【山本学】山本七平 part2
北海学園大学の犬飼裕一先生が論文書いています。
「山本七平と”にせ外国人”の系譜学――『日本』を知識社会学で論じるには 2」
にせユダヤ人が語る「日本」の物語――山本七平と日本人論の知識社会学―― 本質的に物事を考える力が高かった人だと思う。
学問的に不備があっても、そこを補うのが本来の学者だと思う。 普段は学問の方法論や論理展開や根拠づけなんて適当にして論文を書いてるのに、
異端で独自の言説を出した論者にはその点で重箱の隅をつつくように非難する。
しかもそこで本質的な批判をしないで、議論をすりかえてお茶を濁すという。
日本の文学や社会学の研究者なんてこんなヘタレばっかり。 慶応大の菊澤研宗教授がコースの取引コスト理論で、空気論に挑戦してる。
> 山本七平の空気論を取引コスト理論にもとづいて分析した内容となっています。
> 空気論の現代的な解釈です。
> 私は「空気ははじから存在する」という全体主義的なアプローチはとりません。
> あくまでも、個々人が損得計算し、その計算結果として反対発言することは「損」だと合理的に判断し、
> 沈黙した結果、「空気」が生まれるのだと思っています。頭のいい組織では、全員が損得計算し、
> 結果が一致します。つまり、言わない方がとくだということです。
> このようなアプローチは方法論的個人主義です。
ttp://kikuzawa.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-fb7a.html ただ、その個々人の損得計算は何によって生じるかという所もあるな。
個人主義的なアプローチも間違ってはいないと思うけど。
空気を強要しがちな文化的土壌という側面もあるだろうし。 大体これくらいのテーマか
・戦争体験談〜戦時中の出来事の検証
・日本人論
・空気の研究
・聖書研究
戦争体験を経て、聖書で食っていこう(学者じゃないし本格的研究ではないが)と志して
空気とか集団行動を支配する非合理的宗教的なものに興味が行きついたわけで
けっこう一貫してるな
小室直樹も言ってたとおり学術的に学んでないから体系的に書けないのが惜しい
結局散文どまり
空気の研究にあったカドミニウムの話とかって結局どうだったの?
カドミ米とか世界的に有害とされてるようだけど
当時より新たな証拠・実証みたいなのがでたのかね? 日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 “空気”に動かされた国家(仮)
2月27日のNHKスペシャルの放送予定だけど、
空気論なら、NHKで空気論ってのも珍しいな。
これまでや、今放送してるNHKの番組では、
NHK自身が変な空気作ってる番組も一部にあるけど、大丈夫なんだろうか。
良い番組だと良いんだが。 日本には、「世間を騒がせた罪」ってのがあるけど
これも空気を考えるにあたって重要だね
まあ要するに目立つなってことかな
2ちゃんでは、スルーしろとか相手する奴も荒らし、という自治煽りがあるけど
そういうのはまず責められることがないんだよな
これが空気の死角をついた無敵煽りのヒントなんじゃないかと見てるw ゆとり教育世代関連の話って山本さんの言う空気の話に通じることが多いと思う。
学力低下だ、ゆとりはバカなんだとマスコミも世間も騒ぐけど、
本当は順位が下がっただけで世界的に見てもかなり高水準。
だけどこの事は「空気が読めない」からなのかマスコミは報道しない。
なんかゲーム脳の時といい、多くの人たちが望む感情的な結論がまず先にあって、
真偽よりもそっちが優先されている様な気がする。
これも空気と関係あるような気がするんだけど、無理あるかな? まあ、2ちゃんって煽りをスルーできない所だと思うけどねw
単に一日中書き込めないし、時間的な制限、賞味期限で途切れちゃうってだけ、
ってのが実際のところだろう。
2ちゃんの空気ってあるんだろうけど、研究対象とするには環境がわからなすぎるので
実態がつかめなさすぎだと思うわ ゲーム脳やゆとり教育のメディアでの取り上げ方も確かにそうだけど、
逆に行き過ぎたゲーム脳批判を批判しちゃいけない空気が出来る事もあるんだよな。
そういうのも問題だと思う。 地震にかこつけてなんでもかんでも不謹慎不謹慎と外野から煽ってる奴を見て
この人のことを思い出した。 ネットで
待ち構えたような不謹慎攻撃が起きれば一面そうだし
なんでもかんでも不謹慎攻撃するのいい加減にしろってだれかが言えば一面そうだし
ちらほら罵り合いがあるとはいえ、両者は基本的には別の場所の別の空気のもとに展開されて
止揚されることがないんだよな
ネットでそれ求めるのは無理か リアルでもある会議では合意出来たのに、
各人自分のグループに戻ると意見が戻るとかもあるな。
ネットだからリアルだからと言うより国民性か。
ただ不謹慎どうこうもそうだけど、
ある意見と別の意見を対等と見ると間違える所もありそう。
空気論的には価値中立的に考えるべき事もあるけど、
全体主義的な空気とそうでは無い空気を空気だからと同等に考えるのは違うと思う。
また、空気では無い言論や対話による理解も、
まずは何であれ言論があるという状態を認めるのが第一歩だと思う。
不謹慎云々にしても、こうして両者の意見が存在出来る状態というのは悪く無いよ。 放射性物質とカドミウムの話って似てるよな
情報が氾濫してる今のほうがはるかに状況悪いね
信頼できる情報を探すのがかなり大変 【集団的知性】構成員が意見を共有すると「集合知」の精度が低下
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1305684566/
この話は面白い。
空気論的に言えば空気があると、(数値的な)問題の答えの精度が下がるというもの。
ただ、気を付けなくてはいけないのは、常に空気で考えないようにすべき、
みたいなのも結局全体主義的になるという点。 そのスレの研究は、多分フェルミ推定が可能な事に限った話だと思う。 村社会的に物事を見ている人が限度を超えて多いのが問題。
そういう人もいたらいけないという事は無いが、多すぎる。
教育や政策でもその悪影響が大きい。