定説では、中大兄皇子は妊娠した鏡王女に飽きて鎌足に下賜し、生まれた子が女の子ならよこせと、男なら要らぬと言って、生まれた不比等が男だったので、鎌足と長年の幼馴染の妻である車持与志古の息子として育てた。
不比等がご落胤ということで、中臣一族のなかで不比等のみが、父が特別に賜った藤原姓を受け継いだ、とされているよ。
采女を贈ったり、わざわざ死に際に見舞って特進させたりしているから、中大兄皇子にとって本当に頼れる兄のような存在だったのかもしれないね。
諸説あるが、近年発掘された中臣鎌足ではとされるミイラにその時に贈られた装束もあって、全身打撲で寝たきりの状態が解析されたらしく、落馬が原因ではないかとのこと。