>>607
>下りものを普段使いできる暮らしをしてる旦那と、柳陰という呼び方も聞いたことのない植木屋
>上方落語にして両者が大阪に住んでる設定にすると、柳陰のくだりで二人の差を描く効果が弱くなってしまう

そういう理屈は噺家と演芸評論家の自己満足としか思えないがね。
たとえ柳陰のくだりが無くても、庭付きのお屋敷で暮らす旦那と一職人の貧富の差くらい
客は容易に理解するだろう、大阪・東京に限らず。

そこまで落語に繊細さ求める東京人が、なぜ『権助魚』みたいな雑な事をするのか全く不思議。