もう50年も前かのうォ、当時とある田舎町に住んでおったのじゃが、○○盆地
で、アンカバー局を運用しておった。あの当時、従事者免許を取りに行くには
今で言うその地方でも大きな政令都市に行かねばならず、一泊二日の日程を組
まねばとても行けませんでした。子供ながら親に免許を取りたいから金を出し
てくれと、又、宿泊代や交通費など出してほしいと、とても言える様な状況で
はなく、私だけではなく友人達も同じで、皆で集まり、ではその○○盆地の中
で楽しもうよと言うわけで、何人かで適当な無線機を作り楽しんでおった。
当時、パーツ類部品類は田舎町では中々手に入れずらく、家にある真空管ラジ
オを分解したり、もうトランジスタラジオが出始めた頃で、各家庭で真空管式
のラジオは使用しなくなっていた頃なので親父のデカい自転車を借りて知り合
いの家を歩いて古いラジオや蓄音機などをいただいて分解をしておりました。
すでに先輩達何人かは開局していたので、ラジオを分解しても手に入らない様
な部品を譲っていただいて、私は7MC(7HZ)の終段42の真空管ででており
ました。ANTはコニカル型でした。コールはまだ使用されていないとんでも
ないコールだったり、適当なコールでした。又、私も友人達も海賊放送局の電波
を時々中波帯で音楽などを流したりして楽しんでおりました。
ある時、町の本屋さんの前を通り掛かった時、男の人二人が会話をしていて、
昨日さぁ、NHKの少し上の方で変な音楽鳴らしている放送局があって、
どこの放送局だろう、と言う会話を耳にして、
あ!、オレだ、その日その時間帯に流していたのは、まぎれもなくオレだと
とたんに嬉しくなり、ニンマリとした思い出があります。
当時のアンカバーは楽しい。開局していた先輩達も適当にお相手をしてくれて
おりました。