サンセットブルーバード・ついに日本初演
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詳しくは、明後日の新聞記事で…
初日のキャストを予想しましょう!
初日には、アンドリューも来日します まあ出演者オタなら>>470ってことで納得できんじゃないかな
でも作品オタは納得できない
でも最初から出演者オタだけ集めればいいって作り方だからしょうがない >>460と自分の感想の違いがわからないw
ノーマ、ジョー、マックス3人の関係が楽しくて同人1本描けそうだ。
ジョーが本当に楽しそうでずっとノーマ邸にいればいいのに…と思いながら見て
いやいやいや、居心地のいいノーマ邸なんて、ホントにそんな話で良かったのか?と疑問が出てくる。 465ですが、龍星もリコもグラパンも好きですよ。(宝塚を見ない方ごめんなさい)
やりすぎになるんじゃないかと心配してたんです。芝居の好きな人だから。
凄い大名優の熱演連続で、観劇後こちらの体ぐったり(昔の歌右衛門とか)もいいけど
ほっこりする場面もあって見終った後、音楽が頭を駆け巡ってるくらいが好きなんで
甘いところも不気味なのも狂気も、緊張と緩和でほどよく見せてほし。
と、ライトな1ファンの希望。 >>468
同じ意見、
絶賛してる人多いけどやっぱりもう10年後に >>474
途中で送ってしまった
10年後にやってほしかった でもグレンクローズは47歳、グロリアスワンソンも51歳だったそうです あんまり老けのノーマは不気味。今でも十分、鬱陶しさは出てるよ むしろ不気味さが足りないかも。リスカや電凸の構ってちゃん程度。
当時はリスカがもっと一大スキャンダルだったんだろうか? >>471
作品オタって、映画作品オタのことか、ブロードウェイ・ウェストエンドのミュージカル作品オタのことか?
自分はBW・WEミュージカル作品を見てきたけど、よく仕上がっていたと思うよ。 何がよく仕上がってたかを知りたいかも。
出演者かな?衣裳かな? 自分はミュージカル作品オタなので、どう舞台を音楽を再現するのかなぁという点が
気になっていたので、ちょっと偏った話ですいません。
とにかくちゃんと舞台が進行するのかというのが一番気になってた。
いまとなっては本当に失礼だけど、アンサンブルも含めこんなにちゃんと歌って
魅せられると思っていなかったもので。
10年以上前かな。四季で海外翻訳ものの小品ミュージカルでアンサンブルもぐだぐだ、
主演の男性も声が出ない、裏返っちゃうという罰ゲームのような舞台を12000円で
見たことがあるからなー。演目がなんだったのか、もう思い出せない。 セット:豪華なセットっていうのは最初からやらない割り切りだったようで、
日本独自のセットでシンプルに見せた。
それならそうと最初から告知してくれればいいのに。そうもいかんのかな。
オフィスのセットの出入りがオリジナル版を感じさせてちょっと懐かしい。
小道具のカメラ、照明などよく作りこんでいた。
オリジナル版の映写機の記憶がほとんどないんだけど、
日本版の映写機はインパクトがあった。
ノーマの屋敷が居心地がいいように見えるのは、オリジナル版も同様。
クルマのパンクとか、初見の人には意味がわからないかも。
ノーマのクルマは見ごたえがありました。
演奏:のびのびとやっていて、スピーカーは通しているものの生オケの醍醐味を味わえた。
指揮の田邉さんがぐいぐい芝居を進行させていた感じ。
インターミッションが終了して演奏をはじめる前に、両腕で元気にマルを作ってニコニコしてた。
カーテンコールで元気よく飛び出てくる田邉さんが良い。
軽くでいいので、送り出しの音楽が欲しかったかな。 ノーマ:自身の脚本の映画撮影のために努力をしはじめる懸命さが素直に伝わり
見ていて切ないなー、と思っていたよ。キツいおばさんキャラはオリジナルを踏襲するも、
時折見せる少女のような痛々しい素振りは日本版で明確に表現に表現されて
これはいいと思った。
ジョー:困っている人を放っておけない感じ。全体に軽くてそつない。
オリジナルはもっとオッサンで、未来がない感じがするんだが、
日本版は飄々とあまり考えなしにおいしいところについていくだけの軽い人物造形。
ホストみたいだと困るなぁと思っていたから、これは嫌いじゃないよ。
ベティ:オリジナルからして位置づけが微妙なんだけど、大人しい若手脚本志望から、
クライマックスで屋敷に来たときにはヒステリックなオンナになるといった性格付けがなく、
全体を通して平板だった。同じ脚本家という職業で、二人で脚本を完成させ、
喜びから愛へ昇華する……ということがなかったな。
マックス:オリジナル版はわがままなノーマにいいように使われてる寡黙なオッサンなのだけど、
日本版はシャンパンの栓を抜いたり(オリジナル版にあったかな)、ジョーの言葉に
表情を変えたりするなど寡黙感が薄れ、お茶目な執事。その分ノーマの愛の三角関係が
早いタイミングから表に出ていてドロドロ感が増えたか。
アンサンブル:ダンスの指導をする役、台本通りのセリフで映画撮ってよって毒を吐く女性
脚本家役、など存在感を感じさせる。ポリスマンでセリフは一つだけと嘆く役者もホント
ダメそうだなぁと思わせており、全体的にいい。 演出:最初のプールの死体は、工夫があってもよかったかもしれない。
巨大セットは無理としてもプールくらいは、とか期待していたから。
その分、静かに芝居に入る感じ。
屋敷の背景音など、SEがやや耳につく。この点は日本版独自の色が強い。
脚本にどこまで書いてあったかな、どんな映像資料をもらったのかな、と思うくらい、
アンサンブルの演技がしっかりついていて、明確だった。
1幕目の完成度に比べて、2幕目は冒頭のサンセット・ブルバードの曲が早すぎる感、
ラストのノーマの演出はすでにおかしくなったノーマというより、妄想のなかで強い意志で
生きるノーマとして緩急をつけてもよかったかも。
走馬灯のようにこれまでの歌を次々とアカペラで歌いながらもしっかりしてる
→ マックス、ここはどこなの?? と極端な不安と謎のプレッシャーで怖気づくノーマ
→ ライトが当たると狂気のように輝きだすノーマ。うれしすぎてもう止まらない。
という流れ。
「うれしすぎて演技が続けられないわ」というノーマの輝きは日本版がとくに輝いていた。
2幕目冒頭のサンセット・ブルバードオリジナル版からしてやたら早口なんだけど、
早くて歌いきれない感が出ちゃうのはもったいなかった。
歌詞:わかりやすさを第一にしたようだけど、よかったんじゃないかな。
オリジナルを知っていると、超翻訳が過ぎるんじゃないか、と思った気もしたけど、
納得いかんという点はなかった。
時代がさらに進んでしまい、舞台背景となるサイレント映画時代のスターというのを
思わせる歌詞があまり生かされないのがちょっともどかしかったかな。
"Silent music starts to play" ってうまく訳せないんかなー。 >>482
セットはオリジナルのをチラシに使ってたし、バックステージツアーも
豪華なノーマの邸宅の裏側を見る、みたいな煽りかたしてたし
最初から再現は無理でしょとは思いつつ裏切られた気持ち。
個人的偏見として、ホリプロ作品はそこらへんがいつも誠実じゃない。 >>485
最初から邸宅の再現なぞするつもりはなかったと演出家。 往年の映画ファン、芝居ファンにはあらんさんが物足りないと思う。
しょうがないと思う。 同じ様なテーマの 欲望という名の電車って芝居見てみて。 あらんさんも観客も若すぎる気が。 ましてやマリオ。
でも良く考えて今の日本の客層に何とか合わせて作ってると思う。
自分はよく作ってあると思う。 2階後方で俳優の顔が見えない分、
演出が見えたと思う。
日本人が子供化してるのは事実。 それこそ狂気。
元宝塚女優、マリオ、元四季、これだけバランス取って、何とかメッセージ
を伝えた演出家は凄い。 ネームバリュー使わないとお金回収できないし。
結構狭い状況の中でよくあれだけ作れたと思う。 俳優より、
演出家に拍手したい。 俳優と演出家の信頼関係とか、普通の人間ドラマ。
日本からいいものが生まれますように。 たとえ翻訳物でも。 同じく、jYdvyVp6さん、有難う。
私は皆さんのように見巧者ではなくて、ただのファンだけど、
MY初日(大阪組)がますます楽しみになってきました。 ヅカっぽい要素がいっぱい入ってると思うけど、日本版演出
ミュージカルということをお忘れなく
下手すると音楽に押されてしまいそうになるところを
助けを借りて、という理想的な状態になってる
上手く作ってある、にはもちろん賛成だけど
役者に信用おかないとできない演出だね
>>489
なぜ「欲望という名の電車」と比べなきゃいけないの。
同じようなテーマとは思わないし、他の人は知らないけど、女性が見たい芝居とは思わない。
(とうこさんがブランチなんかやったら泣く。見応えのある芝居は他にいくらもある。)
意識の高い女性には歓迎されるのかも知れませんが、私は嫌い。
なんかノーマの役作りが定まらない気がするんだけど。
毎日きっちり同じである必要はないけど、役の方向性とか性根みたいのは
動かさないほうがいいと思う。
ヅカの駄作と同じ感覚で毎日違うことやってるつもりとかじゃないよね 舞台は生物
外的条件によっても変化する
というか変えてるなら演出家の指示によるものだと
マックスもマチソワで違う
優しい愛が前面だったり、凄みが前面だったり
昨日ラストは号泣してたらしい ノーマの衣裳がすごい 7着?
しかも全部似合ってる たった7着なんだ。
エリザなんか20数着らしいね。
まあ大作μと比べても仕方ないけどさ。
サンセット、写真で見る限りだと安っぽい感じたけど、実際は違うなら良かった。 >>495
それは演出家の仕事を放棄してるようなもんでしょ。
方向がしっかりしてないと迷うだけだよ >>499
プロの舞台を勘違いしてるのでは…
宝塚なら「生徒だから」というエクスキューズで許されることでも
外部では必ずしもそうじゃないんだよ。
自分の解釈で芝居をいじって演出家やスタッフに嫌われ、仕事の可能性を
狭めていくヅカOGは、実はものすごく多いんだよ。 ヲタだけど、494さんに同意。
生きた舞台だから毎回違うのは当たり前だけど、やり過ぎる傾向があるから。
もう少し安定した舞台を望みます。(勿論、深化していくのは歓迎だけど) >>500
なんか偏見が強いね
で、あなたは結局何度観たの?
外部は芝居をいじらないといえば、最近の身近な例だとエリザは観た? 役者が迷っているなら「それでいいよ(駄目よ)」というのが演出家だと思うし、
いろいろ試しているなら、役者を信用してるのかと思うし、本人達に聞かないとわからないのでは。
芝居は演出家のものだけど、主演者もしくはそれに近い人は自分のプランもあるだろうから。
偏見といえば >>489
「欲望」って芝居好きな女性に、こういうのを受け入れられるのが、「大人の女性」という踏み絵みたいで私は好きじゃない。
とうこは傷ついた役もいけるので、ブランチをさせたいというファンがいるみたいだけど
ヅカOGはどうしても軽く見られるから「欲望」みたいな「高度な芝居を」という発想なら反対したい。
良質なエンタティンメントで、泣かせたり喜ばせてくれたりするのがいいわ。
大阪で1回しか見られないから
とうこさん仕上げてきてね 今日観てきた
迷走してるようにはどうしても見えないがw
ノーマは熱演、マックスは妙技、ジョーは好演、
ベティもアンサンブルもレベル高し
濱畑さんと戸井さんがストーリー展開の節目でピリッと締めるのがいい
作品として完成度高い
オケも13人編成とは思えない
テンポの良さがいい
ベタな感想ですまん もちょっと付け加えると、
ノーマは勝手だけど情に厚くて素直で捨て猫で貫禄あって不安(ストーリー順)
マックスは真摯で深くて狂気
ジョーはやさぐれ、良心がある、普通の感覚をもつ
ベティには何の印象もなかったが、帰り道に口ずさんでいたのは
彼女のパートが多かった 1回見るぶんには破綻はないから
ただ複数回見て理解を深めようなんて思うと?となる >>479
今日観てきた。
ブロードウェイのグレン・クローズ&アラン・キャンベルを二回観た人間としては、
セットを簡素にした分、役者さんが際立ってた。
特に鈴木マックスは、日本版のほうが印象強い。
確かにオープニングのプール場面だけでも、
オリジナルを真似できなかったかな?
あとラストのノーマの衣装は
真っ白よりオリジナル版のほうが
狂気っぷりが現れていると思う。
アンサンブルは、オリジナルよりコミカルでよかった。
全体を通して、脇役と思っていたマックスが、
日本では主役に感じるくらい表情豊かで歌もうまくて存在感があった。
そして全体的に予想以上によかったよ。
また来年もやってほしい。 >>509
ブロードウェイのノーマラストはどんな衣装だったのでしょう?
ラストどんでん返し(?)も同じでしょうか?
以下、日本版マックス解釈について
混じり気のない真摯な愛でしょうか
それは間違いないと思いますが、マックスがノーマを閉じ込め、幻想を見せていた、
それともNew Ways にあるように、映画は彼女を見捨てたから、過去の栄光捨てて(執事として近くにいることを)選んだ、
それだけノーマが本当に繊細、ということでしょうか
プログラムにも影の主役はマックスとあります
彼の演出、監督の壮大な映画、などという解釈も一部ブログにはあり
面白い、と同時に裏の意味を探り過ぎて観劇して疲れました
あと1回観れますが、シンプルに観たいです 日本版のマックスは感情を全面に出し過ぎてるかな?と自分は思った。
今回のは分かりやすい解釈だが、表現を極力押さえた中で最後にジョーに淡々と聞かせる告白が長きにわたるマックスの決意と愛情を感じさせたのだが。
執事として生きる事は相当の決心だったはず。 若いノーマだけにマックスの嫉妬もあらわになって生臭さが出たかもね。
でもそれは日本版の面白さということでいい気がする。
ブロードウェイのままでやる必要はないから。 この舞台でまりおを見直した。
クラシックの素養が生きてた。聞き惚れた。
今日のトークショー、まりおくん欠席で残念でした。
体調不良だとか・・・。
明日の千秋楽、頑張って欲しいです。 一週間ぶりに二度目の観劇
ノーマのお茶目度がupしてるように感じたw
アンサンブル含めみんなレベル高くて、観劇中
余計な事に気を取られずお芝居に集中できるって素晴らしい
ノーマとマックスはあまり瞬きしてなさそうでドライアイが心配 キャスティングで文句いう人いるけど、彩吹ベティでよかったと思う。
バリバリ若くて一目でノーマよりこちらがいいというような女優なら、
ノーマのミジメ度が増しただろうし、ジョーの嫌な男度も強くなってただろうし。
今みたいな、なんか切ない終わり方にならなかった気がする。 自分は1回だけのつもりだったのに結構リピってしまった。
安蘭ノーマと綜馬マックスが特に印象的だた。
アンサンブルのそれぞれ芝居も見てて楽しい 素晴らしい舞台でしたね
息つけぬ間に終わったという感じ
初見ではALWの曲が出来過ぎで教科書的な作りが自分は嫌だったのだけど
(それにもっとおどろおどろしい話だと思っていたので)
それが吹き飛ぶような今日の千穐楽でした
With One Lookで心をもっていかれて、それでノーマのビッグさを植え付けらました
>>516
同感です
まさにノーマの落ちぶれを強調するために、
もっと可愛くてピチピチした子(少なくとも実年齢的に)がいいと思ったのだけど
ノーマに落ちぶれ感はいらなかったかも
ノーマとマックスが異様な違う次元に住んでいるのは十分に分かったので
2人の目力は半端なかったです
違う意味でベティの夢を追いかけるところ、そのための実行力も持っていそうで
単に若くて無邪気じゃないところが好印象でした
若さではなくて、この子は狂ったりしないだろうという
地に足がついたところで対照を作りましたね この作品はきらびやかな映画の世界をバックに語られる
うまく年を重ねられなかった女の老醜の無残さがテーマだが
日本版はノーマを可愛くして、きれいごとにしてしまった
やはり安蘭さんを汚す訳にはいかなかったのだろうが
消化不良の作品になってしまった 出演者ヲタさえ喜べばそれでいいんでしょ
でもだったら中劇場2週間の公演ぐらい埋めろよって話だ >>519
それならいっそ22歳設定を外してしまわないと観客の違和感が解消されない。
地に足が付いた現実的な性格は元々の設定だから若い女優が演じて変わるわけではない。
ノーマは一世を風靡した元大女優のオーラを持ち
ベティは女優になりそこねた普通の女の子だが若さゆえの清純な輝きがある、ではいかんのか。
落ちぶれ感や残酷さも作品の味では。
今回の公演も良かったけど、
>>455の言うように安蘭さんの持ち役にして再演重ねて欲しいと思っています。 安蘭さんに元大スターのオーラを感じられず、ただの威張ってる女にしか見えなかった。
迫力だけはあったけど。 BWミュージカルオタです。もち国内のもかなり見てます。
東京、29日。
最後のシーンでジョーがベティに対して4回ノーマだと怒鳴るシーンで
一部爆笑した奴ら全員死ね。
全体的にかなりコメディ色は強かったが、日本版としてかなり出来は良かったと思った。
でも、あのシーンで笑った奴らに聞きたい。あのシーン何かおかしいとこあった?
BW版と比べたら1回ずつの歌い分けが残念だったけれど、あそこで爆笑はナイでしょう?ガキか?
一部の少数の笑った奴らのせいで一瞬で緊張感ゼロになった。
ノーマさんの演技力が凄かったからワクワクしながら後半わざわざハンカチ用意して泣く準備までしていた期待を返せ。
ちなみに
ノーマさん100%ヅカ男役メイクだったんだけど……あれはナイ。
演技と歌声と迫力はあったから、体と顔が別人な感じで浮いていて心底勿体なさすぎた。 あと歌詞やセリフと風貌が矛盾している。
・お腹のぜい肉落とさなくちゃ!(←最初からパタンナーが腰露出させやがったせいで最初から超スタイルいいから矛盾。
本来は超ロング幅広袖+腰までの布でエステシーンまで体形隠してる。布も全体的にチープな見た目だった。)
・「22」(←もちろんベティの事。頬のシャドウの色が暗すぎ。もう少し明るい色で下頬をふっくらと少女っぽく。
スタイルはあのままでも構わないけれど顔がガリガリすぎてノーマさんの3倍くらい老けて見えた。)
・ジョー変身ツギハギ→格好良い時代遅れの背広のハズが同じ型紙使いまわししやがった。せめてウエスト部分絞れ。
綺麗なラインを作る勉強をした方がいい。前面はまだ良かったが本当背面最悪。高級な服版の布の目が粗い。
ミンクコートも本来ならゴージャスに光沢あったよーな気がするんだけど今回ただのペラ布だった…1月1日なのにペラペラコート。作った人、毛皮のコート一着も見た事ないの?
マジ衣装が作りド素人。パタンナー(型紙作ったやつ)が小学生使ったんですかってくらい下手。
ノーマさんの一番の見せどころであるパラマウントでの歌の時の衣装、
あれなに?
なんでフェルトなんて着てんの?
あれ一番ゴージャスな衣装のハズなんだけど。
見せ場用にオーストリッチ(ダチョウ)の羽を買えない程お金かけられなかったの?
原作(映画でも歌でも)「彼女(ノーマ)はファラオの様に着飾った」ハズなんだけど?
一番の勝負服がアレ?
と言うのが細かい気になった所で
↓まとめ
・ノーマとジョーの衣装作り直せ。もちろん型紙から。
高級スーツは後ろ姿が本命。※肩パッドはあのまま。
・ヅカを見たければヅカに行く。※アンチではない。見た事もあるしこれからも見る予定。
だが頼むから普通の劇中のファンサービスはやめてくれって事でお二方のメイクを配役に忠実に本格的に。
タンゴのキメ顔も「キリリッ(完全ヅカサービスだった)」素じゃなくノーマさんっぽくやった方が面白い。笑い方がヅカ。昔の女優スマイルを!
(鼻の横力入れて上の歯見せてニッと。一瞬目を大きく見開いた後、目をゆっくり閉じて女性的なマリリン・モンロースマイル)
マジこの2点だけでも数倍違います。 衣装についてのコメントは面白いですねえ
ノーマのはただただ豪華で自分なんかは楽しかったけど
見る人が見ればそういう感想になるのね
ところでラストの衣装、こんなのを見つけました
ttp://www.youtube.com/watch?v=j-RnHI29_Mg&feature=related
衣装もそうだけど、日本版のほうが狂った感じがいいなあ
ほんとうに迷路に入ったような、誰も救えない静かな狂気
ジョーのフレーズが入ったり、演出も 衣装は1幕目に5着。2幕目は4着でいいかな。計8着。
2幕目は、どう数えるかわからん。
1着目はバルコニーに出てきたところで黒いの。
2着目は、パラマウントに行くためにショールと帽子をその上からかぶった。1着目と与える印象が
かなり違うから2着目と数えたい。
3着目は、エステ。これを衣装に含めるかどうか。
4着目は、ラストのベティに電話。その後ショールをかけて撮影されながら階段を下りてくる。
>>525
衣装について厳しくもいい指摘ですね。なるほど、エステまで体型はぜんぜん見せないのが
BW版、WE版とも同じだったはず。
ジョーの変身後が、時代遅れのパターンじゃなかったのは自分はスルーしたんですが、
表現のしどころでもあったかも。コートは脳内変換するしかなかった。全般に脳内変換でカバー。
あんまり衣装をがんばっちゃっても紅白みたいになっちゃうから、セット同様がんばらないという
選択肢でよかったかな、と思うことに。
ノーマだと4回怒るっていうのは
> ベティ:誰の家?
> ジョー:見てごらん
> ベティ:ノーマ・デズモンド?
> ジョー:その通り! ノーマ・デズモンド! ノーマ・デズモンド! ノーマ・デズモンド! ノーマ・デズモンド!
ってところかな。なんで爆笑だったんだろうねぇ。 >>528
歌大根のヲタがそんなこと言うのは失礼千万 夏木さんがやりたがってたのは誰かのブログにあったから
どうしてもと言うならやったらいいけど
カーネーションでも怖ろしかったからなw
とうこさん大阪で待ってます はずかしながら、最近までサンセットブルーバードだと思い込んでたよ
でもさ、boulevardってフランス語なのはなぜ?
まあ「サンセット メインストリート!」なんて歌い上げられても困るけどね。
サンセット・ブルバードは、ハリウッドの大通りの固有名詞だから。
http://maps.google.com/maps?q=Sunset+Boulevard,+West+Hollywood,+CA,+United+States
boulevardはフランス語由来だけど、おそらく中期オランダ語か、デンマーク語が語源。
通りの名前は、
Street、Terrace、Drive、Avenue、Place、Road、Boulevard、Lane、Circle、Trail、Court
とかあるけど、それぞれなんとなく定義みたいなのはあるものの適当なんじゃないか。
Boulevardはそれらの通りの中でも最大級。
ノーマは、黒柳哲子みたいだなぁと思って見てました。 美輪先生も徹子も現役バリバリじゃん
まともに作品の解釈が出来てないんじゃ… 過去の栄光ね
これ、ヅカファンから見ると結構辛かった
肝心の主演ファンはそこは見えてないようだけどw
いつまでも自分がトップスターだと思ってるOG、いるんだよね
活動してないのに限って
ほんとにいつか殺人事件起こすんじゃないかと心配になった
マックスもある意味、かつての自分を見ているようで
狂信的なファンへの皮肉かと思ったわ 時間を止めてしまって自分に依存させる。まさにOGとファンの憧れの未来だよね。 憧れないw
ちゃんと現実を見るか、そのまま美しく消えて欲しい でもマックスはある意味幸せだと思う。
何百回も見た映画をあれだけのめりこんで見られるのも凄い。
(自分の監督した映画かと思うとちょっと笑えるが)
ノーマも生まれついての天才が常人には到達できない場所に達したようである意味羨ましい。
ラストシーン、ノーマの目に見えている世界はどれだけ美しいんだろうかと想像して胸が熱くなる。
ジョーの「空虚という言葉がぴったりだが果たしてそれだけだろうか」という台詞が心に残る。 ラスト、映画ではグロリア・スワンソンの表情が凄くて
スターの妄執を見せつけられたようで戦慄したけど、
こちらのノーマは、狂っているのにスポットライトを浴びるのが
本当に嬉しそうで、美しいのに恐ろしかった。
後ずさりたいのに目を離せない、周りの記者の人たちの気持ちがよくわかった。
スターにしか見えない景色が見えてるんだろうな。
ジョーが屋敷に留まったのも、経済的な事情や、ノーマが強引だからとか
恩義を感じたからだけじゃなくて、スターというものに対する憧れもあったのかと思った。
マックスの人生が気になる。
自分をスターとして見出した恩人→最初の夫→執事と、
ノーマの中でのマックスの立ち位置はどんどん格下げされていった訳で、
しかも周囲もそれを知っていた訳だよね。
前夫が、使用人として新しい夫の世話をする。なんてシュールな…。
いろいろ考えだすと、ほんと想像が止まらない。 映画にはスワンソンやシュトロハイムというキャスティングも凄かったよ
動員をオタに頼る状況はいろいろ縛ってしまうな ジョーは、なんとなくノーマを放っておけない優しさなのか、まともな精神があって、
かつ、マーーックス!と呼ぶと何でも叶う生活、ジゴロな生活も甘美に感じていたと思う
俺は汚れたけど手に入れたぜ、みたいなw
そう、シュール
でもマックスは覚悟というかもう、そこまでしている自分を快感に思っていたのでは、というのは考え過ぎ?
ええ、あれもこれも元夫に見られてたの?アブノーマルな世界…と思ったのはジョーだろうね
ノーマとマックスの究極のプレイに引きずり込まれてたわけね
ちょっと話がずれてしまったけど、多くの人が見ることのない景色を見た人たち、
下界には戻れなかった、戻るタイミングを失ってしまったのかな
お金には困ってなかったから、静かに暮らせばよかったけどね
ラストのノーマが嬉しそう、幸せそうというのには同意
静かだから、美しいからより恐いよね
なのに涙が出る、本当に不思議な、何とも言えない感覚
ニコ動にBW版がうpされてたよ。
ノーマはエレイン・ペイジ。色々観較べると面白い。 マックスが執事に転向した当時はバリバリ現役の監督だったのでしょうか。
既に落ち目だったために、自分の黄金期の作品を彩ったノーマによけい執着したとかあるかな。
何歳で結婚したのか、ノーマがいつまで大スターだったのか、気になります。 >>541
でも、舞台は、客が高いお金をだして客席に座ってくれなきゃ成立しないのよ。どんないい芝居でも。
入場料の安い映画とか、芝居そのものが好きな人対象の小劇場ならどんな辛口脚本でも汚い主役でもOKでしょうけどね。
歌舞伎みたいにスター芝居だとはっきり「座元に親切、役者に親切、見物に親切」で、
たとえばどんな悪役でも、大悪人はスケールの大や色気、小悪党なら愛嬌を見せていい役にして
俳優はいい気持ち、観客は喜び、動員よくて劇場側も大喜びって作り方。
客に媚びるのじゃないけど、ファンが頼りは仕方ない。みな同じなんじゃないの(BWは知らないけど)。
後味がどうこう言ってもファンは通う。でも、とうこが汚くなったらどうなのかな。
>541 50歳のノーマが「20年待った」というセリフがあったから、
引退したのは30歳のはず。
今だったら、30歳なんて全然若いのに…無声映画からトーキの移行期で
あっという間に世代交代しちゃったんでしょうね。
確か夫が3人いたはずだから、初婚のマックスとは20代前半あたりで結婚?
「サンセーットブールバード」が頭から離れない。
ジョーが屋敷に迷い込む時と、ベティがタクシーに乗り込むあたり
オーケストラが盛り上がるところが凄い好き。
やっぱりCD買うべきだったか。 >>546
541ではないけど
だから主演ファンの人とは永遠に分かり合えないのよねと思う。
ノーマって汚い主役じゃないし。
いや、今回の舞台もよかったよ。
でももう少し年齢の合った役者で見たかったという気持ちは拭えない。 >>545
原作映画が出演者と非常にオーバーラップした話になってるから、原作でノーマとマックスを演じた、
スワンソンとシュトロハイムの実人生が、ある種のヒントになってるような気がする。
ノーマを演じたスワンソンが映画でトップスターだったのは、大体30前後まで。トーキー第一作の
『トレスパッサー』(29年)は、意外と歌も台詞も器用な所を見せて好評だったけど、その後のトーキーの
余波による世代交代の波に押されて主演作の人気が急激にジリ貧になり、5年後に映画界を去る。
その後実在のスワンソンは舞台やテレビ、はたまたアパレルや旅行関連の実業界に河岸を移して
活躍を続けてノーマ役での映画復帰まで顔を繋ぎ続けるけど、ノーマ自身はその頃社会の表舞台から
完全に姿を消したと予想。
シュトロハイムもやりたい放題の演出姿勢がたたって遂に『クイーン・ケリー』の撮影でプロデューサーから
愛想つかされお蔵入りになって、監督として映画界でやってけなくなったのが29年の話だから、ほぼ同じ頃に
落ち目になったと言える。こちらもその後個性派の脇役俳優として糊口を凌いでいく(って書くと贅沢と思われる位
活躍してるけど)わけだが、マックスの方はそうなる事を嫌って、似たような境遇であり、しかも実際一緒に働いて
訳知りの間柄になっていたノーマの元に転がり込み、結婚したとしたら?そして実在のスワンソンのようにノーマも
その後マックス含め何度か結婚・離婚を繰り返し、そのような中でマックスが持ち前の偏執狂の本性を露わにし、
執事としてノーマの傍に仕え、彼女の起居動作全てをそれとなく、ゆっくりと自分の管理下に置いていったとしたら…?
…なんて事を、ノーマとマックス2人の関係として想定してる。
勿論これは自分の勝手な考えで、全然正解じゃないけど。長文すまん。 >>546
なんかちょっと違うような
動員重視のキャスティングはベティのことでは?
結果的には、タフでそれを嫌味なくやった良いベティだったけどね
汚れる汚れないで言ったら、安蘭ノーマは現役ヅカファンからしたら
年下の男に迫ったり、階段に寝そべったり狂ったり、かなり強烈だったらしいw
安蘭ファンはもう慣れてるだけだよw
映画のほうも受け狙い的なキャストだと思う
よくOKしたわ
この辺のキャスティングについては詳しく解説してるHPがあった
スワンソンは当時もう映画には出てなかったけど、実業家になってたから
それほど惨めな気持ちは本人は感じてなかったようで 〉550
映画のマックス役の人って、監督だったんだ!
デミル監督といいノーマといい、映画は恐ろしく現実とリンクした話だったんだね。
ちょっとネタバレですが…
舞台のマックスは、ノーマにいちゃつかれたり洋服プレゼントされるマックスを
射抜くような鋭い目で見てたと思えば、ノリノリでパイプオルガン弾いたりと
お茶目な所もあり、ラストシーンも映画とはずいぶん印象が違って
人間らしくて好きだった。でも、根本は確かに偏執狂だ。
ノーマが見るからに取扱注意な感じにくらべ、マックスは静かなストーカーって感じ。
あの屋敷は、二人だけの壮大な夢の世界だったのかも。
そこに迷い込んだ普通人のジョーこそが哀れ。
ラストの歌、「ジョーよ、それは自分のことじゃないか?」と突っ込みたかった。
年齢に合った俳優でっていうけど、
今の時代って、50歳と22歳を並べたら50歳が勝つ事もあるわけで。
年齢を核にすると、ドラマの根本からムリがある。
だから今回の演出方向でいいという気がするけど。
アーティはリア充。
アーティは友人多いけどジョーはアーティしか友達いないっぽい。
しかし男友達から「あいつはいい奴だよ」と言われる人に限って
女性とは残念な結果になる事が多く気の毒である。 ジョー:この街で手を差し伸べてくれたのはあんただけだ
とノーマにいうんだが、アーティーは違うんだ、と思った。
アーティーってリア充なのかなぁ。監督の奴隷で苦労しているみたいだし。 >>554
面白い見解だね。安蘭さんのファンの方? 確かに70と22じゃあるまいし、ノーマは年で負けたわけじゃないよね。
単純に映画みたいに老けろとか、ベティも映画みたいに若い女優にやらせれば、
スタンダードに近づくとはならないかも。 >>558
"手を差し伸べる"の種類がちゃうんじゃないかなあ。
しかもノーマに対してはおべんちゃら臭いしね。ジョーは当座の食い扶持確保の為に
ノーマの脚本のリライトを遊びで受け持っただけで、脚本家としての向上心もプライドも
それなりにあったからヒモ生活には決して満足してなかったし、正直踏み台以下の
存在なんじゃあ?原作とニコにうpされたBW版を観ただけだけど、日本版ってここで
言われているようにそんなにジョーのノーマへの恋愛感情の描写があるの?
あと、アーティはフツーにリア充だろね。苦労も若いうちの云々ってカンジで、
あんだけ人脈があればいつかは成功しそうな気がする。ベティもジョーと別れた後、
フツーにアーティとより戻して(つかジョーとベティの関係自体知らないっぽいから、
アーティ的には何事も無しなんかもね)、リライトされた例の女教師の脚本を
完成させて共同制作で映画化して一発当てるんじゃあ?とか… やれやれ嫌味も通じないのか…
この作品を見て「勝ち負け」という言葉が出てくることすら
理解に苦しむんだけど… 好きに観させてあげましょう
観る人の自由だから
アーティは地道に着々と階段を上るでしょう
ベティとジョーの関係はうすうす気づいていて(自分が留守の間の出来事)
それでベティを変わらず受け止めたら、すごいぞ、アーティー
1幕しか出ないと後になって気づいた
アーティの存在は大きいわ
アーティがいいのか、矢崎くんがいいのか 実際は居ないのに2幕でもベティたちの場面で
2人の恋のブレーキとして存在してるからね。
(結局ブレーキはきかないけれど) よく見る二人とも年に見えないから云々という批判は無意味だな。 ジョーが仕事もない金もない自分の才能に自信も失いかけて人生に行き詰っている時に
アーティは奴隷と自嘲しながら仕事バリバリ頑張って、可愛い彼女もできて。
ノーマのツバメ生活で虚無的な生活を送るジョーと対照的に実のある人生を生きている。
ジョーも内心羨ましく思っているんじゃないかな。
平凡な家庭生活を夢見るところもらしくて微笑ましい。
(そこでベティと考えの不一致があるかもしれないが話し合いで解決できる範囲でしょう)
プログラムで「この作品にでてくる人はみんな他人を利用云々」とあるけど、
アーティだけは計算も利用も無縁の人でいて欲しい。
ジョーとベティにとって「あいつだけは裏切れない」と思わせる存在の方が話がより面白く感じる。
あて馬のような役だけどなかなか血の通った人物に仕上がってるね。 当日券も何も、ぴあにてんこ盛り、今売ってるしねえ。
楽も立ち見じゃなくて出るでしょ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています