流れぶったぎりごめんなさい

>>383
今回の芝居はマリーアンヌという(架空の)貴族女性が“人間”“一個人”として目覚めていく過程の物語としても深いと思う
旧体制の頃(王政)の頃は女性は男の隷属物で、“女も人間である”なんて感覚はなかった
それは貴族でも平民でも同じ
生まれた家で父に従い、結婚したら夫に従うだけの小さな小さな世界で女性は生きて死ぬだけだった(例外を除いて)

そんな中、自分の生まれ育った小さな貴族家庭が「幸せだった」と回顧する令嬢マリーアンヌがロベピを殺そうとパリに現れた理由は、最初は“愛する家族を革命で殺された“という私怨によるもの。殺意の根拠は最初はただそれだけ

パリの夜での会話でロベピに
「私はただの…
シトワイエンヌ(市民の女)でしかありませんわ」
と言う台詞あるんだけど、革命によって家族を奪われた貴族の彼女にしてみたら、革命の象徴でもある“シトワイエンヌ(市民女性)”という言葉を自らに使うことは相当屈辱的でもあったと思うの
けど「革命に忍び寄ろう」と歌った通り、“シトワイエンヌ”と自らを称することはロベピに近づくための方便

マリーアンヌはロベピを殺すチャンスを伺うため議会に通い、演説や議論を傍聴する日々を重ねることになる
貴族令嬢であった頃の彼女が知るよしもなかったフランスの現状、市民の現状
何も分からず知らずにいたマリーアンヌはフランス革命が何故起こったのかをその日々で知っただろうし共和制についてもどんどん吸収していっただろう
議会の傍聴席に通う日々はマリーアンヌの「現実や社会に対する開眼」の導火線となったとも言える
その議会でロベピエールが「民衆を犠牲にできない!」「戦争反対!」と声高らかにダントンらとやりあうのを見てマリーアンヌは驚く
家族を死に追いやった悪の権化のようにロベピのことを憎んできたからこそ尚のこと
そこからの橋の場面が秀逸
回想シーン的な展開もあり……

途中でごめんなさい。とても書ききれなくて
革命史を踏まえてマリーアンヌの人生をこんなふうに見ていくとさらに感動深まるかも?って提案でした