【この学問は】社会学を批判する【役に立つのか】
この大社会変動の時代に社会学が何の役に立つのか考えて みるべきでは? 180. >>311 私が疑問に思っていた主体性の問題も、単に経済学と社会学の研究領域の違い によるかもしれない。でも、社会学における主体性についての疑問は残る。そこで 質問の趣旨を変える。 その質問とは、社会学には、研究領域外の主体性が無いのではないか、ということだ。 研究領域外の主体性とは何か。例えば、経済学では経済行為以外は基本的に 研究領域外だ。ある人は作家の誰彼が好きか、どんな性格か、そんなことは経済 学の知ったことではなく、当人の主体性の問題だ。これが、研究領域外の主体性である。 そして、「経済学者が経済学を研究する」という行為も、経済学の研究領域外で あり、そこに主体性がある。ということは、経済学には、客観性が存在する余地が ある。なぜなら、もし、この研究行為が何らかの因果律によるものなら、その研究 行為の結論(経済学の理論)なんか、信用できないでしょう。 翻って社会学はどうか。社会学の基本的な仮定はあまりに包括的で、ほとんどの 人間行為が研究領域に入ってしまう。もちろん社会学者の研究行為も。例えば、 ホーマンズが社会学の一般命題として公式化したのは、次のような過程であったか もしれない。彼は、大恐慌で新聞社への就職内定が取り消され、攻撃是認命題 によって社会を恨んだ。そんなときヘンダーソンのゼミに参加し、社会学に縁を持つ。 そこで、社会に対する腹いせに、人はいくつかの因果律に従うのだと論じたら、 回りの学者の受けがいい。価値命題から気を良くした彼は、成功命題によって、 ますます理論を精緻化していった。こうして、ホーマンズの一般命題が公式化された。 もちろん以上の話は、でっちあげっである。しかし社会学者社会学も構築可能 に思える。>>310 で紹介したHPの3・対人関係を読むと社会学者の研究行為も、 当然に社会学の研究領域に入ってくるように見える。結局、社会学には研究領域外 の主体性が無いように感じられ、したがって社会学に客観性が存在する余地が無い ように思える。 社会学が何の役に立つ? http://www.uwasa2ch.net/interior/981967742.html クソってあんな無知無学無能を堂々とさらしてて、生きてて恥ずかしくないのかな 恥ずかしくないから、クソ垂れ流してるんだろうな ステレオタイプな毒舌コラムはいらない。 毒をはくならオリジナリティを持て! 社会学ってのは、人々の魂胆を暴く目線を学ぶ学問であって、 それを達成したならば、もう不要なものです。 ようするに人の本音を手に取るように分かるならば、そもそも学ぶ必要もないし、 語る必要もない。 人の魂胆を暴くのに、データなど不要であって、それは証明に使うだけで、 つまるところ、データ分析者の直感に依存しているのです。 本来は宗教が担うべきところを、信仰の部分を骨抜きにした遠回しな言説などは、 今切迫した私たちの悩みや苦しみに、なんの一投も投ずる事はできない気休めでしかない。 だからといって悪いというのではなく、そういう宿命であるという事です。 >>161 >整体指導者の野口晴哉(はるちか)氏 「整体」だけでは鍼灸師免許は柔道整復士免許を持っているのかはたまたただの医療行為が出来ないマッサージ師なのかわかりませんが、 医学的根拠もなく感想だけで幼児体型が増えた→TVゲームのせいだ、にはならないでしょう。 医学的には疫学調査というものを行ないます。そういったデータが一切ないところを見るとまたゲーム叩きだなって思います。 ゲーム脳(医学博士だが筋肉の研究をやっていた某体育系教員)の論者と変わらない。 そのくせ「スマートフォンはいいですね」なんて言うはずだ。巨大産業には頭下げるのねw スマートフォンでゲームできるのにね。でも移動媒体だからむしろ移動歩数は増えるはずだ。 おかしいと思ったらさっそく質的、量的調査ですよ。 へえ、体操の人なんだ。 ますます医学的に?がつくね。 >>125 ソシュールやプラーグ学派、モースらに影響を受けたレヴィ=ストロースによって打ち立てられた思想的立場。 構造主義では、人びとの行為が主体的な意志によってではなく、意識されていない構造によって支配、規定されていると考える。 構造とは要素間の関係のことであり、変換の結果としての異本を観察することで事後的に確認されるものである。 ブラウザの画面が小さすぎるんじゃね? >>175 をよく見ると、改行コード三つで三行になってんじゃん。 一般に構造主義と言われる用語の使われ方には二つの流れがあって、 乱暴な言い方だけど、フランス系の構造主義とアメリカ系の構造主義がある。 構造を要素間の関係と捉えようと考えるのはアメリカ系の構造主義で、 フランス系の構造主義は関係間から要素を捉えようとする観察方法論。 後者の方法論が社会学では構成主義の流れに引き継がれた。 ただしソシュールは体系(システム)という語しか用いていない。 レヴェ=ストロースは体系と構造の違いを強調した。 >>125 世の中って 割と構造みたいな もんだよね >>179 システムとか構造というモデルで説明されていることは多いね。 >>177 175ですが、ブルデュー研究者じゃないんですが。。 自分の専門は現象学的社会学とかそっち系なんです 例のツイッターにいるバカのとばっちりかな? ヤツはウンチ以下だね >>44 あたりから見るとえらい大衆を見下してるな 現象学的社会学ってそういうもんなのか? 別に大衆が一般人の総称なわけじゃないから。 人々は市民的公共圏において討論を行ってコンセンサスを形成することを通して、 権力(に基づく政治システム)や市場原理(に基づく経済システム)に対抗することができる。 そのとき人々は大衆ではなく公衆(≒市民)になっている。 >>44 メディアの視聴者はメディアをそのまま受容しているわけではない(S.ホール) 去年の麻木大桃事件のときも、メディアは当初麻木を支持してたが 2chなんかでは断然大桃支持だったし、 北野誠がバーニング批判して干されたときも、メディアは真相について報道しなかったが 2chではバーニングが批判されまくった まあ時代によって視聴者のリテラシーが変化したとか ネットの普及とかっつうのも関係してるわけだけれど >>189 >人々は市民的公共圏において討論を行ってコンセンサスを形成することを通して、 それはあくまでも欧米の話じゃないか? >>191 市民がシステムに対抗するための方法に、欧米限定の方法と日本限定の方法があるってことはないべ。 ていうか少なくともハーバーマス大先生はそういうことは言っていない。 現状の日本においてそういうコンセンサス形成はなされていないといいたいのかもしれないが、 (189は現状の話などしてないから、そうだとしたら既に論点がずれてるんだが) 欧米でも生活世界がシステムにやられてしまってるわけで、その点をまさにハーバーマス先生は遺憾に思ってるのでしょ。 >>195 俺はハーバーマスに詳しくないが興味はあるな ハーバーマスって現状分析の人というより 「こうあるべき」っていう当為の人だからな 現状分析より理想の社会(=近代)を説くっていう ギデンズにもちょっとそういうとこあるけど ハーバーマスとかギデンズ好きな人はサヨ志向あるよね、確実に そもそも日本と欧米では歴史も社会も全く違うし 表面的に似てるところがあったとしても、内実はかなり異なる これを同一視しようと言う所為にそもそも無理がある 表面的に似てれば中身も同じと勝手に断じる日本の思想界や社会学界はいい加減すぎる そうや! 日本社会にはそもそも市民も社会も存在せーへんのや 日本の世間には討議wなんて必要なくハラで理解しあえるんや とはいえ日本も生活世界がシステムにやられてるっていう現実はあるわけで そういう時に参考になりそうなのがハーバーマスぐらいしかいないんだよね >日本も生活世界がシステムにやられてるっていう現実はあるわけで 一体何のことを指して言ってるの? まず根本的に哲学や社会学は欧米キリスト教社会を基盤にして成立しているわけで 永遠不変な社会の鉄則を語ってる事にはならない 例えば支那社会について少しでも勉強した事があるのか? 一族が生き残るためには嘘を肯定し、子殺し・食人に止めさせる為に儒教が生まれた国だ 日本はこの支那社会から独立するために作られたフィクションだ 今でも支那的思想は日本社会の隅々に暗い影を落としている これに対する考察があまりにも無さ過ぎるし疎かだ 日本の思想史すら知らずにハーバーマスハーバーマスとまるで教祖 いい加減に自分の頭でモノを考える事を始めようや >>202 現状分析にとどめて「現状を変えようとしてはならない」 というのも実は哲学的な当為スタンスをあらわしているぞ。 その意味ではホシュ志向もまた政治的に中立ではない。 北朝鮮の支配層の立場を考えてみよう。 彼らにとって>>202 がいかに都合がよいスタンスかが分かろうというものだ。 民主社会では当為そのものを学問的な議論の場に堂々と置く研究が許されている。 つまりサンデル教授のそれのように当為そのものの正当性を常に吟味し直し議論する場があるのだ。 >>210 ttp://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/9485/1/42092_12.pdf >>208 >>209 ブサヨ乙 政治的に中立などありえない。自明。 だが、サヨク・左翼は確実に反社会・反政府・反民主主義で 近代国家の国民にとっては敵でしかない サヨクにはこの自覚がなさすぎる せっかく社会学的な話になってたのになあ 左翼だの右翼だのの政治的立場の話はつまらん うん? 社会学者が左よりの話しかしないから、社会学=左翼の御用学問とばかり 思ってたよ 違うの?w >>1 「社会学の8割は「社会哲学」にすぎない」って本当にそうだな。 「社会学が社会の役にたつには社会調査無き者は社会学にあらずとするべき」という結論が出てるよ。 今そのスレッドで「政府統計だって意図的に誤魔化す」という荒らしが来てるけど。 <年平均経済成長率1929〜1939年> (昭和4年〜昭和14年) 1位 ソビエト連邦 6.1% 2位 日本 4.8% 3位 ドイツ 3.2% 4位 イタリア 2.1% 5位 イギリス 1.8% 6位 フランス 0.3% 7位 アメリカ 0.2% Monitoring The World Economy 1820 - 1992 OECD(経済協力開発機構) 恐慌期の時のみ、計画経済はうまくいく。 国家社会主義(全体主義)と社会主義・共産主義は似たもの同士だから。 でも戦争で一気に米国は世界のGNPの半分を占めることになる。 恐慌を打破するには余った人間と物を破壊するしかない。戦争とは経済上昇期のあちにおきるものだ。 それを共産主義は乗り越えようとして失敗した。なぜか? 競争も民主主義もなく独裁国家に戻ったから。 でもこれは社会学じゃなくて政治学と経済学の問題です。 よってこの話題は終了。 アメリカの経済学者サミュエルソン氏が自著『サムエルソン 経済学〈下〉』(岩波書店)に、 下の各ソースから得たデータをもとにして1928年からの世界恐慌期のみならず1987年までの 平均経済成長率を計算した数値を掲載している。 そのデータのソースはその著書によればこれ↓ Gur Ofer, "Soviet Economic Growth: 1928-1985," Journal of Economic Literature, Dec. 1987 and CIA, Impact of Gorbachev's policies, July 1988, SOV 88010049. そして同じく『サムエルソン 経済学〈下〉』(岩波書店)836頁で次のように解説を加えている。 ここから引用開始 { 1928年以降のソ連計画経済は帝政時代ロシアの経済よりも急速に成長してきており、 大部分の主な市場経済面よりもまさっている。日本と、そして急成長局面の合衆国だけが、 ソ連の経済成長に匹敵していた。 } ここで引用終了 >>219 出た!大御所の外国人社会学者を出して論破した気になっている社会学の病気がw 社会学とは、社会科学のつぎはぎではなく、特殊社会科学であるってか。 「生の哲学」と「形式社会学」は強固に繋がっている、同体だと言っているような物で、事実上「社会哲学」なんですと言っているようなものだ。 しかし、G.ジンメルは、「一般社会学」、「特殊社会学(形式社会学)」、「哲学的社会学」という3つ分野から成ると言っているこのに注目すべきだ。 つまり「哲学的社会学」→社会哲学が社会学ではかなりの割合を示してるよ、と言ってるのだ。 形式社会学は社交とかシンボリック相互作用なんかに繋がるよとも言っている。 でもじゃあその理論(形式社会学)は実証されたものなのか。うーむ。 >形式社会学は社交とかシンボリック相互作用なんかに繋がるよとも言っている。 いや、この書き方からしてあんまわかってないんじゃね? >>220 後半の5行、めちゃくちゃだなw よくわかってないんだろう ジンメルの形式社会学の要点は次のとおり。 @社会を「内容」と「形式」に分ける A「内容」とは政治、経済、宗教、芸術…、といった領域のこと B「形式」とは心的相互作用の様式のこと。模倣、秘密、闘争、上位と下位、 党派形成、外集団への敵対と内集団の凝集性の高まり…など C「形式」は政治、経済、宗教といった領域を問わず見出されるもので、 これを研究対象としたのが形式社会学 >でもじゃあその理論(形式社会学)は実証されたものなのか。うーむ。 実証などいくらでもできる。 政治家も企業の役員も宗教団体の幹部も「秘密」を共有している。 キリスト教はユダヤ教の「模倣」した。ゴッホは印象派のスタイルを「模倣」した。 政党にも企業にも宗教団体にも美大にも「上位と下位」の関係は見出せる。 >形式社会学は社交とかシンボリック相互作用なんかに繋がるよとも言っている。 これは酷過ぎるwww >>214 >>215 社会学を社会調査絡みのものと社会哲学っぽいのの 2つにだけ分類するってのは端的に誤りだろ 動機の語彙とかバランス理論みたいに どちらにも該当しないものはたくさんある 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/12/25(金) 12:47:50.11 ID:J9DRQ2MR0 中学生の頃、クラスのDQN男子が超底辺私立校に落ちた。 確かに今までの行いが悪く、自業自得だったが、それなりに本人はショックを受けていた。 その頃私を含む3〜4人は公立進学校に行くため、まだ勉強をしていた。 (県内一の馬鹿校だったため、クラスの8割が私立志望または就職) いつもはうるさいそのDQN男子はじめ、他のDQN達も 「俺ら、うるさいから学校来ん方が良かったんやろうけど、学校生活最後になるから・・・ごめんな。」と言って、脱DQNに。 その日は自習にも関わらず静かにしてくれてた。 するとなぜか技術担当の糞教師が突然、 「この間の私立の合否結果、○○(脱DQN男子)達は落ちた!この糞たれが!! あんな馬鹿校に落ちるなんてお前らは本当にアホだ!頭悪い! だいたい何で学校に来るんだ、お前らは勉強の邪魔だ! 公立を受けるやつの気持ちを考えてるのか!!? 公立受けるやつはこんなのと関わるな!」 と怒鳴り出した。それからさらに延々と他のDQN達の合否結果を言いふらし出した。 頭に来た私は、 「何で生徒の合否結果を言いふらすんですか?先生こそ生徒の気持ちを考えてるんですか? 先生の方が頭悪いんじゃないんですか。自習の邪魔です。 先生が一番うるさい、邪魔、早く出ていって。」 と言ってしまった。 先生は言い返せずに顔を真っ赤にして出ていった。うわーしまった、と思ってたら、脱DQN達が 「ありがとう、お前が言ってなかったら殴ってた。」とお礼を言われた。 私はその事で推薦枠から外されてしまったけど、(一般で受かった。) 言ってよかったと思っている。 その頃は評定が足りなくて推薦枠から外されたんだ、と思ってました。 一般の願書を出したくらいに、糞教師から 「お前のあの最後の反抗的態度がなければな。」と言われました。 私の場合はDQNをかばった形になりましたが、 生徒が例えDQNであっても、生徒の合否を言いふらすのはいけないことだと思います。 1社会学の現実に対する効果 2社会学が[学]として独立した学問としてのアカデミーに対する位置づけや貢献 が混ぜられたまま皆好き勝手なこと言ってる。228まで皆オナニー。 自分の土俵の話題を持って来ないと優位性を保てないのは分かるけどね、お馬鹿達ww >>229 現実に対する効果っていうけど、それをどうやって測定するの? 時代拘束的な効果でも効果でOK? >>223 こんな事書くから笑われるんじゃね? >キリスト教はユダヤ教の「模倣」(を)した。 模倣じゃねーだろ。模倣ってのはコピーだよ。 キリスト教は初期キリスト教とは似ても似つかないものになった。 特に悪魔は人類に罰を下す汚れ役から神に敵対するなさけない役に成り下がった。 ※( )内筆者 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-18.html それにユダヤ教とキリスト教はこんなにも違う。 ユダヤ教は悪魔をも使役してソドム・ゴモラの街を滅ぼした(ベリアルという悪魔が神の命令によってほろぼしました。)。 ユダヤの神が激昂しやすき、恐怖と妬みの神です。自分でもそう言っています。 ところがキリスト教は基本的に愛の神であり、同時に赦しの神です。 ガリラヤでイエスは産まれましたが、イエスは砂漠地域の人ではなく、緑由良かなガリラヤで産まれたのです。 これだけでも違う。最大の違いは律法主義をことごとくキリスト教は非難したことだ。 しかし、カトリックという最大宗派自体が「律法主義」だというならプロテスタントを信じるあなたならそう言ってもいいのかもしれない。 高校世界史のレベルで語りましたが「部分」を語っただけで全然なってない。 何を根拠にしてしゃべっているのかもわからない。なにが「こ れ は ひ ど い」なのか。お前らの頭が酷いのか?同意するよ。 酷いのならどう違うのか説明しないと反論になってない。そして唯一反論した方も滅茶苦茶だ。 社会哲学は滅ぶべきだ。 >>233 カトリックのほうが偶像崇拝に寛容だったり プロテスタントの多いアメリカで進化論への反発が強かったり 同性愛や女性の出産の自己決定権への反発が強かったり、 印象としてはプロテスタントのほうが「律法主義」「戒律主義」という気がする。 同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば 同性愛者を人間モルモットのように扱う 同性愛研究してる社会人類学研究者。 媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら 同性愛者に近づき気安く話かけては 同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果と業績のために同性愛者を食い物にし利用してる 【文化人類学者のホモ研究者】 男性同性愛者やレズビアン同性愛者の生態を根掘りはほり聞き出しては 自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて 聞き出した同性愛者の了承もなく 同性愛者の個人情報利用し尊厳を踏みにじる 傍若無人な同性愛者の社会人類学者は気味悪さは抜群で 研究対象にされた同性愛者からは不満や批判が多い。 世の中を知っている、みたいな顔するやつに限って、 テレビで見た話の引用ばかり。 結局、子供も大人もオバサンも、情報源は一緒。 大衆が教育を語ることほど、無節操なことはない。 教育はエスタブリッシュメントが主宰し、 上級職にある者がサポートする事業だ。 街のオヤジが口出しするな。 結局、世の中のことは、ごく一部の人間にしかわからない。 多くの人は、テレビでみた、週刊誌・ネットで読んだ、 という次元でしか、世の中を知らない。 それでいて、自分はなんでもよく知っていると思ってるものだ。 >ごく一部の人間にしかわからない。 それが社会学者だと言いたいんだろうが 彼らこそが象牙の塔でニーチェだハーバーマスだと閉じた議論に篭りっ放しで 一般人より世間がわかってない ネットなんて、しょせん、アマチュア言論人の 無教養・無責任で即興的な意見の発表会でしかない。 プロ言論人たちの蓄積とポリシーを持った意見の前では 幼稚なものでしかない。しかし、そのプロたちの すばらしさをわかる読み手もロクにいない。 アマチュアがアマチュアを支え、そして、 プロの活躍の場を奪っていく。やりきれない。 >>247 貴方の尊敬する(現在活躍中の)言論人の名前を挙げてみてください。 >>248 インターネットが既存のメディアを破壊し、 言論界の質の低下を招いている。 このいまだかつてない「破壊」を乗り越えてこそ、 本物の言論人だ、と言ってみたいところだが、 いまの破壊は尋常ではない。土俵自体がなくなろうと しているのだ。ネットの世界が豊かになればなるほど、 有料メディアは追いつめられる。旧来の言論人は、もう信頼できない。 未来の真の才能ある言論人はまだサナギだ。 >>250 まず保守であること 小さな政府派新自由主義派である事 三橋とか中野のようなバカ経済学者に惑わされない事 サブカルに寄って若者に媚を売らないこと ただのイデオロギー的自己表明かい。 そういう話なら社会学板ではなく政治思想板へでも行って投稿したら? http://anago.2ch.net/sisou/ 同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば 同性愛者を人間モルモットのように扱う 同性愛研究してる社会人類学研究者。 媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら 同性愛者に近づき気安く話かけては 同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果と業績のために同性愛者を食い物にし利用してる 【文化人類学者のホモ研究者】 男性同性愛者やレズビアン同性愛者の生態を根掘りはほり聞き出しては 自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて 聞き出した同性愛者の了承もなく 同性愛者の個人情報利用し尊厳を踏みにじる 傍若無人な同性愛研究者の社会人類学者は気味悪さは抜群で 研究対象にされた同性愛者からは 同性愛研究者に不満や批判が多く苦情も殺到している。 インターネットだとか、プリントメディアだとか、 メディアの形態ごときで文化自体が衰退しちゃう、とかいうんじゃ。。 …やっぱりもう今の日本の文化って中味がないってことヨ!! 大体さー。インターネットっていうと日本だとスグに暗いオタクの世界でしょ。 まともな長い文章のせられるネット用のフォント自体がないじゃん。 ─いくら指摘しても誰も改善しようとしないんだから。 欧米のインターネットコンテンツはどうだ?フォントは小さくてプリントメディア同様の分量が読める。 アラビア語のフォントでさえもそうなのに、何故日本の文字文化はネットと共に衰退しなきゃならんの? キョウヨウのない、ITオタクが大手を振るってるんじゃないの? …最近の英語のオンライン辞書の中味だって吐き気のするような訳文だったりさ。 例のブルデュー研究者が橋本批判しまくってるな やっぱ社会学者って内田樹みたいなやつばっかりなのか あれは笑ったわ システムクラッシュを防ぐために二重行政を とかふざけてるのかと思った 知らんことは口出ししなきゃいいのに マルクス思想の布教が目的のカルト組織が 学問を名乗らないでください。 切にお願いします。 260を書く人とか、 「マルクス思想の布教をするカルト組織」とか、 どっちも考えられないほどアナクロっぽい (そんなもの、この世にまだいるのかな?) read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる