宝塚エリザベート総合スレ 17 [無断転載禁止]©2ch.net
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96年の初演雪組エリザから16年の宙組エリザまでの本公演に
今年開催された20周年ガラコンサートまで、
宝塚の超ヒット作エリザベートについて色々語りませう。
ただし「あらすじ」はもうお腹いっぱいw
前スレ
宝塚エリザベート総合スレ 16
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/siki/1484260244/ ガラコンはスルー。オリバーを検討。
数打てば当たるボックス券じゃないでしょうに・・・ 数日後、彼は将来皇后として負うことになる義務や束縛について告げ、それでも私を支えてくれるかシシィに尋ねる。
彼女は婚約の証に送られたネックレスの重さに戸惑いの表情を見せるが、「あなたが側にいれば、どんな困難でも乗り越えられる」と、皇帝からの求婚を受け入れる。
15歳の少女はおとぎ話のような恋に胸がいっぱいになったが、宮廷での結婚生活という現実に直面する準備はできていなかった。("あなたが側にいれば")
(結婚までの短期間にシシィへの語学や宮廷作法などのお后教育が施されたが、成果は思わしくなく、母親が結婚式を延期してほしいと願い出るほどだったという。) 1854年4月24日午後6時半、ウィーンのアウグスティーナー教会(英語版)で、エリザベートと皇帝フランツ・ヨーゼフの結婚式が執り行われた。
夕刻時という珍しい時間帯の結婚式も、災いの幕開けにはぴったりだとルキーニが野次を飛ばす。ルドヴィカとゾフィーに付き添われた新郎新婦は、大司教の前にひざまずく。 「結婚はあなたの意志であるか」との問いに、エリザベートは「はい」と返答する。するとその声は教会内に何度もこだまし、いつとはなしに教会の鐘が打ち鳴らされる。
黄昏時に不気味に鳴り響く鐘の音はまるで、この結婚によりハプスブルク終焉のための最後のピースが揃ったことを祝すかのようであった。("不幸の始まり") 数日後、シェーンブルン宮殿では盛大な宮廷舞踏会が催された。大広間の外では、新婦の父親と新郎の母親が結婚への不満を漏らしている。マックスは宮廷の堅苦しさがシシィを殺してしまうと心配しており、ゾフィーはエリザベートには皇后としての資質が欠けていると苛立っていた。
また、舞踏会の参加者もめいめいに新婦の噂話に興じている。彼女の美しさを称える者、身分の低さを揶揄する者、狂気の血筋を危惧する者、若さや無作法を心配する者など様々である。("結婚の失敗") やがて、皇帝夫婦が広間に姿を現す。連日の行事に神経をすり減らしてたエリザベートは、皇帝の腕の中で安堵の表情を浮かべ、無邪気にワルツを踊る。しかし、突然音楽が鳴り止むと、エリザベート以外の人間は蝋人形のように血の気を失い、彼女の前に再び「死」が現れる。
彼は「お前は彼を相手に選んだが、最後にお前と踊るのは私だ(意中の異性と舞踏会で最後にダンスを踊るという意味と、人が死ぬ間際に死神と死の舞踏を踊るという中世ヨーロッパの死生観の意味)」と告げて消える。 我に返り動揺するエリザベートの様子を、まるで見世物小屋の展示物を見るような好奇の目で周囲の人々が見つめる。その瞬間彼女は、自分が宮廷という異質な世界に嫁いでしまったことを真に実感したのだった。("最後のダンス") 行事や式典が落ち着くと、皇帝夫婦はウィーン郊外のラクセンブルク宮殿に居を構えた。しかし、皇帝は執務で夜遅くまで宮殿を留守にしていたため、一人取り残されたエリザベートを待っていたのは、夫との幸せな新婚生活ではなく、姑の厳しい皇后教育であった。
朝5時から綿密にスケジュールが組まれ、歩き方から、お辞儀の仕方、言葉遣いまで厳しく躾けられた。女官の手を借りず一人で着替えをしたり、入浴することも禁止された。 自分のことは自分でする環境で育ったエリザベートにとって、耐え難いことであった。プライベートはなく、お世継ぎ作りを催促され、何よりも好きであった乗馬も禁じられた。("皇后の務め") 宮廷の息苦しさと孤独感に耐えかねた彼女は夫に助けを求めるが、「母の言う通りにすることが君のためにもなる」と、皇帝は母親の味方をする。
エリザベートは自らが宮廷で孤立無援であることを悟るが、「私は誰の所有物でもない、私は私だけのもの」と、姑の言いなりとなり、宮廷に飼い慣らされることを拒否する。("私だけに") 結婚1年目、クリミア戦争の戦火拡大のため皇帝は執務室に篭ることが多く、宮殿に取り残されたエリザベートの話し相手は、皇帝からの誕生日プレゼントのオウムだけであった。
結婚2年目、待望の長女が生まれるが、エリザベートは育児を許されず、名前も皇太后と同じゾフィーと決められてしまう。母親であるのに授乳も許されず、我が子に謁見できるのは皇太后の許可が出たわずかな時間だけであった。 結婚3年目、次女が生まれるが、またして姑に子供を奪われてしまう。しかし、転機が訪れる。当時帝国の一部であったハンガリーでは独立の気運が高まりをみせていた。
皇帝は支配権の誇示のためのハンガリー訪問に皇后を同行させ、その美貌で人々の敵対心を和らげ、独立の動きを沈静化しようと試みる。
エリザベートは娘を皇太后の元から引き離し、旅に同行させることを条件に協力を約束する。宮廷で彼女が初めて手にした勝利であった。("結婚生活の様子") 1848年のハンガリー革命後の弾圧を主導していた皇太后との不和が噂されていた人物ということもあり、その美貌とともにエリザベートの訪問はハンガリーの人々に好意的に迎えられた。
また、彼女も姑への反発や、権威主義的なウィーン宮廷とは異なるハンガリーの自由な空気を気に入り、以後ハンガリーに対する抑圧を緩和する政策をたびたび皇帝に口添えすることとなる。 しかし、旅先で彼女を待っていたものが他にもいた。その勝利の矢先、慣れない長旅に疲弊した長女ゾフィーが病死してしまう。突然の娘の死に動揺し、棺から目を逸らした瞬間、彼女は「死」がずっと傍らに寄り添い、自分を見つめていたことに気がつく。
彼は「お前が偽りの愛にすがるほど、皇帝と帝国を闇に引きづりこむことになる」と警告する。("闇が広がる") 19世紀末、ヨーロッパの東西南北の人と文化が交差するウィーンでは、没落に向かうハプスブルク帝国の混乱や陰鬱な時代背景の下で世紀末ウィーンと呼ばれる退廃的な文化の爛熟が興っていた。
今日もウィーンのカフェでは、多種多様な知識人が集まり、新聞を読み、皇室や政治の話題で暇を持て余していた。カフェで一番の話題は、皇太子ルドルフの誕生である。 帝国にとって待ち望まれたお世継ぎであるが、痛ましいことにまたしても息子は母親の手から引き離されてしまう。次に、当時帝国の一部であった北イタリアがフランス皇帝ナポレオン3世と組み、オーストリアに対して独立戦争を起こした話題となる。
次々と領地を失い国際的に孤立する帝国の現状を「俺たちにできることは、カフェで他愛もない話をして、ただ破滅の時を待つことだけさ」とカフェの客たちは皮肉たっぷりに笑い飛ばす。("楽しい黙示録") 関西の人が愛する人物
くいだおれ太郎
ランディ・バース
宮根誠司
死ではないでしょ 1865年のある夜、宮殿のエリザベートの鍵のかかった寝室の前では、皇帝が扉を開けてほしいと妻に呼びかけている。イタリア独立戦争に敗れ、北イタリアの領地を失ったオーストリア帝国は窮地に陥っていた。
帝国の各地で独立の気運が再燃し、小ドイツ主義を掲げるビスマルク率いるプロイセンは、ドイツ統一に向け虎視眈々とオーストリアとの開戦の準備を進めていた。度重なる戦争で国家財政は破綻寸前であり、そのすべての重圧が皇帝の肩に重く圧しかかっていた。 彼は一晩だけでもあなたのそばで心休まる夜を送りたいと懇願する。一方、エリザベートはルドルフが臣下に虐待されていると訴え、「息子の養育を自分に任せてほしい、さもなければ私は宮廷を出て行く」と悲壮な覚悟で夫に最後通牒を伝える。
しかし、あくまで母親への忠誠心を崩さない夫の態度に彼女は絶望する。そして「死」が彼女に囁きかける。「全ての葛藤は終わる、苦しみから救ってやろう」と。しかし、エリザベートは宮廷での自由を手にするためなら自らの美貌さえ武器にしてみせると、彼の誘惑を拒絶する。("エリザベート、開けておくれ") ウィーンの中央広場ではミルクの配給を求める市民が集まっている。何故ミルクがないのか詰め寄る市民をルキーニは、「皇后が横取りしてミルク風呂に使っているからだ」と扇動する。
戦費をまかなうための重税で市民生活は困窮し、皇室の求心力は著しく低下していた。市民は「子供が死んでいるんだ!」、「皇后に思い知らせてやる!」と叫び声を上げる。再びウィーンでは革命の火種がくすぶり始めていた。("ミルク") 一方宮殿では、女官が皇后の入浴用の大量のミルクを化粧室に運んでいた。彼女はミルク風呂だけではなく、オリーブ油風呂、苺や生肉のパック、仔牛の肉汁のジュースなど、効果があると思われるあらゆる美容法を実践していた。その長く美しい髪は、卵とコニャックを調合した特製シャンプーで、3週間に一度、丸一日かけて手入れをした。
身長172cm、ウェスト50cm、体重50kg以下と言われるスタイルを維持するため、ほとんど食事は口にせず、一日の大半を体操などの運動に費やすこともあった。過剰ともいえる美容やダイエットと引き換えに、彼女の美貌はヨーロッパ中に知れ渡り、宮廷も無視できない程の影響力を持つこととなる。("皇后の務め〈リプライズ〉") しばらくして、皇后の寝室の前に皇帝が現れる。彼は突然の訪問に驚く女官たちに下がるよう命じると、衝立越しに妻に語りかける。
彼は「統治者は自らの感情を抑えなければならないが、君を失うくらいなら唯一の掟をも破れる」と、エリザベートの美貌の前に敗北を認め、母親ではなく妻を選び、彼女の要求をすべて受け入れることを決める。 夫の言葉を聞き終え、姿を現したエリザベートは「これからもあなたと生きていきます、でも私は私だけのもの」と高らかに勝利を宣言する。その姿は、美の神と称えられたかの有名なヴィンターハルターの肖像画で描かれたエリザベートそのものであった。("私だけに〈リプライズ〉") 第二幕
ブダペストの大聖堂前は、フランツ・ヨーゼフのハンガリー国王としての戴冠式を祝う人々で溢れかえっていた。ハンガリー国民は大規模な自治権を認めるオーストリア=ハンガリー二重帝国の実現に力添えをしたエリザベートに対して「エーヤン、エリザベート!(エリザベート、万歳!)」と歓声を送っている。("エーヤン") 一方、ルキーニは群衆の前でトランクを広げ、記念品の即売会を始める。国王夫婦の仲睦ましい姿が描かれたグラスや、王妃と息子が並び描かれた肖像画を手にして、「こんなものはキッチュ(まがいもの)だ!」と切り捨てる。
二重帝国など茶番であり、死後100年間、本や映画で好意的に描かれてきたエリザベートの姿はどれも偽者や偶像で、本当の彼女は傲慢なエゴイストだと彼は言う。("キッチュ") 反対するゾフィーらウィーン宮廷の多数を屈服させ、自らの希望を実現させたエリザベートは人生の絶頂の時を迎えていた。自信と威厳に溢れた表情で、「私は自分の意志で踊る、もう誰にも操られない」と、夫や宮廷だけでなく、「死」との決別をも誓う。
しかし、すべてを見透かす彼は「この満ち足りた瞬間は、すぐに生への憎しみに変わる」「なぜなら、お前は私を愛している」と不敵な笑みを浮かべ立ち去る。("私が踊る時") ホーフブルク宮殿の寝室では、9歳になったルドルフが熱に浮かされていた。真っ暗の部屋の中で一人寒さに震える皇太子は、母にそばにいて欲しいとつぶやく。
息子の養育権を取り戻したエリザベートは、息子に軍隊式の訓練を施していた臣下を解任して、肉体的訓練よりも精神的教育を重視するリベラルな教育係を自ら選任した。虚弱体質であったルドルフは、自由な環境を与え、苦しみから解放してくれた母への感謝の念を生涯忘れなかった。 しかし反対に、姑に勝利して満足したエリザベートは、徐々に宮廷や息子との距離を取り始め、堅苦しいウィーンを離れ、多くの時間をハンガリーのゲデレー宮殿で過ごすようになる。
ルドルフは母親を慕っていたが、母は息子の気持ちに答えようとはしなかった。母の愛を知らずに育ったルドルフは、かつてのシシィのように「死」に母の面影を重ね、彼を友として慕うようになっていた。("ママ、どこにいるの?") (ルドルフの教師は、慣例であった聖職者や貴族という地位に囚われず、能力のある市民の知識人から選任された。結果として皇太子は、皇帝を頂点とする君主制とは相容れない自由主義的な思想に惹かれるようになり、母親と同じように父親やウィーン宮廷と対立していくこととなる。) 宮廷の義務からは逃避したエリザベートであるが、孤児院や救貧員への慰問など社会奉仕活動には積極的であった。貧民や病人の世話が幼い頃からのヴィッテルスバッハ家の伝統であり、また彼女自身も、自分が興味を持つことに関しては、偏見を持たず、相手の地位や身分にとらわれず接する人物であった。特に、彼女が生涯足しげく通ったのが精神病院であった。これは親類が多く精神の病を患っていたことも関係する。 そして、ウィーン郊外のとある精神病院を慰問した際、エリザベートは一人の女性患者と出会う。彼女は自分こそが気高き皇后であり、エリザベートこそ狂った精神病者だと叫び、拘束具で取り押さえられる。彼女は、皇后というしがらみに拘束されている己を省みて、肉体は拘束されていても、何も縛られない無垢な魂を持つその女性に惹かれる。 敬愛する戯曲『真夏の夜の夢』に登場する妖精ティターニアのように、周りからどんなに奇異な目で見られ狂ったと言われようと、気高く心のままに生きられたらどんなに素晴らしいかと。そして、ウィーン宮廷や姑との戦いに勝利しても、結局何一つ自分が望むものは手にいれられていないことに気づかされる。 まるで今の自分は、自由の象徴であった曲芸のロープの上で、暗闇の中、恐怖に震え立ち竦んでいるようだと。「いっそ足元の深淵に身を投げてしまいたい」と本心では願っていても、暗闇の先に待つ虚無の不安に怯えながら、見せかけの人生を歩み続けるしかないのか、彼女は自問自答する。(“魂の自由”) >>1
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【SNSやインターネット上における誹謗中傷等への対応について】
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ttps://kageki.hankyu.co.jp/sp/news/20210301_006.html
いつも宝塚歌劇にご愛顧を賜り、ありがとうございます。
昨今、TwitterやInstagram等のSNSやインターネット上の掲示板等において、
出演者やスタッフに対する誹謗中傷や、事実に基づかない悪意ある憶測を
流布する行為などが多くみられており、
例えば現在、以下のようなものを確認しております。
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◆特定の出演者やスタッフを名指しのうえ、
事実ではない情報をもとに、非難、攻撃をすること。
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◆特定の出演者やスタッフの技量、成果物その他に対し、
本人を傷付ける意図を持って、批評や個人的感想を超えた言葉で攻撃すること。
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◆特定の出演者の人事情報について、
あたかも事実であるかのような表現を使い、事実ではない情報を拡散すること。
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宝塚歌劇団といたしましては、
お客様よりいただく様々なご意見や叱咤激励を有難く拝見し、
より良い舞台をお届けするための励みとさせていただいておりますが、
上記のように、
特定の個人を攻撃するような行為によって、
出演者やスタッフが万全な状態で公演に邁進できない事態に
なりかねない状況は大変遺憾であり、
非常に危惧すべき状況であると考えております。
なお、
今後上記行為を確認しました場合には、
弁護士等と協議のうえ、
しかるべき法的措置を検討させていただくとともに、
発信者情報開示請求を実施するなど
インターネット上の誹謗中傷等にも対応してまいります。
何卒、ご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 退団記者会見の時も散々言われてたけどちゃぴの服のセンスはなんとかならんのか。
他のシシィはキラキラ衣装を着てるのに白にウエスト刺繍?だけだと地味で貧相に見える。
フィナーレはドレスを着たとなみが隣に立ってたからやっぱり見劣りする。 退団会見は私物だろうけど舞台のは衣装だろうし一獅ノするのもね シンプルなのがスタイルよく見えてほめてる感想あるし別にいいんじゃないの 細くてキレイに見えるシンプルなドレスを選んだと思ったけど。
むしろ死んですぐ着替えて出てきたとなみのプロ根性に驚いた。
ネタバレしてもいいですかね? オサトートはやっぱり声がエロかった
花組02ver楽しみにしてる
あさこはやっぱりルキーニだよ
キッチュに入るまでのアドリブが良かった
幕間に愛希が全部持っていったってプンスカしてた水となオタは成仏されたと思うので良かった
ミズの遠慮がちなスコッた歌声が懐かしかったわ フランツ出番割振はどでした?最下のみっちゃん少なめ? >>148
たかこゆみこがおいしい場面だったけど後はほぼ同じ。
ノルさん→たかこ→ガイチ→みっちゃん→ゆみこ ホーフブルク宮殿のサロンでは、ゾフィーと近親が、皇帝を皇后から引き離すための策を話し合っていた。皇帝は、オーストリア=ハンガリー帝国のハンガリー王国の初代首相に、1848年のハンガリー革命の首謀者の一人であるアンドラーシを任命した。彼はエリザベートと親しい関係にあり、後に帝国の外相も勤めることになる。これ以上皇后の介入を許すと帝国が瓦解してしまうと恐れた彼女らは、非常手段として皇帝に愛人を用意する。("我々か彼女か") しかし売春宿から連れてこられた娘は病気持ちだった。("マダム・ヴォルフのコレクション") 体操室で運動中に倒れたエリザベートは、医師から原因は過剰なダイエットではなくフランス病だと告げられる。
夫の忠誠心を信じきっていた彼女は取り乱し、自ら命を絶つと口ばしる。すると、その言葉を待っていた「死」が現れ、最後の決断を迫る。しかし、彼女は皇帝との婚約の証を首から外すと、この裏切りをむしろ宮廷とのしがらみを絶つために夫が自分に与えた救いなのだと受け取る。そして以後、彼女はウィーンを離れ、旅から旅への流浪の生活を続けることになる。("微熱") トートだけでも8人だもの主演で出番多いけど年々人数増えてるもんな ホーフブルク宮殿では、フランツ・ヨーゼフが、エリザベートを自身から引き離す策略に対して母ゾフィーに抗議している。私は帝国のためにやったという母の言葉に、もう二度と夫婦の間に干渉はさせないと言い残し、彼は立ち去る。1848年の革命は、皇帝が退位する事態にまで発展してオーストリアは危機に陥った。 その際、非情にも無能な夫フランツ・カールに帝位継承権を放棄させ、息子であるフランツ・ヨーゼフに皇帝を継がせたはゾフィーであった。息子に皇帝として必要なあらゆる教育を施し、勤勉で非の打ち所のない人物へと厳しく育て上げた。エリザベートに厳しく接したのも、すべて帝国の行く末を案じてのことであった。「義務を忘れたものは、滅ぶ運命にある」との言葉を残し、ゾフィーは息を引き取った。(“ベラリア”) 療養と称してエリザベートは、マディラ島、コルフ島、ハンガリー、イギリスと、公務を放棄して1箇所に留まることなく当て所ない旅を続ける。傘と扇子を持ち、早足で山から海へと歩き続け、くたびれ果てた表情で従者たちが彼女の後を追う。一方、皇帝はウィーンに戻らない妻の体調を案じて毎日のように手紙を書いている。そして、10年が経った。 皇后専属の美容師は髪を梳かした後、まっさらな櫛を彼女に見せる。櫛についた抜け毛を隠して、エリザベートを安心させるのは彼女の日課であった。しかし、ルキーニがこっそり一本抜き取ると、それは白髪であった。エリザベートはさらに旅を続けた。
ハイネのように詩に没頭し、乗馬にのめりこみ、古代ギリシャに傾倒した。ハイネへの博識は専門家を凌駕するほどで、乗馬の腕前はヨーロッパ有数の実力とまで言われた。結果エリザベートは17年間、何かを求めて走り続けた。ルキーニが彼女に鏡を差し出す。世紀の美貌と謳われた皇后にも確実に老いの影が忍び寄っていた。("放浪の歳月”) 旅の末にエリザベートがたどり着いたのはギリシャのコルフ島であった。彼女はここに敬愛する古代ギリシャの英雄アキレウスの名を付けた別荘を建て、外界との接触を避けるように閉じこもった。崇拝する哲学者や詩人ハイネの銅像を飾り、詩作に没頭した。エリザベートはハイネの情熱的で自然溢れる詩を愛し、彼のシニカルで社会批判的な思想に共感を覚えていた。 ドイツ生まれのユダヤ人として生涯国に馴染むことができず、後にドイツを追われフランスで晩年を過ごす生い立ちにも彼女は親近感を感じていた。彼女はハイネを師と仰ぎ、彼の魂と繋がりがあると信じていた。ある日、エリザベートがハイネの魂に呼びかけようと試みると、懐かしい声の主が語りかけてきた。その声は、現世から目を背け死者の魂とばかり向き合う彼女の身を案じていた。 しかし、シシィはこの時代、この世界に自分の居場所はないと嘆くだけであった。そして、「アデュー、シシィ(Adieuはフランス語で永遠の別れの意味)」という言葉を残して声は消えた。同じ頃、シシィの誰よりの理解者であり、憧れであった父マックスはこの世を去った。行き着く先を失くした自由な魂は、コルフ島にも長くは留まらず、安住の地を求めて再び彷徨い始めた。("パパみたいに〈リプライズ〉") エリザベートが旅を続ける間に、ルドルフは青年へと成長した。一方で、ヨーロッパでは民族主義やファシズムが台頭を始めており、帝国領内の民族による複合国家であるオーストリアでも、各民族の自治や権利を求める動きが強まっていた。
特に多民族都市であるウィーンでは、ドイツ人の民族的優位と権利擁護を掲げるシェーネラーなどのドイツ民族主義者が台頭しており、少数ながら経済的に恵まれていたユダヤ人はその格好の標的であった。 ルドルフは、市民の権利を押さえ込み、領内の民族主義運動を弾圧する父親の古い権威主義的な統治方法では、一時的には帝国の体面は保てても、結果としてその崩壊を早めてしまうだけだと危機感を持っていた。彼の理想は中央ヨーロッパの各民族が対等な権利を持ち、ドナウ連邦として共存共栄を図ることにあった。しかし、匿名で新聞に投稿した体制批判の記事が暴露され、父親と決定的に対立し、民族主義者からも裏切り者と糾弾される。 結婚生活も冷え切っており、政治的にも宮廷生活でも孤立した彼は、徐々に精神を病んでいく。そんな折、母がウィーンに帰ってきた。ルドルフは自らの心情を吐露して、皇帝へ口添えして欲しいと助けを求めた。しかし、宮廷との繋がりをすべて断ち切っていたエリザベートは、息子の懇願を頑なに拒否する。絶望したルドルフは、1889年ウィーン郊外のマイヤーリンクで「死」の接吻を受け入れ、拳銃で自ら命を絶つ。息子の死を前に、エリザベートはルドルフは自分の生き写しだったことに気づく。 そして、己の自由を求めるばかりに、同じように自由を欲していた息子を見殺しにしたことを悔やみ、棺の前で泣き崩れる。その悲しみはあまりに深く、彼女は息子の命を奪った忌々しき相手にさえ哀れみを乞うた。だが、「死」はその嘆きに答えようとはしなかった。 >>168
あった。
コスプレしないだけで割愛してる部分もあるけどスペシャルバージョンでも全通しだよ。 プリンシパルクラスはイメージにあった自前お衣装だった
まりこさんなんてあれが自前かよ、だったし
ゆうひさん、もう少し化粧したほうがいいのでは、と自分は感じた 結局、オーブも追加あったな
もう少し早く告知が欲しかった >>173
ありがとう
東京で当日券並びはちょっと怖いわ
配信にするわ >>169
遅くなりましたがありがとうございました! 息子の死はエリザベートに大きなショックを与えた。彼女は身の回りの豪華なドレスや宝飾品はすべて譲り渡し、残りの生涯を喪服だけで過ごした。
すでに父親は他界しており、事件の翌年には姉ヘレネ、そして母ルドヴィカと親しい者が彼女を残して次々とこの世を去った。無理なダイエットがたたり、神経痛に悩まされ、病気がちであった。 無理なダイエットがたたり、神経痛に悩まされ、病気がちであった。常に傘と扇で皺の目立つ顔を隠して、それでも孤独に旅を続けるエリザベートを新聞は、狂気に憑かれた哀れな皇后と同情的に書きたてた。
しかし、ルキーニは認められなかった。息子の遺体の前でうずくまる皇后の写真を手に、これも国民の同情を買うためのキッチュなんだと彼は訴えた。 ルキーニは悲惨な人生を送った。捨て子として孤児院に入れられ、孤児院から孤児院、里親から里親へとたらいまわしにされた。
定職に就けず、国から国へと渡り歩いた先のスイスで無政府主義に出会い、傾倒した。生まれながらに特権を享受する王族や貴族階級は、彼にとって誰よりも憎むべき存在でなければならなかった。("キッチュ〈リプライズ〉") 1895年2月マルタン岬のテラス、フランツ・ヨーゼフはエリザベートの旅先を訪れ、満月の夜に二人は再会する。その苦難の人生を象徴するかのように、皇帝の髪と長く伸びた髭はすでに真っ白に染まっていた。彼は、宮廷に戻らない妻を責めようとはせず、出会いから変わらない愛を伝え、「私の元に帰ってきてほしい」と呼び掛けた。 しかし、エリザベートは自分たちを積荷も目的地も違う二艘の船に例え、海上で偶然すれ違うことはあっても、二人が完全に相容れることは今後も決してないと告げると、夫の元を発っていった。
バートイシュルで愛し合い結ばれたはずの夫婦が、40年の時を経て、お互いの孤独と愛の限界を再確認するだけの不幸な再会であった。("夜のボート") みりおの相手役2人とも歌下手とか残念。
ちゃぴやみりおんとかダメだったのか。
花乃も蘭乃も出演してるシシィの中で1番下手くそじゃん。 (晩年のエリザベートの姿を残した写真や絵はほとんどない。彼女が最後に公に姿を現したのは、1896年のハンガリー建国千年の式典である。皇帝の傍らにただ無表情で座る皇后の姿を新聞は、「現実から離れてしまっている」「死の影に寄り添われている」とも報じている。 体調の悪化に伴い、エリザベートの滞在先も移動が容易なスイスなどの観光地に限定された。この頃になってもダイエットをやめることはなかったという。無政府主義が蔓延る不穏な時代、何度も警察が護衛を申し出るが、エリザベートはこれを拒否している。) ハプスブルク帝国は戦争で多くの領地を失い、残された地域でも独立を求める民族主義運動が激化していた。また、皇帝の弟メキシコ皇帝マキシミリアンが革命で銃殺、皇后の従兄ルートヴィヒ2世は精神を病み湖で溺死するなど、皇帝や皇后の周辺でも不幸な事件が続いていた。ハプスブルク600年の栄光はすでに過去のものとなり、その滅亡の時が刻一刻と近づいていたのである。 そしてある晩、皇帝フランツ・ヨーゼフは悪夢に魘され、その夢の中で「死」と対峙する。彼の手には、エリザベート暗殺の凶器のやすりが握られていた。沈みゆく帝国を模した沈没寸前の巨大船のデッキの上で、逃げまどう亡国の住人たちをよそに、エリザベートは虚ろな表情で何かを待つかのようにただ佇んでいた。 皇帝は妻を救い出そうとするが、亡霊たちに妨げられ身動きが取れない。そして、ついに「死」はルキーニにやすりを手渡す。その瞬間、阿鼻叫喚の叫び声と共に、皇帝や亡霊たちは次々と光の中へと吸い込まれていった。再び、裁判官の尋問の声が響き渡り、ルキーニが最後の証言を行う。("最後の証言") 映像でしか知らないけど花組版はシシィがワガママなお嬢様に見えたのに
ガラコン宙では育ちの違う男女がお互いに理解できない愛情だけではどうしようもないすれ違い夫婦に見えた
演じる人によって印象変わるね 配信楽しかった。
エリザベートのように毎回チケットが売り切れる公演は
今後は配信やってくれたらいいなぁ。 >>181
本役の蘭はなはともかく新公のねねと花乃は祭りに駆り出されただけ 現役舞台か東宝エリザでも見る気で文句を垂れるゴミ付きレスをちょくちょく見る
(実際に見る予定があるかどうかはさておき)
特に近年に演じたOGたち関連で
で、そういうゴミ付きも89期エリザには文句をつけないっていうわかりやすさよ たまちゃぴ揃うの観れるわけね
なんだかんだ2026年なんてすぐ来そう 89期バブルは終わっているかも
みりだいの活躍次第 どんなに活躍していたとしても退団5年後の男役のファンの熱気がそのまま続くなんてあり得ないよ
2人とも40代になっているし徐々に上の期のOGと同じようになってゆく
今回はみりだいが退団直後だったからこその盛り上がり
たまきちはコロナのせいで今回は間に合わなかったから30周年になってしまうけど退団して5年後とかだから落ち着いたイベントになるだろう 1898年9月10日ジュネーヴ、レマン湖のほとり。船の汽笛が鳴り響くと、エリザベートと侍女のスターレイ伯爵夫人が現われる。二人は蒸気船の乗り場へと向かっていた。突然、すれ違いざまに一人の男が皇后の胸をヤスリで突き刺す。男はその場ですぐに取り押さえられた。皇后はすぐに起き上がり周りの者を制して桟橋へと向かうが、再び倒れ意識を失う。 闇の中、エリザベートが日の光に目覚めると、そこには少女の頃と同じく「死」の姿があった。彼女は身に着けていた喪服を脱ぎ捨てると、過去のすべての記憶の消滅と、いつ何処とも知れない魂の安住の地での再生を誓い、死と深い口づけを交わした。
エリザベート暗殺の18年後、皇帝フランツ・ヨーゼフも崩御する。彼の死の2年後、ハプスブルク帝国は崩壊、帝国内の各民族は独立を果たし、中央ヨーロッパに新しい時代が到来した。("ヴェールは降りた") ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています