1960年、3月29日(火)    続き
僕は毎日生きるのにぎりぎりの、粗末なものを食べているので、そのころ用心深く物を考える様になっていた。
だから、大牟田の松屋デパートに向かう道の途中で、僕はいろいろと考える。まず今流行している、水原 弘の
「黒い花びら」はなんという凄い曲か、まるで洋楽のポピュラーを思わせる、オシャレで、歌謡曲で
ありながら歌謡曲ではないもっと広い海を行くようでいて、そのくせ日本独特の悲しみの様な気分を
うまくあらわしているな・・・またなんと低音の声でうまく歌うのか。これから歌謡曲は全部、こんな洋楽のように
なるのか・・・転校してくる前の、佐賀市の神野小学校に通う時に、流行していたものな。
5球スーパが、いま我が家にあればな、思い切りこの曲と、トニーザイラーの「白銀はまねくよ」が聴ける
のにな。今後は、なんとかして5球スーパーが。帰るだけの経済状況に好転して欲しいな。
無理だろうなあ。最近父はまた酒乱が激しく深夜に帰ってくるようになっているからな。

歩きながら右手に見える山系は、ここ大牟田では三池山だ。佐賀市内から見える背振り山の山系は
もっと高くて頂上の雪が、冬になると白く光っている。その白い雪の見える下で、僕は、お正月には初売りで、母に少年用
日本刀の一振りを買って貰う。それが正月のお約束だ。
僕が佐賀で、「白銀はまねくよ」が好きになったのは、山頂に雪が光り、この山が相当に遠くに有るのに、
いつも佐賀市内の上の方に見えていたからだろうか、僕の心は、遠く佐賀市まで飛んで行く。