>>818      1960年、3月29日(火)    続き
佐賀市から大牟田市にかけて、水木しげるの「少年戦記」が、少年の間で取り合いの争奪戦が起きるほどの
人気になっていた。貸本屋さんは、だいたい、どの街でも銭湯の近くにあり、僕は新しい街に行くと、そこを捜しまわった。
しかし、貸本屋のその本は皆、摩耗して表紙の隅は丸くなりボロボロだ。しかも「少年戦記」は常に貸出し中であり、
表紙が小松崎茂の物などが、運よく見つかると、喜んで借りて帰る。そしてページをめくると、どかーーん
、ぼーん、どーんと黒い水面に足の無い駆逐艦や、目の球をカーと大きくした日本兵やら、南方ジャングルの不気味な
蔦(つた)やら植物が書き込まれ、米軍の艦船もドガーーンと一発、情け容赦なく沈んでいく。僕が少年戦記を読む向こうでは
妹たちがカバヤ文庫で手に入れた、小さな文庫本を整理している。僕も妹も机を持たないので、畳の端の方に
コーナーを設けて、女子向きの小公子、ああ無情、世界の怖い話、家なき子などを整理しておいている。僕もカバヤ文庫は
数冊をこの大牟田に持ってきた。首なし騎士の話の乗った号だが、これもかなり摩耗してきた。カバヤキャラメルは
10個入りで10円、あまり美味くない。しかし、カ・バ・ヤ・文・庫の5文字のカードがオマケで入り、全部そろうと1冊貰える。
妹も僕も懸命で、この5枚が揃うようにと、必死だ。とにかくこれにより小型の本とはいえ、自分専用の本が増えていく。それが楽しみだった。