姜が国際基督教大学から東京大学社会情報研究所へ移ったのは、
プロテスタントの東京外国語大学教授山之内靖が主宰する「現代社会論研究会」で姜とともにメンバーだった、
牧師(日本社会党創設者の一人である賀川豊彦の側近杉山健一郎(日本救癩協会常任理事))の息子である
同研究所教授杉山光信[4]の招聘によるものである。
杉山には早稲田卒の姜を東大へ招聘するのに邪魔となる日本人の門下生が4人いたが、
激しいアカハラにより、すべて東大から追放するか潰すかしていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E5%B0%9A%E4%B8%AD#.E6.9D.A5.E6.AD.B4