その大きな長屋の一番奥に、僕の後藤家の家族5人とKい愛猫(ちょん)が住んでいた(正)。
これらずらりと並んだ古めかしい、決して立派とは
言えない住宅群は、表通りから見ると、30m×30mの空き地の奥に引っ込んで、くすんで見える。時は
安保決戦の天下分け目の関ヶ原、
1960年、昭和35年、3月29日、火曜日の大牟田、その時、住宅群の上空には、両軍のヘリコプターと取材陣
が忙しく交差して騒音をあげ、諏訪川向うの三川町方面の主戦場から、今日も両陣営の拡声器の激しい
放送と、あの、お馴染みの「みんな、なかああまだーー、すみいいーほるなかまああーーーー」、第一組合の歌声が
聴こえてくる。