■「先輩・後輩」規範の起源と意味
「先輩・後輩」という規範は、武士の家格による上下秩序というよりも、明治維新による徴兵制の影響が大きいようだ。
3年の軍役があったとして、初年兵は奴隷・二年兵は鬼・三年兵は神という序列ができあがった。
徴兵当初には指導官は下級武士であり、かけ足や整列などの集団行動を経験したことのない農村百姓青年に対して厳しい鉄拳制裁が加えられたようだ。
「兵隊と畳は叩けば叩くほどよくなる」ともいわれた。
また陸軍はエリート主義が色濃い海軍よりも平等意識が強く、奴隷の扱いから神の扱いへ全員が「年功序列」であがっていく点では平等である。
学徒出陣で召集された大学生や大卒は、陸軍では大学を出てない古参兵による奴隷扱いを苦痛に感じたようだ。
それは大学という特権への優遇が与えられないからであった。つまり平等が苦痛だったのだ。
*上下関係は江戸時代に求めるのは短絡的だ
*江戸時代の身分制では、年功というより出自(庄屋とか高級武士とか)で上下が決まる
*先輩に逆らわないのは、後輩が自分に逆らわないためでもある

さらに総力戦となった先の戦争が終わると700万の復員兵が帰国し、朝鮮特需で急成長する企業の労働力を満たしていくが、日本型経営とされる「終身雇用」・「年功序列」の型は、こうした軍隊経験者の大群が望んだ組織規範だったとされる。それは戦後の奇跡の復興を助けた。

つまり「先輩・後輩」関係は江戸時代から続く良き伝統などではない。極めて近代日本の規範なのだ。