轟さんは宮薗千之で、千之派の四代目の家元です。昭和三十年だったと思いますが、
新橋の現役の芸妓のままで、宮薗節浄瑠璃の人間国宝に認定された名人です。
当時の新橋は、菊村さんの指導のもとに、吉田幸三郎を相談役にして、古曲を率いて
いました。その頃は、千寿派はまだ古曲会には入ってなく、轟さん、すなわち宮薗千
之が亡くなった後の事だったと記憶しています。轟さんは、新橋の常磐津で鳴らした
方で、お姉さまの菊本小春さんをお相手に、当時、小助小春と言えば、文字翁さんも
一目置かれる腕でした。宮薗も、そのお姉さんが、宮薗小富として滋味に満ちた音色
を聞かせておいででした。御姉妹に憧れて、若い頃の私もお稽古しようかと思いまし
たが、千之派は、なにしろ節が細かく複雑で、ことに間を取るのが難しく、お前なん
ぞには無理だと身内に言われて、千寿派の三井さんの処でお稽古させて頂きました。
あちらは美声でいらして結構でしたが、近頃の千寿派にはああした美声の人がありま
せんね。いや、もう古いお話ばかりで、畏れ入ります。