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東大相関社会科学の危機
0001名無しさん@社会人
垢版 |
2010/11/21(日) 02:09:13
ここって東大でなかったらとっくに終わっているよね。
0154名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 10:22:08.88
羽入辰郎氏の『学問とは何か』(ミネルヴァ書房)における
「東大山中湖事件」に関する記述について

2008年07月24日 01:09

市野川です。本日は一つ、私にとっては心が重たいことについて、
しかし、この場をお借りして、私なりに考えていることについて
述べさせていただきたいと思います。

1984年4月、新入生歓迎合宿のため山中湖に行っていた東大生6名が、
夜中に酔った挙げ句、氷のまだはっていた冷たい湖にボートで漕ぎ
出し、そのうちの1名の所業が原因でボートは転覆。その1名だけは
生き残ったが、残りの5名は水死する、という事件がおきました。
この事件は、当時、マスコミでも大きく取りあげられましたが、
生き残った1名というのは、私に他ならず、亡くなったのは私の友人
たちでした。

先ごろ、羽入辰郎氏が、前著『マックス・ヴェーバーの犯罪』に続き、
『学問とは何か』という本を、ミネルヴァ書房から上梓しました。
前著の『犯罪』に対して全面的な批判を向けた折原浩氏に対する全面的
な反批判として、この近著は書かれているのですが、この本の中で羽入
氏は、本の主旨とは一見、関係ないかのように思える、上の事件につい
て詳述しています(155頁以下)。私は「市川芳孝」という仮名で登場
します。

(つづく)
0155名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 10:24:18.27
(つづき)
羽入氏もこの事件に巻き込まれた当事者であり、彼が書いているとおり、
羽入氏は私たちの救助活動に率先してあたってくれた、私にとっては命の
恩人の一人と言うべき人です。

しかし、羽入氏は当時から、この事件について、市野川は嘘をつきながら、
然るべき責任をとらずにいる、と主張していました。私としては、すべて
が羽入氏のとおりであるわけではなく、私の言葉にも耳を傾けてほしいと
思い、何度か羽入氏と話し合うこと試みましたが、ことごとく拒絶され、
「しらばっくれるな」「自分の胸に聞いてみろ」「俺は全部、知っている」
という類の言葉で罵倒されるだけで、私の言葉には一切、耳を傾けてもら
えませんでした。上の『学問とは何か』では、私が羽入氏の自宅に赴いた
ときのことが書かれていますが(156頁等)、その時以来、彼と直接やりと
りしたことはありません。

今回の著作の該当箇所が、24年前のこの時以来、羽入氏から私が受けとる
ことのできた初めての言葉です。

この事件について、私の視点からではありますが、いくつか述べておかね
ばならないと思い、本トピックを記している次第です。

(つづく)
0156名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 10:28:06.48
(つづき)

羽入氏の私に対する強い怒りは、その筆致からもにじみ出ており、
そのような怒りが私に向けられることも全く正当である、と私は
認めざるをえません。私が原因で5人が亡くなったことは、事実
だからです。

しかし、羽入氏は、嘘をつきながら、私がこの当の事実を否認し
ていると述べており、それが彼の憤怒の原因の一つになっている。
だが、しかし、それは違う、と私は言わなければならない。

羽入氏の記述では、真相を究明せんとする彼の一連によって、最初
はシラをきって、逃げ続けていた(とされる)私が「追い詰められ」
(166頁)、「ボートを転覆させた加害者として現場検証に連れてい
かれ」るまでになった(168頁)、ということになっているけれども、
それは違う。私は、事件の当日から警察で事情聴取を受けており、
その後も何度か呼び出しを受けた(が、現場検証には立ち会わされ
ていない)。

(つづく)
0157名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 10:31:13.64
(>>156のつづき)

加えて、私は、事件当日のその最初の事情聴取のときから、
私の所業が原因でボートが転覆したことを警察に述べているし、
後の(横浜の)海難審判庁での事情聴取でも、同じことを繰り
返し述べた。羽入氏の証言もその一つの根拠となったからだと
推察するが、私自身が認めているこの過失ゆえに、私は(不起
訴処分となったが)書類送検されたと、私は理解している。

それが一つ。

そして、もう一つ、羽入氏が私を絶対に許せないと思っている
のは、亡くなった5名のうち、私とともに何とか救助されたT君
(羽入氏の本では「滝山」という仮名)に対して、私が浴槽で
お湯をかけ、それが原因でT君の容態が急変し、亡くなったにも
かかわらず、私がそれを「記憶喪失」と称して隠している(と羽
入氏が認識している)ことだと私は思う。

(つづく)
0158名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 10:34:05.89
(>>157のつづき)

しかしながら、私自身の記憶に即して、当時の状況を述べさせて
もらうなら、羽入氏らが救助に来てくれてからその後のことは、
ほとんど記憶になく、気がついたときは、何人かの人に取り囲ま
れて、布団の上に横たわっていた。記憶をしっかりとたどり返す
ことができるのも、このときの自分からである。

羽入氏から見れば、「あんなにしっかり反応していたのだから、
記憶がないわけがない」「しらばっくれるな」と考えているのだ
ろうけれども、偽りなく、本当のことを言え、と言われるならば、
そのように言う他なかったし、今もそうである。

しかし、記憶がないからと言って、罪がないとは言えない。その
ことは、私自身が今日に至るまで、痛みとともに、ずっと自分に
言い聞かせてきたことである。

(つづく)
0159名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 10:36:46.97
(>>158のつづき)

事件直後、私は、亡くなった友人たちの通夜と葬儀を一つ一つまわり、
ご両親にも、(お詫びになど決してならない)お詫びをしてまわって
いたが、T君のご両親だけが、私の焼香を決して許されなかった。
(羽入氏は、私がT君の葬儀に無礼にも来なかった、と書いているが、
その理由の一つは、T君のご両親から弔問を拒絶されたからであり、
後日、T君のご自宅にも足を運んだが、お父上から「帰ってくれ」
と言われた。他のご両親は、きっと不愉快を押し殺してだったとは
思うが、私の弔問を何度か許してくれた。)

羽入氏が事態を上のように認識している、つまり、私のせいでT君
が死んだにもかかわらず、私がそれを隠していると認識しており、
その認識をT君のご両親も共有なさっているようだ、ということを、
私は周囲の人びとから仄聞した。

それゆえ、私は、自分自身の記憶の欠落を補うためにも、また、私が
嘘を言っているわけではないことを理解してもらうためにも、羽入氏
と直接、話をしようと思ったが、前述のとおり、彼は私と決して会お
うとしなかった。

(つづく)
0160名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 12:41:33.76
(>>159のつづき)

羽入氏が言うとおり、私のせいでT君が亡くなったのかどうか、真相はいまだ
に分からない。前述のとおり、私は、この事件について書類送検され、不起訴
処分になったが、その際にも、T君の死因が何であったのかについては、説明
を受けなかった。検察庁から直接、聞いたわけではないが、私が間接的に聞い
たのは、「不起訴処分が答えである、としか言えない」というものだった。

私も個人的に医療関係者に話をうかがい、「私がお湯をかけたことが、T君の
直接の死因だったと言われているのですが、やはりそうなのでしょうか」と
尋ねてみたが、「あなた自身がつかっていた湯船のお湯が、ショック死を招く
ほどの高温だったとは考えにくいし、むしろ、その程度の温度のお湯をかける
ことは適切な処置だったとも言える」という答えだった。

しかし、この答えで、私の罪の意識が軽くなったり、消えて無くなることは
決してなかった。あのとき、私がその場にいなければ、5人が私と一緒でなけ
れば、彼らはみんな死なずに済んだ、という反実仮想は、永遠に妥当し続け
るからです。

羽入氏はさらに私を嘘つき、偽善者として論難するだろうが、この反実仮想
とそれにもとづく罪の意識は、この24年間、私の心からは消えたことがない。

(つづく)
0161名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 13:32:19.06
(>>160のつづき)

羽入氏は、近著の中で、こう書いている。「市川[=市野川]は今、東大
駒場で社会学を教えている。専門は医療社会学である。過失によると言え
ども、五人殺して医療社会学とは、誠に皮肉なものである」(169頁)。
──私は、彼のこの言葉に対して、何も言うことができない。T君も含め
て5人の死に対して、法律上は不起訴処分になったとしても、私には責任が
ある。「五人殺しておいて」と言われれば、そのとおりだとしか言えない。

そのことにどう向き合えばいいのか、私はこれまでずっと、今も、そして
これからも死ぬまでずっと、考え続けなければならないのだが、今のこの私、
「東大駒場で社会学を教え」「専門を医療社会学」としている自分は、その
問いに対する私なりの差し当たっての答えである、としか私には言えない。
──間違った答えなのかもしれないし、羽入氏はそう言いたいのだろう。
しかし、この問いに答えることができるのは、また答えなければならないのは、
羽入氏でも、それ以外の誰でもなく、私しかいない。しかも、私は、自分で
自分を責め続けている以上、常に間違った答えしか出せないのではないかと思う。

(つづく)
0162名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 16:55:53.56
(>>161のつづき)

遅れた社会的な制裁という意味を込めて、羽入氏から私がどんな非難や
罵倒をあびようとも、私には返す言葉が基本的に何もない。事実誤認と
私には思われることについて、いくつか述べなければならないことがあ
るとしても、悪いの私であり、羽入氏が私を厳しく責めることは正しい。

ただし、このような私の無様が、M・ヴェーバーをめぐる折原浩先生との
論争の書物の中で取りあげられたことについて、私は折原先生に対して、
大変、申し訳なく思っている。

私は大学1年のときから、折原先生のゼミに何度か出させてもらったが、
そのことを羽入氏は、「市川[=市野川]は折原に心酔しているらしく」
云々と書いている(157頁)。なぜ羽入氏は、私のことをこの本で書いた
のか。私には、羽入氏が次のように言おうとしているように読めた。
「5人も殺しておいて、シラを切り、嘘をつきとおして、東大駒場で臆面
もなく、教員をやっている市野川という奴がおり、その人非人が心酔して
いたのが、ほからならぬ折原なのを、読者の皆さんはご存じか」。
──私自身に対する怒りもさることながら、羽入氏は、そう言わんがため
にも、M・ヴェーバーとは無関係なこの話を、わざわざ自著に記している
ように私には読めたし、そう読めたがゆえに、折原先生には、直接、メール
でお詫びを申し上げた。

(つづく)
0163名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 16:58:20.52
(>>162のつづき)

羽入氏が私について書いていることは、決して事実無根ではなく、事件に
関する彼の理解と解釈も、一つの可能性として、私は引き受けなければな
らない。
そのような自分であるがゆえに、道理を外れているようにしか思えない羽
入氏の折原先生に対する「(反)批判」に対して、私自身はさらに何もで
きない。私のせいで、折原先生に不当な誹謗がさらに上塗りされているの
にかかわらず、私には「それは間違っている」と羽入氏に対して積極的に
反論することができない。──そういう自分の不甲斐なさに対して、私は
折原先生に対してお詫び申し上げた。

私にできるのは、出版元のミネルヴァ書房を介し、羽入氏に対して、「私
に対するあなたの考えと怒りを、あなたが公の場でぶちまけることに、私
は何も反対できないが、それを折原先生に対する批判の書でおこなうのは、
やめてもらえないか」と申し入れることぐらいではないかと思うのだが、
すでに問題の書物が公刊されてしまっている以上、そのような要請も無意
味かもしれない。私にできることは、何もない。

(つづく)
0164名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 17:21:06.73
(>>163のつづき)

「人殺しの市野川が無罪のまま、のうのうと東大駒場で社会学の教員を
やっている」と、これだけはっきりと活字にされたのだから、大学等に
もこれから迷惑をかけることになってしまうかもしれない。羽入氏が望
んでいることの一つも、それだと思うし、私一人が彼の憎悪の対象であ
るならば、羽入氏がそう望むことに対して、私は強く反論することがで
きない。

しかし(杞憂かもしれず、そうであることを願っているが)私がお世話
をしている/してきた学生さんたちに、私のことが理由で、何か不利益
がもたらされるのだとしたら、私はいたたまれない(羽入氏もそれは望
んでいないはずだ)。

それからもう一つ、羽入氏は、私の両親の当時の対応についても、槍玉
にあげている(166頁)。すべてが羽入氏の言うとおりだと私は思わない
が、確かに、不適切な行動が私の両親にもあったのかもしれない。しかし、
年老いた二人が、今になって、羽入氏のこの記述を目にすることがあると
したら、私はやはりいたたれない。責められるべき人間は、基本的に私一
人だと思うから。

(つづく)
0165名無しさん@社会人
垢版 |
2014/08/23(土) 17:25:59.07
(>>164のつづき)

11年前に、見田宗介先生の後任として、駒場に来てもらえないか、と打診を
受けたとき、私は24年前の事件のことを率直にお話しして、「職場が駒場で
あるならば、この古傷ゆえに、先生方にご迷惑をおかけする可能性が一層、
高いので、お断りさせていただけないでしょうか」と言った。しかし、こち
らのスタッフの先生方は、丁寧に状況を調査なさった上で、「あなたが駒場
に来ることについて、私たちは何も問題を感じていない。できれば来てほし
い」と言ってくださった。私自身も、煩悶し、深く悩んだが、駒場で教員を
つとめることが、私のなすべき責務の一つなのかもしれない、と思い、今日
に至っている次第である。

しかし、それも私の勝手な思い込みかもしれず、今後の状況次第では、現職
を辞すということがあって然るべきなのかもしれないと、頭の片隅で考えて
いる。必要なときは、いつでもそういうことがきちんとできるように、これ
まで生きてきたつもりではあるのだが。

羽入氏は、こう書いている。「殺人の時効は15年である。但し、道義的責任
は残る。市[野]川、それをお前はあの時果たさなかった。「記憶喪失」と
称して逃げ回って。だから私と遺族の心の中では、お前があの夜、湖で死ん
だ五人に対して行った行為に対しての時効はいまだ成立してない」(156頁)。
──私自身は、前述のとおり「逃げ回った」覚えはないが、私の犯した殺人
には時効がなく、道義的責任は残り続けている、という羽入氏の言葉は(彼
自身の考えとは違う意味でだが)正しいと私も思っている。

現時点で、私から言っておかなければならないと思ったことは、以上です。

(おわり)
(mixiコミュニティ「市野川容孝」より転載)
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