煙草にアンパンマンを印刷したら喫煙率下がるだろ [無断転載禁止]©2ch.net
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慎太郎がこう云いかけると、いつか襖際へ来た看護婦と、小声に話していた叔母が、 お母さんが呼んでいるとさ。」と火鉢越しに彼へ声をかけた。 彼は吸いさしの煙草を捨てると、無言のまま立ち上った。 そうして看護婦を押しのけるように、ずかずか隣の座敷へはいって行った。 その顔が巾をかけた電燈の光に、さっきよりも一層窶れて見えた。 「ああ、洋一がね、どうも勉強をしないようだからね、―― 私も昨日あたりまでは、死ぬのかと思っていたけれど、――」 「帝釈様の御符を頂いたせいか、今日は熱も下ったしね、この分で行けば癒りそうだから、―― 美津の叔父さんとか云う人も、やっぱり十二指腸の潰瘍だったけれど、半月ばかりで癒ったと云うしね、そう難病でもなさそうだからね。――」 慎太郎は今になってさえ、そんな事を頼みにしている母が、浅間しい気がしてならなかった。 枕もとに来ていた看護婦は器用にお律の唇へ水薬の硝子管を当てがった。 だがちっとは長びくだろうし、床上げの時分は暑かろうな。 こいつは一つ赤飯の代りに、氷あずきでも配る事にするか。」 賢造の冗談をきっかけに、慎太郎は膝をついたまま、そっと母の側を引き下ろうとした。 すると母は彼の顔へ、突然不審そうな眼をやりながら、 彼はさすがにぎょっとして、救いを請うように父の方を見た。 どこにもそんな物はないんだからね、今夜はゆっくり寝た方が好いよ。」 賢造はお律をなだめると同時に、ちらりと慎太郎の方へ眼くばせをした。 慎太郎は早速膝を擡げて、明るい電燈に照らされた、隣の茶の間へ帰って来た。 茶の間にはやはり姉や洋一が、叔母とひそひそ話していた。 それが彼の姿を見ると、皆一度に顔を挙げながら、何か病室の消息を尋ねるような表情をした。 が、慎太郎は口を噤んだなり、不相変冷やかな眼つきをして、もとの座蒲団の上にあぐらをかいた。 まっさきに沈黙を破ったのは、今も襟に顋を埋めた、顔色の好くないお絹だった。 「じゃきっとお母さんは、慎ちゃんの顔がただ見たかったのよ。」 が、ちょいと苦笑したぎり、何ともそれには答えなかった。 しばらく無言が続いた後、浅川の叔母は欠伸まじりに、こう洋一へ声をかけた。 高等学校へでもはいったら、もっとはきはきするかと思ったけれど。――」 叔母ば半ばたしなめるように、癇高いお絹の言葉を制した。 何も夜伽ぎをするからって、今夜に限った事じゃあるまいし、――」 垂死の母を見て来た癖に、もう内心ははしゃいでいる彼自身の軽薄を憎みながら、……… それでも店の二階の蒲団に、慎太郎が体を横たえたのは、その夜の十二時近くだった。 が、いよいよ電燈を消して見ると、何度か寝反りを繰り返しても、容易に睡気を催さなかった。 父と一つ部屋に眠るのは、少くともこの三四年以来、今夜が彼には始めてだった。 慎太郎は時々眼を明いては、父の寝姿を透かして見ながら、そんな事さえ不審に思いなぞした。 しかし彼のの裏には、やはりさまざまな母の記憶が、乱雑に漂って来勝ちだった。 その中には嬉しい記憶もあれば、むしろ忌わしい記憶もあった。 が、どの記憶も今となって見れば、同じように寂しかった。 慎太郎はそう思いながら、糊ののする括り枕に、ぼんやり五分刈の頭を落着けていた。 まだ小学校にいた時分、父がある日慎太郎に、新しい帽子を買って来た事があった。 それは兼ね兼ね彼が欲しがっていた、庇の長い大黒帽だった。 するとそれを見た姉のお絹が、来月は長唄のお浚いがあるから、今度は自分にも着物を一つ、拵えてくれろと云い出した。 父はにやにや笑ったぎり、全然その言葉に取り合わなかった。 そうして父に背を向けたまま、口惜しそうに毒口を利いた。 父は多少持て余しながらも、まだ薄笑いを止めなかった。 お母さんだってこの間は、羽織を一つ拵えたじゃありませんか?」 姉は父の方へ向き直ると、突然険しい目つきを見せた。 「あの時はお前も簪だの櫛だの買って貰ったじゃないか?」 姉は頭へ手をやったと思うと、白い菊の花簪をいきなり畳の上へ抛り出した。 慎太郎は蒼い顔をしたまま、このいさかいを眺めていた。 が、姉がこう泣き声を張り上げると、彼は黙って畳の上の花簪を掴むが早いか、びりびりその花びらをむしり始めた。 姉はほとんど気違いのように、彼の手もとへむしゃぶりついた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています