私の父親は、正義の人などでばありません。
敗戦に終わった戦争の時に徴用の形で小学校の
教師をしていて「天皇という方が、ご真影という
紙に写した形で暗い、奉安殿という小さい狭い
所に閉じ込められる様に納められ、それを拝礼
しなければ、小学生の登下校が出来ないような
ことは、かえって天皇陛下に対して、失礼に
あたる」という、考えの人物が、山形県新庄の
父の先輩にあたる方がいました。
その考えに賛同したのでしょう。父は決して
奉安殿に拝礼せず、校庭を掃いていたそうです。