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トクヴィルを語る
0001名無しさん@社会人
垢版 |
2011/07/31(日) 02:45:34.12
アレクシス・ド・トクヴィルを語るスレ

日本語に訳された著作
『アメリカの民主政治(アメリカのデモクラシー)』 
井伊玄太郎訳と松本礼二訳の2種
『アンシャン・レジームと革命(旧体制と大革命)』 
井伊玄太郎訳と小山勉訳の2種
『フランス二月革命の日々 トクヴィル回想録』 喜安朗訳(絶版)
0112名無しさん@社会人
垢版 |
2015/06/21(日) 16:38:18.45
97〜102
トクヴィル「多数の暴政」
《多数の力が絶対的であるのは民主政治の本質に由来する。
 民主政体にあっては、多数者の外に抵抗するものは何もないからである》

《多数派が抵抗を受けて、自らが踏み潰してきた人々の嘆きに暫し耳を傾ける時間を与えられることもない
/ この事態の帰結は恐るべきべきものであり、将来にとって危険である》

《政治において人民の多数は何事もなくすけんりを有するという原理は、不遜で憎むべきものだと思う》

《人民が己の利害にしか関わぬ案件において正義と理性の枠を完全に踏み外すことはありえず、したがって
 人民を代表する多数者に全権を委ねるのを恐れるべきではないと言って憚らなかった人々がいる。
 だが、これは奴隷の言葉である》


バーク
《我々は、宗教が文明の基盤であり、すべての善、すべての慰籍であるとの心理を認識し、さらに一層幸いなことに、
それを心で実感している》

《無神論は単に我々の理性ばかりでなく本能にも反する》

 その上で、教会制度を「深遠かつ叡智を蔵する偏見である」とし、英国教会が「聖別の行為」を果たすと期待した。
ここでも「偏見」は肯定的な脈絡で用いられている。バークの宗教観は「風刺」と評された処女作にも見て取れる。

〈私は、この種の著述家たちが、もくろんでいると称する意図を、かれらの用いる手段でどうやって達成しようとしているのか、
 考えることができない。(中略)かれらは、神の摂理を論破し、神は正義でも善でもないと主張することにによって、
 われわれの敬神と神への信頼とを増大させようとおもっているのだろうか〉

〈すべての道徳的義務の実践と社会の基礎の根拠が、あらゆる人々にたいしてあきらかにされ
 証明されなければならないとするならば、世界はいったどうなるであろうか〉
0113名無しさん@社会人
垢版 |
2015/06/21(日) 16:39:25.90
 神などいない、正義でも善でもないと考えるリベラルな日本人の琴線には響かないかも知れない。
だが、上の疑問は根本的である。もちろん日本人読者は、バークが依拠した英国教会を、日本の神社仏閣などに読み替えてよい。

《民主主義のもとでは市民の多数派が少数派に対し、必ずや最も残忍な圧政を揮う恐れがあり、
 そしてこの少数派への圧政は、やがて一層多くの人数にまで拡大されて、およそ単独の杖の
 支配下で考えうるよりも格段に激烈な憤怒の念で行使されるであろう、と確信する。
 民衆によるかかる迫害に際して個々の受難者は、他のどんな状況にもまして、
 悲惨極まる条件に置かれる》
0114名無しさん@社会人
垢版 |
2015/06/21(日) 16:41:20.07
トクヴィル (バークからトクヴィルへ)
《私は、社会のどこかに他のすべての力に勝る一つの力が無ければならぬと考えている。
 だが、この力の前にいかなる障害もなく、その歩みを遅らせ自制すを促すこともできないとすれば、自由は危機に瀕すると思う
 / 全能の力は私にはそれ自体悪しきもの、危険なものに見える。そうした力を行使することは、いかなる人間の能力をも
 超えていると思われる。全能であって危険でないのは神のみであろう。神はその力に見合う知恵と義とをつねに備えておられるからである。
 地上の権威である限り、どれほど尊敬に値し、どんなに神聖な権利を備えていようと、無制約の行動の自由、障害なしの支配権を
 許す気にはなれない。それゆえ私は、およそなんらかの権力に何事をもなす権利と力とが与えられるのを見たならば、
 暴政の芽がそこにはあると宣言し、それとは違う法の下に生きようとするであろう》

※人間は神ではない。ゆえに全能にあらず。神のごとき知恵と義は与えられていない。
 だから人間に全能の権力を与えてはならない。
 これが保守の核心である。「全能であっても危険でないのは神のみ」である。
 ちなみに神(ないし教会)による支配はシオクラシー。人間の多数派による支配をデモクラシーと呼ぶ。
 デモクラシーには宗教(ないし宗教的な謙遜)が必要である。


参考バーク
《敢えて言うならば、水平化を試みる人間は決して平等を生み出さない。市民の多様な階層から成り立つ社会では、必ずや、
 一部の人間が高い地位を占めるはずであり、従がって、水平化する人間は自然的秩序を改変し歪曲するだけである》

《彼らは何かを必ず破壊せねばならず、さもないと自分の生きがいを実感できない》
0115名無しさん@社会人
垢版 |
2015/06/21(日) 21:15:48.16
>>111
貴族制としての法律家について。トクヴィルは、弁護士団と裁判官団をアメリカ的貴族と位置づけ、
民主政治の弊害を中和してなくす平衡力として記述しているが
現代のアメリカではそれが弱まっているのだろうか?
>コントロールできない。これを牽制し、悪い流れを弱め、少しだけどましな方向に…

誉めてるから云々は、1巻は読まれている、じゃあなぜ第2巻は読まれていないんだ?って考えると
第二巻は耳に痛いから読まないんじゃないかと思ってね
俺は第二巻を重視している。なぜなら地方自治の欠如は日本で顕著な問題だし
恐らくアメリカでも地方自治は弱くなっているだろうから。
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