>>158 いじめって私には分からないのかもしれません。
自分の人生の誕生を自由に出来ず、その人生の終わりを自由に出来るか
に付いて考えれば・・・そう簡単に自分の人生の終わりの決定権を持つ
自由を法制化などして貰っては困る気がします。

例えば私の出生は、ある年の11月1日生まれですが、翌年の3月5日の
午前中に私を出産した母は死亡しました。病死です。ですから生後
丁度四ヶ月目といえる時に、まだ極赤ん坊の時に母に死亡され、別な
母に育てられたわけです。私は病弱な子で、育てて呉れた母がいたから
実際、仮死状態になった時も蘇生され、生き延びたと聞かされて育ち
ました。別にほっといて呉れれば、この世に生きずに済んだのにと、その
事を知るように成って、誰かの恩を受けて育ったことに成る私は、生きて
居なくて良いなぜ生きていなければ成らないのだろうと悩んで悩んで来ました。
実母に育てられた訳では無いのにと、苦しんできました。
育ての母親は、幼い時から才女でセンス良く、こんな田舎町に過ごさなければ
超一流の女性としての活躍が約束されていたようです。
私は小さい時から自殺を始終考えましたが、私が自殺をするということは親へ
の当てつけだろうと思い、それをする権利は無いという理由で生きて来ました。
せめて出来るのは、これ以上親の恩には成るまいという意思だけで、勉強
の出来る良い子とかに成ってやる義理はないという反抗をして生きて来て
いまで死なないで来た人生を、自分で死ぬことの自由など作られたら蛇足
ですからこの辺で・・・・まあ反対だってことですかぁ・・・