登場人物

パンを売っていた大牟田の老舗 紅重パン(べにしげパン)の経営者
紅重・創価学会・白金地区・地区部長


大牟田は美味いものが多い。古くは明治期より、総資本側の三井の貴族のために
瀟洒な建物の三井倶楽部では、中央仕込みの一流のコックが腕をふるい、その美味いものの系譜が
どどっと、市内にも流れ込み、べにしげの餡パンも菓子パンも、荒くれ炭坑夫に、飛ぶように
売れる。しか?し、好調な時期は短く、紅重パンも、紅重さん自身の、永年の酒を飲んでの豪快な
放蕩生活と人の良さがたたり、争議で荒れる大牟田の街で、昭和38年ごろ、肝臓をわるくして
高血圧からか顔を赤くして休んでおられた。

この人は、元は知る人ぞ多い、お金持ちの、人情の人だった。わが母は極貧に困り果て、ついに戸板に古本を乗せて
日に数冊を売る露天業で、50円から90円くらいを稼ぐという惨状に落ちたが、その様子を電柱の影から
見届ける一人の創価学会の地区部長がいた「大丈夫だろうか。後藤さんは、今日は売れたか」 母には悟られないよう
にそっと確認する。
その壮烈な露天の物語とは、こうである。
母は、四つ山市場(荒尾市の繁華街)の住宅の一人の住人に頼み込んで、塀の内側に1枚の商売用の戸板を預けている。
晴天の日は、ここへ来て戸板を引き出し、路上に置く。そして両手にさげてきた包みをほどくと、幾ばくかの古本を並べて
古本の露天業を開始するのである。群集はうなりをあげて多い。その脇には幼子がじっと座り、最初の10円の売り上げが
入ると、キャラメルか飴を買いに
走る。100円以上の売り上げがあれば、四つ山市場で、有明海の名産、タイラギ二枚貝の内臓(ジゴ)のひと盛り
でもかって帰る。行きも帰りも幼子の手を引き、バスに乗らず四つ山、三川町は5丁目から1丁目まで、諏訪橋、諏訪町、
白銀町とバス停の9箇所を走破して。今日の夕食はタイラギのジゴだ。4人分は充分にあると、ほっと一息つく母。

それを、数十キロある道を自転車で走り、度々、売り上げ確認に、訪れてくれた人、それがべにしげパンの
元・経営者、豪放な親分、人情の人、紅重地区部長、(べにしげちくぶちょう)だ。