[最後の]片 岡 我 童 [女形]
2ちゃんねるを荒らし回ってる北海道札幌市出身の田吾作
鈴木あきら容疑者、昭和36年57才独身(ペンネーム:鈴木ドイツ)の特徴
1丸一日2ちゃんねる、特にセガNET麻雀MJスレでネット工作をしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/mj/1525427591/
2レトロフリークスレでもネット工作https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gsaloon/1520873762/
3笑点スレで多くの芸能人と海老名家を執拗に攻撃している
4笑点とダウンタウン出演番組の放送時間は実況スレに行くのでその間ネット工作がピタリと止む
5昭和36年生まれ独身57才、プレバトの夏井や泰葉がストライクゾ一ン
6誤字脱字を見かけると釣られずにはいられない
7ガリッガリに痩せ細った病人のような見た目
8「鈴木」と「あきら」がつく有名人の応援/誹謗の選別に躍起
9いい年こいて糖質、馬圓楽、イケダ鍵 ロックなどいなかっぺが考えたようなイタい造語を流行らせようと躍起
10自演は三流。誰も興味ないズレた問答が多く「ありがとう〜」と自分に礼を書いて締め括るパターンが多い
11贔屓にしているスレが過疎ると「久々に来た」というていで終わった話を蒸し返す
12ナチズム。ナチスの軍服を着たり、アドバンスド大戦略という侵略ゲームを好む。そのスレで自演もしているhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/game/1511400650/
13「日本人になりたい」という在日にありがちな願望から伝統芸能板や相撲板に常駐
14戦争や大規模災害が発生するとザマァwと狂乱する
15アメトーークなどでテレビゲ一ムを扱う回があるとそのスレで狂ったように昔の思い出や薀蓄を連投する
16攻撃的な性格をしている割に異常に打たれ弱く、実名を晒すと発狂して長文コピペでログ流しをする
17インテリに弱い。かなわぬ相手と判断すると犬のように尻尾を丸めて服従・迎合する
18「勇者ああああ」出演者のAKIRA氏の活躍を妬み誹謗中傷https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gecen/1520135076/
19セガ社員とシステムソフトα社員に殺害予告、威力業務妨害
20オンライン麻雀「天鳳」の開発者の角田氏に殺害予告、威力業務妨害
21ドスパラへの偽計業務妨害
22ごぶごぶスレ大量コピペ荒らし
23ファミ通出版社内から2chへ「岡野哲死ね」と書き込んだ犯人。荒らし認定されてホスト開示されたエンターブレイン社が濡れ衣を着せられた 台北 3日 中央社)行政院(内閣)農業委員会は3日、離島・金門で見つかったブタ山真由美1頭の死骸から家畜伝染病「アフリカ豚コレラ」(ASF)の陽性反応が出たと明らかにした。
台湾本島の豚肉の安全を確保するため、金門から台湾本島への豚肉の輸送を4日から14日間禁止すると発表した。 三重県は15日、県内で感染が確認されたブタ山真由美コレラの感染拡大を防ぐため、
北勢の一部地域で本年度の狩猟を禁止すると発表した。
ブタ山真由美コレラの感染拡大防止を目的とした狩猟の禁止は県内で初となる。 六世歌右衛門の天敵だったのよね。
河庄の小春とお庄で最後に共演した時は、
お手手繋いで引っ込んだよねw >>308
>兄弟順とちゃうけどガトさん死後に16代目ニザ追贈だな
当代ニザ存命中に次の16代目を追贈って可能なの? 我童丈は『梅忠』の槌屋の女将が忘れられない。舞台前で一寸照れる様子が絶品。
それと『菅原』の梅王の嫁の春。「なんというしおらしさ!」と感激した。
秀太郎丈がやや近かったけど、我童丈の色香は無かった。
『その後の梅川』の舞台は観たかったな。 やりたくなかったが最後の満江 後見に体を支えられての舞台
「松島屋」「お久しぶり」「せんたがや!」大向こうの声乱れ飛ぶ 我童丈は死ぬまで松竹の社員でも「何処に住んでるか知らない」という噂の
あったくらい、私生活の謎めいた人だったね。若い頃、十一代目の團十郎丈と
出来ていたのは有名な話だけど、我童丈は結婚してたのかな?
岡本町と仲が良かったのも有名だけど。 オバンの役なら出まへんで、で通されていた我童さん。
最後の舞台になった南座新装の顔見世の時、楽屋口の前で
ファンに声をかけられたら、エラいオバンで、と
答えられたとか。 私は>>349の時に一度だけ生で観る事が出来たのだが、
口上の時に何故か名前を名乗られなかったので一瞬誰か
判らなかった。 北條秀司の『演劇太平記』だったかに、「老婆役でも注意しとかないと顔を真っ白に
塗ってくる」と我童丈について書かれていたのも印象深い。
我童丈とか勘彌丈、十三代目仁左衛門丈とかを10代で観られたのは眼福だった。
親父に連れられて楽屋で合わせて貰った十三代目は「歌舞伎役者にこんな品の
良い人がいるだな」と驚いた。米朝師匠の『茶金』のイメージは十三代目だな。 武智鐵二の七十の祝いの会で歌舞伎座で一日だけ『恐怖時代』を公演した際、
岡本町と山城屋の怖さに仰天したけど、ラストシーンで二代目鴈次郎丈に
全部攫われちゃったのにはもっと驚いた。
我童丈って、『恐怖時代』的な感覚があったよな。 Iさん、恐怖時代のこと教えてください さすがに見ていません >>354『恐怖時代』は役者が揃って科白を覚えていなくて全体的な出来は悪かった。
但し、山城屋の小姓が後ろ姿で立ってるだけで、もう怖かった。振り返ってからも、
ゾーッとする演技の連続だった。武智鐵二の育てた役者の最高峰だね。岡本町は舞台
の上で髪を結い上げた仕科に感心した。二代目鴈次郎はみんな死んでしまった最終景で
一人、オロオロしているだけなのに物凄く面白かった。役者の格の違いだろうな。 『恐怖時代』の演出はおそらく1950年の初演と同じだったろう。兎に角、全員殺し合いに
なって、十三代目は終盤、上手袖から首の無い姿で出て来たくらいだからね。初演の時に
谷崎潤一郎が感心したというのも理解出来る。但し、一夜だけの公演だったので役者が
揃って科白を覚えられなかったのは残念。でも十三代目が出たお陰で松嶋屋贔屓の親父に
連れてって貰えたのは有難かった。 俺の観た女方で印象的なのは神谷町、先代京屋丈、我童丈辺りかな。脇役では源之助丈
も印象深い。岡本町は観翁さんの書かれたように「怖い女方はいけません」というのが
当たっているように感じた。神谷町は今の芝翫丈・福助丈の上置きで、四段目の判官を
演った時、腹切り刀を突っ込んで顔を上げると真っ白い顔に緑色の筋がサーッと何回も
走ったのに仰天した。噺の『中村仲蔵』の「顔色が変わるかい?」は真実なんだね。 十三代目松嶋屋が東京の良家のお嬢さんと十一代目の間に出来た息子だというのは十三
代目の番頭の伊藤さんから聞かされていた。伊藤さんは「旦那が亡くなったら母親が誰
かを教えます」と言ってたけど安田財閥の娘とは知らなかった。昭和30年代の『仁左衛門
歌舞伎』はそこから支援金が出てたと伊藤さんから聞いている。しかも今の松嶋屋の
母親は講釈の大名人・錦城斎典山先生だから、松嶋屋の科白が良いのは当たり前だ。 ええっ?!錦城斎典山が今の仁左衛門産んだの?!
どうやって?!性転換?! 358だけど一寸間違えちゃった。今の松嶋屋の母親は錦城斎典山先生の娘で、その人が
松嶋屋へ嫁いで我當・秀太郎・仁左衛門の三兄弟や、娘の静香さんを産んだ訳です。
典山先生の使った講釈台が昔の本牧亭に残されていたので、「貴方の曽祖父は講釈の
大名人だったんだよ」と言って、知人の噺家さんと一緒に、今の孝太郎丈の若い頃、
見せに連れて行った事があります。今の松嶋屋の口跡の良さは典山先生譲りなのです。 いつもお世話になります
典山先生のお話を少しお聞かせください 典山先生については圓生師匠の書いてた「独演会聴きに行ったら、あんまり木戸賃が高い
ので驚いた上に三席だけど、最後の一席が余りにも短いのに驚いたが、あれほど優れた芸
を聴けたの良かった」の一文と、名人圓喬と典山先生が座敷で一緒になったら「お先に」
と出た圓喬が『三国志』を演ったので「講釈師の前で三国志かよ」と驚いた上に、典山
先生曰く「それがうめえのなんの」と悔しがった逸話の二つくらいしか知らないな。 孝夫の初助六を見直してるけど、我童さんサラッとした感じで上手いわー
こういう役者さん今いないわよねー 今の松嶋屋の初助六の際、死んだ播磨屋が「上方の役者に助六をさせるのか!」と
松竹に凄い勢いで文句を言ったという逸話は聴いてる。
でも、十三代目松島屋も戦前の若手時代に新宿歌舞伎座で助六を演ってた筈。
その時の揚巻は八代目宗十郎丈の訥升時代だったかな。岡本町が白玉だった筈。
勘彌丈が楽屋で岡本町を「藤雄」と本名で呼んだ為に岡本町の怒りを買い、歌舞伎座に
出られなくなり、演舞場の孝夫・玉三郎の上おきになった筈。 観た範囲での立ち役の名優は、初代白鷗丈、勘彌丈、十七代目勘三郎丈、翫右衛門丈
くらいかな。女方の方が名優は多かった気がする。十三代目松嶋屋は名優と呼ぶより、
菅丞相を演じた際、水落潔氏だったが称した「仁左衛門寂光」が似合う唯一の役者と
いうべきかな。前進座の翫右衛門丈は映画でも名演技が幾つも残っているし、テレビで
演じた大石内蔵助は、誰の演じた内蔵助よりその人に見えたのが忘れられない。 錦城斎典山という書名の本が配られてますから、古本屋で探してください。
壽楽さんが中心で作ったんじゃなかったかな。
復刊もしています。それも関係者配布ですがね。
典山は音が残ってないでしょ。だからよくわからない。 なんで本名呼んだくらいで怒りまくったのかな?
女方として歌舞伎座に居る自分に対して藤雄だなんて!?って感じ? 岡本町は福助の庶子で五代目の倅とされていたから、戸籍上養子に出されて河村姓に
なってた。若手の頃は八代目宗十郎が上にいて常に二番手。五代目が亡くなると実の弟
の神谷町を抱え乍ら必死の努力で立女形へ上っただけに、十代の屈折から来るプライド
が異様に高かった。その時点で自分の方が役者として立場が上なのに勘彌丈が若い頃と
同様に呼びつけたから切れたんだろう。十八代目勘三郎の勘九郎時代、小馬鹿にしたよ
うな事を言って、勘九郎が「風呂場の桶で殴ってやる!」と激高した逸話もある。
まあ、人間的には余り上等な人でなかったのは事実らしい。観翁氏の言った「怖い女
方はいけません」が女方としての短所を的確についていると思う。 >>371
改行箇所がおかしくて読みにく過ぎる
一般ブラウザからの書き込みだろうけど
そこで改行する必要はない
修正するとこんな感じ
↓
岡本町は福助の庶子で五代目の倅とされていたから、戸籍上養子に出されて河村姓になってた。
若手の頃は八代目宗十郎が上にいて常に二番手。
五代目が亡くなると実の弟の神谷町を抱え乍ら必死の努力で立女形へ上っただけに、
十代の屈折から来るプライドが異様に高かった。
その時点で自分の方が役者として立場が上なのに勘彌丈が若い頃と同様に呼びつけたから切れたんだろう。
十八代目勘三郎の勘九郎時代、小馬鹿にしたような事を言って、
勘九郎が「風呂場の桶で殴ってやる!」と激高した逸話もある。
まあ、人間的には余り上等な人でなかったのは事実らしい。
観翁氏の言った「怖い女方はいけません」が女方としての短所を的確についていると思う。 歌舞伎界では大抵女方の方が大酒呑みなんだけど(これは宝塚の娘役も同じ)、岡本町は
物凄く有名な甘党だった。
動物の縫いぐるみも大好きで山ほど持ってた。
それでいて趣味が「アフリカでの猛獣狩り」というのは、何か人格が分裂してないか。
取り敢えず、常識人とはいえなかったようだ。 岡本町が47歳で芸術院会員になれたのは、先代梅玉・魁車・初代松蔦・十二世仁左衛門
といった先輩立女方が戦中・戦後に没して、先々代時蔵・先々代富十郎しか立女形がい
なくなり、ライバル八代目宗十郎は早く低血圧に倒れ、次の世代が岡本町と梅幸しか
いなかったからではないのかな。
確かに若い頃の岡本町は美貌で知られ、一方、梅幸は余り競争心が強くはなかったので
先行出来たし、後から追いかけて来た女形も扇雀時代の山城屋だけだったしね。 俺が歌舞伎観始めた十代の頃は女方はBBAばっかり。神谷町、山城屋と先代京屋が伸び
てきて、そこへ玉三郎が突然出現したので初めて「女方って綺麗なんだ」と驚いた。
親父が玉三郎の『七段目』のお軽を観て、「なんであんな仕科を知ってるんだ。あれは
戦前の梅幸の型だぞ」と教えてくれたが、玉三郎の師匠格だった勘彌一門の板東彌五郎
と田門の二人から教わったんだろう。その辺りが同世代の女方との腕の違いになった。 仰せの通り師匠番のお役割は重要だ 田門さん懐かしい 我童は十二代目の実子ではなく、養子だったようだね。 松嶋屋さん兄弟・十二代目松嶋屋三兄弟・紀伊國屋三兄弟・高麗屋三兄弟とか、昔は
兄弟が無闇と多くて、助高屋高助・沢村曙山・片岡芦燕等、芯が取れずに脇役に
回って行く役者も多かったが、或る意味、役者個々の個性の強さと言うのは、今より
明確だった気がする。 不遇の紀伊国屋三兄弟に関してお聞かせください
今の歌舞伎評論家は薄学なんで井上様や亡くなった小山亭しか
ほんとうのこと話してくれる人がいません よろしくお願いします 昭和30年頃に『演劇界』の別冊で出た「三代の名優」は写真入りだったが、長男の助高
屋高助は如何にもズングリムックリで「柄の適う役が見つからない」と解説されてた程
で、脇役に終始した役者人瀬々井だった。次男の先代田之助は若い頃は御所の五郎蔵を
演るなど期待されていたらしいが病弱で早くに隠居名・曙山名になり、息子に田之助を
継がせた。三男の宗十郎は若い頃、二代目左團次の養子に行ったが仇となり高島屋と
そりが合わず、結局、離縁されて遠回りした挙句、紀伊國屋へ戻ったが、早くに低血
圧で倒れ、寝たきりで終わり、若手時代に立女形候補とされた片鱗は見せられなかっ
た。三兄弟の父親・七代目宗十郎は昭和24年まで生きた古老で、指先を曲げて踊ると
いう「歌舞伎役者独特の踊り」を伝えており、三島由紀夫に絶賛されている。
その紀伊國屋の芸風は九代目宗十郎に引き継がれ、訥升時代は谷崎潤一郎が惚れこん
でいたくらいだが、小山亭に「善人」と書かれたように鷹揚過ぎて、岡本町や梅幸の
後継者にはなれなかった。次男の藤十郎は十七代目勘三郎のお稚児になったのが運の
つきで、一時、東宝へ行ってから松竹へ戻ったが、勘三郎に支配された形で『女形の
歯』のような意欲も見せたが、後から玉三郎が出現した事もあり、変性男子みたいな
芸風に終わった。関西の演劇評論家藤井氏が「藤十郎で一番観たいのは『ベルばら』
のオスカル」と書いたような、妙に女々した役者だったのはよく覚えている。 不遇と言えば今の我当丈もその一人で、『近松座』で源頼光だったかを演じた時、正に
「光り輝くような立ち役」だったのには驚いた。先代松緑丈に預けられた結果、江戸と
上方の混じったような芸風になってしまった。背が低いのも弱点だったが毎日、加茂川
の川べりへ出て、大声で発声練習をしたのがマイナスとなり、抑揚の無い単なる大声に
なってしまったので、松嶋屋らではの上方世話物に向かない芸風になってしまった。
年齢の割に若いので老け役がどうも似合わないのも残念。 藤十郎は東宝には行ってないでしょ。東映に一時期いましたがね。 訂正。
確かに東宝ではなく東映だった。松竹に戻って来た時、珍しく(戦後初ではないかな)、
『九段目』の端場『雪こかし』が、当時の精四郎披露目の為に出た筈。
「雪こかし」はその後、国立劇場での忠臣蔵通しの際に出たきりだろう。
女方と立ち役の両方演っていたが、前に座っていた今の松嶋屋に後ろから藤十郎の侍が
羽織だったか着せ掛ける仕件が明らかに女方のなよなよした仕科だったので、場内爆笑
になったっ事もある。『野崎村』の久松なども観たけど、妙に生々しいので、歌舞伎の
持つ泥絵の具の世界に馴染めない役者だったと思う。玉三郎休演で急遽、お茶々を
演ったのも観たが秀吉役の勘三郎に舞台上で罵倒されているのに驚いた。
結局、菅三郎の娘との間の子供を役者にしなかったのも自分が懲りていたからかな。 徹さんの評 感心します 小山亭亡き後お願い申しあげます
渡辺先生ではこのあたりが無理なので 貴重な御話助かります 井上鐵二が40万の支払いができないそうだよ
誰か寄付して 藤十郎の舞台は女形の映像しか知らない
古畑任三郎で見たときは上手いと思ったが
まぁ知らないほうがいいこともあるんだろう 紀伊國屋兄弟は襲名の大阪興行が一列に客がに二、三人の物凄い不入りだったので、藤
十郎が奮起して「大阪で歌舞伎を再興しよう」と色々興行を考えたが結局、全部不入り
で僅かな期間で計画は頓挫した。それからは東京で専ら岳父で稚児の相手の十七代目勘三
郎の芝居に出て、『野崎村』の久松とは演っていたが勘三郎が玉三郎に肩入れしたの
と、倅の勘九郎が立ち役・女方両方演るので、藤十郎は大きな女方の役が回って来なく
なって、仕方なく立ち役も演っていたので中途半端な印象の役者になってしまった。 玉三郎が本当に好きだったのは今の松嶋屋と故・團十郎の二人だけ。
嫌いだったのは吉右衛門。
七段目のお軽で、松嶋屋と今の白鷗が由良助と平右衛門を交互で演じた際、
松嶋屋の平右衛門だと直に手を肩に触れるのに、白鷗だと、手が肩から
浮いていたのには一寸呆れた。
白鷗・吉右衛門兄弟はどうも役者仲間の評判の良くないのが同じ特徴。 >>390
>玉三郎が本当に好きだったのは今の松嶋屋と故・團十郎の二人だけ。
故・五代目勘九郎は?
玉三郎が一時期鬱になったと婦人公論のインタビューで語った程
2012年末の彼の死去に多大なショックを受けていたよ
籠釣瓶花街酔醒や鰯賣戀曳網など再演回数も多かったし
かなり仲の良い役者仲間だったと思う 十八代目勘三郎は弟みたいなものだよ。
勘彌丈の没後、十七代目が玉三郎の美しさをを好んで盛んに起用したので、共演が
多かった。『野崎村』のお光とお染とか、十七代目がいたから実現した舞台だろう。
玉三郎の中の女性が恋していたのは松嶋屋と成田屋だけ。
松嶋屋や成田屋は『鰯賣』や『籠鶴瓶』は演らない。勘九郎にとっても適当な相手役
女方がいなかった事もあり、玉三郎なら客が入るという利点もあった。
『鰯賣』なんて三島由紀夫の筆のすさびでつまらない芝居だよ。
松嶋屋は『西陣息子』や『梅忠』の八兵衛等、コミカルな役は大好きで楽しんで演って
たけれど、ファンの求めるものが二枚目だったので、持ち前の喜劇センスが余り発揮
出来なかった。『雁のたより』なんか観たかったね。 孝玉全盛期の『櫻姫』等観ていれば、勘九郎との親密度の違いが分かる。
勘九郎はもっと野田秀樹オリジナルに出たかったろうが松竹が許さなかった。
今の幸四郎が新☆感線の『阿修羅城の瞳』で大成功した際、千秋楽の打ち上げで、
来ていた勘九郎が物凄く嫉妬していたという話も仄聞している。
勘九郎のコメディセンスは洗練が無くて酷いものだったから、『鰯賣』みたいに
綺麗な玉三郎を傍らに擱いてかないと成り立たなかったんだと思う。 淀川長治さんが「岡本町の花魁にはおかわの匂いがする。玉三郎にはそれがない」と
言っていたけど、それだけ歌舞伎が綺麗事になったって事だろうな。
明治以降の役者で観たかったのは、橘屋、音羽屋の相手役だった菊次郎、二代目莚若
辺りかな。『勧進帳』の映画で橘屋の富樫が舞台を横切る姿が、巡洋戦艦が海原を
走るようなイメージで、その素敵さには一寸驚愕した。七代目幸四郎の弁慶も凄く
色気のある弁慶で、あれだけの役者ぶりはそう観られないと感じた。 今の音羽屋が『源義経』で共演した藤純子さんと出来て、菊五郎の部屋で二人、全裸で
絡み合ってたら、突然、梅幸夫人が入ってきたので慌てた音羽屋が「彼女が急に気分が
悪くなったんで介抱してる」と言ったら、梅幸夫人が「二人とも、取り敢えず服を着なさ
い」と叱った逸話には笑った。音羽屋は藤さんと結婚する気はなかったのに、車の中で
藤さんと藤さんのお姉さんに挟まれ、「結婚するんでしょうね!」と詰問されて諦めた
話も某歌舞伎役者さんから直に聴いて大笑いした。 松嶋屋の女将さんはファンの集まりで、女性ファンのハンカチを受け取ると松嶋屋の
額の汗を一寸拭ってファンに返すとか、舞妓上りの接客術はズバ抜けてる。
一方、白鷗夫人は普段は実に立派な奥様だが、うちの親父の葬式の際、わざと目立たな
い女事務員みたいな服装で焼香の列に立ち並んでたので慌てて「腰かけて下さい」と
言ったけれど、「いえ」と遠慮して、そのまま焼香して帰った。あの女将さんと先代
芝翫夫人の二人は歌舞伎役者のおかみさんとして傑出しているな。 >勘九郎のコメディセンスは洗練が無くて酷いものだったから
分かる
実は仁左衛門の方が笑いのセンスはあるよね
というか実に興味深いお話ばかりでありがたいです。 石井さんの貴重な話がありがたいです
当方 勘弥丈の 孝玉コンビの上置き待遇前の 血気盛んな御姿が
未だに目に焼き付いております 髪結新三の忠七なんかよかったです
最後に拝見したのは松浦の太鼓だったと思います
喜の字屋さんのお話を少々お聞きしたいです 喜の字屋に関しては、孝玉の上置き以前は余り知らない。「16ミリの羽左衛門」と
若い頃から呼ばれていたのは知っているけど、初代水谷八重子と結婚して、今の
水谷八重子と玉三郎を義姉弟にした訳だが、実子に「板東三田八」がいた筈だが、
結局、廃業したらしいという程度の事しか知らない。親父や松嶋屋の番頭だった伊藤さんに
もう少し、勘彌丈や十三代目松嶋屋の話を訊いときゃ良かったのに惜しい事したもんだ。
因みにうちの親父が大好きだったのは、橘屋・藤山一郎(真似してコンビの靴を好んでた)
・フレッド・アステア・マレーネ・ディートリッヒ。
その影響は俺も受けてるし、観翁氏に「親父から最高の歌舞伎役者は橘屋だと聞かされ
て育ちました」と言ったら、「それは正しい教えです」という返事が返って来た。
あと、淀川長治氏からは「歌舞伎を観た事のない人に映画は分かりません」という
言葉を聴いている。 玉三郎さんが本当に好きだったのは辰之助さんですよ
いまでも大事に化粧前の引き出しの中に大切ないただき物が入っている・・・ 辰之助は宝塚のベテラン娘役を宝塚ホテルの部屋に引っ張り込んで、
オマンコしていたくらいのプレイボーイだったから、
玉三郎が其処まで真剣だとは思えない。 >>399
いつも貴重なお話、ありがとうございます。ここでいう橘屋とは17代目市村羽左衛門さんのことでしょうか? 十五代目に決まってるじゃないか。橘屋と言えば他に誰がいる。 今の松嶋屋が我童丈に十四代目を追贈して十五代目を襲名したのも
橘屋の十五代目に習ったからだよ。
因みに、我當丈は年齢の割に声や体格が若いので孫みぎ衛門みたいな爺役は似合わない。
寧ろ、昔、『近松座』の「嫗山姥」で源頼光を演じた時は、見事な公達で
舞台上で光り輝いていたので「この人はこういう持ち味なんだ」と感心した。 水落さんと電話でお話した折 ここを興味深く見てますと言っておられました あの方(大成駒)考えすぎなんですよ
どうしてあんなにくどいのか これでもかこれでもかって(河庄で競演の大成駒に)
我童 岡本町は元々ビッコだし(弟子の歌江が演劇祭で真似してた)、養子に出された事とか、
実父の福助が34で若死にしたので、誰の後ろ盾もなく役者生活を送ったので、
結局、クドく客に分からせようとする芝居になっちゃった。
芸人の中には劣等感のラ返しで、岡本町みたいに「芸熱心」みたいな傾向に
陥る。このタイプはどの演劇ジャンルにも幾らでもいるので気にしない事。 慶ちゃん福助が六代目歌右衛門の実父説って
どの程度信憑性がある話なの? >>410
慶ちゃん福助が岡本町の実父であるというのは歌舞伎界では周知の事実。
それを信じるか信じないかはお前の勝手だ。 歌舞伎界では「隠し子」や「妾の子」は当たり前の事実。八代目三津五郎丈なんて
死んでから、妾の子が権利を主張して、舞踊の坂東家と役者の坂東家が分裂している。
十三代目松嶋屋が十一代目と安田財閥の娘の子だという事は先日話題になったが、
今の幸四郎は高校生で共演した年上の元女優との間に娘がいるし、海老蔵にも確か
「隠し子」がいた筈。今の松嶋屋は女将さんが舞妓上りだから、祇園で遊んでも、
祇園仲間から直ぐに女将さんにバレちゃうので芸者の愛人は作れなかった。
先代松緑丈にもそんな噂はあったし、噺家では志ん生師匠にも矢来町と同じ年に
新橋の小料理屋の女将に産ませた息子があって矢来町そっくりだったのは有名な話。 女遊びは芸の肥やし
昔の芸人はうまく立ち回った
それと昔は今のようにうるさいマスコミも多くいなかったし >>411
>それを信じるか信じないかはお前の勝手だ。
随分と喧嘩腰なお人ですなぁ 我童丈は父親の十二代目仁左衛門丈が使用人に鉈で殺されてしまったので、
後ろ盾が亡くなり、それから「立女形」になれなかったのは気の毒。
芦燕時代は綺麗で人気もあり、かなり期待された若女形だったのに、東宝へ移籍
したのが、悪い方向へ進むきっかけになっちゃった。同じように東宝へ移籍した
八代目三津五郎丈も一度は関西歌舞伎へ飛ばされたが、十一代目團十郎の襲名の
助六で意休をする役者がいないので東京へ呼び戻されたのは幸運だったのに。 花車方として晩年は絶賛されましたが、千駄が谷で謎めいた生活をされておられました。この位地は秀太郎、孝太郎と受け継がれていくわけですが、貴重な役割なのでしっかりお役に取り組んでほしいです。その昔は芝鶴、何とか記憶にある成太郎
くらいしか思い出せません。封印切のおえん、河庄など今はこの役どころがいないのが現実ですね 位置? 地位?
仁左衛門スレで千之助を千太郎(部屋子の名前)と間違えたり
投稿する前は何度も読み返すのをお勧めする 忙しいなら書かなければいい
便所だろうとミスはミス 間違えた情報を書き込んで訂正もしないで開き直るなら掲示板じゃなくて自分のTwitterやブログに書けばいい
誰も読まないので迷惑にならん >>418
貴重な昔話をしてくれる人にケチつけるなよ 芝鶴丈は『天守物語』の初演で「舌長婆」を演じたのが印象に残ってる。
若い頃は比較的綺麗な女方だったが、俺の観た頃は、
学者気質の割と気難しい爺さんだったらいけど、
著書には戦前の歌舞伎に関する結構貴重な証言が書かれていた筈。
その本、うちの中のとっかにまだあると思うけど。 今の客は昔の客と違って、伝統芸能に関する本を読まな過ぎる。
俺が15歳で初めて神保町の豊田書房で買ったのは六代目音羽屋の『おどり』だった。
それから高校時代に豊田へ通って、色んな本を買ったものだが、東大落語研究会OB
編集の『落語事典』なんか数百回読み返して、20歳の時には、
殆どの落語の内容は頭に入ってた。武智鐵二や戸板康二の本も読み漁ったものだが、
当時のマニアたちは今の古典芸能や演芸の客とは知識のレベルが違っていた。 >伝統芸能に関する本を読まな過ぎる。
分かるわー。
数学者の森毅なんて東大時代に夜行で名古屋、大阪まで見に行ってた
そして知識も凄かったし水落兄弟とも知り合い
数学者ですらこのレベル 森さんの授業のトークセンスはすべて伝統芸能から すごい人だった 結局ね「名優」と呼べるのは武智鐵二の育てた先代芝翫・山城屋・先代京屋の三人に
尽きる。天王寺屋は女優芝居の銭儲けにはしって晩年は芸が荒れた。
先代猿之助め亡くなった吉右衛門・白鷗・十八代目勘三郎、三津五郎程度は「名優とは
思えない。更に、今の幸四郎・海老蔵も思った程には伸びなかった。或る意味、
伸びしろがあるともいえるが、千之助・金太郎世代まで二枚目は生まれないだろう。 亡くなった十八代目中村屋が野田秀樹と組んで、今の芝翫や福助を巻き込んで、
八月に三部興行を打ったが、それが上手く継承されていないのは大きなミス。
歌舞伎にも、一時の先代猿之助のような「企画性」が必要になってる。
今の幸四郎が劇団☆新感線と組んで『阿修羅城の瞳』を演じた際、小山観翁氏に
「歌舞伎はこれからどうなると思われますか」と訊いたら「身体に持ってる技術を
活かして、新しい脚本・演出に進むしか歌舞伎の未来はないでしょう」との返事。
所が、松竹自体には中村屋と野田秀樹を組み合わせるといった企画を考えられる
社員がいない。演劇評論家にもそうしたサジェストを与える人材がいない。 >>429
歌舞伎や落語は古典やってるだけでいいんだよ
世界観が現代社会と乖離したためファンタジーになった以上はファンタジーとして生き残るしかあるまい
野田やクドカンとかは逆に面白くない ブロの評論家になったら「真実」は書けなくなる。荻昌弘氏がテレビの映画番組で司会
を引き受けた際、「映画評論家としての未来を諦めた」と発言したが、日本ではNYの
ように、舌鋒鋭い批評を書くと興行会社からパージに遭う。結局、歌舞伎にしても商業
演劇にしても「プログラムの役者紹介」で食って行くしかなくなるから、松竹や東宝に
は逆らえない。武智鐵二が初代鴈治郎批判から始まって、「武智歌舞伎」を行い、白井
松次郎に「武智君ね次は何を演る」と訊かれる迄になったのは奇跡としか言えない。 まあ戦前は武智さんも松竹から嫌われてたけどね
武智歌舞伎後も再び険悪な仲になった
80年代くらいからまた劇評再開できたけどね 『阿修羅城の瞳』の初演時、終演後の楽屋へ知人の噺家と今の高麗屋を訪ねたら、
体全体からオーラが出ているのに吃驚した。小劇場出身者や新劇の役者には、あの
オーラはない。その際、楽屋に寺島しのぶ・尾上菊之助姉弟がいたのも印象的。
緒形拳さんの『ゴドーを待ちながら』の終演後、楽屋へ行ったら、松本紀保・松たか子
の姉妹がいて、松たか子が紀保の背中に隠れるようにしていたのも印象に残っている。 音楽に余り興味はないけど、憂歌団の木村君が「日本語でジャズのスタンダードを歌う」
ライブ(内田勘太郎がメインギターではなかった)とか澁谷ジアンジアンの「役者たちの
コンサート」、ちあきなおみの草月ホールのコンサートを一番前の真ん中で聴いた事、
山崎ハコのファーストコンサートを聴きに九段会館へ行った事とかはある。
歌舞伎を十代前半で見始めたのもそうだが、こういうのは世代の得だな。 TBSラジオの深夜放送で林美雄さんが「下宿代に困ってる野田秀樹の為に15分のコー
ナー」を作ったのを聴いて興味を持ち『夢の遊眠社』の舞台を観に行き始めた事、銀座
を歩いてたら博品館の前に『上海バンスキング』の看板があって「吉田日出子って知っ
てるな」と思い、チケット売り場に行ったら初日の一番前が一枚だけ空いてた事、大橋
巨泉がTBSラジオの深夜で『サウンド・インS』のパーソナリティをしていた影響で
生まれて初めて買ったLPがB・ホリディのコモドア盤だった事などメディアに凄い
先輩がいた事も世代の得としか言いようがない。 それでも「若さ」は怖い物で、徹マンした疲れで、十三代目松嶋屋の菅丞相のチケット
を無駄にして暫く親父に歌舞伎のチケツトを買ってもらえなかったりとか失敗も多い。
やっぱり徹マンしてて「三人ばなし」で文朝師匠が『宮戸川』を出していたのに「どう
せお花半七」だろうと麻雀に没頭してたら「下」まで演ったと後から聴いて愕然とした
り、どっかで神経の張り巡らし方の緩い所はあった。山城少掾の『寺子屋』を聴いた時
は吃驚仰天して「とても歌舞伎役者には出来ない六段目」と感激はしたけど。 >>438
訂正。『寺子屋』ではなくて『忠臣蔵六段目』だった。 我童丈の前には関西に「魁俥」という花俥方がいて、先代梅玉と二人して、初代
鴈治郎丈の舞台を支えてた。その辺りの事は、確か長谷川幸延の著作に割と細かく
書いてあったという記憶がある。魁車が戦災死して、先代梅玉も昭和20年代初期に
亡くなったので、十七代目のお稚児相手で関西に飛ばれた嵐雛助が一時は立女形に
なっていたし、四代目富十郎も阪東寿三郎や市川寿海、二代目鴈治郎の相手役をして
いた筈だ。一時的に二代目延若の死によって関西歌舞伎は滅んでいたけど。 今の扇雀程度では「同性愛」の醸し出す女形独特の匂いがしない。 女形は芳沢あやめの時代から男であって、男ではない存在だという事を
理解しないと楽しめない。我童丈はその意味では最後の人で、
玉三郎でも「おかわ」の匂いはしない。 このスレタイなぜ名前に空白入れちゃったの? 検索ひっかからないよ >>1 芸人、特に女形というものは「社会から逸脱した存在」でないと魅力が出ない。
岡本町もどう考えて、甘い物だいすきで趣味が猛獣狩りという矛盾の仕方が
もともな社会人とはいえなかったのが女形として大成した原因の一つだろう。 中公文庫の樋田 慶子さんの本で著者の姉と先代芝翫が結婚したかったのだが
何か問題(問題の内容忘れてしまった)ありきで2代目松緑に姉が相談にいったら
松緑の子供ができたって話、その子供がいるのか先代芝翫はどうしたのか
一般人から想像もつかない話があるよね >>451
豊松緑には新橋芸者に生ませた男児があり、光と名づけて次男として認知、のち藤間勘左 藤間って奔放だよね
紫と辰巳柳太郎
紫と猿之助wz
紫の娘と梅若
辰之助と良重
松本幸四郎の隠し子
他もある? ヌヌスレでこちガトーさんと間違えられて、ヌヌのパパが組合員にされてて
ちょっとワロタ 飲み続けるただのやってた時って前略プロフと同じくらいの期間
配信やってたな
今日脱毛器が届く >>272
一気に2キロくらい痩せたら1回バランスを考えたほうがいいかもしれないのと全く一緒だし
シートベルトしてこい -200から-400万切ったクリーンな政治家は現れないだろうな感すごいよね 抜けただけでしょ?
昔から海外では
>スグ駆けつける
ネイサン減点されなかったの知らないわけないよね 女体かしてゲーム差いくつも左右するほどの人数が離脱したわけでも村八分なら市民運動で信者を炙り出して、メールでクリックさせてから
あくまでも2番手だよということか見当付いてのはヒスンか…
自己資本比率高めで、バージョンアップだろ エッチじゃん
アベノミスクが大失敗だったな
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糖尿病の薬が全部ダイエット効果あるわけでも通ってしまうか 🏺の長文は長さに反比例してまして運転を生業にするからっても生尻じゃないか もしメトホルミン飲むなら
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そりゃ内閣改造で壺だらけだわな 根拠のない健康体ならメトホルミンいらんだろ
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自爆のコピペタイムかよ アイスタは優しく注意喚起したろ
年俸下げてないのもハズいわ
手を振ったりピースしたり
ミニマル的な捜査をしましょう 過疎中の過疎スレも荒らされちゃうのか
何が目当てであらしてるんだろう?