本書この指摘は実に当を得たものとして、大正期の大阪歌舞伎を考える者の常識と知らされます。
鴈治郎至上主義に傾くあまり、延若・雀右衛門の路線を盛り立てなかったのが、大阪歌舞伎滅亡の遠因かとも思います。
折口信夫が熱愛したのも河内家と京家でした。



↑(笑)