【この学問は】社会学を批判する【役に立つのか】
この大社会変動の時代に社会学が何の役に立つのか考えて
みるべきでは?
180. >>311
私が疑問に思っていた主体性の問題も、単に経済学と社会学の研究領域の違い
によるかもしれない。でも、社会学における主体性についての疑問は残る。そこで
質問の趣旨を変える。
その質問とは、社会学には、研究領域外の主体性が無いのではないか、ということだ。
研究領域外の主体性とは何か。例えば、経済学では経済行為以外は基本的に
研究領域外だ。ある人は作家の誰彼が好きか、どんな性格か、そんなことは経済
学の知ったことではなく、当人の主体性の問題だ。これが、研究領域外の主体性である。
そして、「経済学者が経済学を研究する」という行為も、経済学の研究領域外で
あり、そこに主体性がある。ということは、経済学には、客観性が存在する余地が
ある。なぜなら、もし、この研究行為が何らかの因果律によるものなら、その研究
行為の結論(経済学の理論)なんか、信用できないでしょう。
翻って社会学はどうか。社会学の基本的な仮定はあまりに包括的で、ほとんどの
人間行為が研究領域に入ってしまう。もちろん社会学者の研究行為も。例えば、
ホーマンズが社会学の一般命題として公式化したのは、次のような過程であったか
もしれない。彼は、大恐慌で新聞社への就職内定が取り消され、攻撃是認命題
によって社会を恨んだ。そんなときヘンダーソンのゼミに参加し、社会学に縁を持つ。
そこで、社会に対する腹いせに、人はいくつかの因果律に従うのだと論じたら、
回りの学者の受けがいい。価値命題から気を良くした彼は、成功命題によって、
ますます理論を精緻化していった。こうして、ホーマンズの一般命題が公式化された。
もちろん以上の話は、でっちあげっである。しかし社会学者社会学も構築可能
に思える。>>310で紹介したHPの3・対人関係を読むと社会学者の研究行為も、
当然に社会学の研究領域に入ってくるように見える。結局、社会学には研究領域外
の主体性が無いように感じられ、したがって社会学に客観性が存在する余地が無い
ように思える。
社会学が何の役に立つ?
http://www.uwasa2ch.net/interior/981967742.html >形式社会学は社交とかシンボリック相互作用なんかに繋がるよとも言っている。
いや、この書き方からしてあんまわかってないんじゃね? >>220
後半の5行、めちゃくちゃだなw
よくわかってないんだろう
ジンメルの形式社会学の要点は次のとおり。
@社会を「内容」と「形式」に分ける
A「内容」とは政治、経済、宗教、芸術…、といった領域のこと
B「形式」とは心的相互作用の様式のこと。模倣、秘密、闘争、上位と下位、
党派形成、外集団への敵対と内集団の凝集性の高まり…など
C「形式」は政治、経済、宗教といった領域を問わず見出されるもので、
これを研究対象としたのが形式社会学
>でもじゃあその理論(形式社会学)は実証されたものなのか。うーむ。
実証などいくらでもできる。
政治家も企業の役員も宗教団体の幹部も「秘密」を共有している。
キリスト教はユダヤ教の「模倣」した。ゴッホは印象派のスタイルを「模倣」した。
政党にも企業にも宗教団体にも美大にも「上位と下位」の関係は見出せる。 >形式社会学は社交とかシンボリック相互作用なんかに繋がるよとも言っている。
これは酷過ぎるwww >>214>>215
社会学を社会調査絡みのものと社会哲学っぽいのの
2つにだけ分類するってのは端的に誤りだろ
動機の語彙とかバランス理論みたいに
どちらにも該当しないものはたくさんある 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/12/25(金) 12:47:50.11 ID:J9DRQ2MR0
中学生の頃、クラスのDQN男子が超底辺私立校に落ちた。
確かに今までの行いが悪く、自業自得だったが、それなりに本人はショックを受けていた。
その頃私を含む3〜4人は公立進学校に行くため、まだ勉強をしていた。
(県内一の馬鹿校だったため、クラスの8割が私立志望または就職)
いつもはうるさいそのDQN男子はじめ、他のDQN達も
「俺ら、うるさいから学校来ん方が良かったんやろうけど、学校生活最後になるから・・・ごめんな。」と言って、脱DQNに。
その日は自習にも関わらず静かにしてくれてた。
するとなぜか技術担当の糞教師が突然、
「この間の私立の合否結果、○○(脱DQN男子)達は落ちた!この糞たれが!!
あんな馬鹿校に落ちるなんてお前らは本当にアホだ!頭悪い!
だいたい何で学校に来るんだ、お前らは勉強の邪魔だ!
公立を受けるやつの気持ちを考えてるのか!!?
公立受けるやつはこんなのと関わるな!」
と怒鳴り出した。それからさらに延々と他のDQN達の合否結果を言いふらし出した。
頭に来た私は、
「何で生徒の合否結果を言いふらすんですか?先生こそ生徒の気持ちを考えてるんですか?
先生の方が頭悪いんじゃないんですか。自習の邪魔です。
先生が一番うるさい、邪魔、早く出ていって。」
と言ってしまった。
先生は言い返せずに顔を真っ赤にして出ていった。うわーしまった、と思ってたら、脱DQN達が
「ありがとう、お前が言ってなかったら殴ってた。」とお礼を言われた。
私はその事で推薦枠から外されてしまったけど、(一般で受かった。)
言ってよかったと思っている。
その頃は評定が足りなくて推薦枠から外されたんだ、と思ってました。
一般の願書を出したくらいに、糞教師から
「お前のあの最後の反抗的態度がなければな。」と言われました。
私の場合はDQNをかばった形になりましたが、
生徒が例えDQNであっても、生徒の合否を言いふらすのはいけないことだと思います。 1社会学の現実に対する効果
2社会学が[学]として独立した学問としてのアカデミーに対する位置づけや貢献
が混ぜられたまま皆好き勝手なこと言ってる。228まで皆オナニー。
自分の土俵の話題を持って来ないと優位性を保てないのは分かるけどね、お馬鹿達ww >>229
現実に対する効果っていうけど、それをどうやって測定するの?
時代拘束的な効果でも効果でOK? >>223
こんな事書くから笑われるんじゃね?
>キリスト教はユダヤ教の「模倣」(を)した。
模倣じゃねーだろ。模倣ってのはコピーだよ。
キリスト教は初期キリスト教とは似ても似つかないものになった。
特に悪魔は人類に罰を下す汚れ役から神に敵対するなさけない役に成り下がった。
※( )内筆者
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-18.html
それにユダヤ教とキリスト教はこんなにも違う。
ユダヤ教は悪魔をも使役してソドム・ゴモラの街を滅ぼした(ベリアルという悪魔が神の命令によってほろぼしました。)。
ユダヤの神が激昂しやすき、恐怖と妬みの神です。自分でもそう言っています。
ところがキリスト教は基本的に愛の神であり、同時に赦しの神です。
ガリラヤでイエスは産まれましたが、イエスは砂漠地域の人ではなく、緑由良かなガリラヤで産まれたのです。
これだけでも違う。最大の違いは律法主義をことごとくキリスト教は非難したことだ。
しかし、カトリックという最大宗派自体が「律法主義」だというならプロテスタントを信じるあなたならそう言ってもいいのかもしれない。
高校世界史のレベルで語りましたが「部分」を語っただけで全然なってない。
何を根拠にしてしゃべっているのかもわからない。なにが「こ れ は ひ ど い」なのか。お前らの頭が酷いのか?同意するよ。
酷いのならどう違うのか説明しないと反論になってない。そして唯一反論した方も滅茶苦茶だ。
社会哲学は滅ぶべきだ。 >>233
カトリックのほうが偶像崇拝に寛容だったり
プロテスタントの多いアメリカで進化論への反発が強かったり
同性愛や女性の出産の自己決定権への反発が強かったり、
印象としてはプロテスタントのほうが「律法主義」「戒律主義」という気がする。 同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば
同性愛者を人間モルモットのように扱う
同性愛研究してる社会人類学研究者。
媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら
同性愛者に近づき気安く話かけては
同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果と業績のために同性愛者を食い物にし利用してる
【文化人類学者のホモ研究者】
男性同性愛者やレズビアン同性愛者の生態を根掘りはほり聞き出しては
自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて
聞き出した同性愛者の了承もなく
同性愛者の個人情報利用し尊厳を踏みにじる
傍若無人な同性愛者の社会人類学者は気味悪さは抜群で
研究対象にされた同性愛者からは不満や批判が多い。 世の中を知っている、みたいな顔するやつに限って、
テレビで見た話の引用ばかり。
結局、子供も大人もオバサンも、情報源は一緒。 大衆が教育を語ることほど、無節操なことはない。
教育はエスタブリッシュメントが主宰し、
上級職にある者がサポートする事業だ。
街のオヤジが口出しするな。 結局、世の中のことは、ごく一部の人間にしかわからない。
多くの人は、テレビでみた、週刊誌・ネットで読んだ、
という次元でしか、世の中を知らない。
それでいて、自分はなんでもよく知っていると思ってるものだ。 >ごく一部の人間にしかわからない。
それが社会学者だと言いたいんだろうが
彼らこそが象牙の塔でニーチェだハーバーマスだと閉じた議論に篭りっ放しで
一般人より世間がわかってない ネットなんて、しょせん、アマチュア言論人の
無教養・無責任で即興的な意見の発表会でしかない。
プロ言論人たちの蓄積とポリシーを持った意見の前では
幼稚なものでしかない。しかし、そのプロたちの
すばらしさをわかる読み手もロクにいない。
アマチュアがアマチュアを支え、そして、
プロの活躍の場を奪っていく。やりきれない。 >>247
貴方の尊敬する(現在活躍中の)言論人の名前を挙げてみてください。 >>248
インターネットが既存のメディアを破壊し、
言論界の質の低下を招いている。
このいまだかつてない「破壊」を乗り越えてこそ、
本物の言論人だ、と言ってみたいところだが、
いまの破壊は尋常ではない。土俵自体がなくなろうと
しているのだ。ネットの世界が豊かになればなるほど、
有料メディアは追いつめられる。旧来の言論人は、もう信頼できない。
未来の真の才能ある言論人はまだサナギだ。 >>250
まず保守であること
小さな政府派新自由主義派である事
三橋とか中野のようなバカ経済学者に惑わされない事
サブカルに寄って若者に媚を売らないこと ただのイデオロギー的自己表明かい。
そういう話なら社会学板ではなく政治思想板へでも行って投稿したら?
http://anago.2ch.net/sisou/ 同性愛者に忌み嫌われ敬遠されてるキモい代表といえば
同性愛者を人間モルモットのように扱う
同性愛研究してる社会人類学研究者。
媚びた笑顔を浮かべながら新宿二丁目のゲイバーに出入りしながら
同性愛者に近づき気安く話かけては
同性愛者の生態を研究対象にして自分の学問的成果と業績のために同性愛者を食い物にし利用してる
【文化人類学者のホモ研究者】
男性同性愛者やレズビアン同性愛者の生態を根掘りはほり聞き出しては
自らの学問的研究成果を発表する学会や論文にて
聞き出した同性愛者の了承もなく
同性愛者の個人情報利用し尊厳を踏みにじる
傍若無人な同性愛研究者の社会人類学者は気味悪さは抜群で
研究対象にされた同性愛者からは
同性愛研究者に不満や批判が多く苦情も殺到している。
インターネットだとか、プリントメディアだとか、
メディアの形態ごときで文化自体が衰退しちゃう、とかいうんじゃ。。
…やっぱりもう今の日本の文化って中味がないってことヨ!! 大体さー。インターネットっていうと日本だとスグに暗いオタクの世界でしょ。
まともな長い文章のせられるネット用のフォント自体がないじゃん。
─いくら指摘しても誰も改善しようとしないんだから。
欧米のインターネットコンテンツはどうだ?フォントは小さくてプリントメディア同様の分量が読める。
アラビア語のフォントでさえもそうなのに、何故日本の文字文化はネットと共に衰退しなきゃならんの?
キョウヨウのない、ITオタクが大手を振るってるんじゃないの?
…最近の英語のオンライン辞書の中味だって吐き気のするような訳文だったりさ。 例のブルデュー研究者が橋本批判しまくってるな
やっぱ社会学者って内田樹みたいなやつばっかりなのか あれは笑ったわ
システムクラッシュを防ぐために二重行政を
とかふざけてるのかと思った
知らんことは口出ししなきゃいいのに マルクス思想の布教が目的のカルト組織が
学問を名乗らないでください。
切にお願いします。 260を書く人とか、
「マルクス思想の布教をするカルト組織」とか、
どっちも考えられないほどアナクロっぽい
(そんなもの、この世にまだいるのかな?) 【ニコ生(2012/03/02 20:00開始)】ニコ生トークセッション「過労自殺」〜ワタミ問題から考える日本の雇用〜 #nicoron
http://live.nicovideo.jp/watch/lv83428259
【出演】
阿部真大 (司会・社会学者)
河添誠 (首都圏青年ユニオン書記長)
本田由紀 (東京大学大学院教育学研究科教授)
電話出演、写真提供:深田志穂(フォトジャーナリスト) オレは近いうち必ず大金を手に入れる 引き寄せるぜ 引き寄せるぜ666 獣の数字が引き寄せるぜ 魔力がどんどん手に入る 富と欲がどんどん手に入る よからぬことはwww 考えないほうがwww いいですよ〜wwwww 八巻正治教育学博士音頭
身内に焦がれて愛に泣く ソレ
クールでヤングなショッキングシティ
建物と薬の匂い ホイ
天下一のパラサイトシティ
うっとりデス!とっくりOK!
22階建てマーブル模様の八巻正治教育学博士市役所
うっとりデス!とっくりOK!
懐かしい十字路揺ぎ無く
八巻正治教育学博士音頭でエッサホイサッサ
八巻正治教育学博士音頭でカタコッタ
八巻正治教育学博士音頭でカタコッタ
社会調査の技術だけが唯一社会の役にたつ部分だろ。
あ、社会調査士資格もか。 言論人たちを紹介する番組がもっともっと必要だ。
かつてはゴーマニズム宣言がその役割を果たしてくれていた。
しかし、最近のメディアはどうだろうか?
熟女ブームだのセレブだのイケメンだの、そんな話ばっかり。
言論界の衰退は、日本人の教養水準の低下に直結する。 頭がおかしい教授が多い率でいうと、社会学はかなり上位なのではないでしょうか? 朝9時くらいからやってるハッピーモーニングってラジオに
甲南大学の阿部なんちゃらって社会学が専門の講師が出てきて
時事問題について語るんだけど
これがもうガッカリするほどしょうもないから聞いてみるといい
社会学の知見ってどこにあるのって思うから ここで聞くのもなんですが
この板の住人の皆様的にパオロ・マッツァリーノ氏はどうなのでしょうか パオロ・マッツァリーノは佐藤俊樹に論破されたからな >>274
どういう論破? 彼の著作は「反社会学」じゃないって論破? >>276
佐藤俊樹は少年犯罪の話を例に挙げて
パオロ・マッツァリーノはある先入観を批判するのに、別の先入観を安易に持ち込んでる点で批判対象と同様に検証不足による誤りがある
という感じで批判してたよ それってパオロ・マッツァリーノ氏への批判になっているのだろうか。
彼がやろうとしたことをまだ誰も理解していないのか。 御用なんとかって言葉を使う奴は基本的に頭良くない
その言葉に自身が縛られることになるってことを見通せないみたいだしな
で、御用なんとかを暗黙的に肯定する社会学者が多いこと多いこと・・・
自分がぱっとしない理由は御用学者のせいだとでも思ってるのかねあれ 会計学(商学)や法律学に比べてば全く役に立たない。
直接役に立たせるとしたら社会学の教授になること。 だが、役に立たないといのは客観的判断にすぎない。
人はみな、心の師を探している。
その心の師になってくれるのは、社会学者しかいない。
すぐれた社会学者は、何もしていないようで、
実は読者の教養や心の発展に寄与しているのだ。
悪徳宗教にも同じことが当てはまる程度のどーでもいい寄与だ
サルを完全に破壊する実験って知ってる?
まずボタンを押すと必ず餌が出てくる箱をつくる。
それに気がついたサルはボタンを押して餌を出すようになる。
食べたい分だけ餌を出したら、その箱には興味を無くす。
腹が減ったら、また箱のところに戻ってくる。
ボタンを押しても、その箱から餌が全く出なくなると、サルはその箱に興味をなくす。
ところが、ボタンを押して、餌が出たり出なかったりするように設定すると、
サルは一生懸命そのボタンを押すようになる。
餌が出る確率をだんだん落としていく。
ボタンを押し続けるよりも、他の場所に行って餌を探したほうが効率が良いぐらいに、
餌が出る確率を落としても、サルは一生懸命ボタンを押し続けるそうだ。
そして、餌が出る確率を調整することで、
サルに、狂ったように一日中ボタンを押し続けさせることも可能だそうだ。
のちのパチンコである
ネットの書き込みは無力ではない。それは誰かが確実に読んでいる。
経験則でいわせてもらえば、
1スレはだいたい、数十人から300人くらいが見ていると思われる。
講演会でも開いているようなそれくらいの人数だ。
ひとつひとつはちいさな発言でも、数が積み重なれば、大きな影響力を持つ。
雑誌などをみると、ネットに影響を受けたと思われる文章、作品、発想が
たくさん見受けられる。そもそもマスコミ関係の人間ならば、
ネットの書き込みを無視はできないだろう。
ネットから出発し、既存メディアに影響を与える。
そして、既存メディアに載った情報は大衆を感化する。
これがネットによって可能になった。
ひとりひとりがオピニオンリーダーである インって人が一番頭悪くて発言がおかしい
言ってることコロコロ変わるのに自分で気づいてない
自分に大甘他人に大辛
あの根拠のない自信はどこから来るのだろうか
言ってること1+1=2レベルなのに、世紀の大発見をしたみたいな言い方をするから大失笑 社会学は社会調査しか社会の役に立たない。
早く社会調査士を国家資格にすることだね。 >>285
オピニオンリーダー = コピペステマアフィブログ(笑) めいろまと似てるのは>>286が言う人じゃないかと 無知なオヤジほど、自分は世の中のことを知っていると思っている。
聞けば、話のほとんどがテレビの受け売り。
自分で得た情報はまったくない。自分が無知であることすら気づかないのか?
大衆の知性なんて、やっぱり疑わしいものだよ。
「民主主義を疑え」って本があったけど、まさにそれが時代の本質かもね。
社会経験は大して役にたたない。
経験ではなく、洞察力の問題である。
けっきょく、大人も子供も、その知識の大半は、メディアから得たもの。
自分で見てきたものなんて、ほとんどない。
おれのジイサンも、富山の山奥からほとんど出たことがない生活を
送ってた農業人だったが、
芸能界や政治の裏側にものすごく詳しかった。
結局、世の中のことは、ごく一部の人間にしかわからない。
多くの人は、テレビでみた、週刊誌・ネットで読んだ、
という次元でしか、世の中を知らない。
それでいて、自分はなんでもよく知っていると思ってるものだ。
社会の仕組みはリーマンなど凡人にはわかるものではない。 742 :名無しでいいとも!@放送中は実況板で:2012/07/31(火) 14:29:31.91 ID:nGmn6m9U0
>>738
おれの小学5年生の甥が、このあいだ、テレビ局の韓流ゴリ押しを批判していた。
かと思えば、先日、商店街の40代のオヤジも同じようにテレビ局の韓流ゴリ押しを
批判していた。小学生からオジサンまで、ネットの影響力は絶大だよ。等しく影響を受ける。 精神医学・生理学と心理学比べたときのような邪道感
社会科学と社会学比べたときの感覚に似てるよね >>291 >>293
大貴族や大戦士、大学者や大教育家の血筋引いてるってことを突き止めよう。
これが自己実現において一番手っ取り早い(ライフヒストリー)。学問は本来、問を学ぶこと、
問の組み立て方、展開の仕方を学ぶためにあるのだが、大抵の95%以上の人間は、
学歴や職歴という飾りを第一目的に据えている。この虚栄心が、自分が本当にやりたいこと、
送りたい人生の邪魔をしてしまう。あるいは、本当に凄い人間、本当は凄く小さい人間、
その区別を誤ってしまう。自分は、それを本当に望んでいるのかいないのか。いないのか。
それは、子どもの頃の心境、原点に立ち帰ってみたり、動物の行動と比較してみれば、すぐに解ることだ。
shallは、must以上に、強力な意味を持つんだ。それは自分ではなく、精霊の力が働いているからだ。
何か一つ、誰と比較しても、絶対的に負けようのないもの、唯一無二の、斉天大聖の
ようなものを自分の中に見つけ、それを権威づけて表に出そう。そして、それを、
他人から認識される形、自己プロフに書ける形にしよう。さすれば、学歴や職歴への渇望、
組織や肩書きへの執着は、どんどん無くなっていく。だって、もう、名誉の頂点を極めてるんだから。
たとえば、フランスや中国の聖王、ローマのガイウス・ユリウス・カエサルの、
あるいは金持ち王オタカル2世の血(もしくは魂)を引いてるとか。
これさえ突きとめれば、その古文書で書かれた紙っきれたった一枚が、
デルフォイの神託レベルの威力をもつようになる。もはや、その一点においては、
誰にも負けることはあるまい。ハプスブルク家の家紋「鷲」のように、
彼は、ひよこを脱し、一本の綱を渡りきり、鳥となり、超人となり、星となったのだ。
もはや誰にも、彼を抑えきることは出来ないであろう。知的強弱や社会的強弱など、
人生全体の中では、本当に些細なことだ。だって、周りがどう言おうが、
精霊が、父が、世界神話が、非凡だと確約してんだから。 灯台の社会学者は、灯台の社会学者の書いたものしか引用しない。他の連中はあきらめろ。 295 言い訳や負け惜しみ、防衛機制といった類のものは、世間ではダメなもの
とされているが、むしろ精神衛生上、大変良いものだと言う心理学者も中にはいる。
自己中心的で卑屈なさもしい野郎は、「今、日本(あるいは 君たち)に本当に必要なのは、
徹底的に負けることだ」と主張する。負けて優しくなれとか、取り返しがつかなくなるぐらい、
徹底的に失敗しろとか、堕ちるとこまで堕ちろとか、そう言いたがる人間たちが後を絶たない。
しかし、本当に大切なことは、負けて優しくなることじゃない。最後は、勝つってことなんだ。
人生、一回も負けないなんてことは、科学的にあり得ない。若いうちは絶対負ける。
しかし、負ける時は、一人でも二人でも、敵陣サイドの人間を道連れにするのが鉄則だ。
顔をズタズタに潰す。そして、力を蓄えて、砂泥底のレベルから地盤を整えて、
今度はより強く進化を遂げた存在となって、立ち上がり、輝く。転んでも、ただでは起きあがらない。
だからカッコいい。怯えに立脚した優しさは、その逆ベクトルで、自分より弱い者には牙を向く。
しかし、「鷹」のような強さに裏打ちされた優しさ、鷹揚さは、誰に対してもより平等に接することが出来る。
かつて、シェーンブルン宮殿内に、1500近い部屋を築いて、
宮廷内に空間的遠近を描くことで、何百超という貴族を飼い殺しにした、
絶対主義の象徴とも言えるハプスブルク家が、なぜ帝国崩壊後も生き抜いたのかというと、
それは、「現実を認めない」=「絶対に諦めない」という精神があったからだ。
現実の見方論争というものは、社会学の得意分野だが、それ以前に、現実というものは、
各人が自分に都合のいい形で、作り出すものなのだ。如何にダメージを食らおうと、
最後は、絶対に勝つ。自分の人生の辞書には、バッドエンドという概念は存在しない。
そんな人間であろう。それが、鷲として羽ばたいた者たちの、克己の手本としての一例だ。 キャリアというものとは、畢竟は、単なる約束事であり、信用を支えるものでしかない。
受け入れられるか、受け入れられないか、という発想と約束を破り、
どっちが上か下か、どっちが力づくで服従するかさせるかという発想をし出すと、
もうその者は、永遠に心の居場所(モノローグ)を失う。特別活動論的な観点で言えば、
社会とは、いわば、心の居場所なのだ。
子どもの宮(宮殿)と書いて、「子宮」と表す。キャリア、看板というものは、
どっかの誰かがあくまでそう冠しているにすぎない。それは宮内庁御用とて同じだ。
宮殿は、それが王族としての権限、約束事に支えられていて、その約束事の向こうに、
周囲が頭を下げてくれる、という予測があるから、宮殿は大きな意味を持っている。
しかし、もし、残りの余生、知らん人間たちに囲まれて、宮殿で暮らすのと、
メロメロに欲している女の子宮の中(膣)に入りながら、毎日暮らすのとを選べ、
ともしアポロンに言われれば、普通は、後者を選ぶはずだ。
子ども、小学生の高学年(早い子は低学年で既にエロ本を読んでいる)や中学生は、
ほぼ100%、後者を選ぶだろう。なぜなら、彼らはまだ、社会契約、規範という
理性が内在化されていないからだ。子どもはその点で、自分の先祖でもない、
自分のキャリアにもなりやしない、どこぞやの誰々が云々とホザいている人間たちより、
よっぽど直球で正直である。自分を欺かないと生きていけない。
幻想でしか自我を支えられない。そんな人間は、負け犬、としか言いようがないのである。
そして、宮殿を持たない者、いつでも入り込むことの出来る子宮を所有していない独身貴族も、
これまた独りぼっちの負け犬である。
世界の歴代の王族も、宮殿を建てても、それだけでは満足しなかった。
宮殿を建てた後は、何人もの妾を雇い、何人もの妻を作り、一日中バコバコやって、
チンコをしごかせ、子どもをたくさん作ったものだ。王族も、所詮は子どもと大差ない。
子宮ほど男が好きなものは、この世に無いのだ。 バークリーの存在論の説明は、もはや今更必要ないだろう。
男性が、恋人や妻に対して、女王様と呼ぶとする。そして、恋人、妻は、
それを認知し、受け入れる。さすれば、その時点で、女王様(小屋)―ペット
という構図は、もう既に、その両者の中(膣)では成立しているのだ。
王宮も子宮も、意味の成り立ちそれ自体は、一緒である。 そこには、確固たる、相互関係の社会が、成立しているのだ。 >>1
経済学の鬼
おまえが総理を目指すなら
無差別に一票を選挙で投じます
大変な騒ぎになってるな
2012年8月23日(木曜)23時新宿二丁目でブルーシート事件騒動発生!
http://m.logsoku.com/thread/kohada.2ch.net/gaysaloon/1345793511/
新宿二丁目ARCHで開かれた「大学生ナイト」のゲイ大学生参加者が
新宿二丁目の仲通りの交差点の路上に
「ブルーシート」を広げて宴会を始め
ツイッター(twitter)で批判が殺到して大炎上
それらの批判に対して新宿二丁目の路上にブルーシートを広げたゲイ大学生の当人たちは
「グリーンシートだ!」と反論
@Quusuke
ブルーシートのゆうきです「ちなみに、グリーンシートですから!!!」
残念!!!!ww
@AK1RA0413
そこらへんで飲んでる方たちと変わらず飲んだだけであって
たまたまブルーシートがあったから引いただけのことでした
@kan_mikan
人気者になっちゃったww
だとさ 創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
創価 死ね
社会学なんていらないし国民は食には不自由してない
結論はぶっ潰す選挙しかない
時代遅れ社会学おかしいだろwwww >>307
屑哲学者には言われたくないな(笑)
哲学(プッ >>972
> というかソシュールなんて20年以上前に流行終わってるでしょ
> 一般言語学講義やら丸山圭三郎やら読んだわw
一般言語学講義や故丸山圭三郎氏の著書を本当に読んだことがあるの?
ネットで調べて著作名を知っているだけじゃない?
本当に読んだにしてはトンチンカンなことを書いている。
すべてネットで読みかじった程度の知識で物を言っているっぽいなあ。 >>309
「社会学の8割は「社会哲学」にすぎない2」スレの書き込みだな。
彼、そのスレの人たちに集中砲火されてたよね。
多分、ドヤ顔で知ったようなことを書いてしまったから、引っ込みがつかなくなって、
自分はソシュールや丸山を読んだんだと言ってしまったんだろうね。
最初、ソシュールの言ってることなんて当たり前すぎて
就学前からわかってたとか言ってたからなあ。 特亜系エセ左翼・カルト宗教団体が行っている敵対する人物への組織的な嫌がらせ、集団ストーキング、電磁波悪用による体調不良、マインドコントロールの手口、「集団ストーカー カルト」で検索してください。 他スレのレスコピーして置きます。
俺んちの田舎、在日朝鮮人学校があるんだわ。で、そういうところって必ず朝鮮人部落ってのがあるんだよね。
朝鮮人なんかが犯罪犯してそこに逃げ込まれると、警察も手出しが出来ないくらいの暗黒街なんだわ。
親から『あの近所には絶対近づくな。どうしてもあの近所に用があるときは、包丁でもなんでもいいから、必ず武器を持っていけ』
って言われたくらいだからね。俺が小学校高学年の時かな。
下校途中の中学生の女の子が、在日朝鮮人学校の生徒にレイプされる事件があったんだよ。
たまたま一緒にいたクラスメートの男子が助けに入ったんだけど、彼はバットか何かで頭を殴られてしまったんだ。
女の子の方は、部落に引きずり込まれてさんざん嬲られた挙句、あそこに電球つっこまれて、それが中で割れちゃっててひどい事になっていたらしい。
結局、頭を割られて血まみれになったクラスメートの男子と一緒に、ほとんど全裸で通りに放り出されていたのを通行人に助けられたんだ。
頭を割られた男の子は、頭蓋骨陥没骨折と脳挫傷で3日後に死亡、
女の子もレイプされたショックから立ち直れず、半年くらい後に、『お母さん、ごめんなさい』
って遺書を書いて自殺しちゃったよ。
俺はその時、子供ながら
『何で、あの女の子が“お母さん、ごめんなさい”なんて書いて自殺しなきゃなんないんだ?悪いのはみんな在日朝鮮人だろう!!』
って、物凄い怒りを覚えたよ。
警察も動いたけど、結局、部落には踏み込めなかったよ。
最後に警察が掴んだ情報は、『犯人は総連にその日のうちに保護されたもよう、2〜3日後に総連の保護のもと、北に逃げたと思われる。』
という情報だけだったそうだ。
女の子が自殺して二年くらい経った時かな。
被害者の遺族あてに差出人不明のいやがらせの手紙が届いたんだ。
内容は『お前達の息子を殺し娘を犯した者達はわが祖国で労働英雄となった。いい気味だな日本人』という内容だったそうだ。
結局、被害にあった家族はみんな町を捨ててどこかに引っ越していった。
(例の日本人小学生を斧で殴った朝鮮人も無罪になりました。) 「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ」
と山本五十六は言ったが、この「やってみせて」の段階がクリアできてないやつが多すぎる。
言論界が多くのエリート層に影響を与え、
そのエリート層が社会を動かしていく。
言論界の討論は空論などではなく、実社会を動かす。
しかし、実社会が言論界に追いつくには、
5年くらいの時間が必要になる。
もどかしいではないか。 >>314
じゃ今の日本がダメになったのは言論界がダメだからだね 分野によると思う。工学分野だと、その地盤となるのは理学だから、理学の研究成果次第で、
企業の製品も変わってゆくだろうし、逆に、経済学や経営学、政治学、法学、国際関係学などは、
モロ実社会重視だから、むしろ経営者>経営学者、財界のトップ層>経済学者、
政治家>政治学者・政治評論家、裁判所勤務員>法学者、大使・公使>国際関係学者
という図式が一般的になる。言論界のメディア学の業界にしたって、テレビ曲員・新聞社従業員
>メディア学者になるだろうし。これらの業界の人間は、ソーシャルワーカーが主導権を握っている。
一方、哲学のような特殊な分野は、業界そのものが無いし、多分、一応 純粋学に位置づけられて
いるだろうから、哲学者>万民という図式になる。人類学にしても、人類学者≧民族博物館職員となる。
教育学に関しては、業界が特殊だから よお分からん。教育長がどの程度の学力を持ってるのか、
よお分からんし、教育困難校の教育学者や高校教諭なんて、理論家としても臨床家としても
這い上がれない、うだつの上がらん奴ばっかりだし。
ただ、大学に、しばらく前まで、若手心理学者で日本で10本の指に入る、
教育委員長いたけど、全然普通の人間だった。というか、専門性どうこうより、
中高の偏差値終わってたし、エスカレーター進学でまともな学部入試くぐってなかったし、
自分史(記憶)を学際的に整理して、磨き上げて来なかった、心理学を代償行為に利用して、
道徳で自分を誤魔化してきたような人間で、身長も超低かったし、ブスな顔面したブッチョな奴だったから、
心の深奥はコンプレックスでいっぱいな人だった。だからこそ、鼻につかない上、
魅力もない、頭の中まで油だらけの ブ女であったが故に、男たちの嫉妬心をそそることが無く、
それ故に、熟女コンプの男尊女卑のオッサン共に評価されて、半ば談合みたいな感じで、
教育委員長になっちゃったんだろうけど。職場や地域社会で活躍して、社会正義を振り回しては
妬ましい人間を攻撃することで頭いっぱいな、成金的・アメリカン的な奴で、妥協することなく、
本気で愛し合った最高の異性と、身も心も温まるまで、抱き合う、というようなタイプでは無かった。 抱き合う、というようなタイプ → 抱き合う、恋に生きる、というようなタイプ いじめをテーマにした討論会が19日、山口県立宇部西高校(宇部市、459人)で開かれた。
保護者や教員が見守る中、生徒たちが「いじめと、いじり(人格についてのからかい)の関係」
などについて議論した。
いじめ問題が深刻化するなか、同校が人権教育学習会の一環で企画。「友だち地獄」などの
著書がある筑波大大学院の土井隆義教授(社会学)が助言役、生徒代表が司会を務めた。
生徒たちは、1人の生徒をいじったり、棒でたたいたりしている動画をみて、「いじり」か
「いじめ」かを指摘。数人が「いじりは愛情表現。いじられる側は存在感を意識できる」
「(いじりに参加せず)1人になるのが怖い。(その場の)空気でやってしまう」などと
述べたのに対し、「本人が嫌がれば、すべていじめ」「いじりはいじめの発端になる」
「いじりといじめの境界線は引けない」などの意見も上がった。
最後に、土井教授が「学校だけでなく、地域やいろんなところに顔を出して、自分や
友人関係を見つめ直すきっかけにしてほしい」と呼びかけた。
*+*+ YOMIURI ONLINE +*+*
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20121021-OYT8T00414.htm
社会学は役に立つのかということはずっと前からある問いだが、
今の院生には、社会学は役に立つに決まっているという前提で研究している人も多いように感じる。
時代は変わったね