽しいのかなあー。
無線機も調整は無し。
どんぴしゃ周波数は合ってるしィ、周波数ずれたままのQSOって今じゃあ
無し。
かなり昔し昔しに有ったが、50.2で稚内がCQ出していて、50.3も4も4.5も
5もみなローカルがラグってて呼ぶ所がない、水晶の削り過ぎの失敗作の
50.785付近の水晶があったので呼んでみたら答えてくれたことがあった。
500Khzも離れていて呼ばれて、本当に嬉しかった。
今の様な時代も便利かもしれぬが、めちゃくちゃアナログが好きだ。 >>168
おじいちゃん、お墓参りちゃんと行くから大人しくしててね ハーイ!
大人しくしてまーす。
もうじきじゃあ。
早う墓作らんとなあ。 >>168
クリスタル削り過ぎのときに「赤チン」塗ったか?
あまり塗り過ぎても芳しくないが。 なんだか古い話しだのオぅ
思い出したよ 赤ちん 今はないけど怪我した時に 赤ちん 塗るとぴたりと
治る万能傷薬。
削り過ぎのクリスタルにちょいと塗ると少し周波数がもどる。 70年前、戦争中に爆撃で怪我しても赤ちん塗られたらしい。
傷口がバキバキに渇いちゃうぞ。 各家庭に必ずあったキンカンとアカチン
インキンタムシにキンカン
薄めが悪いと、そりゃあ大変な事になる
ウチワで仰いでも収まらず、そのまま水道水で冷やさなければ収まらない ♪♪ キンカン塗ってまた塗って元気に陽気にキンコンカン ♪♪
ネットを見てたら
キンカン塗って股塗ってぇぇぇと言うので股に塗ったヤツが居た 温泉に入る前にカメアタマに赤チン塗ってから入ると若々しく見える 温泉と言うと思い出す
小さな温泉宿へ泊ったとき町内会の10代の若者達と夕食事前に宿のフロに入っ
ていたら隣りの女風呂が婆さん達で、まあ賑やかなこと、イモ洗い状態らしく
遅れてきた母娘連れ(30代後半の母、中学生の女の子、小学高学年位の子、
低学年の子と)が廊下で、ワーいっぱい、脱ぐところがない、こっちのお風呂
はどうかしらと言って(こちらはその話声えが聞こえてまして、皆で目と目を
みながら半ば期待感と困惑感と複雑な思いで聞いていたら、ななんと
4人ともスポンポン状態で、あらごめんあそばせと言いながら、ねえ、こっちの
ほうが空いてていいわよとなにも隠さずに入ってきてしまいました。
なんて言っていいのやら、何処見ていいのやら、(でもしっかりと4人のスポンポン
を見てました)結局、女は強し図々しい、あそこもゲンナリして男共達はさっさと
部屋へ逃げかえりました。 >>181
分かりそうなきがする。一度でいいからそのような事になってみたい こんなのもあったよ
Y県の温泉宿へ行った時、宴会の途中でフロに入りたくなったので一人
抜け出し男フロの脱衣所にいたら(男湯と女湯の脱衣所が通路でつながっていた)
一人の痩せこけたオバンがオーホホホホ、オーホホホホと笑いながら、旅の恥は
かき捨てといいながら、これまた素っ裸で男の脱衣所を横切っていくではないか
一瞬、度胆を抜かれましたが、これまたしっかりと見てしまいました。
真っ黒なここ割れ仮面!であった。 しょうがねえなあー
こんな話しはきりがねえ
面白いがほどほどにね
アンカバーの話でも致しましょう 【しゃがんだままの手だけ阿波踊り】
何時だったか、甥っ子の幼稚園の運動会に義姉から見に来ない?とお誘いが
あり、早速、とある運動公園へ行って見ました。かけっこやらボール入れやら
終わって、場内放送があり、
「父兄の方達の競技がありますので体力に自信のある方は参加お願いします」
と言う1500m競技が有りまして、当時まだ体力的に自信があったので参加して
みました。甥っ子や義姉に良い所を見せようと最初から飛ばし過ぎてゴール
したときに気持ち悪くなり、すぐ公園のトイレへ駆け込みましたらすでに
満杯な様で、もうたまらんと一つのドアを引っ張ったら簡単にバアーンと
開いてしまい、中にちょっと小太りのオバンがなんと真っ白い大きなケツを
出して用足ししている最中でした。
一瞬驚いたのか、
「アレ〜エ! と叫びながら手だけは、阿波踊りしてました」
もうこちらは気持ち悪いので、すぐさまトイレの裏へ回ってゲコゲコとして
ました。なんともあの時の大きなケツと阿波踊りのしぐさが脳裏にこびり付いてしまいました。
それからしばらくして、当時とある店長をしていまして、その日は結構忙しい
日で、ひとりの上品な御夫人が
「あのー お手洗いをお借りしたいのですがどちらでしょうか」
と尋ねられて、
「そちらに入った所にあります」と教えたまでは良かったが、あまりの
忙しさでコロっと教えたことを忘れてしまい、本人も随分前から用足しを
我慢してましたので急ぎトイレへ行って、ドアをおもいっきり引っ張って
しまいました。そしたら、さっきの上品なこれまたチョっと小太りのオバンでしたが
やっぱり「アレ〜エ! と手だけは阿波踊りしてました」
なんとも御2人のオシリの白くて大きい事、しっかりと割れておりました。
当たり前だけど。 学生の頃、空手部の忘年会の流れで行った居酒屋で先輩がトイレのドアを開けたらおねえちゃんが
おしっこ中。詫びて閉めたが、あとから剃りこみの入った兄ちゃんがその子をつれて文句を言って
来たので再度謝罪。ところが調子に乗った兄ちゃんがチンピラよろしくしつこくからみ、「てめー半殺し
にしてやる」などとほざいた瞬間、キレた先輩が兄ちゃんに上段回し蹴りで、一発ダウン。清算して
とっととその場を逃げた。先輩の靴にはチンピラ兄ちゃんの歯が刺さってた。 なんだかだんだんと話がそれて来たが・・・・・・・・。
あれはまだ四駆に乗ってモービル機を積載している頃のお話しですが、
営業所の忘年会で皆で居酒屋に行き、相も変わらず飲めや歌えやで、当時
2歳年上の部下で「ごっちゃん」と言う愛称で呼ばれていた子がいて、これが
また、酒が好きで、特に経費で飲んだりただ酒となると喜んで参加する子で
皆で面白いのでやたらと飲め飲めと飲ませたのはいいけど案の定、急に「ウップ」
と言い出し、ヤバイ!ゲロッぴか!と私とオバサンとで便所まで急ぎ連行して
私がおもいっきりドアを引っ張ったら瘦せぎすの女がちょうどパンティを
足で広げてしゃがんでいる最中で、「チョットチョットお、なんなのよォ」と
大きな声でいわれて、即、ヤバイと直ぐ後ろへ下がり、オバサンを前え出して
(この様な場合は女同士の方がおんびんに話が付く)あやまって頂きました。
でも、私は見てしまったのです。なにもない所を。
まっくろけ!まっくろけ!まっくろけ!のけ! どうせアンカバー2chQSO
気楽に面白可笑しく語り合いましょう
嫌がる方達もおるかと思います
がしかし、しょせんJA10-JA11のオフバンド
おかたい事いわずに楽しみましょう
おおいに笑いましょう そうだ!そのとおり。
あまりハメ外さない程度に
ほどほどに
わっはっはっはっは! 各局お早うでござる。
少し他事で荒らされましたが落ち着いた様子かなあ?
>>185と>>190には笑わされました(家族も大うけでした)
どなたか分かりませんが面白かった!
でも少々この2チャンネルの本題よりズレが感じられます
又の機会があったらお話しでもお聞かせ下さい
さて、またアンカバーの面白いお話でも各局お聞かせ下さい 中にはイヤがる人間もいます
あまり硬い事言わずと思うが、イヤなものはイヤな様です
自分はほどほどに面白いと思うが
人、10人10色と申します
どんな事でもほどほどに 2014ハムフェェアー
8月23日(土)−24日(日)
東京ビックサイト西 首ふりトラックアンカバー
三味線を聞きながら首を振っている 以前、50MHzのちょっと下、45MHzあたりでのトランシーバーがあったと
思いますがどなたかご存知の方はいますか?(出た事のある方)
形は、一般のCB機と同じような形をしてたと思うが。 アンカバ入門時、初めて製作したCW送信機は、カソードキーイングだった。
ファイナルは6V6だった。特に問題なく3ワットくらい出ていた模様。
続いて2〜3台目もカソードキーイングだったが、
TV球、水平出力管で製作完了しキーダウンしたら、プッツンしちゃった。
GKタッチ? 球、昇天。
以後、カソードキーイングは、やめました。 アンカバ開始後、簡易なCW送信機をいくつか製作した。
内、MOPAなるものも製作したが、6AQ5単球で発振させ、即、空中線に給電するものだ。
しかし、時期、水晶発振子が割れてしまった。
その後、他の送信機において、水晶発振子は6AQ5クラス以上の球で発振させると割れた。
これは最先端ソリッドステート時代においても忘れてはならない教訓である。 3A5 そのあたりの周波数だとこれ。
2E26は新しい。 先日、超久しぶりに秋葉原へ寄ってみたよ。
なんだか色々とショップも様変わりして、相も変わらずメイド喫茶の姉ちゃん
達が街頭でチラシをくばってた。ガード下へも行ってみたが、一階の本屋の
綺麗だったオバチャンがおばあさんになってました。
あのウサンクサイ街灯販売やら裏路地のショップなどエキゾチックに感ずる
のは今も昔も変わり有りませんでした。
結局ニッピンへ行き靴の防水ワックスを買って帰って来ました。 >>208
拙者が初めて作ったのはたしか3球のワイアレスマイクでした。やっとの思いで
作ったのですが、これが又飛ばないのなんのって、100mも飛ばなかったと思います
仕方なく近所の中学の先輩のお宅を訪ねて色々相談して、それにもう1球追加して
球管名は忘れましたが増幅して頂きました。なんとか数キロは飛ぶようになりましたが
RXの発信コイルでしたので安定が悪く、またまた先輩のお宅を訪ね、相談を
して、7Mのクリスタル使用に改造をして頂き、もう自分ではどの様な回路に
なったのか皆目見当がつかない無線機になりました。それでも随分楽しめました 341MHzで波出てるんだが
コールサイン言わない トラック ダンプ?
どんな無線機で出てるの? イメージではありません
59で入感します
342MHzにも居ます >>211
ガード下の本屋さんって中央通りを上野方面から万世橋に向かってガード下を左に入って3軒目位の所の間口1間ほどの本屋さんだと思いますが
たしかに50年ほど前はちょっと綺麗なお姉さんでしたが、今はもうおばあちゃんですね
と言っても我々も孫たちにジィジィと呼ばれていますが・・・・・・・。
でもまぁ良く長年あそこで頑張っていますね。その3〜4軒ほど先のトランス屋のオジサンはもう随分前から見なくなりました。息子さんらしい方が
店番してるようですが、たしか30年ほど前だったか、夜の7時近くにお店の前を通ったらトランス屋のオジサンがオー!良い所に来た、今帰るから
家まで乗せて行ってくれと言われて(たまたま私の居た会社の近くに住まいがあった)乗せて行った事があいました。帰りに新品のトランス10個ほど
頂いたのは良いが、内心こんなに頂いても・・・・・と言う気持ちでしたがせっかくの好意もあったので頂いて来ました。いまだにベランダの箱の
中にあります。
たまに秋葉原へ行って気晴らししてる、ジィジィです。 トラック無線だろうが、パーソナル小僧だろうが、CB太郎だろうが
アンカバーに変わりないので、皆、楽しく2chしよう。
アマチュア持っていても、勝手気ままなオーバーパワー子もアンカバーに
は変わりは御座らん。
皆、兄弟!楽しく行こう! 標準的な5スにBFOを付けてみた。
6AV6で約455kHzを発振。
強い信号に対しては、ビート音がひどく歪むが、BFO無いより格段に良好。
CWがFBに受信できるようになった。
なんせBFOが無いとCW受信音は、ボツボツとかいっちゃって、意味不明W。
SSBもなんとか復調できる。当時、当方にとってSSBは不明な信号だった。
ジャイアント馬場かと思った。
バッドエッジでCQ連発しとったら、某ローカル局からまさかのコール。
天にも昇る気持ち。
アマ無線はすばらしいと思い、9R59Dを中古でゲット。12,000円也。
5スに比べて格段に受信能力アップ。
プロダクト検波の音質は、「5ス+BFO」よりもVFB。
7メガCWは、混信が気になっていたところ、
スーパーローカル局が、500Hz幅のXFをくれるというのでありがたく頂き、
9R59Dに装着。IFを1段追加して、感度も向上。 >>224
59Dってメインバリコンとスプレットバリコンのつまみが同じ位置にあったけれど
スプレットバリコンで調整してるとメインバリコンも動いてしまって周波数がぶっ飛んで
しまった事が時々ありました。都度、「ん、モウー!タクー」とブツブツ言いながら
再度ダイアルを合わせる事もありました。
逆に後で95−59に機種変更し、(ローカルから2千円で譲り受けた)それに
別のローカルより、トリオのSM5(プリセレクター+コンバーター)を譲り受け
千円だったか忘れましたが、送信機は八重洲FL50(当時、巣鴨にあったCQセンターで買った)と言うラインナップで
しばらくはHF帯でオンエアいたしておりました。
このSM5は優れものでした、ダブルスーパーで受信してSメーターが3〜5
の局にこのプリコンをかませると、たちまち9+30dbオーバー、振り切れ
状態でした。何時だったか80mバンドでAM局をタヌキワッチしていて、福島の局だったかQSO中に
近所のオバサンが訪ねて来られた時のサイドからの会話が諸に拾って
まるでこちらの近所みたいに感じた事がありました。
「こんにちはー」
「○○地区の△△です」
「あのー、今年の天祖神社の祭りの寄付金の事で〜ぇ・・・・」
そこのお母さん
「あ!ハイハイ」
「あらー、△△さん、大変ねぇ」
とまあ、まるで此方のご近所さんの様な近所QRMでした。
あげくに飼い猫の鳴き声までがはっきりと聞こえておりました。
まあ、AM電波の良い所かなあ、サイドバンドではあまり情緒がないかもしれないが。
その当時、40mバンドではAM電波が3割、7割がモガモガ(SSB)でした。
ほんの2年前までは逆でしたが、モガモガは(AM受信で聞くと、その様に聞こえた)
1割程度でしたが、SSBの方が良く飛び、QRMにも強いと言う事で、
あっと言う間にSSBに代わってしまいました。
やはり、AM送信機の方が自作は圧倒的に簡単で、SSBの方は回路が多すぎて
自作が面倒、と言うか、もう自作する根気が失せてしまってました。 59Dは、機械的強度が弱かったので、
上部のカバーを手で叩いただけで周波数変動がありました。
電源電圧変動によってもQRHがあり、
電気コタツを付けるとQRH、w。
なお、当時、カツミのエレキー、安いタイプは、室温変化によって
レシオ等が変化し、冬は、臭い息を吹きかけて発振回路を暖めて調整しました。
そうしないと、まともな符号にならなかったのでつ。 要するに、知らん顔して他人のQSO(交信)を聞く事を言う。
そんな事を言えば、全ての無線愛好家達はそうである様に、四六時中CQを
マイクロホンからぶっ放している訳にもいかず、他の局同士の交信を結構聞いて
います。面白い話し、真面目な話し、軽い話し、時間帯によってはヒワイナ
なエロ話しなど、等々あります。
いつからか、タヌキワッチと言う単語が出来ました。おおよそ30〜40年ほど
前からかと思いますがそれ以前は、その様な単語は御座いませんでした。
時代が変われば言葉も話し方も変わります。今から100年前の時代にタイムスリップ
して言葉を交わせば果たしてどの位い通ずるであろうか。150年前だったらどうで
あろうか?
又、タヌキワッチの2chも有りましたが、タヌキワッチに関してさんざんな事
な事を書いていますが、その様な事を言っても、貴方達もタヌキしてるでしょう
電波を発射可能にもかかわらず黙って人のQSOを聞いて楽しんでいる事を言う。 通信傍受拡大へ (たぬきワッチが仕事です)
法制審議会(法相の諮問機関)の特別部会が30日開かれ、
犯罪捜査で電話やメールの傍受を認める「通信傍受」の対象に、
窃盗や詐欺など9種類の犯罪を加える最終案が了承された。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140630-OYT1T50145.html?from=ytop_main3 新聞に出てたねぇ
人類みなタヌキ!
タヌキとキツネのばかし合い
タヌキさんにお願い!
我が家の植木の葉っぱを万札に変えて下さい。 中学校の授業を欠席してまでアマ電話級試験を受けに蒲田に行ったり、
内科医院に行って診断書を書いてもらったり、やっと、
正規に免許を受けて堂々と運用開始した。
それまでの違法運用ともお別れだ。
コソコソ隠れるような卑屈な思いをしなくてよくなった。 学校のクラブ局のHFトランシーバーは、ファイナルが真空管、6146パラレル。
これが送信不能となったので修理を試みる。
しかし、SSB機は構造が複雑かつメーカー製は集積度が高く、
でたらめに修理を試みても修理不能だった。
マイクから順番にオシロで追うとか、逆にファイナルから追うとか、
論理的、合理的な作業が必要だ。
この修理中、B電源ケミコン残圧、約750Vに感電して高電圧の怖さを知った。
感電直後約5分間、親指がピクピクと痙攣した程度であって、火傷などは無かったが。 ローカル局が「スカイエリート6」(スカ6)を貸してくれた。
高校受験の邪魔になるからとか言っていた。
さっそく自宅で使ってみる(この頃は正規免許局w)。
すばらしい機械だと改めて感心する。
年に数回しか相手局が見つからないだろうが、当方、
「スカ6同等機」を自作する構想は今でも持っており、
変調トランスなどの部品は、ボチボチ集めている。 >>234
パナ6(スカ6)は名機です。45年前は一世風靡してました。
他にトリオ(ケンウッド)TR1000、井上電機(アイコム)AM3Dなどが
風靡してました。
吾輩はTR1000をしばらく使用してました。
>>233
感電も経験のうちで、でも出来るだけ感電しないようにね。
吾輩も以前800Vで自室でイスごと3mばかり吹っ飛んだ経験あります。
真昼間にもかかわらず目の前が一瞬真っ暗でした。
>>232
良かったね、免許取れて、以前の話なのか、今の話か分かりませんが。
出来れば電信の打てる3球以上の資格を取りましょう。 >>235
オーイ、字が間違ってるドー、3球でなく3級でしょう。 そこが2chの良い所、
間違えても間違えなくても内容が分かれば良いではないか。 正規アマ局として活発にオンエアしていたが、
50メガSSB、約1ワットで呼んでも応答率が悪い。
国内Eスポどころか、ちょっとしたパイルでも負ける。
「2SC1307 + 6146Bパラ」の下駄を自作した。1978年頃かな。
当初、入力回路のマッチングが悪く、ローカルから
「バンド中、おたくの電波が広がってますお」とクレームが入った。
入力回路を変更して、スプラッタは改善。
3エレ八木で呼ぶ。パイルも1発でコールバック w
海外も桶。パワーの妙味ですな。
バイトで5万円貯まってもお金が部品に化けて、
また無一文となったのでした。 ドリーミングハウスは日曜日以外毎日8時から18時過ぎまで長期間に渡って周囲に騒音をまき散らさないように
配慮して工事する金儲けより公共の利益を重視するすばらしい会社です 6mSSBと言うと、たしか昭和45年ころあたりからボツボツと出てきたかと
思いますが、当初、6mはAMとFM波が全盛期であって、(HFはすでにSSB
になっていた。)大多数の6mAM達はSSBなんか出てくるんじゃあネエと
言っていた時期がありました。いつの間にかSSBになってしまいましたが
もう、だあ〜れも出ておらんバンドになってしもうた。 >>90でのローカル局○○○で思い出したが、ちょっと変な変わったヤツだった。
あれは昭和44年頃だったか6mでのラグチュー仲間で某公園に集まって食事会
をしようと言う事になり、良くお会いしているローカルもいれば、無線で会話
はしてるがまだお会いした事がない方達やら数十名ほどが晴天の晴れ晴れとした
青空のしたで、各々手作りのお弁当やらXYLさんが作ってくれたお弁当、買って
来たお弁当と色とりどりの食事会をしてました。
仲間との会話で
ところで○○○局も来てくれるといっていたが見えないけれど・・・・、と
話しながら舌鼓をしていたら、なんか近くで仲間達のコールサインをが鳴り
ながら歩いている人がいて、良く見たらなんとCB無線機で6mを呼んでい
るではありませんか??
これ自体とても変な事で、どう考えても27Mと50Mとではバンドがちがいすぎ
ていて、本人を捕まえて聞いてみたら、6mの移動用がなかったので、なんでも
いいからトランシーバにが鳴りまくって歩けば、だれかが気が付くだろうと
言う事でした。1時間ほど公園の中をが鳴りながら探し回ったそうです。
無線を少し知っている人がいれば、ちょっと「おかしんじゃネぇ」と思った
でしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています