【昭和】電話級・電信級の思い出 Part4【過去】
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昭和時代のアマチュア無線登竜門である
「電話級・電信級」について語ろう。
関連する思い出語りも大歓迎。 >>78
昔々いろいろな免許でお金を借りることがローンがあった。
電話級の免許は自動車運転免許の数倍の金額を借りる事が出来たそうな。
車は地方公安委員会、無線は国家試験。
先日、1級を受験したが以前の2級の方がレベルが高かった気がする。
初期の電話級講習会修了試験の方がきつかったかな? >>118
講習会って講師がここは重要です!ここは大事です!みたいなヒントは言うの?
ガテン系の学科講習ではよくあるんだけどな(笑) >>118
ああそうだね。
小生は運転免許がなかったので何十年前の冊免許でパスポートが取れたw
保険証は写真がないw
郵政大臣のハンコたからねw 開局当初からLSBの受信なら上の周波数から下へ降りていき、
USBなら下の周波数から上に移動する方法をとっています。
なぜ、今のような方法をとった経緯がわかりません。
同年代に開局したメンバーからのアドバイスなのか、雑誌に
掲載されていたものなのか・・・
同じような方法をとっている方からの見解をお聞かせください。
今年で開局40年です。 >>119
初期の工業高校での講習会だったので重点などは教えてくれたが、講習内容は堅かった。
合格するための重点ではなく、アマチュアとして必要な知識に重点が置かれていた。
今の講習会とは程遠い気がする。 俺の電信級の免許このスレでは意外に価値が高そうだな 昭和45年の電信級免許 形は今のカードサイズよりやや大きいですが、
表紙はしっかりしています。 >>122
LSB/USBの暗黙の了解は、
当時のフィルターの特性から来ているようです。 >>122
USBで下から探ると、未知の局の声が高音から下がってきて行き過ぎると低音になるから、すぐ戻して同調しやすい気がする 122です
個人的には比較的高音が好きなので、高音→低音のほうが同調し易い
とずーっとそうしてきました
人によってはというより、大方の人は気にぜずにどちらからでもOK
ということでしょうね 自分は大昔からSSBをやっていたが、チューニングの癖はなく、両方向からやっていた。
一応メカフィルを入れていたのでチューニングは楽だった。 何も考えずにチューニングノブ回してましたわヽ(^o^)丿 最初高1中2でトリオのIFTであり、検波も2極管検波にBFOをかけていただけなので
SSBのチューニングは難しかった。局発を動くし常にダイヤルから手を離せない。
そのダイヤルも糸掛け。 3.5メガでは3574によくSSBが出ていた SSB運用局も運用局が少なく、キャリアを入れて
AM局ともQSOしていた
9R59は復調しにくかった RFゲインをできるだけ絞りBFOを微調整した ワッチするのに
VFOを発信させてキャリブレ状態にして聞いた事もあった
9R59Dに代えてプロダクト検波とセラミックフィルターの威力で、周波数が動く以外は聞きやすくなった >>124
昨年1級を受験した者ですが
電信級は(3級ではない)現在の1級相当の価値があると感じた。 >>132
同級資格に価値のさなんてないよ
あんた頭がおかしくなったのか? コンテストの時は下からいくと混んでて呼べないことが多いので
上から下るようにしている >>134
試験の難易度でいうと133の言いたいことはよくわかる 一番取得者が少ないのが
電信級(3級ではない)の従免じゃないかな?
1級より少ないと思う >>133
国内電信もわざわざ免許欲しさに受験する奴もいるわ 電信は打つのも受信も大したことはなかったな
会議室みたいな所でスピーカーから鳴らす電信が聞き取りにくかったけど
電話級持ってても法規と無線工学をまた受けたよな >>125
昭和44年から冊免許は小さくなっちゃったな。 表紙の下段の「日本国政府」って金文字が威厳があります。 世界の中では
「日本国政府」=愚の骨頂
なんだけどな。
JARLの電信段位認定のほうが価値あるだろ 従事者免許も原晶三の方が良かったな
少なくとも関東総合通信局長よりは格がある >>144
もう50年近く前だから金文字がすっかり消えてしまった(笑) >>149
政権批判で怒るなんてまるで中国政府かよ(笑)
日本は自由主義な国なんだけど。 うん、変色してるなあ。
それよりも、当時は内容が役人の手書きで
それがヘタクソな字なのが今でも泣ける。 当時の試験では、あらかじめ往復はがきを送付しておくと、合格おめでとう という
返信ハガキが届いた。まだ保管してあるw >>153
確かに、氏名と生年月日は手書きだった
電話、電信、2級と3冊持っているのだけど、
免許番号は、ゴム印 手書き いろいろみたいだ 電話級無線従事者免許証発行は日本国政府 昭和41年12月
氏名、生年月日は手書き 資格欄印刷 免許番号等その他スタンプ
郵政大臣欄印鑑は印刷か手押しか不明 郵政大臣の印 3冊見比べたけど、微妙に位置が異なる
手押しかもね 名前とかの記載は最初は官製手書き、次に申請書の自筆そのものの
利用を経てから活字化したんだっけ?
郵政大臣印はどうだろう。ルーペでは印刷のように見えるんだが。 601も持っていたが車には201を積んでた。
金が無くて水晶フル実装は無理だったけど。 昭和50年代は、アンテナをつけている車をよく見かけたものでした。
今では、ほとんど居ない。 アマチュア無線を携帯電話代わりに使ってた層は、
携帯電話(PHS含む)の普及に伴い廃局したね。 開局まもなく、ローカルのOM(二文字)が拙宅までモービルで訪問してくれた
パブリカセダンの後ろにバンパー金具、1/4波長のホイップ、TR-1000のモービルが
格好よかった 憧れた バンパー金具から スプリングがあり、その上にエレメントが有ったようだ
ゴジラ映画に出てくる自衛隊ジープみたいな
スプリングは、振動よけ 或いは 電気的な意味も あったのだろうか? スプリングは機械的な意味しかなくて電気的には一体だった。
この種のアンテナセットが売り出されたことで6mモービルが一時大変流行ったね。 ゴジラ映画で八重洲のHF無線機が登場している場面があった いまアマチュアで車にアンテナ付けてる人達の半分、いや、四分の三がトラック運ちゃんだろうね。 それでもスーパーなどでたまに乗用車にアンテナがついてコールサインも
貼ってある時代錯誤?wなのを見てうれしくなる おれ、一時期JARLのコールサインプレート貼ってたわw
黄色いのなw
でも、恥ずかしくなってやめたヽ(^o^)丿
そういえば今もらえるのって白いんだよ、知らなかった。 50年以上前だがハム局は皆白いコールサインプレーとを門や玄関に貼っていた。 JARLに入会した事があるんだね 黄色=1アマだったよな
入会したのだ スゴイ!スグォ〜イ(笑) 無線ショップにモービル用のJとかAや数字のプラスチック文字が売っていた
もちろん貼付けの台座も買って、モービルハムをローカルと楽しんだ 携帯も自動車電話もなかった頃、ハムのモービルは好奇心の的だったね。
50MHzのFMまたはAMモービルが多かった。 クラニシや福山のトランシーバーが出た頃は終段に真空管を使っていた
当時は今時のトラックと違い、モービルを連絡用途だけでなく一種の電波伝播実験として
興味本位で利用していた トリオのTR2300が出たころ、モービルハムをしてみた
水晶の増設が要らないので、画期的だったので購入した
今頃の季節、仲間とスキーに行く車の連絡用には重宝した覚えがある
次のパーキング入るよぉ〜〜 なんて 便利だった
もう40年位 昔の話になるなぁ 1ch追加するにも普通は送受信別で水晶2個だったもんな。
当時で\3,000弱くらいだったかな。
なので12chを固定実装なんて随分とお金のかかることだった。
TR-5000のVFOが重宝したもんだ。 ハムがどんどん昔のハムらしさを無くしていった時代だな >>181
で、どれが自演だって?
「それはオレじゃないぞ」ってセリフを用意して
手ぐすね引いて待っているんだが。 パケット通信ですかね?私はもうやっていないから解らない 現在進行形の話題だと次々とネタが出るけど
懐古趣味はネタが出尽くしちゃうとネタ切れになる。 >>189
現時点で、
生きてるRBBSを探すのは困難。 >>192
まあ今はブログとか有るからな。
あれはあれで昔は面白くてハマったんだがw
テレホーダイの時代かそのちょっと前ね。 テレホーダイで夜中に延々とやったなあ。
何だか昔の開局時代のローカルラグチューみたいな雰囲気が残ってた。
常時接続なんて今や死語みたいなもんだし。 我が家では無線を夜中にやらざるを得なかった最大の理由はTVI >>195
郵政大臣の角印の縦横の位置関係は正確。
他のスタンプはやや斜め。
印刷かなあ? 折角開局しても50%は直ぐQRT
30%はTVIでQRT
19%は就職などでQRT
1%だけが継続 >>197
郵政大臣の文字と比べると上下はほぼ中央、
大と臣の中央に大臣印の左端があるがやや右に傾いている。
免許番号はAQN第3×××号 インターネットがなかったから、海外とやり取りするのは1分600円越える高い国際電話か、封筒100円越えるエアメールか、ファックスくらいしかなかったな
移動しながら会話するのは、まるでタクシーの運転手みたい!w
って評価が一般的だったな 今でも竹ざおを使っている方に質問です。
青竹を切り倒すのに適した時期が有ると聞きました。
何時頃の季節がよろしいのでしょう? ホンダ E-300 ってのが有った
10w移動なら、十分な発電能力だった
欲しかったけど、高価で断念 50メガのAMは山からの運用局が沢山出ていたな
リグは1W機でもアンテナは八木を持って行くのが多かった 富士山頂にアマチュア局があったな。
山頂から試しにカメラのフラッシュを夜炊いたら大宮と横浜で見えたらしい。 50メガは本当にスゴイバンドだった
1.自作もしやすい
2.八木も小さいから簡単に上げられる
3.夏はEスポが楽しめる
4.春はQRPでVKとできる
5.SSNが上がればQRPでも世界中飛ぶ
6.かつては50メガ人口がとても多く、相手が沢山いた
7.移動運用に向いている 先輩の払い下げAM3Dにスクエアローが俺の開局セット
RJX601を買う為にバイトしたっけ!!! RJX-601やFDAM3で移動運用したことがあるがこれらのリグは乾電池のサイズが大きいし数が多いのでめっちゃ重かった ロケの良い局はAMでエリアをまたぐ距離でもグランドウェーブで飛ばしていたが、
SSBリグの普及によりロケが悪くてもスキャッターでそれが出来る様になった。 AMでも、なんとか使えるのは6mくらいかな?
7195は、別だけどな AMは昔のように50.3MHzを使うようにすべきだ。
SSBは50.25までで十分。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています