>>917    続く
 
インテリジェンス(諜報・防諜)にかける情熱が欧米側にはあった。反して日本海軍は、諜報と通信を
結核完治後の病人が担当する様な、閉鎖した部門にしてしまった。海軍には、それに対する情熱などはない。
通信でさえ閉職であり、人員は欧米に比べて少なかった。だが日本陸軍は、憲兵隊というインテリジェンス(諜報・防諜)
に関する組織があり、海軍より優れていた。陸軍の圧巻は中野学校、ここは学校としては世界初で、欧米も一目、置いていた。

ビルマ戦でも、インテリジェンス(諜報・防諜)が果たす働きは大きかった。米英軍の動き


インド・ニューデリーにあった暗号解読支隊(アメリカ陸軍暗号諜報支隊)

1942年    インドへ1人の将校、2人の下士官が送られる
1943年5月 中国で撃墜された日本機より、航空地上交信暗号表を回収
   〃 末  日本人二世が支隊に参加
         この二世の活躍により、東京、マニラ、大連などのコードネーム
        はビルマの地名を指すと判明。同時に新しい飛行隊がビルマ進行
        の予定との件も判明した