Hi-Fi 秀逸 SSB サウンドを語ろう ! [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
@ 帯域 3kHzで秀逸 Hi-Fi サウンドの求道
A マイクは Rode NT-3、贅を尽くした NEUMANN U87Ai
B ART - VOICE CHANNEL
Let's enjoy Hi-Fi SSB ! 爺の汚ったね〜しゃがれた声をHi-Fiで聞くなんて
どんな罰ゲームだよ。
まずはボイトレな。
話はそれからだ。 >>367
そう言うおまいさんも実は還暦過ぎだろ(笑) >>370
そう言うおまいさんも実は還暦過ぎだろ(笑) >>372
そう言うおまいさんも実は還暦過ぎだろ(笑) >>372
そう言うおまいさんも実は糞爺だろ(笑) >>378
そう言うおまいさんも実は還暦過ぎだろ(笑) >>380
身軽でイイヨ 有り金も無線機に投入出来るニダw クリスタルマイク
どうです?当局の音は?聞きやすいでしょう?これはハムフェアで
勝ち取った貴重なマイクで倍率が凄かったんですよ いいでしょ?
おれ
どこのメーカーですか?周波数特性は?
ハムフェアのマイクで凄くてね、仲間から上品だって
おれ
メーカーが不明なんですよね?
だから!いいって言われてんの! 特別なマ〜イクをあなた〜にあ〜げる
クリスタルだからぁあ む〜かしのカーボンでぇ〜
出て〜いぃまあすぅ〜。
しーきゅう 蓋メーター カーボンマイクは出力も大きく、壊れにくい、低コストなことから電話機に採用されました っと言う訳で...
人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)
\_―― ̄ ̄::::::::::\
ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
\__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
゙'. '.;`i i、 ノ .、″ 加齢により耳の周波数特性が劣化して高域が聞き取れなくなるんだよな >>397
それでもやってるオーディオ評論家(笑) >>402
そう言うおまいさんも実は還暦過ぎだろ(笑) >>404
そう言うおまいさんも実は還暦過ぎだろ(笑) ↑
中国のネズミ族 (地下の物置、空きスペースが住居) と呼ばれる人々より FB だろw 日本のホームレスの国籍はみんな日本国。
そして地価が高い所しか住めない。 本日の3559KHzオカダ会話内容
お 『JA3TQS 佐々木爺の "屁声" は本当に聞けないねぇ〜
腐った臭糞低音だよぉ〜』
相 『聞いてられないよね』
お 『それに夜な夜な3565や3568で出てくる四国の屁爺さんの声と、
その相手連中の声も耳障りだよねぇ〜』
相 『 JA5OF 枇杷田』
お 『うんうん』
お 『僕の業務用無線機はSDRと違って音の違いが良く分かるからねぇ〜』
相 『ですねぇー』 (バンド・チェンジのお知らせ)
この周波数、お使いですか、周波数チェック
こちらは西部軍・国民突撃兵・後期高齢者特別介護兵・無線分隊 西部軍・国民突撃兵・後期高齢者特別介護兵・無線分隊(誤)
西部軍・小倉国民突撃隊・後期高齢者無線分隊(正) 使ってませんよ どうぞ自由にお使い下さい
↑
はい、しばらくお借りします。 LAS CAIDAS MAS GRACIOSAS EN LAS PASARELAS|MODEL FALLS
9,987,189 回視聴
https://www.youtube.com/watch?v=jvfGrIw5IEg ↑
ブヒさん、 そちら本土の東部軍はどうですか!
by 西部軍、高射砲第四師団、131連隊 ブヒブヒ、さっぱりですな、肝心の中央は、あの通りの按配で、コマンド部隊が入り込んで
居るようですし、図体だけはでかい親分も団体もさっぱりですわ、はあ、何ですな
長い事ワッチだけは続けて監視しておるのですが、ソフトバンク禿の、ハの字も
言及がありませんなブヒ
BY 習志野練兵場 火器管制ブヒ ですなブヒ
BY 西軍部 国民突撃兵予備役 ヨロヨローフラフーラ爺 部屋に散らばる抜け毛たちよ
我が元に戻りたまえ(´・ω・`) ブヒー、他人のブヒを勝手に使うのは良くないブヒ 怒!! BY 習志野練兵場 火器管制ブヒ (誤) →→ BY 東部軍 習志野錬兵場・火器管制教育部付ブヒ (正) おお、ブヒ君も出世したな。今や教育部の先生かーーー いや俺は彼は、きっとやる男だと信じていたよ、抜群だったからな。 Yetman Morse Code Transmitting Typewriter (1908) 電信用 モールス信号タイプライター
105 回視聴
https://www.youtube.com/watch?v=JFxPa8wNaew&feature=youtu.be Panasonic Color Phototelegraphic Transmitter (1971) 写真電送機
94 回視聴
https://www.youtube.com/watch?v=6UIZxnQrD8c&feature=youtu.be 映画撮影に協力しました
映画会社から平成27年公開作品への協力依頼があり
お手伝いさせていただくことになりました、
時代背景は、太平洋戦争中の日本軍です
使えそうな物を倉庫から探して、撮影現場へ運びました、
ホームページへのUPは、いけないだろうと思っていましたが
担当の方が 「作品名とか詳細を書かなければ、UPしていいよ」
とのこと、少し紹介します。
http://www.geocities.jp/kyo_oomiya/m.html このー!糞ブタブヒー!
どっか行けや さっさと行け ↑
るせえ お前が行けや」 このヘタレおまんたばやしがっ 部屋に散らばる抜け毛たちよ
我が元に戻りたまえ(´・ω・`) 登場人物
母方の祖父、高橋速水(たかはしはやみ)
戦国武将の高橋紹運を祖先に持つ、小兵ながら戦闘力の塊の様な玄海灘生まれの九州人の見本である野武士、
きらきら輝く大きい奇麗な眼を持つ。
宗像神社の沖合の孤島に生まれ、職業として,神主を兼ねた漁民を営み、数家族が細々と食いつないできた中の一人。
明治32年生まれ、対馬海峡方面に日本海海戦の咆哮を聞いたか、6歳時に。
島の生活は過酷、海が荒れると、わずか500m先の本土の宗像の小学校にも渡れず、代用に大きな盆の底に海砂を入れ、
本も買えないため、古新聞の一字、一字を指でなぞって完璧に記憶し、後に宗像で神童と呼ばれる。この男、速水は18歳で
謎の行動をとり、はるか満洲国へと出奔する。この目的はアヘンでの儲け目当てと思われる。当時、福岡県人は続々と海を渡っていた。 速水は、物腰は穏やかだが、常に戦闘的であった。数多くの事変、マネーロンダリング、アヘン売買に関与し、
売り上げの全てを正確に横浜正金銀行に入金し、身に一銭の不正無き為、戦後、困窮するが、日本の上層部に見捨てられた
大陸残留の引揚者の救出活動にあたり、厚生省から表彰を受ける。長男の高橋正三郎は、天津中学卒業後に、
地元の横浜正金銀行に就職、文字で苦労した父と似て、漢字に強く、商業簿記でとった満点の模範答案は、
長く天津中学に張り出されていた。速水と親交があった宗像神社は、海路の中継地点でも有り、
古代から豪族と関係を結び、中国大陸での儲け話の情報も、アヘン戦争後の速い時期から豊富に得られたものと思われる。 大陸その他で、二反長音蔵(アヘン王)によりアヘンの栽培技術が確立、明治44年には満州北部、吉林省松花江近辺で、
大量に国際商品として栽培され、天津に向けて水路で運ぶ体制であったという。速水は同じ吉林省の地で、大正6年に、
18歳にしてアヘン学と語学を習得したが、後に、この習得技術は、陸軍・軍属として活用され、天津の軍幹部を驚喜させるに至る。
そのアヘンの毒により69歳で没するが、晩年の口癖は、「金塊をさらしの下に入れてロバで移動すると、腹を冷やして
下痢をしていかん」「チョーサクリン、チョーサクリン」その、ふたつで最後まで押し通した。
(速水の履歴書に記載)
大正6年満州国、吉林省吉林城内、華語専門学院卒業
4月吉林城内三頭石馬福生公司勤務伐材に従事 只今より開演いたします。
闇の声劇場
第二部、運命の大牟田
対決! 三池炭鉱・炭坑夫・重症結核患者 VS 朝鮮総連・共産党・ソフトバンク禿・統一会議 >>447 補記
速水、直筆の毛書体の履歴書には、満州国とあります。引き上げ直後の昭和21年に書いた履歴書に
ある通りに、ここは、あえて満州国としました。敗戦直後の日本では、未だ履歴書に満州国が通用したようです。
満州国の建国は昭和7年ですから、大正時代では無理がありますが・・・・ この間の 3.559KHz 岡田センセイの会話内容
お 『JA3TQS 佐々木爺の "屁声" は本当に聞けないねぇ〜
腐った臭糞低音だよぉ〜』
相 『聞いてられないよね』
お 『それに夜な夜な3565や3568で出てくる四国の屁爺さんの声と、
その相手連中の声も耳障りだよねぇ〜』
相 『 JA5OF 枇杷田』
お 『うんうん』
お 『僕の業務用無線機はSDRと違って音の違いが良く分かるからねぇ〜』
相 『ですねぇー』 今年の老人会旅行は、長瀞www 明日、頭部デンシャで一同仲良くです!!! 登場人物
森田協勝(もりたきょうかつ)
重症の小児結核で入院した曽我病院で、ずっと退院するまで親代わりになってくれた命の恩人。
森田さんは当事30歳前後の青年ながら、胸の厚みが普通の人の半分しかない悲運の人。
終戦時の15歳からずっと、食料事情が悪く、弟を高校に進学させる為に、20
センチしかない洗濯板のような胸で働きに働き、ついに回復不能な重症で、この
結核専門病院に収容され、特効薬のパスもストマイも効かない状態でも、鼻の高い上品な顔で
「おおつ、ぼくは何年生ね、寂しかね、学校に行けんけね」と迎えてくれる紳士。
同じ学会員であり、近くにあった自宅へ招いて、レコードとソニーのテープコーダー
で洋楽のベニーグッドマン、ビリーボーン楽団を聞かせて下さる。重症であるため
退院することなく、数年後に、曽我病院で死去。だから「森田さん」と発音しても、森田さんと
書いても、今でも万感迫るものがある。 今年の老人会旅行は、明日、長瀞www 頭部デンシャで一同仲良くです!!! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています