大陸その他で、二反長音蔵(アヘン王)によりアヘンの栽培技術が確立、明治44年には満州北部、吉林省松花江近辺で、
大量に国際商品として栽培され、天津に向けて水路で運ぶ体制であったという。速水は同じ吉林省の地で、大正6年に、
18歳にしてアヘン学と語学を習得したが、後に、この習得技術は、陸軍・軍属として活用され、天津の軍幹部を驚喜させるに至る。
そのアヘンの毒により69歳で没するが、晩年の口癖は、「金塊をさらしの下に入れてロバで移動すると、腹を冷やして
下痢をしていかん」「チョーサクリン、チョーサクリン」その、ふたつで最後まで押し通した。

(速水の履歴書に記載)

大正6年満州国、吉林省吉林城内、華語専門学院卒業
4月吉林城内三頭石馬福生公司勤務伐材に従事