また、社会問題とされているような汚れ役は、上の人間は デスクで文字を追っているだけで、
実物を見ないから、公文書じゃ、AV資料になんないという点もある。
環境問題、食糧問題に関してのDVDを、一時期よく見たけど、ああいうのをリアルで
目にしているのは、しばしば工場や農場の労働者だ。雛や鶏を殺して皮剥いだり、
内臓を取り出したり、牛の糞尿の世話をしたり、加工作業をしているのは、全部工場や農場の人間たちだから。
だから、彼らは、普段食べている、スーパーで出されている食品の裏側の世界を
人一倍知っているから、日頃の食べ物を、ただの道楽の餌のようには捉えていない。
毎食毎食が、汗水たらして働いた金で食う、生きるための糧であり、自分で殺した、
神から与えられた生命・資源なのだ。社会問題に関して論じたものも、またキリスト教のような宗教も、
実は 彼らが一番、リアルに骨肉化していける環境にあるんだ。社会体験、職業体験、特別活動論として、
あれほど意義深い現場は無かったと思う。

 それに、最近、ゼミの文化人類学の研究にも関連して、人生学、自己成長学
としての神学、シャーマンなんかに興味持ってんだけど、彼(女)らが何かしらの
景色を意図的に観ようとする際に用いる手法は、特別活動論の自然体験活動と、
あるいは俺が肉体労働してた時によく感じたクオリアと、どこか もわもわと 重なる部分がある。
むしろ、学校教師も官僚も、いまいちその手法を強固につかんで意識化・体系化できてないみたいだから、
解説書や概説書読んでても、いまいち言葉が状況限定的で浅い。
でも、彼らの歴史的に洗練された民俗文化、儀式を総体的に学んでゆくことで、
あの時の記憶、その機構を脳科学・神学レベルで、世界の諸文化や細胞レベルに見られる、
何か総体的なものに昇華できるかもしれない。すべてを文化や形質の一側面として捉えれば、
そのうち何かが掴めてくる筈。 肉体労働も、世間が言うほど、捨てたものではない。