どうぞよろしくお願いします
今月の熊谷陣屋について舞台には大変胸をうたれたのですが
自分の理解不足でいくつか変なところが気になり…

・直実がこれから実検の準備をするからと言って
「軍次はおらぬか、軍次ぃ〜」と切々たる叫びのようだったのは
困難の多さから腹心の家来を心底頼みにせんとする心からでしょうか?
今までこんな切々とした「軍次〜」は聞いたことがなかったです

・直実は奥にいる梶原も納得させるために物語っていたのだとしたら
実検で制札の講釈が明らかになったあと
相模の台詞やクドキで、奥にいる梶原に聞こえてしまうが
その対策を直実は考えたのだろうか…
(それとも軍次が「もてなし」ていたはずだが実検の手伝い中に梶原が姿をくらまし立ち聞きしたのか)

・保評に弥陀六の襦袢に平家一門の名前を書くのはおかしい
という説、とありますがどなたがなぜ唱えて実践されてるのですか?

・まだ数回しか陣屋を観ていないですが、相模の
「こなた一人の子かいのぅ」的な台詞がどなたの相模か
思い出せないですが多分一度はあったと記憶しています
今月は無かったと思いますが、相模は直実を責めず、
夫の気持ちに寄り添い理解する妻という柄か、
あまりのショックで責めることもできない
(実際魁春は小さくなったようだった)か、
のように思いましたが…草鞋を履く手伝いも初めて見ました。

駄文長文失礼しました
質問部分についてはご教示いただけましたら有難いです