二代目文之助の息子である三代目福松の弟子の
先代森乃福朗は三代目桂文之助を襲名する予定だった。
初代文三が二代目文枝を襲名して桂一門は
二代目文枝の桂派、
文都、文之助、文團治らの三友派に分裂枝分かれした。
後に和解することになったが桂派は崩壊して三友派に吸収された。
文之助と福松のところは三友派の仲間だった。