はっきりしてんのは、セリフの中でアイだのドドだのカタガンだのジンセイだの
なんてのが出ているわけではないことだ。
セリフは虎造にお馴染みの日常会話そのものだから、日常会話で使わない読み
方は出て来ない。
出て来るのはみんな説明文のなかでだ。

落語ではそう言う読み方は使わないなぁ。
落語は徹頭徹尾庶民の笑いの文化だからだ。
格調高くなんて野暮はしないからだ。

一方講談ではしきりに音読みを使う。
格調高くとか訓話的とか、どこか説教調もあって、お高くとまりたがる。
だから落語家の師匠に対し、講談師は先生なんて呼ばれることがあるわけで。
今風ならなにかと英単語を混ぜるってのとおんなじで、野暮の骨頂だ。

虎造がわざとそんな野暮をしたのはなぜなんだろ?