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同感でございます。
三世千之は河東も荻江も名人だったそうでござますから、自ずから薗八の節にも
間にも、独特の精緻さが加わったのかもしれません。そして、この方に師事した
四世千之がこれまた常磐津の名人でしたから、あの複雑な曲節を、あやまたずに
継承出来ましたから、菊村さんの後見で、宮薗宗家としての位置を確立出来たの
だと思われます。代々の千之のレコ−ドを聞きますと、諸芸に通じた名人が、飽
くこと無く、工夫を重ねて、練り上げた芸だということが分かり、宮薗を稽古し
ているわけでもない私でも、芸というものの本質を教えられたものです。
四世千之が亡くなった後も、新橋の小定さんと、さん子さんのコンビで古曲会な
どで聞く機会がありましたが、正確に継承されており、まことに結構なものでし
た。うかがうところによると、最近の千之会には若手の男性がお稽古しておられ
る様子なので、古格を崩さず、宮薗宗家独自の芸を守って頂きたいと祈ります。
これに比べますと、千寿派は節も少なく、習うにも簡単なようでございますね。
しかし、節や間が単純な分、語り手が美声で味が無いと面白くもおかしくもなく
、それだけに人を選ぶ芸であるともいえますね。残念ながら、今の千寿派には好
い声の人がありませんが。思えば、水野さんや三井さんは結構でしたね。