★歌右衛門の思い出★ Part.2
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前スレより
2 名前:重要無名文化財 :2006/12/11(月) 15:18:23
永遠のライバル 我童丈と合わせてお語りください。 おおおおお!!!新スレ立った!!!ありがとう!!! 歌舞伎座で「建礼門院」の通しを観劇したことは一生のいい思い出
鴈治郎、幸四郎も共演していた 奥様は歌右衛門が同性愛者だと分かった上で結婚したのですか?
性交渉もなく家庭内別居みたいな完全な仮面夫婦だったんでしょうか? 華厳の滝でのツーショット写真見た事あるけど、
仮面夫婦どころか随分幸福そうな感じでしたよ。
性的な面の事は判らんけど少なくとも愛妻家だったのでは? 昔から昭和戦後しばらくは歌舞伎の世界では男性の愛人は皆居たんだよ。よく知っている有名
歌舞伎役者連にはほとんど男との付き合いがありました。特に女形はそれを知らないと抱かれ
る女としての色気が出ないと云われていました、もちそれは抱く立役の人にも、現在人の目の
多くそれを変態扱いするから隠れ愛をこっそりと、その時代は名優が多かったとも >>6
男性としては不能だとは分かってたかも
でも梅玉、魁春の入学式や卒業式に仲睦まじく出席してる
奥さんからしたら歌右衛門、梅玉、魁春は本当の家族だと実感してたと思う
でなきゃあの4人で仲良く写った幸せそうな笑顔は無いよ
あと歌右衛門は前スレでも書かれてたけど義理の両親、義理の兄夫妻、奥さんのおじさんを実家の豪邸によんで同居してる
しかも梅玉結婚後も梅玉夫妻、娘共々同居してるから歌舞伎界1の大所帯だよ
奥さんが早くに亡くなった後も義理の両親、義理の兄夫妻とそのまま同居して養ってるのはさすが大成駒 >>8
ストレートっぽい海老様も我童を抱いてたからね
だから歌右衛門は我童に並々ならぬ対抗心を持ってた 名のある人の正妻という 自分の立場が守られれば文句なしと
腹くくった奥さんでないと務まらぬ世界でしょうね
三田寛子さんもその家風(?)を受け継いでるね >>10
性交渉はなくても「家族」として大切にされたらそれなりに幸せな人生だったのかも知れませんね
生涯処女だったかも知れませんが 歌右衛門夫人はそもそも成駒屋の踊りである中村流の高弟のお弟子さん
だから舞踊には精通してる
当然旦那である歌右衛門も尊敬してるし、性癖含め了承してる
因みに歌右衛門が女性を研究し、体験するために言葉は悪いけど実験台としたのが馴れ初め
一応女性経験が無いと女形として芸も深まらない 若い頃の歌右衛門は超絶美男子だったよね。
もしあれで女タラしだったら救い様が無い・・・ 戦時中の坊主頭の歌右衛門、良かったよな
あれなら、イケる・・・ そうそう坊主刈りでゲートル巻いてね。
6代目菊五郎が藤雄さん偉いねって褒めたそう。 >>15
若い頃の歌右衛門はキリリとしてカッコいい
兄の慶次さんもそうだけど素顔が男前なのがまたいい
そして東京弁、歌舞伎役者で東京弁話す人もとんといなくなったね 娘道成寺の映画の最初の方で楽屋で台本読んでいる
若き日の歌右衛門が余りにも美男子で思わずドキドキしたw
でもそれで女タラしじゃ無かったのがステキだわ。 >>19
あの映画は凄い。余りの美しさに頭がパーになるw 歌右衛門最後の道成寺を観た思い出がある
きいたか坊主に主役連が総動員
あれは豪華な配役だった S36年團菊祭の「朝顔日記」、歌右衛門と海老蔵の麗しさといったらなかった。
蛍狩りの場で、小舟に乗った海老蔵・権十郎・鶴之助が登場したら、
大向こうが「日本一のいい男!」と言ったもんだから、
三人とも向うむきになってしまって、もっと爆笑したことを思い出した。 >>19
しかも周りにはぬいぐるみが沢山置いてあってギャップ萌え
梅玉さんは機内にも持ち込むから恥ずかしかったらしいけどw >>23
ああ〜!それそれwww
ヤン坊マー坊の天気予報もお気に入りで、楽屋で見て
まあ可愛い!って歓喜の雄叫びを上げられたとかwww >>19
魁春が楽屋に飾っていたコアラのぬいぐるみが、
その映画の楽屋シーンで向かって左側にあるものと
酷似している様な気がする。 梅玉魁春は、兄弟2人だから養子になったのかな?1人より2人なら寂しくないとか。
子供の頃あまりに下手だったから、無理やりやらされているのかと思っていたので。 日曜のEテレ古典芸能への招待の最後に十三世仁左衛門の廓文章が
出て来て、我童が夕霧やってるの見たけど、なんかゾクゾクしたw
あの美しさとお色気なら歌右衛門が怖れるのも無理無いと思った。 TV局の楽屋でヒガシの楽屋のドアが開いていてその前をチラ見して通り過ぎた後にわざわざ戻ってきて
「ワタクシあなたのファンなんですよ」って言った話もカワイイよな >>27
14仁左衛門は伊達じゃないねぇ
11團十郎の本命なだけある >>29
11團十郎とあの世で結ばれる願掛けに30代から80代で死ぬまで
茶断ちした話をオカンにしたら、ええ〜怖い〜って怯えていたw 我童は父親の十二代目仁左衛門ら一家惨殺事件があった実家に
そのまま晩年まで一人で暮らしてたんだよね。
壁とか柱に落としきれなかった茶色い染みが
あちこち残った中々のホラー物件で
襲名の挨拶に来た十二代目團十郎は異様さに面食らったそうな・・・ >>31
尤も売れるとも思われないが・・・
動物好きも歌右衛門と双璧だったそうね。
世話があるから地方公演はあまり受けないとか云々。
でも最後の舞台は南座。口上で歌右衛門と同席していた。
名前言わずに話し出したから暫く誰か判らなかったw 千駄谷のお宅を訪ねたとき 成駒屋の芸を「あんな恩着せがましい芸はない」
と一刀両断 河庄に付き合ったけどくどくて、よくあれだけ臭くやれるわね
とこぼしていた 大成駒のことを あんなものって すごい 考えすぎなのよ 恩着せがましい くどくて臭い
心でやらないで頭で動いている 頭のスイッチ切ったほうがいい
我童丈の成駒屋への指摘は数知れない
最後の切り札は あんなもの 保さんタジタジ 渡辺保に あなたは素人さんだから・・・
これもが我童さんの強烈パンチだった なつかしい話 その我童さんのお父さんである12仁左衛門が恨みをかうのは分かる気がする
親子揃って性格が悪いって損ね
ただ大成駒屋への指摘は観客も薄々感じてたことだからよくぞズバッと言ってくれたとは思う
梅幸さんとの共演でも梅幸さんの方が歌右衛門に合わせないといけなかった
歌氏自身は自分に合わせてくれる梅幸さんに対してどう思ってたのか気になるなぁ 建礼門院のとき 河内屋に 「あんた藤雄さんに翻弄されるんじゃありませんよ」
と言い放ち 「どうせ使い捨てられるんだから」とそのあとがすごい
「あんなどさロボット」ってこれがわからない どういう意味だろうか謎のままだ 梅幸さんやりずらいといっていた
とくに十種香 濡衣でも八重垣でもさぞやりにくかったろう
あんな田舎芝居やられたら・・・ 能勢妙見山に行った時「歌右衛門の水」なるものを発見!
四世歌右衛門が浄水堂を寄進してそう言われる様になったそう。
にしても一瞬ビビったw 座頭的な位置にいる役者はどの俳優も昔は皆同じ、特に歌舞伎も新派は共に女の劇団だから、
歌舞伎は今は表向き男?劇団員、だけど昔は新派同様ネチネチした女の世界でした、精神的に
男っぽい役者と女性的な人に分けられるだろうけど新派女形も男だった章太郎を除き大変な様子
あ、です。昔からゆうでしょ、俳優は男優は女、女優はおとこ。 まあ自分以外は全て大根と思ってたみたいだね。鴈治郎が亡くなった追悼番組に出たが、完全に馬鹿にしていた。あれはない。
南座の顔見世で「お夏狂乱」で鴈治郎がすっかりくってしまった事があったけど、根に持っていたのかな。
文楽の太夫が「人形では、ここはこうなります」と説明したら「わたしゃ人形じゃないよ」と
睨みつけたそうだ。客を呼ぶ力はなかったのは事実、だから玉様なんか嫌いだったのだ。
人格者だったら真の意味の大成駒だったろうにね。 平成6年7月歌舞伎座昼の部の三階席での事。
幕間に食事済ませて自席に戻ると後方から、
「あたしぁ歌右衛門の芝居は金出して観る気はしない…」
云々と大きな声で豪語する老婆の声。
後日、知り合いの至って歌右衛門贔屓な御婦人に御注進すると、
もし会ったら果し状叩きつけてやると息巻いていたw 一人でブツブツ言ってむなしくないか?
このスレ、お前以外はだ〜れも書きこんでいないぞ >>45
>わたしゃ人形じゃないよ
亨辰之助が鈴木治彦との対談で言っていたね
丁度文楽さんが来てましてね。「本文ではここはちがいまんねん」て言ったんです。
そしたらジロッとみて(凄んだ声で)「おらァ人形じゃねえんだよ」って……。
そばできいててびっくりしました。怒るとベランメエになっちゃうんだから……。
ぶつぶつ言うのもわかるヨ 全部本当の話だから
建礼門院んなんて 西の成駒屋さんつきあってられないとこぼしていたよ 人格者だったとしてもあの芸じゃ 勘違いしてる贔屓が少しいるだけの事 武智鉄二は芝翫時代の六世歌右衛門を脳がオカしいと酷評。
それを聞きつけた堂本正樹は大激怒。 このスレ最高に面白いですね
私が歌舞伎を見始めたのは昭和55年くらいなのですが
梅幸さんは淡泊、大成駒はオドロオドロしい、で
ジャッキーに一番魅力を感じていました 激怒で思い出したが 我童丈が渡辺保に言い放った「ド素人!」 >>51
その堂本正樹が歌右衛門が亡くなった時に「遷化」
と書いていたのが可笑しゅうて可笑しゅうてwww 俺が若い頃50年程前かな歌舞伎ファンには歌右衛門派と梅幸派が確かにいたね、よく討論をしてい
るのを聞いた記憶がある、その後歌の力が目に見えてきてからは徐々になくなってきたけれど、嫌い
な人にはしつこい芸、と云われたけれど座頭11世団十郎・17世勘三郎のつまらぬ楽屋争う等の間を
を観客の吸引力と実力と政治力でスルスルとトップの座に、あの位置を獲得、凄い男力でしたよ。
その歌舞伎への思い、菊五郎なんか一つもないのが残念です。皆頑張れ!
>>51
このお三輪は脳膜炎でも患ったに違いない
とか書いたんだよね>武智氏 >>56
十一世團十郎全盛の頃、歌右衛門の御贔屓連は、
あちら(十一世團十郎)は、おにんき様よ。
(にんき→人気→任期[はいずれ切れる])
と宣うておられたそうな。 この後梅幸が手本のようなお三輪をやって武智も絶賛した
豆腐買いで出ていた先の又播磨がやっぱり梅幸さんだ味付けは薄味だが自然でしっくりくるとっいって暗に成駒屋を否定していたのを思い出す >>47
>>55
歌右衛門のお岩様を徹底批判した落合清彦氏に脅迫状送ったのはあなたですか?w 伝芸版で今一番ここが面白いね
よそから来ましたが面白すぎる コロナで暇を持て余したのがきっかけで六世歌右衛門にどハマりしました
歌舞伎見物いきたいけど8月までお預けっぽいね… 自分は晩年の歌右衛門しか観ていないので、何か執念の舞台の記憶しかない。
身体も大義でああいう風になったのかな。
でも舞台へかける執念は今でもしっかり覚えているから、歌右衛門の執念だけの記憶の人も多いかもしれない。 前スレは凄まじく過疎っていたけど去年の夏あたりから
急に賑わいだして、13年半かけてやっとこさ埋まったね。
次スレが立つと思ってなかったけど立てて貰えて嬉しい。 >>65
どのレスたちを自演と判断した? またその根拠は? 大原の寂光院にて北条が「歌右衛門さんとこうして話をしていると
ほんとうの建礼門院さまと話をしているような心持になった」
に我童丈が北条秀司に言い放つ「よかったですね門院様お会いできて」
北条のあの時の何とも言い難いばつの悪そうな顔はなかった >>57
脳膜炎云々はお三輪ではなくて尾上でした 訂正します 兎に角後輩に口うるさいのでは有名だろう。特に実力、人気に出て来た女方には、異様ともいえる口出しをしたようだ。周りの者をまるで召使いの様に取り扱った、延若さんなんかにも犠牲者ね。自分の解釈以外は認めなかったみたい。「阿古屋」で
玉三郎が「成駒屋さんは重信をちらと見ますが、私は見ません」と言ってたが、
存命中にこんなこと言ったら、何を言われたかわからんよ。w 梅玉、魁春、
特に後者が重要視されないのはその祟りだよ。後継者なんだが。モスクワ
芸術座の演出家が来日して歌舞伎を見て、魁春、当時の松江を絶賛していたけど、
これも気に食わなかったでは、と思う。 延若は良く言えば芸域が広くて柔軟性に富む役者だったと思うけど、
ある意味それが仇になって便利使いされるきらいがあった様に感じる。
もうちょっと命を伸ばしてくれていたなら…と悔やまれてならない。
歌右衛門との鏡山での白髪混じりの岩藤が懐かしい。 よく言えば偉大すぎる悪く言えば恨み買いまくってたから
魁春と梅玉が委縮して周りに気を使ってんだろうなあという気はするね
魁春なんて戸籍上も芸も正統な歌右衛門継承者なのにほとんど優遇されてないね 芸の道は深いです とくに脇の方 花車のお役ですと芝鶴さんや我童さん
もう他の人には到底出せない 芸の深みがあります
に我童 「考えすぎなのよ なるようにしかならないのよ 芸なんて 深いも浅いも
あるもんですか!」 の一言でかたずけてしまう凄さ ちなみに、我童丈劇評などで絶賛されようとも、「やってるこことは、いつもと同じ。 ・・・あほくさ」
と知人にぼやいていたらしい。 >>71雀右衛門が襲名の際に三姫をやったと思うが、すべて魁春さんに教わると
言っていた。歌右衛門の芸の正当な後継者が魁春と言うことはよくわかる。
変な便利屋にならないように期待する。もう門閥、御曹司が偉そうにする時代では
ないから花を咲かせてほしい。そういえば「阿古屋」を梅枝とたしか福助が
やったと思うが、3学期の演奏を練習したのだろうね、こうした努力をする役者が
今後は伸びてくる時代だよ。名前だけの連中は生き残れない。 >>75
福助が阿古屋する訳無いですやん児太郎でっせ。 魁春はほんとうにかわいそうだ
出てくると客席の6割くらいがひく
良さがなかなか伝わらないんだろうか
歌舞伎役者幹部の人気投票も確か10年連続最下位 >>76すみません、間違えました。ご指摘ありがとうございます。 でも歌舞伎界も変化は見られる。獅童や松也の活躍もそうだし、上記の児太郎や
梅枝の努力など、名門即主役の時代も過去のもの。先鞭をつけたのは猿翁だろうが
それが実を結びつけているのだろうよ。延期になったが団十郎襲名興行の配役にも
それが見られるよ。あと名門だが凋落している楽膳さんなんか努力不足の典型。
NHKの「こいつは春から――」で全然セリフが入ってなくて大顰蹙を買った。いかに
初日とは言えテレビ全国放送だったし、他の役者は皆セリフが入っていた。 こいつは春からって毎年恒例の初日=2日の劇場をメインに扱ってる劇場中継だよね?
国立劇場も放送されてたっけ?
1月末か2月頭のプレミアム放送じゃなく? 楽膳さん、今年の初芝居セリフが一言だけなのに毎日セリフが変わったらしいね
ご当人は「こうして元気に出させてもらるのはありがたいし 初芝居は緊張感が違います」だって。「来年は是非矢の根をやってみたい」よく聞けば五郎でなく十郎だって もうかなり耄碌に入っているのか、まだ老け込む齢でないのに >>73
三世梅玉も晩年東京の劇場に多く出演する様になった頃、
「東京てケッタイな所でっせ〜昔から同じ事してるのに、
今度のは違うてエラい褒めてくれはる。何や解りまへん。」
「とかく東京のお客は自分勝手に理屈をつけて勝手に感心
してくれはります。」等々宣うておられたそうですな。 平成7年のこいつは春からでノーカット中継された
猿之助(猿翁)の毛抜でも玄蕃やってた彦三郎(楽善)
かなりセリフが怪しかった。手元にVTRがある。
平成8年のこいつは春からでは歌右衛門の女五右衛門が
中継される予定で随分楽しみにしていたけれども結局
休演になって菊五郎の女伊達に差し替えられてガッカリ… 歌右衛門展コロナで行けなかった
またやってくれないかな 2008年のこいつは春からで(先代)雀右衛門の女五右衛門が
中継されたけど、絶句したりとちったり散々だった。
その後で素顔で出て来た雀右衛門が如何にも落ち込んだ
非常に寂しい表情を浮かべていたのを忘れられない。 >>81
平成9年のこいつは春からで、国立劇場での玉三郎初演の
阿古屋がほんのちょっとだけ中継されたのなら覚えている。 息子の現彦三郎は親父が反面教師で頑張ってるよ。ホントは楽膳じゃなく、
羽左衛門を継がなきゃと思うけど、松竹も馬鹿じゃない。
親父が富十郎襲名の口上で下らんことを言った祟り?だよ。
あれも誰かさんに言わされたのかもね。 >>78
魁春も可哀想だけど萬次郎も可哀想。
羽左衛門継ぐはずだったのを松竹に潰されたとか聞いた。 残念な外見で人気ない=切符が売れないから
羽左衛門になれなかったのは仕方がない 十五代目が大きくした影響だよね
でも、あの一族に「羽左衛門」継がせられる人いる?
勿論、興行的に成立するという前提で 正直17代目が羽左衛門の名跡を継いだのもどうだかなあと思っている
上でも指摘されていたが坂東彦三郎だって立派な名跡だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています