【この学問は】社会学を批判する【役に立つのか】
この大社会変動の時代に社会学が何の役に立つのか考えて
みるべきでは?
180. >>311
私が疑問に思っていた主体性の問題も、単に経済学と社会学の研究領域の違い
によるかもしれない。でも、社会学における主体性についての疑問は残る。そこで
質問の趣旨を変える。
その質問とは、社会学には、研究領域外の主体性が無いのではないか、ということだ。
研究領域外の主体性とは何か。例えば、経済学では経済行為以外は基本的に
研究領域外だ。ある人は作家の誰彼が好きか、どんな性格か、そんなことは経済
学の知ったことではなく、当人の主体性の問題だ。これが、研究領域外の主体性である。
そして、「経済学者が経済学を研究する」という行為も、経済学の研究領域外で
あり、そこに主体性がある。ということは、経済学には、客観性が存在する余地が
ある。なぜなら、もし、この研究行為が何らかの因果律によるものなら、その研究
行為の結論(経済学の理論)なんか、信用できないでしょう。
翻って社会学はどうか。社会学の基本的な仮定はあまりに包括的で、ほとんどの
人間行為が研究領域に入ってしまう。もちろん社会学者の研究行為も。例えば、
ホーマンズが社会学の一般命題として公式化したのは、次のような過程であったか
もしれない。彼は、大恐慌で新聞社への就職内定が取り消され、攻撃是認命題
によって社会を恨んだ。そんなときヘンダーソンのゼミに参加し、社会学に縁を持つ。
そこで、社会に対する腹いせに、人はいくつかの因果律に従うのだと論じたら、
回りの学者の受けがいい。価値命題から気を良くした彼は、成功命題によって、
ますます理論を精緻化していった。こうして、ホーマンズの一般命題が公式化された。
もちろん以上の話は、でっちあげっである。しかし社会学者社会学も構築可能
に思える。>>310で紹介したHPの3・対人関係を読むと社会学者の研究行為も、
当然に社会学の研究領域に入ってくるように見える。結局、社会学には研究領域外
の主体性が無いように感じられ、したがって社会学に客観性が存在する余地が無い
ように思える。
社会学が何の役に立つ?
http://www.uwasa2ch.net/interior/981967742.html 抱き合う、というようなタイプ → 抱き合う、恋に生きる、というようなタイプ いじめをテーマにした討論会が19日、山口県立宇部西高校(宇部市、459人)で開かれた。
保護者や教員が見守る中、生徒たちが「いじめと、いじり(人格についてのからかい)の関係」
などについて議論した。
いじめ問題が深刻化するなか、同校が人権教育学習会の一環で企画。「友だち地獄」などの
著書がある筑波大大学院の土井隆義教授(社会学)が助言役、生徒代表が司会を務めた。
生徒たちは、1人の生徒をいじったり、棒でたたいたりしている動画をみて、「いじり」か
「いじめ」かを指摘。数人が「いじりは愛情表現。いじられる側は存在感を意識できる」
「(いじりに参加せず)1人になるのが怖い。(その場の)空気でやってしまう」などと
述べたのに対し、「本人が嫌がれば、すべていじめ」「いじりはいじめの発端になる」
「いじりといじめの境界線は引けない」などの意見も上がった。
最後に、土井教授が「学校だけでなく、地域やいろんなところに顔を出して、自分や
友人関係を見つめ直すきっかけにしてほしい」と呼びかけた。
*+*+ YOMIURI ONLINE +*+*
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20121021-OYT8T00414.htm
社会学は役に立つのかということはずっと前からある問いだが、
今の院生には、社会学は役に立つに決まっているという前提で研究している人も多いように感じる。
時代は変わったね 馬鹿化というか、社会学とはなにかということがわかってないよな。
先日、ツイッターで社会学を専門にしていると思われる院生が「社会学は学際的な学問だが…」とドヤ顔で語り、
恐らくその院生を支持していると思われる院生や学生(「とりまき」か?w)のフォロワーが
リツイートしてたり、「お気に入り」にしてたりしていて、唖然としたよ。
いうまでもなく、社会学はディシプリンなのだから「学際的」(interdisciplinary)であるわけがない。
「学際」マンセーってのは全然構わない。
政治学なり経済学なり心理学なりの知見を参考にして論を組み立てることはやってくれてもいいんだけど、
社会学もそれらと同列の1ディシプリンにすぎないっていう当たり前のことをなんで知らんのかと。
ここ10年で学際的な論考を書く社会学者が急増したけど、
若い人は、そういう学際的な論考自体を社会学だと思ってしまってるのではないかな。
あと社会人院生が増えて、役に立たせることを初めから目的として研究している人がえらい増えたっていうのもあるね。
そういう人たちは社会学とはなにかなんて知らないし、「役に立つものならなんでも」っていう学際志向だから、
学会誌に占める学際系の論文の割合は増える一方。しかも当人たちはそれこそが社会学だと確信してたりするっていう。 大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるか、
どこかの家の床下に埋められるか、ドラム缶に詰められて
大阪湾に沈められるかもしれへん。それで誰にも発見され
へんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
http://www.shimamotocho.jp/ikkrwebBrowse/material/files/shimamoto_iti_map.pdf >>322
バジル・バーンスティンを読んだほうがいい。 政治の世界1つにしたって、自分から家族、親戚、友人関係、会社、地域社会…
と物凄く抽象的で広い。経済学にしたって、貨幣に限らず、何を経済に代数するか次第で、
世界の解釈はうんと拡がる。まあ、それを規定するのは、文化人類学だったりするんだが。
心理学にしても、個人から家族、会社、国家、歴史上の事件や人物、
あるいは昆虫や動物のレベルまで、挙げ出したらキリがない。
大学以後の世界では、どの分野においても、一人で独学で処理しようとしない、
様々な支援(先行研究)を借りることが基本としてある。ディシプリンにしたって、
専攻を獲るレベルになれば、もうその時点で個人の手に負えるレベルのものではない。
大学で教えるのは、むしろ考え方、知識の考え方の土台、大学教育のカリキュラムの
組み方にあって、それを活用して学習していくのは、結局は自分だ。どの学部に行ったって、
そこには専門的な法律があり、専門的な歴史があり、無意識がある、みたいなもん。
キャリアデザイン1つとってみても、世の中の資格なんて、挙げ出したらキリがない。
ビジネス1つ見てみても、ビジネス・キャリア検定なんてのがあったと思ったら、
自然との関係においては、日本理科学検定なんてのがあったり。メディアとの関係史、
アニメ(学)や漫画(学)ですら、その範疇に入ってしまう。
ブックオフや、街中でふと降りた商店街にあった、個人事業の古書店などで、
突然、脳幹の奥の奥の奥の方〜にあって、もう忘れ去られていたような作品が、
いきなり、脳の奥の方から、一気に湧き出してきたりとか。で、それを鞄の中の
メモ帳にメモって、家で検索かけて、アニメを全話ダウンロードして外付けHDDに
どんどん保存していったり。
もちろん、自国史や東洋史・西洋史、神話学や宗教学も入ってくる。
実家の裏側にある、うっすら見えてはいたけど、行くまでには至らなかったような、
謎の神社を、きちんと検索かけて調べて、実際に紙とボードを鞄に入れて
フィールドワークして、そこの板に書かれているものをメモってきたり、
職員相手にオーラルヒストリーしてみたり、家でネット記事やcinii論文を検索してみたり、
amazonで本を調べてみたり。やろうと思えば、んなもんは、無意識の世界に無限にある。 大学や職場やどっかで、たまたま外国人と夢中になる恋をしてしまって、
その人と付き合うようになって、少しでも長続きしたい、結婚したい、
結婚した後も文化摩擦なんかに関係を壊されたくないと、たとえばチャイナと
付き合いのを契機に、中国を研究するようになったり、コリアンと付き合うようになった
のを契機に、韓国を研究するようになったり。その頃から中国や韓国にかぶれだしたり。
あるいは、アメリカ人と付き合うようになってから、アメリカは貴族のいない国だからと、
アメリカを成金呼ばわりしなくなって、蔑まなくなったり、むしろ、成果主義、
実力主義礼賛の価値観になっていって、極端な場合には、中国の共産党を憎むようになっていったり。
他にも、今までは男尊女卑的な思想で、自分が勝つことばかり考えていたのに、
夢中な恋をし出して、ふられるような経験をしたのを契機に、ジェンダーなんかに
興味を持ちだすようになったり、強姦や売春の歴史に興味をもつようになったり、
オナニーで読んだH本や、風俗店の話をきっかけに、トルコ女とその文化に異常な興味をもったりとか。
結局、どれをとってみても、1つのキャリア・アンカーであり、ライフスペースだ。
人生、何があるかわからない。どっかのキャリア学者も言っていたように、
学問レベルでのキャリア(人生)ってのは、結局、偶然によるものが8割だ。
一度社会に出れば、いや出る前から既に、社会、世界というものは、
本当に予想のつかないことばかりが起こる。 ジェンダーなんかに興味を持ちだすようになったり
→ ジェンダーや家族の学際研究なんかに興味を持ちだすようになったり >>323
名無しさんの言う通りや
名無しさんも早う島本町から逃げ出す方がええで
島本町なんか陥没して地球上から消滅したらええんや >>328
20世紀少年」で、『ともだち』が人類を絶滅させようと
企てたのも、小学生のときに受けた陰惨なイジメ(葬式ごっこ)が
原因だった。
「島本町でイジメを受けて島本町から逃げ出した元島本町民」さんが、
『島本町なんか陥没して地球上から消滅したらええんや』と思う気持ち
はよく分かる。 秀英予備校の慶応出の関さんって人が「大学からは第二外国語が出来て何ぼ」
って言ってたの思いだしたけど、そういや、蓋しそうだなぁと思う。
どの学部、どの学科にしても、やっぱりメジャーな言語ってのがあるから。
社会学でいえば、イギリス除いたら、ノルウェーとかデンマークとか
あの辺だろうし、教育学でいえば、フィンランドとかロシアとかあの辺だろう。
何より、今時、わざわざ外国語なんて覚えなくたって、英語があるし、翻訳文がある。
映像や観光旅行、google scholar や google map がある。それよりも、外国に行った時、
一番着目しなければ勿体ないのは、何といっても女だ。世界中の女とセックスして
交わることが出来るなら、これほどの幸せはない。中学生・高校生の頃は目がなかったが、
極上の女の子を見飽きた今、もはや日本人などでは、よっぽどの美人じゃないと満足できない。
やっぱり、海外の、若干異なる輪郭や肌の持ち主、あるいはライフストーリー、
性の俗習、異文化のある人間がいい。外国語で泣き叫ばれるのも、これまたチンコがビンビンにおっ勃つ。 日本人のマンコ…中国人のマンコ…韓国人のマンコ…
イギリス人のマンコ…フランス人のマンコ…
ロシア人のマンコ… 世界中の外人のマンコで抜きたい。 日本の社会学者って左翼の隠れ蓑と言うか
市民運動左翼が肩書きにハクつけようとして成るのがほとんどと言う気がするな you tubeで「新唐人テレビ」を検索して見てください。
それを見ると中国人も中国の民主化を望んでいる事がわかります。
新唐人テレビは中国の民主化を望む中国人自身によるテレビ局で、海外に拠点をおき、中国共産党の圧力に屈する情けない日本のマスゴミよりもよっぽどまともなテレビ局です。
日本語による吹き替えも毎日アップしています。
日本では中国共産党の圧力により報道出来ないニュースが沢山取り上げられています。
新唐人テレビのような勇気ある報道機関を広める事で、中共の圧力に屈し、真実を伝えない日本のマスゴミのへなちょこぶりを浮き彫りにする事にもなります。
さらに新唐人テレビを衛生放送を使って中国国内に放送する計画まであります。
これはある意味、中国共産党に対する強力な「兵器」です。
新唐人テレビを日本や在日中国人の間に広めて、中共が日本に戦争をしかけてくる前に中共を内部崩壊させましょう! 私は生まれながらの社会主義者で、実学が嫌いだったから、
まよわず社会学を選択した。
しかし、入ってみると、社会調査を義務付けられた。
院に入ってからは、社会哲学だけに絞り、選挙は迷わず共産党支持できるようになって、
気が楽になったのです >>334
社会学と社会主義は違うだろ
役に立つか立たないかでいったら役にたたないな 名前:大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
名前:大阪府三島郡島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら逃げ出した元島本町民
>>大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民さんの言う通りや
大阪府三島郡島本町で壮絶なイジメを受けて廃人同様になった島本町民さんも早う島本町から逃げ出す方がええで
大阪府三島郡島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや
>>大阪府三島郡島本町で凄惨なイジメを受けて命からがら逃げ出した元島本町民さんへ
「20世紀少年」で、『ともだち』が人類を滅亡させようと企てたのも、小学生のときに受けた陰惨なイジメ(葬式ごっこ)が
原因だった。『大阪府三島郡島本町みたいな腐った町は陥没して地球上から消滅したらええんや』と思う気持ちはよく分かる。 茂木健一郎
@kenichiromogi
教室内カーストとか、そういうのを学問とか言ってるから、
日本の大学の文系は、終わっているって言われるんだよ。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/313251630151778305 そもそも、「日本の大学の文系は、終わっているって言われ」てるか? これって学歴詐称なの?
ニューポート大学博士・八巻正治教育学博士
http://hrr.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10634/5876/1/HirogakuDaigaku...
弘前学院大学大学院社会福祉学研究科社会福祉学研究第3号(2008)
第1部研究論文
(中略)
八巻正治弘前学院大学大学院社会福祉学研究科教授・教育学博士(障害者福祉論〉
(攻略)
注・八巻正治氏への教育学博士号はニューポート大学より授与されたものである。
2000年03月27日 『米ニューポート大学』より 『教育学博士(Ed.D.)』の学位を取得
非認定校による 修士号・博士号 取得者一覧
http://ameblo.jp/shikakudou/entry-10066172138.html
「日本の大学だって、海外ならば非認定校だ。ディプロマミルと同列視されるのは、とても不愉快だ」
(弘前学院大学・八巻正治教授)八巻正治教育学博士のコメント。 【産経抄】7月24日
数年前の小紙大阪版に、「制服しました」と題する記事が連載されていた。
文化部の女性記者がさまざまな職種の制服を着て、制服文化を追求するのが
狙いだ。そのなかに、陸上自衛隊の迷彩服も含まれている。
▼迷彩の色やパターンは、日本の植物の分布や種類を考えた上で作られて
いるそうだ。素材や袖の形などについても、千葉県松戸市にある陸上自衛隊
需品学校で研究が続いている。着用した女性記者は、実際にほふく前進して
みて、危険な任務に耐えられるようほどこされた工夫に感心していた。
▼迷彩服をなぜか受け入れられない人の存在は、承知している。まさか
そんな一部の声に配慮するあまり、首都直下地震に向けた自衛隊の訓練を
ないがしろにする防災担当職員が、東京都内の区役所にいるとは。
▼16日夜から17日にかけて、練馬区の陸自第1師団から連絡要員の
隊員が23の各区に徒歩で向かった。被害状況の確認などを想定した演習だが、
11区が区役所庁舎内への立ち入りを拒否していた。「区民に迷彩服を
見せたくなかった」と明かす担当者もいたという。
▼阪神大震災では、兵庫県知事から自衛隊に派遣要請が届くまでに、
4時間もかかった。震災が起こるまで、県や神戸市の防災訓練に自衛隊が
招待されず、救援活動の大きな妨げになったこともわかっている。自衛隊との
連携がいかに大切か、東日本大震災でも思い知らされたはずだ。
▼昨年4月の小紙記事は、津波で家族4人を失った44歳の自衛官が
「これ着てますから」と迷彩服に触れながら、任務に没頭する姿を伝えていた。
職員の心ない仕打ちにも顔色ひとつ変えなかったであろう、自衛隊員の心情を
思うと、やりきれない。 私は社会学が社会の役に立つはずはないと思うのです。
もしも役に立つことがあれば、それは社会学が社会学であることを放棄した時です。
資本主義を市場経済と呼ぶことで、社会主義を抹殺しようとするような勢力に果敢に立ち向かい、
パワーエリートの喉元に常に剣を差し出していてこその社会学です。
資本主義社会の足を引っ張ることこそ、我々の任務だと思うのです。
そのため、私は昼夜を問わず、いつも経済4団体のトップと闘っていることをイメージしながら、
過ごしています。
そのとき、私を勇気づけてくれるのがKマルクスです。
大衆に流されることを引き留めてくれるのも、マルクスです。
先日亡くなった餃子屋の社長は、屈託のない人に慕われるような爺さんでした。
その人が何者かに殺害されたニュウスに触れた時、ホロッと彼の支配者的側面が
揺らいでいくことに危機を感じた私は、急いで「経済学・哲学草稿」と「ドイツ・イデオロギー」を
読み直すのです。
そのくらい過酷な戦いを甘んじて受けるのが社会学者だと思うのです 学問の基本中の基本は、常に主体的であることが肝心だ。学生のうちは、彼(女)に 縦社会を 教えてはならない。
むしろ横でなければならない。世間的な理不尽な上下関係の役割演技なんてものは、入社してからで十分だ。
経営学などという、学問の面を被ったものに支配されて 腐るようになるのは、そこからでいい。奴ら経営者は
「政治学も文化人類学も何でもやってます。学際的接近法です」なんて理念吹いてやがるけど、実際、
たかが経営者がそんな博学な訳がないでしょうに。だって、文化人類学の勉強なんて、やって来た訳ないから。
教えるってのは、その名の通り、「こういう理論や教えがあります」って教えるだけであって、それを命法として
強制すべきではない。それでは「学問や理論を教えている」のではなくて、「おまえを教えている」ということに
なってしまう。その点、「学問の基点を『人間関係』に置く」「相手の『立場』を考え合うことに置く」というのは、
それは 使いようによっては、学問そのものを破壊してしまうし、極限すれば「学生は黙って言うこと聞いていればいい」
にも繋がって行ってしまう。
本来、大学教育で教えられてきたのは、少なくとも建前上は「如何なる権威も介さずに、純粋に、哲学的あるいは
科学的に考えられる能力の育成。そのために専門性に偏らない、つまり専門性で互いに差別化を図り合わせない、
横並びに準じたリベラルアーツ」という理念を掲げてのものだった。勿論、その陰では、色んなハラスメントもあった。
授業でも、自分だけ言いたい放題言ったら、あとはせいぜい、学生同士で議論させるだけで、アンケート用紙すら
書かせない教員が中には結構いるが、あれでは、真の思考力は育まれない。戦略から戦術を経て、個々の戦闘法までに至る、
トップ・ダウン・アプローチ。それは、経営者がやることであって、またアカデミズムの外の人間がやることであり、
学者がやるようなことでは本来ない。何故なら、それは学問でもないし、そんなことをされる筋合いも、客である学生には無いからだ お互いの見ている景色を推し測り合い、考慮し合う、というニュアンスでは、それは学問にも問われてくるもの。
しかし、それが「立場の如何によって、どちらかが虐げられる。つまり黙らざるを得ない。」というのであれば、
そんなものを学問や教育の基礎に置くのは言語道断だ。世間的な規範なんてものは、大学で教えるものではない。
むしろ、大学は、世間的な規範を分析的に 体系化して 紹介し、それを吟味する場である筈だ。「自由に批判して下さい」って。
これは、人間関係に対しても同じ。大学の先生だからって、金を払ってまで頭を下げる必要はない。普通に「さん」や「くん」でいい。
俺はそう思う。しかし、何故が、現実にこれをやるとなると、相当な覚悟とリスクを伴うことになる。
その点では、社会学(反-心理学)というのは、哲学に並ぶぐらい、純粋な 学問分野の1つだと思う。
…しかし、そういう事を、普通に素でやってのけられる奴って、やっぱり、そういう奴は、サークルの学術研究会とかで
部長とかやってて、成績もトップクラスで、人望もあってとか、何かしらのとびっきりのリーダーシップを兼ね備えているし、
やましい事もしていないから、他人から付け込まれるスキも無かったりする。若いが故の、恐い者知らずなのか、はたまた、
どんな権威にも「おかしい ものは おかしい」と立ち向かってゆく道徳者なのか。
先輩が研究所で飲料水を飲み出したら、「おまえ」呼ばわりして注意するような果敢なタイプだったり。 学生は、一々教員に逐一で言い返して、却下されたり、反論し返されたり、時には市場価値がどうこう
とまで貶されたり、徒党組まれたりで、そんなのを片端から相手にしてたら 疲弊させられてしまうだけだし、
どうせ四年経ったら 卒業して バイナラするだけだから、無理に組織を改革しようとも思わない。となると、
どうしても、その悪評をアンケート用紙とかネット上とかに書き綴らざるを得なくなる。
なぜなら、アンケート用紙は、それを人事の連中が見るから、直接に社内評価に響くし、またネット上に書けば、
それは個々のやり取りだけではなくて、世間のみんなが見るからだ。そこの大学の教職員は勿論のこと、そいつらの知り合いまで、
業界の皆が。つまり、そいつが磔の見せしめにされることになる。下手したら、そこの業界から、生きる世界を追われる。
教職員は、意地になって、学生に挨拶されても し返さず、他所見して無視をし、それをされた学生が
「そっちがその気なら、俺様だって」と 同じ事をするようになって、終いに 見せしめとして ネット上で
ボコボコにのされた教職員の内の誰かが、面子をズタズタに引き裂かれて、教職員とも学生ともコミュニケーション
-不全になり、怪しい髭をボウボウに生やしては、周りを威嚇しながら、横目で見られながら、一人だけで、
殻の中に籠りながら 歩き回る ようになる。こんな関係性は、本来、俺の学生たちの望んだことではなかった。
ただただ、普通に、意地を張らずに、お客様として 畏敬の念を払って 接して欲しかっただけだった。 教員の方が学生よりも上だ。そう教え込んだのも、結局はあいつら自身だった。
結局、あいつらの中の大凡は、学術や規範を通じて、自分を教えていたに他ならなかった。
今なら、もう肩書きが築きあげられているから、「学生の分際で」と言われたら、
「何やおまえ、失礼なやっちゃなあ。教ぉ員の分際で!」と怒鳴ってやれるのだが…
「教員」あるいは「学生」と聞いた瞬間に、一部の固執的な人間に限られるかも知れないが、
あの一瞬喚起されていた、とても抗いにくかった、固定的で支配的なヒエラルキー。
一体、何だったんだろう… あれは… というか、あの支配構造は… 本来、インフレーションもデフレーションもどちらかが良くて、
どちらかが悪いと絶対的に決められるものではない。その時々の
社会情勢によって適度なバランスで安定的に保たれているのがいい。
そう教えられた。しかし、一か所大きな間違いがある。時々の社会情勢ではなく、
人それぞれの位置で決まる。デフレが悪いというのはパワーエリートの方であり、
貧乏人がこうしていられるのはデフレのおかげである。
そのことを安倍政権の下で我々は身をもって学んでいるではないか。
経営学なんかやると、こんなこともわからぬバカになってしまう。
貧乏人のくせにデフレ脱却なんて声高に叫ぶバカを見ると憐れみを感ずる。 こんなんどーせ金持ちのドーラク学問だろ。
いかにもセレブが上から目線で一般庶民を見下しとる
ような論調がいかにも胸糞悪い。 茂木健一郎
@kenichiromogi
日本の「社会学」って、国際的に見るといみふというか、
まったく数理的なアプローチとかと結びついていないんだよね。
印象批評というか、芸人というか。そういうところから、次々とスターがでて、
メディアが便利に使っているのは、やっぱり学問後進国なんだと思う。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/196612613285752832
茂木健一郎
@kenichiromogi
教室内カーストとか、そういうのを学問とか言ってるから、
日本の大学の文系は、終わっているって言われるんだよ。
https://twitter.com/kenichiromogi/status/313251630151778305 Kazuki Fujisawa
@kazu_fujisawa
しかし、僕が驚いたのは、変な理屈をこねくり回してちんけな文章を書いてインテリごっこしている社会学者とかが、
メソドロジーのコピペ問題なんかを深刻に受け止めていたことだ。
なんの価値も生み出さない文系学者コミュニティはそういうものなのか…。
http://archive.today/cmmHP 自分が思うに、こういうのが社会学。。
BBCでスコットランド1960'sの、Working Classのクラブシーン
(ノーザンソウル)を訪ねてる。。レポーターのポール自身の青春時代だって。
(米国のブラックミュージックが、まだ米国では黒人だけの音楽で
一般に認められてなかった頃、先にそれに飛びついたのがこういう英国のクラブキッズだった。
その伝説のユニーク&リアルな探訪…。
─例えば米国でも、最近は今までの「一筋縄」な分析と違う、
色々なユニークな人種関係の新種のリサーチが出ている。
時代は変化している。
https://www.youtube.com/watch?v=JMtaEASd2LI
Northern Soul: Keeping The Faith. The Culture Show BBC2 25th
ノーザンソウル(日本語解説)この「組織労働者運動のマーク」をみよ…
http://www.musicman-net.com/artist/33711.html
…やはり社会が動いていないと、「社会学」に意味はないね
ゆく川の水は淀んで…の日本だと。社会学は意味なくなるよ… 社会が目まぐるしく変化していて、その住人にとって何が何だか
わからない…混乱している状況で生まれたのが「19世紀の社会学」
今の日本は、これまでの生活を守ろうと…
内向きに殻を閉ざして、構造的にも新しいものは余り受け付けない。
社会学してるつもりでも社会学になりようがなく、
「役に立つのか?」なんていうことになる 金融とか国際政治とか みえない所で生活はグローバル化してるのに、
日本人は「金がない」とかいって…
社会学を世界規模の視点でやろうとしない、
これでは社会科学とは名ばかりで機能しないものとなる え? ワイドショーのコメンテイター養成学として役に立ってるじゃん http://news.yahoo.com/video/fast-food-workers-walk-off-215248773.html
Fast food workers walk off jobs in protest of low pay
全米の150都市のファーストフード労働者が先週、昇給求めて
グローバル・ストライキ
世界30か国でも統一行動。
(…こういうのって日本人は絶対、加わらないのはどういう理由?
英語が駄目で、情報すら捉えられない
とかいうことなのか) 学問なんて知的遊戯だよ娯楽だよ役に立つとか馬鹿じゃねw
成果を誰かが勝手に利用してるだけ
土人は卑しいからこういう勘違いするよね 遊戯とか娯楽とかいうのも
実用物とかいうのも、どっちも学問とはちょっとずれてる─
─日本人は誰も、学問とか芸術って何かも、捉えられないのか
(もしかして) 「"芸術は人生の友"なのではなく、
"人生は芸術の友"なのである」と、
マルローはいった。
学問も、そのようなようなものなのだ 大学の社会学部に入学して2ヶ月くらい経つわけだけど
社会学って何の意味があんの
世の中を見つめて世の中の事象を解明する
このことは確かに楽しいしなるほどなって思うことはたくさんある
だけど解明してなんなの?
だから何?って話
世の中にこういう問題がある
じゃあ、どうすればいいんだよ、俺たちに何ができるんだよ
理論を話して終わりかよ
こんなの学者のオナニーじゃねぇかよ 私は美しい絵画や音楽、心揺さぶる抒情詩などを愛する多くの人たちのように
社会学を読み解き、研究しているところです。
例えば同じ社会科学であっても、「労働者をいかに扱き使うか」という
えげつないテーマを追求する経営学などとは、そもそも次元が違うのです。
それを言い換えれば、役に立つのか立たないのか、という話になるのでしょう。
役に立つか立たないか、という疑問には必ず主語があるはずで、
現状の資本主義体制を維持強化しようという勢力にとっては、
そもそも社会について問うこと自体がご法度であり、取り締まりの対象にさえ
なるでしょう。現状の資本主義体制の変革を願してやまない我々にとっては、
社会学は強い精神的支柱として、生活のめまぐるしさの中で現体制に流されてしまいそうになる
我々に強烈な応援歌として響き渡るのです。
それはヒトラーの愛したワーグナーのようであります。 ↑たまにはいいことを言いますね!!
超図星です!!…その通りですよね
>>362などは自分が省略してる「主語」が何なのか考えてみる必要がある。 60年代の精神の解放運動を担ったジェネレーション(ベビーブーム世代)は
自分らの社会が何かおかしい、ことに本能的に気付く余裕があって
少なくとも反抗をしたのだけれど
ここ最近、日本で成人年齢になった子供らは社会の矛盾にそもそも
きづいたり、根本的疑問を持ったりしない/できない、ということではないのか?
─どうもその気配がなくないか? 「自分らは資本主義のシステムのなかで踊らされている」
我々は皆 それは半分真実だと知っている世界の中にいて、
「マトリックス」の主人公のネオのように罠にかけられている。
しかし我々には逃亡することは不可能でもある。
資本主義の仕掛けた罠…というマトリックスの中にいるのに、
…その真っ只中で生まれた世代は、
その意味にすら…気づけないのか? かつての青年層は、学生運動という形で、当時の社会体制に異議申し立てを行った。
最近の青年層、所謂平成生まれの若者は、選挙にもいかず部屋に籠って
云々という批判がされる。
しかし、バブルなどの好景気という状態をそもそも知らぬ彼らは、そもそも
物欲が前の世代に比べて希薄で、クルマがほしいとかあまり考えない。
資本主義をコントロールする立場から見ると、欲がない、という状態はアカよりも
よほど痛烈な資本主義批判となる。
貧乏で車が買えないのは、金を渡せば買うのだから、そこのコントロール次第で
自分たちの売りたいときに売れるので、何の問題もないが、そもそも欲しがらない、
というのは、資本主義体制に対する強烈な挑戦状である。
全共闘世代も怪しげな運動などせずに全員で仏門にでも入っていれば、
今の行き過ぎた資本主義体制は完成しなかった、かもしれない。
こういうことを的確な時期に的確な形で証明していくことが
社会学に課せられた使命だと思うのです。 その無気力とは 緊縮策でボロボロのギリシャの若者層が
かなり酷い状態だという
でも日本では望めば、スマホでも何でも手に入るし
まだ経済的余力があるからオリンピックも受注したし
物欲を刺激する驚異的にキラキラしたものがいくらでも身の回りに
あるから若者に物欲がないとは全然思えないし
資本主義に疑問を抱かないとしたら価値観が物質主義だから
で─ここに書き込む社会哲学否定論者とかも
完全に 金が稼げて物欲され満足できれば良しの考えしかないよね 最近、格差問題やワーキングプアがふえて…
若者層に共産党支持者がふえている、って本当だろか?
人口が老齢化して社会全体は「保守化している」といわれるなかで
実は若者層人口セグメントだけは、孤立的に「左傾化」してるとか? では皆さんのように資本主義社会を否定するとして、我々にはどのような生活が待っているのですか? >>371
「現代の行きすぎた資本主義」って言ってるんだよ。 何もかもが資本主義社会に飲まれている
○○ブームとか特にそう
資本主義が大きな口開けて待ってる
でも社会主義じゃ国が回っていかないのもわかってる
うーんどうすればいいんだろう >>373
ブームに乗るかどうかなんて、その人の好みや判断でしょう? 資本主義の世の中だからこそ生まれた文化その他だってあるし、皆が蔑む○○ブームが
きっかけで、人生を切り開く事だってある。そういった事は別に否定すべき事じゃない。 すっかり浸かりきって、それ以外の世界を想定できないのだな
他の世界といえば 社会主義しか想像できないとか… >>376
あなたはどんな社会を望んでいるのですか? 少なくとも… 新自由主義みたいな価値観が横行して
大多数の人間の生活を奪ったりして
極端な格差が生じて、人間が資本主義の邪悪な面によって
実質、奴隷化されたり 感覚が麻痺させられたりして
いかないような社会 あっさり賛成されると、まだ困る。
君は認識が足りないミレニアム世代?、の筈だ… 日本人は資本主義に毒された社会に対する
問題意識がない、それを形にする才能やセンスもない
UKアンカット、クライメット・キャンプ、
ブラックブロック、
とかのことを知るべきだ… リーマンショックと、国際的な金融危機、
ユーロ危機、米国経済の破綻による、ネオコンの支配の崩壊、
こうした資本主義の終末的な兆しのなかで
あらたなポストモダン社会がどうなってくべきか…
…の方向性を考察する本といえばいくつかでてる
アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの「叛乱─マルチチュード」
スラヴォイ・ジジェクの「2011−危うく夢見た一年」
アンソニー・ギデンズ+渡辺聡子の「日本における第三の道」
今欧米を席巻して
新自由主義の右翼を震え上がらせている、という…
トーマス・ピケティーの「21世紀の資本論」(邦訳は
まだ刊行待ち) とりあえず国民はもう少し現在の資本主義がどれほど蔓延っているかをお勉強するべきだよね
具体的にこうしろとかはなかなか難しいけど知るってだけでだいぶ変わってくるんじゃないかな 行き過ぎた資本主義に対する、世の腐敗に対する疑問符は
1960代の反抗世代が突き付けた筈なのにね。
疑問符は出たままで抹殺され、没になって
そのまま今に至る、というのがそもそも異様過ぎ
それで80年代にキラキラした物質文明に皆ほだされて
精神主義は負けてしまってバブルやクレジットブームが爆発し
…今の金融崩壊に至った
そして欧米では100年前と同じ、ファシズム台頭の兆し…。
という今の時代の成り立ちの経緯の物語 オキュパイ運動のいい本が出たのも、
ほとんど売れてないそうだ
オキュパイ運動もアメリカで インテリ層に潰された
警察も弾圧強化したし広場の抵抗運動の弾圧はどこの国でも市民に暴力振るう 今話題の焦点はブラジルの市民運動なのに
いっぱんの日本人は国際的なメディアをネットで読まない
世界でも珍しい文盲民族 日本には日本社会特有の問題や特有の歴史があり、ブラジルでもどこでも
それは同じことだと思うのです。
海外の研究も結構ですが、日本社会変革、安倍ファシズム政権打破、という
目の前の問題を直視した方が良いと思うのです 日本特有の問題だと思ってるけどそうじゃない
安倍政権が金科玉条のようにいってることが
アメリカの掲示板の保守派の投稿者の要求をみたすための
完全なつかいっぱしりだとか、大きな構図のなかの一点だということ知らないでどうするのか、
と思う ブラジルの左翼が今抜きんでてるのも日本にとってとても重要な動きなのだ
オキュパイ運動とかいったん終息したように見せかけられてるけど
根本は日本人にも全て共通の根の問題なのに
どうして日本人はそういう「特有の問題や歴史」という言葉に拘るのだろう?
ここまでネットで何でも瞬間に金が流れ、情報が流れすべてが
資本主義のブラザーの支配下にあるのに 他国では、不平不満があれば、大概の国民は立ち上がり、国会を囲んだりするのに
高度成長期以後の日本ではそういう国民運動はほとんど起こらない。
これは、日本人固有の問題だと私は思ったのです。
世界的に見て事例があり、解決の糸口があるというならば、教えてほしいのです。
個別的自衛でも集団的でもどっちでもいいのですが、いつたい誰が戦争に行ってくれるのですか
その議論がまつたくないままに、集団的自衛権の話が進んでいる点に
この国の現在の異常さを感じるのです 確かになんで60年代以降学生運動とかが減ったんだろうか
今や教壇の上に立ち演説をしているなんていう学生がいたら頭おかしいとなるに違いない 最初、アラブの春がおきるちょっと前の伏線として
2010年11月にロンドンで学生デモが起こり保守党ビルに乱入、
それもネットのSNSとか携帯メールで扇動されていた
60’sのスタイルを大分意識してデモを組織し、
共産党宣言をぱくったマニフェストなど発していた
それからチュニジア、エジプトでもネットで学生たちが先導した
革命がおき5月にロンドンで30年来の大メーデーがあり
その夏にロンドン暴動が起きた…すべては関連しあってる
アメリカでも2009年頃から学費値上げで各地で学生が60年代以来の
デモ蜂起して警察とぶつかったりしてる
それから2011年秋からウォールストリート占拠運動が爆発
…その後トルコやウクライナ、ブラジルの抵抗運動もいわばみな繋がってる
(知らぬが仏は日本人だけ) >>391 自分はその事の詳しい説明の本に最近になってけっこう出会った
日本では知ってる人が少ないようにもみえる
メディアが大衆レベルで情報を伝えなかったのか というかそのことは80年代日本で物質文明の狂騒状態のなかでは
とても自己分析できなかっただろう
それを冷静に解明したのは90年代以降に書かれたものかも
しれないけど90年代以降の米国等の社会分析書は日本に
きちんと紹介されてる量が少ないと米国の大学に行ったときに思った
欧米で当たり前になっている理論とか学説も適切に翻訳されてない。
日本の出版社は「欧米で定説化した名のある理論」とか
「時事的なネタに沿って売れ線の本」しか翻訳しないから
きわめて遅れ遅れに 歯抜け的にしか紹介できてないから
日本ではほとんど何にも判らなくなって文明後進国になってる?
というのが印象。。 >>390 '69年の東大紛争で安田講堂が陥落して
立籠もった学生たちが(切腹?もなにもせずに)
あっさりとシラケ状態で日常に復帰して以来 日本人は呆けたままなのかもね 世界各国で学生運動などをしてしまう若者の病理を解き明かしたい。
いつから人々は社会に不満を言うようになったのですか? 不満を持つ事が流行だから、お洒落だからという理由で運動するという事はないですか?
>>394
分析も何も「ちょっとしたブーム」だっただけではないのですか?
当時学生として渦中にいた人々は「単なる流行に乗った」と思われたくないために、
様々な理屈を近年になって作っている、という事はないですか? どうしてそれが病理だ、と決めつけられるのですか
そういうのは70年代以降、コーポレート・メディア
(企業や資本主義の論理に従属するマスメディア)などに
物理的に抑圧されてしまい、新左翼学生の実質的叛乱が不可能になって
しまっただけ…彼らは戦後の、中流家庭に育ったお子ちゃまだったと軽んじられて。
…日本の学生運動初期の頃、そもそも抜け落ちてると思うのは
アメリカの60s運動は北東部の中流家庭の白人学生たちが
南部の黒人たちの人種蜂起にバスを連ねて加勢にいったのが起こり…
まじでそれって命がけだったのに日本では黒人問題が身近にないので
ピンと来ないので…お伽噺のように片づけられ理解された事すらない
それで 権力と資本主義文明に包囲されてあっさり運動消滅してしまったのかもだ
今現在世界の南北問題とか世界的な貧富格差の問題とか
酷く深刻な問題なのは間違いない事なのに
学生運動していいとか、悪いとかいうレベルを通り越してるのに?
少なくとも日本以外の国の学生蜂起は切実な問題に対する蜂起で
お洒落なんてとんでもない 特に今は反緊縮策の蜂起
(学生がどこの国でも反体制闘争を先導できる理由は、
年上の世代に比べ、仕事もなく、家庭ももってないから
失うものがないために 警察や国家権力に反抗して
広場の占拠とかができるというだけの話) 米国の99%対1%…の格差に関する闘争(つまり、オキュパイ運動の)
をみてもわかるけど 資本主義の原理はドロドロに汚ない!!
普通の庶民はそれにたてつく力はなく、なされるがままに
生きているだけ。情報感度があり頭が正常だったら反抗して当然 たとえば財政破たんしてIMFとEUに緊縮策を強制された国々では
殆どの人が給料が3分の1に減り 公共福祉予算はなくなって
子供たちは飢えて生活が成り立たない
それも皆権力層と金融業界の奢りの結果だから
それで運動して警察や機動隊と戦争して催涙弾にまかれて
死者を出したりしてるのが今の各国の抵抗運動 そもそも病理ってなに??学者個人の気に入らない動きは全部「〜の病理」?
社会科学や人文科学の問題点の一つじゃね? (訂正、>>398 の
>アメリカの60s運動は北東部の中流家庭の白人学生たちが
南部の黒人たちの人種蜂起にバスを連ねて加勢にいったのが起こり…
というのは、正確には人種蜂起じゃなくて
人種差別への非暴力の抵抗運動
(白人黒人を別に座らせる、路線バスや
街中のホテル、レストランの長期ボイコットとか
キング牧師が「非暴力でいけ」といったので全て非暴力でやった。
それが「成功」したのは丁度、TVの全国放送が始まった時代だったから。) 聞いた話では人種隔離のそもそもの理念って、お互い干渉しなければ穏やかな社会に出来るかも
とか何とかと…実際のところどんなんかな? >>404 どういう意味? 同じ国の 同じ社会空間で 生活してる人間なのに
隔離なんて不可能じゃないか
学校にいき、教育を受け、職業をもち、会社や社会的組織に入り
人生を生きるのに別々なんて、無理だろう 信じがたい AmazonでKindle版の書籍書いて、出版してみた。
無料キャンペーンしてみたのでよろしくね。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00KZNPHWI 「日本は1000万人の移民を50年かけて受け入れるべきだ」 坂中英徳・移民政策研究所長が訴える"移民開国論"
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1081951 本国で何の不自由もなく暮らしいてる富裕層は絶対に好き好んで
日本になんか移住しない。
来るのはろくでもない三国人ばかりで、日本中が大久保のように
なるのです。
私は、経済力のあるうちにできるだけ優位な条件でインドなどとの合併を
考えるべきだと思うのですが、
そんなこと書くと大和魂とかバカ言っている連中に殺されます。 >>410
レイプ事件とか、極度の女性差別とかって本当なの? 法律解釈の変更で女性差別やレイプなどどうにでもなると、
安倍総理は言ってくれると思うのです 社会学の問題が自分の中の問題意識とあえばある程度役に立つんじゃない?
社会学の問題に興味がなけりゃそりゃ役には立たないしつまらない。
実際の社会に社会学が役に立つかどうかは社会学の中のジャンルにもよる。
犯罪社会学とか福祉社会学とかは内容はさておき役に立ちやすいはず。
理論社会学などは問題設定が「社会秩序はいかにして可能か」とか別に分かっても
分からなくても明日からの社会に何の影響も及ぼさないものが多い。
賛否両論あるけどジェンダー社会学とかも内容はともかく、男女間の不平等を是正する、
という目的自体はいいものなはず。
まがりなりにも大勢の学者(ピンからキリまで)が積み上げて来た思考は、
成否はともかく、なかなか一蹴は出来ない。
でも社会学自体が近代が生み出した社会を前提にしてるところが多分にあるから、
将来もしターミネーター的な世界になれば、社会学なんかなくなっているんじゃない?
もしかしたら社会という単語自体がなくなっていることもあり得るだろうし。 現代的意義をもつ「民主的社会ダーウィニズム」を
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コメンテーターで社会学の教授出てくることだいぶ減ってるし。
でもこれは社会学に限った話ではない