【襲名】歌舞伎界の時期名跡を予想しよう 5
>>618
名前の乗っ取り、何処にもある話なんだね。 >>616
例えば上に出ている芳澤あやめは、市村羽左衛門と同じ橘屋の屋号を持つが、由来は全く異なる
岩井半四郎の上方の名跡だったのに、江戸で客死したので、娘婿が四世團十郎だったせいで名跡を継ぐのが云々かんぬん、という話になり江戸にぶん取られた名跡の一つ で、四代目團十郎が岩井半四郎を継がせたのは自分の弟子(!)
系図上は娘婿の弟子に継がせたというわけ、半四郎自身とは何の関係もない
つまり、今の紫若系岩井半四郎も、「乗っ取り名跡」だと言われれば反論出来ない
そら、十一代目襲名に反対出来んわけだ どのみち、友美が半四郎になっても弟子は殆どいないし先は見えている。
四谷の親の自宅も随分前に売っちゃって稽古場もないんでしょ。これから先岩井流に入門する人なんているのかな。 日本舞踊ってさ、これからどうなのよ〜?と思う
マジで市川ぼたんに期待している 岩井半四郎が女性でいいのなら
三代目中村吉右衛門も一時的に女性でいいだろう
菊之助の嫁に継いでもらえばよい >>622
稽古場もないの?
そんなんで老い先短い68歳のお婆さんに何が出来るというのか
舞踊公演で目立って集客してきた訳でもないのに
襲名披露も大して集まらないのでは >>625
そうだよね、知世か新に男の子が出来るかもしれないんだから、吉右衛門の地は繋いだ方がいいよ。 >>627
藤間紫レベルの才能ある舞踊家ならまだしもねぇ・・・ >>624
歌舞伎界に後継者がいなかったからね
吉右衛門には歌昇がいるからね! >>627
もう岩井流自体が衰退してるし、友美の後はどうなるの?っていう感じだよね。 ちょっと前、岩井友見が舞踊会を開いたという記事を見た記憶がある
仁科亜季子(字が違うかとも)やその息子も出て踊っていたみたい
松方弘樹の息子、芸能界でもう立場無いだろうから、この世界を足がかりにやっていくのか…と思った
松方弘樹やその父は殺陣が凄かったそうだけど… >>632
親子で「吉野山」やったけどその酷かった事と言ったら。。
だから、身内なのに岩井の名前すら貰えないんだよ。 染五郎急にぶっさいくになったね
金太郎の頃はイケメンだったのに頬骨が急成長してる >>633
松方弘樹の息子・仁科克基は、現在岩井流・岩井久次郎を名乗っているようだ ソバージュ?なんであんなきもい髪形にしたのか謎
親も止めないのも謎だし変な自意識だけは成長していってるな >>641
真相はよくわからないけど、結局不本意な役しかオファーされないから、拒否し続けていたら・・・じゃね? >>641
外部の舞台に出てた頃は売れっ子でブイブイ言わせてたけど
歌舞伎に戻ってきたら「お前の席もうねぇから〜m9(^Д^)」状態で
既に居場所がなく役も碌につかなくなって青菜に塩だったらしい。
自主勉強会やっても出てくれるのは歌舞伎以外の役者さんらで
歌舞伎界からは付き合ってくれる人がいない事を
昔の俳優名鑑に書かれてたからかなり孤立してた模様。 仮に二世猿之助直門にずっといたら、古参幹部としてスーパー歌舞伎とかで重要な役貰っていたのだろうか >>644
https://pc.video.dmkt-sp.jp/ti/10010406
の頃に、方向性を見誤らなければ・・・
時代劇(映像)に行くなら、右太衛門や長谷川一夫、錦之助や雷蔵のように戻らなきゃ良かったんだよね
晩年も時代劇で活躍しただろうに 脇としては上手い役者だったんだから、脇として地道に大人しくしていれば歌舞伎でも重宝されたと思うけど、明治大学を出てるんですよ、自分は学歴あるんですよ。というのが見え見えで避けられたよね。
半四郎の年代で大学出は珍しかったから。 >>641だけど長年の疑問だったのでいろいろレスもらえて嬉しいです
みなさんありがとう
>>617さんの指摘
>戦後お金に困って市川笑猿に売ったのが市川半四郎の名前だけど、
これってやはり買った半四郎は周囲から反感買ったのかな? 雀右衛門襲名の経緯に比べたら、お金で解決してる方が誠実
あんなのを美談扱いするから、権門主義が治らない >>649
3代目雀右衛門の遺族が後継者が途絶えたからと言って
頼んできたんじゃないの? >>634
子供の頃の容姿は当てにならないからね。 >>650
その前に、雷蔵に「血筋じゃないですから」って断ったみたいな話があったはず
2代目梅枝が時蔵を襲名する前にはそっちに話を持って行ったらしいけど(これ否定した人が前にいたけど結局どっちが正しいんだ)、上方の名跡なのにひどい話だと思う
先代ジャッキーがしばらく上方に身を置いたのは、歌にはぶられたってのがもちろん大きいだろうが、そのことへの後ろめたさもあったりしたんじゃないか >>652
4代目時蔵は3代目の次男だったから京屋から名跡を継ぐ話が来て芝雀になったけど、
長兄の2代目歌昇が廃業したから実家の萬屋(当時は播磨屋)に戻って
時蔵を襲名して芝雀の名跡は京屋に返上した。
それで京屋がマジで後継者がいなくなって大谷友右衛門に白羽の矢を立てた。
雷蔵って寿海の養子だったけどその前に京屋を継ぐ話なんかあったの? 武智鉄二が3代目未亡人に雷蔵に名を継がせてくれないかと頼んだが、そういう理由で断ったって話があるね
方便だったのかマジだったのかは知らないけど、でも先代もたまたま上手くいったわけで、息子との交友関係以外特に3代目と関わりなかったからねえ 太平洋戦争で戦死した後継者の章景だって養子だったんでしょ?
梨園の血筋がないから雷蔵は嫌だなんてその未亡人も何様なんだかw
先代ジャッキーだって父親は一般家庭の出だから
先祖代々梨園の血筋じゃないし同じようなもんなのに。 >>655
>先代ジャッキーだって父親は一般家庭の出だから
??
六代目の友右衛門は大谷宗家を継いだから、雀右衛門より大きい名前だと思うけどね。 六代目友右衛門そのものは一般家庭…というよりは門弟の家庭の出身
「先祖代々梨園の血筋じゃない」というのはその通り、考え方にもよるかもしれないが
大谷宗家ってのあれ、友右衛門の名跡と必ずしも被らないみたいな言い方にも見えるが、結局どういう基準で誰から継いだんだろうその辺がよく分からん
この人が一時継いだ中村東蔵も、当代が大きくしたようなものだけど、松江は継げるだろうか 大谷友右衛門は長い間途絶えてる名跡だったから
6代目が棚ぼた的に貰えたんじゃなかった?
戦時中の巡業で大地震が起こって楽屋で圧死した
というのは凄い悲劇だね。 >>658
玉太郎が10年後に結婚して息子でも出来たら
いずれは玉太郎を継がせて初舞台してやらなきゃいけないし
そうなったら松江も東蔵を継いで三代襲名やるかもね。 まったく話は変わるが大谷姓は広右衛門、友次、広次そして鬼次といい名跡がたくさんあるね。もったいない。 六代目友右衛門の父親の中村鷺助
二代目鷺助と代数がついてない鷺助がいて2人の関係もわからない 二代目中村又五郎(初代中村又五郎の長男)
初代中村又五郎(初代中村紫琴の養子)(1885〜1920)
初代中村紫琴=二代目片岡松之助(八代目片岡仁左衛門の養子)
八代目片岡仁左衛門(初代中村歌六の娘婿)(1810〜1863)
初代中村歌六(俳名紫琴)(1779〜1859)
らしいんだけど
二代目片岡松之助の方から調べると
二代目片岡松之助=二代目片岡我当=贈九代目片岡仁左衛門(1839〜1872)
になってしまう 三代目松之助が紫琴(1849〜1896)なのではなくて? 初代吉右衛門が歌六の名を継がなかったのはなぜですか? 自分一代で大名跡に育てた「吉右衛門」の名前を変えたくなかったから。
笑福亭仁鶴が何度勧められても師匠の「松鶴」を継がず
師匠に貰って一から育てた仁鶴の名前を捨てたくない!と粘ってるのを一緒。 >>663
>初代中村紫琴=二代目片岡松之助(八代目片岡仁左衛門の養子)
8代目仁左衛門の養子じゃなくて弟子じゃなかった? >>665>>668
八代目の弟子に松之助が2人いて混ざっちゃったのかも この初代中村紫琴って二代目中村歌六の息子らしい。
そんで紫琴の養子が初代又五郎だから
将来、種ちゃんが又五郎を襲名したら
今の三代目又五郎が二代目紫琴を襲名して
紫琴の名跡が復活するかもね。 >>667
なるほど
他に近年の歌舞伎の役者ではそういう例はあるのかな? >>671
多分だけど二代目中村又五郎もそうだと思う。
幹部昇進しても人間国宝になっても「生涯又五郎の名前で通した」
と本に書いてあった。わざわざそういう記述があると言う事は
恐らく周囲は過去に何度か「中村紫琴」か
他の名前の襲名を勧めたのでは?と想像してるw >>669 それだ!きっと混ざってごっちゃになったんだろうね。
・二代目片岡松之助=二代目片岡我当=贈九代目片岡仁左衛門(1839〜1872)
→八代目仁左衛門の門弟から養子にまでなったが30代の若さで病死
・初代中村紫琴=推定三代目片岡松之助(1849〜1896)
→初代歌六の孫で義太夫語りから八代目仁左衛門に弟子入りし、
後に中村紫琴(初代歌六の俳名)を襲名。養子が初代中村又五郎 >>670
初代歌六の三人の息子のうち、長男・常次郎は夭折。
初代の死後は次男が二代目歌六を継いだが、
襲名直後なのに大和屋に誘われるとあっさり実家を捨てて
三代目三津五郎の養子となり、二代目板東しう香を襲名。
しかしその後は大成せず亡くなったらしい。
二代目の後は、初代の三男が三代目歌六を襲名。
中村紫琴は二代目歌六の息子で初代歌六の孫なのに、
役者に転業する時は播磨屋や大和屋じゃなく
縁のない松嶋屋に弟子入りしたのも
親父が播磨屋親族とほぼ絶縁状態になってたからかもね。
そして晩年になって播磨屋と和解して
初代歌六の俳名「紫琴」を襲名して播磨屋入りしたのかも。 >>674
>三代目三津五郎の養子となり、二代目板東しう香を襲名。
↑
(追贈)五代目三津五郎の養子だよwそれと二代目坂東志うか。 >>675
悪いけどそれ 多分「六代目三津五郎(弘化3年1846-明治6年1873)の間違いだろうw
贈五代目は安政2年1855に亡くなってるから時代が合わない。
初代中村歌六の次男(生年不詳?没年明治24年1891)
初代種太郎(嘉永4年1851) → 二代目もしほ(明治2年1874)→ 二代目歌六(明治6年1873)
→ 二代目坂東志うか(明治7年1874)※後に離縁したらしい→明治24年1891没 明治6年に6代目三津五郎が亡くなってるのに
明治7年に二代目歌六がその養子になってるのは矛盾してるw
没後に名前養子になったのか、或いは養子になってすぐ養父に死なれて
その翌年に坂東志うかを襲名したのかね? 団十郎白猿の襲名以降、誰が襲名するんだろうか?
もう大御所・幹部が他界しないと、名前空かないんじゃない?
どこかの次男坊・三男坊が襲名という名前の改名くらいはあるだろうけど とりあえず向こう数年は初舞台ラッシュで稼げるから当面襲名は必要ない >>679
とりあえず東成駒は大概に名跡の世代交代をなんとかしなきゃな
七代目歌右衛門をやるのは厳しいだろうけど
あとはみっくんの三津五郎…は少し早いか
何も無いんだったら、いっそ彌十郎に勘彌とか、萬次郎に羽左衛門とか、やったったらいいじゃん?
あとはまあそうだな、若手向けだな
壱太郎の翫雀とか、松也の松鶴or松助とか、廣松の芝雀とか 巳之助はまず八十助になって息子が巳之助初舞台で親子同時襲名だな。 >>680
菊之助が菊五郎になるとしたら2022年か2023年ぐらい?
その前に眞秀に榮之助を襲名させなきゃね。 >>684
巳之助、いきなり三津五郎になったりしないかな?
息子は巳之助→八十助でもいいだろうけど 「蓑助」は「衰える」という字が「蓑」の中に入ってるから縁起が悪いと
7代目だか8代目だかどっちかの三津五郎が言いだして
寿ちゃんの代から蓑助の名前は封印したんだったっけ? >>689
それは九代目だな。
あくまでも、価値観であって、永木の三津五郎から名乗って以来何代も続いているんだから、止め名にする必要はないと思うよ。
巳之助んところに、もう1人以上男子が生まれたら、使われると思う。
文楽の「吉田蓑助」は歴代名人上手揃い、あやかりたいもんだ。 もう一人生まれたらその子は勘彌になるんじゃないかなあ
あくまで新悟が継がないならの話だが(新悟は6代目玉三郎?) まあ初舞台ではないだろうが、勘彌を継ぐ立場なら志うかとかあるし 玉三郎って本来なら成田屋の新之助や音羽屋の丑之助みたいな幼名だよね
当代が大名跡みたいに育てちゃったから
ゆくゆくは成田屋の海老蔵格ぐらいの位置付け?
それとも團十郎みたいな位置付けに格上げ? 之助は幼名ではない。
誰かを助けるという意味で、
次男とか二番手の名前。
幼名は丸とか太郎だね
児太郎はそろそろなんとかしてやらないと 名跡って難しいですよね
左団次や団蔵なんて、先々代以前の格とは比べ物にならない 羽左衛門なんて15代目と17代目の落差をどう考えれば 16代目に比べたら、17代目は地味ながら頑張ったイメージなんだが、
何でこう毎度毎度disるんだろ 17代目はなんで羽左衛門を名乗ろうという気になったんだろう
彦三郎だって十分立派な名前なのに 羽左衛門の名跡を忘れられたくなかった
もしくは折角血筋的に襲名できるならなりたかったとか? >>698
15代目のもう一人の養子の吉五郎は16代目の急死の後、
自分を飛ばして音羽屋の彦三郎に羽左衛門の名跡が行って、
その時の当人の気持ちを考えたら、さぞキツかっただろうな・・・ 富十郎が鶴之助から竹之丞を襲名した時に口上で
「鶴之助は本来、竹之丞を継ぐべき役者ではありません」
なんて言ったんだってな 17代目羽左衛門 >>698
You tubeにインタビュー動画あるけど15代目未亡人と黄金コンビだった六代目梅幸 未亡人に頼まれたんだよ
その直前に亡くなった自分の親を筆頭に名人達が何事かお願いしに来る夢を見て、これは受けるしかないと思ったんだとか。 よーのしの親ほど年の離れた腹違いの兄貴が今も歌舞伎をやっていたら、18代目だったかもしれない トミーの葬儀って誰が喪主ややったんだっけ
最後の妻か? >>705
「あの人は今」状態で思い出した。
坂東吉弥・坂東彌十郎兄弟の真ん中に坂東勲という人がいて
成人後に梨園に入ってきたけど結局すぐ廃業しちゃった。
その人も今は何をやってるんだろう? 沢村藤十郎の息子も役者にならずだもんな。
なれるようでいて、案外「ならない」選択をする方々も多いもんだね。 澤村藤十郎の嫁って17勘三郎の次女だったよね?
平成10年に澤村藤十郎が病で倒れた頃には
もう離婚してるっぽくて舞台も干されがちになってた。
ちなみに歌舞伎の家の跡取り男児が一人しかいない場合は
たとえ離婚しても子供には歌舞伎をさせる。
でも芝翫の娘は梨園育ちなのにそれすら許さなかったほど
藤十郎を憎んでたんだろうか? 好江に嫁いだ先の義兄の子供の事まで口出しする権利なんてあるのか?
藤十郎・千代枝夫婦がいつ離婚したかは知らないし
彼らの子についても無知だけど 関容子著『中村勘三郎(十七代目)楽屋ばなし』には、少年時代の藤十郎の息子の様子が出てくるが、
小学生(?)くらいの頃から、「将来は歌舞伎役者以外」と言い放っていたようだ。 歌右衛門襲名は今後どうなるか読めないけど
菊五郎襲名は2022年か2023年辺りでありそう。
勘三郎襲名は親父が襲名したのが2005年だったので
今度は2025年大阪万博の年辺りでありそうだね。 どこら辺のポジションが歌舞伎役者になる損得ラインなんだろうなぁ
名家なら乗っかってたほうが楽に思える。
雀右衛門の息子は弁護士だっけ。すごいな。
個人的にはここらあたりでも歌舞伎役者になったほうが得だと思う