(はじめから、書き直します)
 世間には「国家」という名前のものが存在している
と考えるひとがいるようである。
 たしかに、国家は一種の現実として存在するのだが、
しかし、よく考えてみると国家≠サのものは存在しない。
なぜなら「国家」が存在するといっても、
そこに実際に存在するのは、
諸個人であり、その社会的行為であり、
社会的関係だけだからである。
 この観点から、ヴェーバーは「社会的行為」がなくなれば、
「国家」はなくなるといっている。
 ただしヴェーバーは国家廃絶の思想であるアナキズムの信奉者
ではない。ただヴェーバーの国家把握のひとつの要素、
一つの理論的次元として、いわばある種の国家ノミナリズム
(名目論)≠ェあるということである。