(>>160のつづき)

羽入氏は、近著の中で、こう書いている。「市川[=市野川]は今、東大
駒場で社会学を教えている。専門は医療社会学である。過失によると言え
ども、五人殺して医療社会学とは、誠に皮肉なものである」(169頁)。
──私は、彼のこの言葉に対して、何も言うことができない。T君も含め
て5人の死に対して、法律上は不起訴処分になったとしても、私には責任が
ある。「五人殺しておいて」と言われれば、そのとおりだとしか言えない。

そのことにどう向き合えばいいのか、私はこれまでずっと、今も、そして
これからも死ぬまでずっと、考え続けなければならないのだが、今のこの私、
「東大駒場で社会学を教え」「専門を医療社会学」としている自分は、その
問いに対する私なりの差し当たっての答えである、としか私には言えない。
──間違った答えなのかもしれないし、羽入氏はそう言いたいのだろう。
しかし、この問いに答えることができるのは、また答えなければならないのは、
羽入氏でも、それ以外の誰でもなく、私しかいない。しかも、私は、自分で
自分を責め続けている以上、常に間違った答えしか出せないのではないかと思う。

(つづく)