>>849       1960年、3月29日(火)    続き

夕方より、母が僕の勉強机を作ってくれた。手作りの段ボール製の、椅子式の大きな机だ。この昭和35年ごろから、
家庭用ミシンは、脚の部分までが収まる、一辺が1mの正方形のダンボール箱に入れて運搬するようになっていた。父が、その特大の
空のケースを持ち帰ったので、母が銀色の模様入りビニールシートを買ってきて、手際よく、その特大のダンボール箱の表面に
銀色シートを張ってくれる。母は僕より馬力が有り、こんな1メートル正方形の特大の箱でも、どんどんシートを曲げて張り込んでいく。
接着剤や糊などもつかわず、カチッと折り曲げた端を、針と糸で縫い合わせて固定すると、見事な、銀色ビニール張りの自作学習机の完成だ。
僕は驚くばかりだった。ただし両足を入れる部分を切り込んでないので、完成後は、常に上体が前につんのめった形で、学習していた。
早速、教科書を並べて置いた。僕の家は4枚組ガラス戸を、開いて入ると、そこはKい土の土間で、板間の右手にピカリと光るこの、自慢の自作学習机。
そして左手がアルマイトのバケツに入った汲み置きの水、煮炊き用石油コンロ、食器、鍋などの見え台所になっていた。

わが母の、この馬力と創造性に優れた工作力は、和裁法、日本式裁縫を数年間にわたり基礎から習得したことからきており
僕のたよりない模型とラジオなどの工作を、はるかに凌ぐ技術であり、この母には全く圧倒された。特に「立体物の包み込み技術」に優れる母だった。
むかし中国の天津市で、祖母が厳しい教育の和裁縫・教室を営なみ、母はそこの生徒として、数年間にわたり、立体的かつ複雑な布地裁断方法を
学んだので、正方形を包むのは、簡単な作業になったと思われる。