いじめ学の時代 9
議論が中途で途切れないようにと、新スレッドを
立てておきます。 >>756から>>758【息子が犯人にされてゆく】の筆者は秋田県出身者です。
そしてその妻である方は北海道の出身とのことです。
この原稿の受け取り人が私に実物を、コピーとしてですが渡しました。
>>753>>752の部分は手書きのコピーです。
この条件は以下の文言を否定する証拠です。
『明倫学区でのフィールドワークにて家族に対する様々な誹謗中傷を
行う住民の声を聞いたと述べ、この地域に関する問題の根深さを指摘
している。』
私はどのような【情報調査】であったかを指摘して来ました。
【情報操作】され、誤った情報を流し、剰え冤罪被害者の個人情報
晒しと、脅迫教唆を行った責任は重いものです! >>757
☆一般市民と同様に。まだ警察を信用していた。
この文章には以下の文章が挿入されています。まずこれから・・・
☆一般市民と同様に。まだ警察を信用していた。
これと、ほぼ同時刻、事件の主犯格とされた少年Aが、取り調べ官の
厳しい追及に、補導されたDEG少年の名前を供述していたAが思い
つきで口走ってあげた名前だったが、取り調べ官はBCの名前を挙げ
BCも犯行に関与した旨の自供を引き出していた。
私の多少の楽観とは別に、息子は確実に犯行関与者として警察に決め
つけられていった。
○君の告別式から戻った息子に遅い昼食をとらせ、親子3人で新庄警察署に
出頭した。私は息子の立ち会いを強く求めた。 @1月17日(日)朝9時新庄署防災課に息子と出向いた。
A「時間が足りないので、夕方4時にもう一度出頭して下さい」
(1月17日正午に警官に言われた言葉)
B○君の告別式から戻った息子に遅い昼食をとらせ、親子3人で
新庄警察署に 出頭した。(夕方4時)
以上の時系列の全部の時間を警察に留め置かれた少年Aの存在に
着目して頂きたい!なぜなら、この少年Aも○君の葬儀出席が予定
されていたが、何故か他の少年達の母親は皆正午に迎えに来たのに
A少年の母親だけが迎えになかなか来ないのだった。
そうした時間経過の状況のA少年に1人の警官が声を掛けた「あの時
の母ちゃん元気か」と。A少年の顔見知りの警察官の優しい言葉掛けだった。
そして、A少年の自白というシナリオが作られていった。・・
【○君の葬儀に県警本部長が出席し、その場で遺族に「これは事件です」】
と言い葬儀参加の、中学生の逮捕補導を約束している事実があります。 ★【○君の葬儀に県警本部長が出席し、その場で遺族に「これは事件です」】
と言い葬儀参加の、中学生の逮捕補導を約束している事実があります。
>>762のBの件に付いて、確かなこととして書き込んでしまいましたが
そのソースが何であったかを精査する必要を感じています。この文、
一端保留とさせて頂きます。(この件私が捏造するはずが無い!)
裏付けを探します。・・ 秋篠宮殿下が中島町に行ったぞ。
早く責任を取れよ! >>762>>763の山形県警の記述に付いてWikipediaの編集が変更されたよ
うです。どこかの新聞社の記事が元々のソースだと思われます。
この事実を今の時点でソースを提示出来ない事をお詫びして>>758の
★「立ち会いを認めないなら取り調べには応じない」私は頑として抵抗した。
ここからの続きを貼ります。 (○君の告別式の当日朝からの取り調べ、そして告別式後も取り調べ)
★「立ち会いを認めないなら取り調べには応じない」私は頑として抵抗した。
20分も押し問答が続き、警察が折れた。
『取り調べには口を出さない、内容を口外しない。父親か母親のどちらか
ひとり』という条件つきだった。
取り調べには会議室らしき場所が宛てられた。会議室によく使われる
長テーブルを離して対にし、取調官と学生服姿の息子が向かい合った。
私は、2人を横から眺める位置で、壁際に椅子を置いた。
14歳になったばかりで、幼さの残る息子の横顔に緊張と疲労の色が
感じられた。 ★幼さの残る息子の横顔に緊張と疲労の色が感じられた。
(1月17日、○君告別式前、朝からの取り調べ、そして夕方4時から
の取り調べはどう終わったのか?とくとご覧下さい!)
《父としての述懐@》
☆事件の当日の息子の行動は、他の日と変わらぬありふれた行動でだった。
終わりの会の終了後、日誌当番を忘れていた息子は、担任の先生に日誌を
提出するように注意され、いつも一緒に帰る友達がいたため、5〜10分
で急いで書き上げた。その後、友達5人と下校し、それぞれの家の前で
別れ、友達のひとりと自宅の部屋で遊んでいた。友達が帰ったのは午後
6時30分というものだった。友達が来ていた時間に家には母親と小学
4年生の弟がいて、2人の話を総合すると、事件と関わりがあるなど全く
考えられなかった。以上が『私達の事実』だった。 ★事件と関わりがあるなど全く考えられなかった。
以上が『私達の事実』だった。
☆《父としての述懐A》
非道に息子が逮捕された後、一緒に下校した友達5人に話しを聞き、
アリバイ確認をすることが出来た。又、彼らは証言台に立ち、母親は
陳述書を上げて警察の不正義を訴えた。少年審判のこれが戦いだった。
そして勝ち取った《少年審判判決は》
『Bのアリバイ主張は、その内容が具体的で、不合理、不自然な点はない。
一緒に帰ったとする証人はBと同様の供述をし、Bのアリバイ主張を
裏付けるものである』と断じ【少年審判不処分判決】となる。 ★【少年審判不処分判決】となる。
☆《父としての述懐B》
ここで言いたいことは、私達(父親と母親)が出来るアリバイ確認を
なぜ捜査機関(警察・検察)が、しなかったのか?という疑問である。
或る生徒のあやふやな供述をもとにBCをでっち上げたものの、犯行
関与したしは思えない明らかな矛盾と幾つもの齟齬。警察幹部は事件
解決に息子のアリバイを握り潰したのではないか?
自白さえ確保すれば、アリバイ証言を排除すれば、問題ないと考えた
のではないか? ☆警察幹部は事件 解決に息子のアリバイを握り潰したのではないか?
☆自白さえ確保すれば、アリバイ証言を排除すれば、問題ないと考えた
のではないか?
☆《父としての述懐A》
午後4時からの息子の取り調べに先立ち『一緒に下校した』と息子が
名前をあげた5人のうちTMOの3人の少年が新庄警察署に呼ばれていた。
T君は16日の学校での聞き取り調査では、息子と同様の供述をしていたが、
「(息子を除く友人ふたりと帰った)」と供述を変えていた。 ☆警察幹部は事件 解決に息子のアリバイを握り潰したのではないか?
☆自白さえ確保すれば、アリバイ証言を排除すれば、問題ないと考えた
のではないか?
☆《父としての述懐・B》
「(息子を除く友人ふたりと帰った)」と供述を変えていた。
この時の取り調べの後に少年審判ではこう証言したことが調書にある。
【取調官】の言葉
『B(息子)やMはお前と一緒に帰っていない』
『嘘つき!』
『他の人は違うことを話しているから正直に言え!』
こう攻められた。
泣かされて怖くなって記憶と違うことを述べた。
(少年審判調書に基づく) ☆警察幹部は事件 解決に息子のアリバイを握り潰したのではないか?
◎泣かされて怖くなって記憶と違うことを述べた。
☆《父としての述懐・C》
M君もT君と同様に当初は「(息子達)6人で下校した」と話していた。
取り調べでは「他の人と言っていることと話しが違う」等攻められ、
O少年が下校時に、一緒だったかとの点で話しがすり替えられた。
M君は息子と自宅で一緒に遊んでいたアリバイ証人であり、警察に
とって、息子のアリバイを支える目障りな対立証拠である。
捜査側(警察・検察)はアリバイ崩しに5度に及ぶ、執拗な取り調べを
行ったが『B(息子)と一緒に帰り遊んでいた』と一貫して主張した。 1993年1月17日
午後4時半−午後10時過ぎまで
父親の私が立ち会うことにして息子の取り調べが始まった。
私達は午前中に息子が述べた一緒に、警察は話しを聞いて貰っている筈だ
という期待を持っていた。しかし、取り調べ官は息子の主張に耳をかす
様子もなく、平然と嘘つき呼ばわりを連呼した。『
マット室前で見たと言っているは、1,2名ではない。8名もそう言っ
ている!』『(主犯格)とされたAもB(息子)がいたと言っているぞ!』
「僕は体育館にいっていません。友達と一緒に帰りました」
息子は必死に主張した。
. 息子は必死に主張した。
「僕は体育館にいっていません。友達と一緒に帰りました」
『みんな見ている。なんで認めないんだ。馬鹿野郎!嘘をつくな!』
「僕は嘘なんかついていません!」
『それじゃ何でみんなお前を現場で見ているんだ!』
「僕はまっすぐ家に帰っています。
誰が僕を見たと言っているんですか!」
息子は激しく抗弁した。取り調べ官はそれに答えなかった。
立ち会いをしている私に、目撃少年の名前が漏れるのを警戒したのか?
.
.. 1993年1月17日 (逮捕前日の取り調べ)
☆息子は激しく抗弁した。取り調べ官はそれに答えなかった。
息子の取り調べと平行して、幾つもの取り調べが行われているらしく、
取り調べ官は、何度も途中で席を立ち、出入りを繰り返していた。
息子と一緒に下校した少年達が、警察に当日の行動を話してくれれば
分かって貰えるはずだ。警察を信用するしかなかった。
息子を心配する母親は、どこかの部屋から時々聞こえてくる、怒鳴り声
を聞きながら廊下で待っていた。ついさっきは、この怒鳴り声にM君の
父親が抗議していた。
『やくざみたいな乱暴な取り調べをしていのか!』
「やくざとは何だ!やくざとは!」
防犯課の年配の主任警察官は、それこそ顔を紅潮させ、怒鳴りながら
M君の父親に胸を合わせ、噛みついていた。
「やくざとは何だ!やくざとは!」
防犯課の年配の主任警察官は、それこそ顔を紅潮させ、怒鳴りながら
M君の父親に胸を合わせ、噛みついていた。
あちこちで行われている取り調べに、子供を心配する親達が、それぞれの
立場で複雑な思い交錯させ、署内は重苦しい雰囲気に包まれていた。 ☆息子を心配する母親は、どこかの部屋から時々聞こえてくる、怒鳴り声
を聞きながら廊下で待っていた。
(注)>>771参照下さい
廊下で待っていた母親は、取り調べ室から解放されたT君と出会った。
『T君、(息子)と一緒に帰ったんだよね』
T君は戸惑いの表情を浮かべて、母親の横を小走りに通り抜けた。
母親の胸に不安がよぎった。この時、前述の通り、息子と一緒に下校した
5名のうちT君M君O君の3名が警察に呼ばれ、予断を強制する取り調べ
にアリバイ供述を歪めていた。 息子の取り調べに立ち会った実態
☆署内は異様な雰囲気に包まれていた
『嘘をつくな!Oは1人で帰ったと言っているぞ!』
『Mは(息子が)後から追いかけ来たといっている!』
何度も友達と一緒に下校したと主張する息子に、部屋に入ってきた
取り調べ官は強い口調で言い放った。
『Tも一緒にかえっていない!』
「そんな事はありません!僕はみんなと一緒に帰りました!」
取り調べ官は、6人で一緒に下校し、M君とは自宅で遊んだと
主張する息子に質問した。
『それじゃ、学校から家に帰る間、何かなかったか?』
「T君の家で、ファミコンのソフトを借りた」少し考えて息子は答えた。
『家に帰ってから、何か、変わった事はなかった?』
「ブレーカーが落ちました」
息子は記憶どうりに答えた。 なぜ警察は、体育館用具室という空間で、奥行き2b幅5bの場所で
用具がギッシリ足の踏み場が無い状況の場で起こるはずの無いリンチ
致死事件が起きたとされたのだろう?
以下のURLは所轄警察の鑑識資料で、山形地裁判決文に添付された
図面だ。http://yoshimine.dreama.jp/blog/146.html地裁判決は、遺体
発見直後のこの鑑識図面を持ってこの現場で犯罪は起こり得ないと無罪
判決を下している。 【息子の取り調べに立ち会った実態】
☆署内は異様な雰囲気に包まれていた
『それじゃ、学校から家に帰る間、何かなかったか?』
「T君の家で、ファミコンのソフトを借りた」少し考えて息子は答えた。
『家に帰ってから、何か、変わった事はなかった?』
「ブレーカーが落ちました」
息子は記憶どうりに答えた。 この質問は、並行して取り調べを受けている
M君の供述に基づくもので、M君と息子の記憶は一致しており齟齬はなか
ったようだ。一緒に行動していなければ、供述は一致していない、取り
調べ官はこの時「一緒に帰ったのでは?」と思ったはずだ。
しかしアリバイ認証よりも、容疑者の確定に重きを置く取り調べで黙殺
されることになる。
. ☆署内は異様な雰囲気に包まれていた
いつも学校帰り道が同じ方向の5人が1月13日は、一緒に帰ってという
アリバイ崩しの警察の作業は、警察が一端決めた構図から、違った見方の
構への変更は出口の見えない硬直した状況が続いた。
警察の木田的は何が何でも自白をとろうとしてしいることが明らかだった。。
警察の不正義をじわじわと感じていた。 ☆782 名前:《歪められた供述》
取り調べ時間も5時間経していた。(注)その日は朝の取り調べが
4時間すでにあり、○君の告別式にも参加し、その後夕方からの
再度書きます取り調べ時間が5時間経過しているとむいうことです!
その時間午後9時30分頃ということです。取り調べ官が部屋に入って
くるなり−
☆警察の不正義をじわじわと感じていた。
警察の目
取り調べ時間も5時間経していた。午後9時30分頃ね取り調べ官が部屋に
入ってくるなり叫んだ。『良力な証言を得た!君は間違いなく嘘をついている。
うこれからは重要容疑者として取り調べる。調べはキツくなるぞ!』
「真実は一つです!」息子も叫んだ。
『おお、むおおう!真実は真実は一つなんだよ!』
身に覚えの無いことで重要容疑者にされ、悔しさを懸命に堪えて息子は、
顔を歪ませて取調官を睨み付けた。
「その顔は何だ!本官は経験しているからわかる。
その顔は犯人の顔だよ!』」
取調官は、泣き顔の面前で容赦なく薄汚く罵った。 >>783
>きょうも過激派としてがんばって活動してまっすね
これは義務教育に通っていた生徒の受けた取り調べを、父親の記録を
移しているだけの作業でいよ! ☆「その顔は何だ!本官は経験しているからわかる。
その顔は犯人の顔だよ!』」
☆取調官は、泣き顔の面前で容赦なく薄汚く罵った。
取り調べ官が調書を取りに退出すると。息子は突っ伏して声を上げて泣いた。 >>783を訂正します。
移しているだけの作業でいよ!×
移しているだけの作業でいすよ!○
教育を受ける義務であり、権利を有する14歳になったばかりの少年が
してもいない犯罪をしたと官権に追求される。
この経験はあっては成らないと、紙に書かれた文字をネットに写す
作業にミスをしてしまいます。
このおぼつかない作業をやり続けようと改めて思っています。・・
そして、社会学とは何かを問い続ける決心改めてしています。・・・ >>787の名前の欄を訂正しなければ、
787 名前:《歪められた息子の供述》です。ゴメンナサイ! こりゃダメだ>>787の名前を欄をスプリング#まりんとの訂正のでした。
めげないで続けます・・・
めげけないで書き続けます。・・
数の原理で、こんなに多数がいるから正しいとか、東大だから・・・
とかの原理で、憲法に謳われている教育の義務を「いじめというリンチ」
をした者達と15歳にもならない者達の実名晒しをしてきた社会学者の
存在を糾弾すべく書いて来たことを止めるワケにはいかないのですから! ☆取り調べ官が調書を取りに退出すると。息子は突っ伏して声を上げて泣いた。
そして泣きながら顔を私に向けると「父さんだけは信じてくれるよね」
呻くように低い声で問うた。
私は立ち上がって後ろから息子の両肩に手を置いた。
14歳の肩が小さく震えていた。 ☆ 14歳の肩が小さく震えていた。
取り調べに口を挟まないという条件で立ち会いをしていたが、
一方的に偏重した取り調べに、我慢が出来なかった。
戻った取り調べ官を促して廊下に出るとお願いした。
『友達と一緒に帰っていると言っている(息子の)弟も4時半には(家に)
帰っていると言っている。時間をちゃんと調べてくね!』 ☆一方的に偏重した取り調べに、我慢が出来なかった。
『友達と一緒に帰っていると言っている(息子の)弟も4時半には(家に)
帰っていると言っている。時間をちゃんと調べてくれ!』
取り調べ官はなぜか虚を突かれたように、うわずった声で
『本官は、弟さんの言っていることは嘘だと断言する』と言い放ち
『時間については後で調べます』 ☆『時間については後で調べます』(朝からの取り調べ・○君の告別式
そして夕方4時からの取り調べ
はもう5時間を経過・・)
取り調べ官は、簡単な調書を取り始めたが、息子は 疲れきっていた。
『もう限界でしょう!』
私は取り調べの中止を申し入れた。
この日の午後11時43分、警察は少年・A・B(息子)・C少年の
逮捕状を山形地方裁判所に請求していた。 ☆体育館用具室で巻いて立てて収納してあったマットの中心部に
頭から潜り込み、足だけ出して発見された少年の告別式の日の
午前中から取り調べが行われ、昼からの告別式に出席予定の少年達は、
それぞれ母親が警察署まで迎えに来るてはずだった。
母子家庭のA少年の母親が何故かいつまでも迎えに来ず・・・。
という状況で、A少年は自供という罠に嵌められたと言える状況、所謂
落とされた・・・。という言葉が当てはまるのか?
そして、逮捕の要件可能な14歳になっていた少年達に逮捕状の請求が
この日の午後11時43分された訳だ!
こうした経験が、どのような形でそれぞれの少年達の心に刻まれたのか?
Nという人物は、こうした経験をした当事者家族への晒し行為をし
脅迫教唆を行って来た! ☆この日の午後11時43分、警察は少年・A・B(息子)・C少年の
逮捕状を山形地方裁判所に請求していた。
1月18日(月)息子とふたりで午前8時15分に新庄警察署に出頭した。
保護者の調書を取るからと息子と別々にされた。
息子が【容疑否認のまま逮捕された事を知らされたのは10時頃であった。
『 作 る つ も り だ! 』
警 察 の 捜査 は 不十分だった。
ま さ か 逮捕 される など 思 っ て も みなかった。
. ☆警察の捜査は不十分だった。
☆まさか逮捕されるなど思ってもみなかった。
警察は、明らかな矛盾と幾つもの齟齬を抱えていることを知りながら、
強い思惑でもって、この事件の決着を謀ろうとしている。世間を欺く、
警察の不正が、善良な市民を犠牲にして行われたのだ。
予断のシナリオに、得られない有力情報、警察に焦りはなかったのか?
『誰でもいいから』『似ている者でいいから』と、強制下引き出されて
きた生徒達の名前。自白を強要する無制限の取り調べと。
対立証拠の排除。少なくない調書の虚偽記載と、誘導された取り調べと、
重ねた欺瞞で作られた。虚構の事件、、が孕む矛盾と数え切れない齟齬
山形県警の小林武仁県警本部長は、警察の体面をかけて、全てを握り
潰したと、私は感じた。
, ☆山形県警の小林武仁県警本部長は、警察の体面をかけて、全てを握り
潰したと、私は感じた。
【自白まで】
息子は○君の告別式の翌日、午前9時2分に逮捕された。
私達にとっては、だまし討ちにあったも同然だった。
否認のまま逮捕したという事は、警察はメンツにかけて自白に
追い込まなければならない。鑑別所から戻された息子に、聞き取りを
した取り調べの状況を確かめ以下に記す。 ☆鑑別所から戻された息子に、聞き取りをした取り調べの状況を
確かめ以下に記す。
, 逮捕された時『何でだ!』と思った。
取り調べ官は『恨むなら深沢裁判官を恨め!』と暴言を吐いた。
逮捕状の発行者発行者だろう!
父さんが立ち会いをしたときより、更に取り調べがひどくなった。
叫びまくり、怒鳴り散らされた。
『お前は それでも人間か!」
『お前の眼は腐っている!』
『嘘を つくな!
お前のは
嘘の涙だ !』
【 灰皿を 床に投げつけて 威嚇した。】 ☆取り調べ官は、灰皿を床に投げつけ威嚇した。
隣の部屋からも、叫ばれているのが聞こえて来た。
゛これからどうされるのか ゛という不安と恐ろしさで泣きさぱなしだった。
この日も何度も体育館には行ってないし、友達と一緒に下校したと訴えたが、
取り合ってくれず嘘つき呼ばわりされ続けた。
「どう言ったら分かってくれるのか」と思う。「何故、本当のことを言っている
のに、調べてくれないのか」と思う。
風邪をひいたのか寒気がしたのと、取り調べの不安で17日の夜は、
ほとんど寐ていなかったので疲れて身体がだるかった。
, ☆ほとんど寐ていなかったので疲れて身体がだるかった。
『みんな認めた。認めてないのはお前だけだ!』
『Aは1番えらい!泣きながら反省している』
『お前が認めないとみんな留置所から出られないぞ!』
『認めないと、お前の場合は、一ヶ月でねも半年でも出られないぞ!』
取り調べは同じことの繰り返しで『僕はやってない』というと
『やっていない証拠証拠はあるか!』と言い返される。
『友達と一緒に帰った』というと『TもOも一緒に帰っていない』
と反論それてしまう・
「なにいっても信じ居くれないことがわかった。」
認めたら「楽にになれるかな」と思うようになってきた
そして「楽になりたい」としか浮かばなくなった
,
」に 秋田県出身の方の書き写しをしていますが、辛くなってタイプミスが
目立ちます、お書きになった方、そして目を通して下さっていられる
方にお詫びを申し上げます。
オルナタ様、その育て子様、冤罪の方そのご家族は、ご都合良く死んでは
いません。ですから墓などありません。
ひっそりと巷で息を潜める形で生きていられます。
育て子さんは、生き地獄のような思いをしている市立中学に乗り込み
正義の恫喝をなさったそうです。・・・
そして正規の国交が無い国のサーバーを使い、秘密警察と云える組織を
立ち上げ14年間稼働されてました。
この事件の弁護士の1人は自殺しました。校長だった家族は一家離散をしました。
発見者だった中学教師のご家族も、離ればなれの生活をしています。 「山形マット死事件」と言われた事件は、冤罪事件です。
中学の体育館で○少年が発見された時、その探索に協力した少年の家族
も実家に帰らずに暮らす妹さんとか、この事件の周辺を思うと本当に
心が痛みます。・・
この事件がらみで「疲れた」と職場から去った中学教師は、その後
社会保障の枠から外れて、どんな暮らしかと心が痛みます。
こうした事態を引き起こしたのは警察だけではありません。
「いじめ学の専門家」と名乗る人は勿論、その育て親の方にも教育責任は
あることだと御認識する必要を感じます。・・ 「なにいっても信じ居くれないことがわかった。」
認めたら「楽にになれるかな」と思うようになってきた
そして「楽になりたい」としか浮かばなくなった
, ☆「なにいっても信じ居くれないことがわかった。」
認めたら「楽にになれるかな」と思うようになってきた
そして「楽になりたい」としか浮かばなくなった
ひとりでも怖いのに、もう1人の警察官が取り調べについた。
2日続けての長い取り調べに、頭が朦朧として。その場を離れたい
思いしかなかった。
くやしかったけど、どうにもならない
認めてしまう。(午後4時30分・八木調書)
取り調べが終わってから、熱が上がって薬を貰って飲んだ。
, 【社会学者・内藤朝雄の見解】「山形マット死事件」とは?
(1993年1月13日)
山形県新庄市にある、市立明倫中学校の体育館用具置き場で、
同校の1年生の男子生徒、○○○○君(当時13歳)が、ロール状に
巻かれて立っていた体操用マットの中に、頭から逆さに突っ込まれた
形死んでいるのが発見された。死因はマットの圧力による窒息死。
暗くなっても息子が帰宅しなかったことから○○君の両親が同日夜7時
30分頃中学に電話をしたところ、当直(注・内藤文書には当直となってい
るが実は沼田スポーツ少年団の監督者として偶然中学にいた。)
(注、当直の教師が遺体を発見したとされているが、中学校長作成の報告書
には、スポーツ少年団の生徒等と教師が手分けして帰らないという生徒の
家族はが中学までの距離半径200メートルの距離をひとっ走り我が子の
所在を直に確認することはなかった。その中学には、3年生に死亡して
発見された兄が居るが、この兄が一切探索とうに関わりを持っていない。
内藤朝雄資料によると、警察調書により○君が日常的にいじめに合っていた
等の証言が得られた、これによって○君の死因もいじめによるものとの見方が
された事となっているが、小規模中学で3年生の兄がどのように、弟の
サポートをしていたか、当日の帰りが遅い件で、自宅から2分と懸からず
往復できる距離なのに、何か家族と学校が分断していなかったかが、しっくり
こない状況と受け取れる向きがあったはず。 内藤朝雄記録によれば学校側は、この時「○君のいじめは日常的に
いじめに有っていたという証言が得られたとするが。遺体発見の日は
山形県警から大挙してきた警察官が聞き取り協力をしていた、この時から
予断のはいった聞き取りをしている。
まず、体育館用具室内の巻いて立てて収納している状態の中心部に入れ
込む前に、少年グループが○少年を用具室に連れ込まなければならず、
それの目撃者が必要だったが、フラットな隠れる場の無いところで、
警察の想定する目撃者作りが難航した。
そしてマットの中心に入れるにはどうしたら、それが実行可能かを
7人分の筋書きを整合生をとれるようにするには、トンでも無いしなりを
を無理矢理つくっていった。
その様子の一端が、息子が犯人にされていくの文章として残っているわけだ! (1993年1月17日)
しかし事件から4日後、警察が被疑者として任意同行を求めていた当時
明倫中学2年の生徒の少年A(14歳)が取り調べで「自分がマットに
押し込めまと命じた。と自供」さらにAは共犯者として自分以外の6名
の生徒の名前を挙げ。これにより18日当時の少年法による刑事責任年齢
である14歳の少年3人が傷害と監禁致死の疑いで逮捕されたほか、刑事
責任年齢未達の少年4人が同じ容疑で補導された。当時いじめを真っ向か
ら否定していた学校は、この逮捕補導の後、一転して事実を肯定。
(この中学の先生方は、現在でも苦渋を飲んだ、飲まされた思いを
生きてお出でです。)当時、何か納得のいかな無さを感じていた
者は「人1人死んでいるんですよ!」と踏み絵を踏まされるような
心の痛みを感じ生きていました!そして疑問を感じない者は、非国民
というレッテルでも貼られたように口を閉ざしました。 人が怪物に成るとき」という言葉は、内藤朝雄さんのオリジナルですか?
私は、アナタがまだ、怪物から人間に戻っていない!
そう思っています!
>>806の文章に、大きな欠落がありましたので、訂正補足をしておきます。
*(注、当直の教師が遺体を発見したとされているが、中学校長作成の報告書
には、スポーツ少年団の生徒等と教師が手分けして帰らないという生徒を
探索し、沼田スポーツ少年団の生徒が、まだ帰らないという少年を探すが
体育館というより講堂という体裁のステージに、当該の少年のカバン等の
持ち物があったと、スポーツ少年団監督者に報告、これが切っ掛けで
その報告を受けた教師が「それなら、ステージの反対側を探せ!」と、
生徒に指示し、それまで閉ざされていた体育館用具室の戸が開けられ
押し入れ状の構造の暗闇が明るみに晒され、マットから足だけ出した
状態の少年が発見されたのだ! 【息子が犯人にされていく】を中断して記す・スプリング#まりん
>>806体育館用具室の戸が開けられ
押し入れ状の構造の暗闇が明るみに晒され、マットから足だけ出した
状態の少年が発見されたのだ!その発見時間は、夜の8時過ぎだという、
この発見時の様態の一切が報道されていない。
この発見から約1時間後に、所轄が要請していない事故の可能性が
あったにも関わらず、所轄鑑識課の詳しい報告の吟味もせず山形県警が
上は14歳になったばかりという、中学二年生以下、下は12歳という
年齢の子ども達の、聞き取り調書を始める。
時間にして夜9時過ぎから、翌未明に懸かる調べを強行した。 ★山形県警が 上は14歳になったばかりという、中学二年生以下、
★下は12歳という 年齢の子ども達の、聞き取り調書を始める。
★時間にして夜9時過ぎから、翌未明に懸かる調べを強行した。
《何の聞き取りをしたか!》
◎平成5年1月13日(金)14時40分ころ
市立明倫中学体育館用具室でマットに入れられた少年がいる。
その少年が用具室に入れたのを目撃していないか?
以上の捜査を一生懸命していた。これのみの捜査活動はしていない。 あはは!この段に成ってもうイイやです。
私の実名は、和泉眞理といいます。
(内藤朝雄氏が、葵龍雄だと暴いた者です。)
今後実名で書きます。 ◎その少年が用具室に入れたのを目撃していないか?
以上の捜査を一生懸命していた。これのみの捜査活動しかしていない。
なぜ、マットの中心部に頭から潜りこみ足だけ出して居る形で発見
されたのかに着目すれば、警察の作文のように、犯人2人で、○君の
足を持ち、巻いて立ててあったマットの縁に立って、そこに入れる
等の芸当は無理です。マットはクッションの役割をする柔らかな
素材だろうに、警察の方達は、何をしよう、何をさせようとしていた
のだろう? 内藤朝雄氏の聞き取り調査は、難航しただろうが、たった一件の家族に
聞き取りをし「何件かはしている」と思わせる、それは小細工というものです。
中学生の誰にも聞き取りができなかった。では済まされないと思います。
ただ、当該中学では「自分が見聞きしていない事、噂など、はっきり
しない事を言ってはいけない。疑われた人が大変なことになるから」と
いうことは、当然のこととして生徒等に伝えていました。」この事で
事件隠しをする。とレッテル付けられたことも事実です。
でも、思っても見て下さい。この考えは、どこの学校でもする事でしょう。
そして「学校は事件隠しをする」といらぬ断罪も受けている学校がある
ことは容易に考えられることです!このことを蔑ろにしないで下さい! まだ規制が掛からなければ、もう一つ書きたいことがあります。
誰が○君を用具室に入れたかでは無く、誰が用具室の戸を閉めたかが
問題なのです。
内藤朝雄氏の著作に「3人が傷害と監禁致死の疑いで逮捕」とあり
これは警察の捏造といえることだと「私の息子が犯人にされていく」に
記しています、まだ了していません。
言いたいことは、○君をマット室に入れた者が、生きている内に出して
上げれば良かったのにということです。
マット室の戸を最後に閉じたのは誰か?の捜査が完全だったのか?
これです!
ご遺体には、リンチを受ける等の損傷は無かった!
そうですよね!内藤さん。 ☆「なにいっても信じ居くれないことがわかった。」
認めたら「楽にになれるかな」と思うようになってきた
そして「楽になりたい」としか浮かばなくなった
ひとりでも怖いのに、もう1人の警察官が取り調べについた。
2日続けての長い取り調べに、頭が朦朧として。その場を離れたい
思いしかなかった。
くやしかったけど、どうにもならない
認めてしまう。(午後4時30分・八木調書)
取り調べが終わってから、熱が上がって薬を貰って飲んだ。 ☆楽になりたい」としか浮かばなくなった
そして、取り調べが終わってから、熱が上がって薬を貰って飲んだ。
こうまでして犯人に仕立て上げなければならなかったのか! やはり匿名掲示板ですから、スプリングでいきましょう・・・。
次からネッ!
さて、ナチスを廃したドイツのようだったら、憲法改正も9条廃止も
歓迎だという方のネット情報を掲載します。
ご覧下さい!
(台湾のサーバーを仕様していました。)
★犯罪でなくとも、学校内のいじめ等で同級生を自殺に追いやった者も、ここで暴露するつもりです。
★人ひとり命を奪っておきながら何の制裁も受けずに生きることは許されません。
★どしどしメールをお寄せください。
★このようなHPを開設したのは、私自身、少年時代いじめを受けた経験があり、そのような報道を目にするたびに心底、怒りを覚えるからです。
★いじめた側に、いじめられる気持ちを味わわせるためです
(以上のような手口で実名晒しをしていました。) 《息子の自白》という名前欄にした方の文章を続けます。
★くやしかったけど、どうにもならない
★認めてしまう。
息子が自白したと聞き、私が放心状態で家に帰ると、妻が玄関に
飛び出してきた。
一瞬、父親ひとりとわかるや、泣き出した。
『テレビのニュースでやっていた。逮捕されたの!あの日帰って家に
いたのに・・・!』 ★父親ひとりと分かるや泣き出した。
・逮捕されたの!あの日帰って家にいたのに・・・!』
私達は新庄警察署に、再三息子の面会を求めたが、拒否された。
警察が否認している息子を逮捕に及んだ以上、どんな手段でも、自供に
追い込むだろうことは分かっていた。暴力的な取り調べで、息子が痛め
付けられられていないか、という不安があった。
そうされる懸念を持つほど、当時の空気は切迫していた。
留置所から電話があって、洗面道具と衣類を届けに行った。
通りがかった部屋から学生服の少年が警官に付き添われて出て来た。
少年の顔は、泣きはらして真っ赤だった。 >>820
>息子が自白したと聞き(この時点では母親がニュースで聞いただけです。)
「息子が自白したと聞き」これを削除してお読み下さい。
書き手の方と、皆様にお詫び致します。 ★留置所から電話があって、洗面道具と衣類を届けに行った。
★通りがかった部屋から学生服の少年が警官に付き添われて出て来た。
★少年の顔は、泣きはらして真っ赤だった。
午後7時、警察署に呼ばれたわたしたちは、息子が関与を認めたことを
知らされた。
「息子さんは、お父さん、お母さんに心配かけたく、いままで・・」
こうした警察官の捻くれた言葉を虚ろに聞いて
私と妻は、
「頑張らなくてよかったんだよ !」
「もっと早く自白してよかったんだよ!」
「長い時間、くるしかったろうに」
と心で、叫びながら、もう責められないと、自白した事実を安堵の
気持ちで受けとめていた。 8月23日逮捕された息子とA君ねC君に山形家裁・少年審判で非行事実
無し゛の不処分(無罪)の決定がなされた。杜撰な捜査と、少年たちの
人権を蹂躙した取り調べなど、警察の犯罪゛(あえてそう言おう)が
白日の元に晒された。 ★人権を蹂躙した取り調べなど、警察の犯罪゛(あえてそう言おう)が
★白日の元に晒された。
『ガラス細工を扱うように、少年の人権に配慮した。』
この発言は、息子達3名の家裁無罪を受けて、捜査方法の厳しい批判に
対し、8月26日に臨時記者会見を開いた山形県警・小林武仁本部長が
発した言葉だ。
『ガラス細工を扱うように、少年の人権に配慮した。』という釈明に
『大嘘つき!』と言いたい。私がここに記した、息子の捜査・取り調べ
の状況を読んで頂ければ、それは明らかだ。。
取調室に悲しく砕け散った、無数のガラス細工が見えなかったのか?
私達がアリバイ工作をしているとの、偽の情報をしばしば新聞等マスコミ
に流し、姑息な謀を用いて、露見した矛盾を隠蔽して終おうなど、己自身の
保身の為に、将来ある子ども達を冤罪にしてまで、切り抜けようとする
許されざるべき行為だった。゛ ★保身の為に、将来ある子ども達を冤罪にしてまで、切り抜けようとする
★許されざるべき行為だった。
まだある。後の仙台高裁抗告審の7名全員閑与の認定した決定を受け
『高裁決定が事実だ。高裁は県警の名誉を回復してくれた』
などと県議会で発言。 『私は山形マット死事件』内藤朝雄さんの著すところの『いじめリンチ
事件』の真実を知って貰うために、実名晒しを受けていた。いまだ
ネット上、この方C君の文章を、ここに写させて頂いてきました。
このC君は、独自の弁護士を選び民事賠償請求に対峙しました。
私は、この方の言い分を自分で聞き納得したいと、お会いすることが
できています。
この方は、少年である息子さんの立ち会いを獲得したために、この記録が
あり、現在こうして、皆さんに見て貰っていますが、そうした手段を
取らなかった元少年とその家族も、同様の不条理な理不尽な冤罪に
苦しんできています。・・・
安保法案改正とか、法律が変わろうとしています。
世の中が動いています! ☆安保法案改正とか、法律が変わろうとしています。
世の中が動いています!
こうした時に、もっともっと、理不尽な経験がされない世の中であって
欲しいという願いは、誰しも持つモノのはずです。
学校という枠組みが、人間の世の中として、間違ったり多くの問題も
あることでしょうが、自然災害や思いがけない有ってはならない災害も
どうしたら回避できるかを学び合う場として、見つめ直して頂ける
ことを改めて申し上げさせて頂きます!
私は、諦めない愚か者です!
. 山形県新庄市の市立中学では《いじめリンチ事件》起きていません。
内藤朝雄さんは、本当にこうした事件が起きたと云えますか? 山形県新庄市の市立中学では《いじめリンチ事件》起きていません。
内藤朝雄さんは、本当にこうした事件が起きたと云えますか? 山形県新庄市の市立中学では《いじめリンチ事件》起きていません。
内藤朝雄さんは、現在でも、本当にこうした事件が起きたと云えますか? 内藤朝雄さん、
アナタは、数の力、権力というものが正義だと、実働行使をした
自覚がありますか?
自覚が無かったら、改めるチャンスはあるはずですよ!! 内藤朝雄さん、アナタは
自分のしてきたことに、責任を感じる必要があります。
自分のしてきた事を謝罪すべきです! 私は、偶然の機会から『いじめ学の時代』を読み【山形マット死事件】と
いう事件の真実はどうで有ったかを知ろうとしてきました。
本日・ネット上、《唄は終わったされど》という文章を発見しました。
この事件も一つの歴史だと思います。
【息子が犯人にされていく】という文章と、対峙する内容ですので、
一緒に並べて、真実とはと、考え合わせて頂きたいと願います。 歴史の中でこれは真実だと云えることが、幾つも出て来ます。
しかし、心象や予断が正しいとは限らないはずです・・・。
「山形マット死事件」は、物的証拠の無いまま、つまり遺体の外傷等も
他害による傷害が認められない条件で、警察・検察の自白強要の事件です。
私達は民主主義の社会で、作られた犯罪には、ハッキリ否を言い表すことを
しないでは、時代の世の中の方向性を狂わせるとの、自覚を持って生きる
必要がある地点にきていると思います。・・
顔には殴られたようなあとがあり、大きくはれ上がっていた。
手と足には打撲のあとがあった。 1993年1月13日。
山形県新庄市立名倫中学校の体育館。
児玉有平(ゆうへい)くん(中1・13)は、
用具室に立てて巻いてあったマットの中に逆さに突っ込まれた形で冷たくなっていた。
死因は窒息死。
顔には殴られたようなあとがあり、大きくはれ上がっていた。
手と足には打撲のあとがあった。
児玉家は幼稚園を経営する、モダンな感じの、仲睦まじい裕福な家庭であり、
かなり目立つ立派な家に住んでいる。
自宅も隣接する幼稚園も、デザインが非常に美しい。
有平君の父親の児玉昭平さんも裕福な家の生まれで、理想主義的なことを真顔
で話す珍しいタイプである。
家族の団らんが趣味で、外で酒を飲まないで家で飲む。
子どもたちは「自律的な個人」となるべく育てられた。
有平君は授業中に手を上げて発言し、学校行事でも目立っていた。
一家は17年前に新庄市に移り住んだが、「新参者」扱いにされていた。
また、みんなと同じ山形弁を使わないで標準語を話す、
友だちを「さん」付けで呼ぶ、
趣味が違うなどの理由から、周囲から反感を買っていた。 有平くんも「なまいき」だとして日常的にいじめられていた。
生徒たちの話では、小学校高学年の頃からいじめが始まっていた。
中学校に入ってからも、教室で下着を脱がされたり、
上級生から歌など芸を命じられたり、殴られたりしていた。
多くの級友たちが、有平くんがいじめられていたことを知っていた。 1992年9月。
集団宿泊研修から、有平くんが顔を腫らして帰宅したため、家族が学校
に「いじめられているのでは」と相談。学校側は有平くんから事情を聴くが、
いじめられたことを認めなかったため放置。 ・・・1993年1月13日。
放課後、有平くんは自分が所属する卓球部の部活のため体育館に行った。
館内で上級生らに「金太郎」の歌に合わせて身振り手振りをする芸など
をやらされていた。
午後4時40分頃、館内用具室の前で、7人の生徒に芸を強要された際
に拒否したために、室内に連れ込まれ、頭や殴ったり、足で蹴ったり
の暴行を受けた。
その後、マットの中に頭から押し込まれ、そのまま放置され窒息死した。
(この日この時間に体育館に行っていない。そのアリバイ証明が
確実に2名ある。もう1名も屋外ランニングや、用具室と反対側で
クラブ員と一緒だったとのアリバイ証明がされている。
この事によって、この3人は少年審判無罪が成立)
塾に行く時刻になっても帰宅しないため、家族が午後7時過ぎに学校に問い合わせ、教師が遺体を発見。 ◎午後4時40分頃、館内用具室の前で、7人の生徒に芸を強要された際
に拒否したために、室内に連れ込まれ、頭や殴ったり、足で蹴ったり
の暴行を受けた。・・・
(゜Д゜)
http://yoshimine.dreama.jp/blog/146.html
この体育館は、4時40分頃には部活の入れ換え時間で体育館には
50人が遮蔽物の無い体育館に居合わせ、目撃者がいない・・。
変だ!これは変だ!!という人物がいる・・!
「何か騒動があって、ドヤドヤ集まらない中学生がいるのか?!」
第1、1人の少年 ◎午後4時40分頃、館内用具室の前で、7人の生徒に芸を強要された際
に拒否したために、室内に連れ込まれ、頭や殴ったり、足で蹴ったり
の暴行を受けた。・・・
(゜Д゜)
用具室てのは、扉を閉めたら中が見えないよね!
開いていて、中が見えててマットの中に頭から突っ込まれた少年を
50名ほどが見て見ぬ振りをしてたとか!
発見時は、用具室は閉まっていたんでしょ!!
(゜ロ゜) >>843さんアリガトウ!
なんども書かせて頂くけど
http://yoshimine.dreama.jp/blog/146.html この場所で1人の少年を
リンチするのは、無理奥行き2bの中身が用具室からはみ出ること必至
です。そして何かの動きをするには、互いがぶつかる・・。
なんで、警察は、そんな一目見れば分かることを確認しないで用具室の
扉前で殴ったのを見てないかと、目撃者捜しを、深夜にかかる夜9から
翌未明までなんでやったのかな?そしてマスコミは、警察のリークだけ
をしんじたのだろう? (゜Д゜) (゜Д゜)有平君はクラブ活動の途中から姿を見ていないと卓球部員から
その日既に警察は、聴取している。その中学の体育館から目と鼻の先の
自宅にチヨコット帰ってみるということが無かったのだろうか? 有平君自体は、休み時間になると他教室に入って、他教室の黒板を消し
その黒板に漫画を描いて、それも何度もだと教師から注意を受ける事も
ある少年だったことが、父親・昭平氏の著書にもある少年なのだけけど
・・(゜ロ゜)・・
もし、クラブ活動員が皆帰宅してから、戻った有平君が、マットの中に
頭から潜り込むという理由もないけど・・それがもし万一起きる可能性
が一縷も無かったのだろうか?
花筏さんという方が、小冊子だが、有平君の遺体が異状に濡れていたと
そのことを問題にした文章を書いている・・。
兎にも角にも、用具室前で殴る蹴るして、用具室にいれ、更に暴行した
との警察のシナリオは、本当は絶対といえる確立で無理があった。
警察のいうことなら、何でも素直に聞く体制できた事件を、否定する
ことをキチンとしないでいては、政府の言いなりは、当然なるはず!
するはずです!でしょ!! 1993年1月13日
この日は、新庄市立明倫中学では、受験生の補習授業が始まっていた。
有平君は、有平君で、この日の卓球部のメニューが2人組んででの
ラリーをすることに成っていたが、この日は、ラリーを組む相手に
あぶれて壁打ちをしていたのが目撃されていたが、途中から有平君の
姿を見たという記憶が卓球部員の記憶から消えていたという・・。
ふっと、あまりに至近な距離の自宅に行ってみたということは絶対に
無かったと警察は調べてはいない・・・。
そして補習時間が終わって家に帰っていた兄と、自宅で出くわしている
ということなど一切なかったのだろうか?部屋は同じだったのだけど・・・。
一切の記録が無い(゜ロ゜) (゜Д゜)
受験の補習の始まった日の兄と、その弟の接触の記録は、夜8時すぎ
「体育用マットの中に頭から宙づりの形で見つかりました。」との
一報が入った。その時に、その兄は「誰がやった。ゆるさない」と竹刀を
片手に掴むと家を飛び出そうとしたとはあるが実際はどうしてたいたの
だろう。一切の記録が無い。(゜ロ゜)
何にもまして、受験が大切で、居室も同じな弟の処、自分の学校へ
何はさておいてもと飛び出して行っていない!!
(゜ロ゜) 15歳の少年が、弟の大事になぜ駆けつけてない!!
なぜ?なぜ駆けつけなかったの?
これをキチンと調査する責任が内藤氏に
あるのだと思っています。
そしてその顛末を上野千鶴子女史の手に
よって出版をお願いしたいと思います!
上野千鶴子先生のアサオとんの親としてのすべきこと
これからの時代に養い子が有用に働ける
ためにの作業だとこの件ご推奨です!!
陰湿な土地で起きた『山形マット死事件』と内藤朝雄氏は喧伝して
きました。さて、陰湿という言葉の意味合い作用を内藤朝雄氏は、
どのように理解してきているのでしょうか?
『兄ちゃん殺されてうれしいか?』と小学生の少女が言うほど陰湿な
土地だという論調を喧伝していた内藤朝雄氏ですが、内藤氏はハッキリ
した予見を持っていました。
『マット死事件の犯人の妹が被害少年の妹を嘲った言葉だ』との予見を
ハッキリもっていたのです。
犯罪は、余程のハッキリした物的証拠や事件発生現場での逮捕でもない
限り、犯人だという断定ができないはずです。
それが問題です!内藤朝雄氏の、この予見性で、世の中のあれこれに付
いて、いまだに論評をし続けていることです。
信じて良いと思えますか? >>847になぜ、日頃、寝起きを一緒にしている中3兄が、自宅から
200bの距離を弟の異変に駆けつけなかったのか、と書きましたが、
内藤朝雄氏のこの事件の情報調査は、その中3の兄の指示した家が
その一軒の情報調査が全てだと、私和泉眞理は、これ、断定って言葉を
使わせて貰います。・・ >>852のアンカーミスの訂正です。>>847を>>848に訂正です。
いずれにしろなぜかこの兄と弟の関係が、すっきり見えません。
漫画を画くのが大好きだった弟の遺品を父親が探していたら
「中学に入る時に、今まで画いた漫画を全部自分で処分した」と父親に
報告している様子が、父親の著書にありました。
兄としては、処分に賛成だったということでしょうか? http://yoshimine.dreama.jp/blog/146.html
明倫中学校体育館と用具室の図面です。ご覧下さい!!
そして有平君の父親の著述P193に著された内容が以下です。
====
そもそも問題のマット室は、長男によれば「闇の洞窟」と言われていた
そうです。非行少年グループか゜たむろする「縄張り」で、一般の生徒は
教師の目が無い限り、近寄ろうとしなかった「闇」の場所だったそうです。
だからこそ、事件当時に体育館にいた生徒は、有平が連れ込まれたことに
気がつかなかったり、気がついても非行少年達を直視することはできず、
そのため目撃証人は少なく、証言も曖昧になったと考えられます。
そんな場所に有平が単独で入っていくはずがありません。
======
父親が、長男によって印象づけられた《悪の巣窟》は、奥行き2bで
幅5bで用具がギッシリ詰められた場所が現実の場です。 このオバハンは一見アサオの理論を糾弾してるけど
おまえも因果応報されるゾとかいっちゃってるところ
なんだよな
まじで過激派だしたいだけでしょ >>855
>このオバハンは一見アサオの理論を糾弾してるけど
>アサオの理論を糾弾してるけど
ちょっと違うよ!
私は、とても自分と似てる人間だと、ズーと思ってきてるよ!実はね!
ただ、自分の理論のケーススタディーを「山形マット死事件」でした
のは失敗だって言ってることを理解しないの?
そりゃとても残念! >>855
それから、親に対しての評価の違いがあるのネ!
私の父親は、子供に対して、隙を見せない人だった、それだけ隙だらけっ
てことだったけど、アサチャンは、父親の弱さを許せないらしいネ!
上手な立派な父親に、新庄で出会って心酔したの?
それがそもそもの、見間違いじゃなかったの?
アサチャンの父親は、子育てに失敗したように見えて、チャンと自律の
息子を育てたんじゃないの!
アサチャンの父親は、その意味で社会に貢献したはずだと思うけど・・・
まだ、方向転換できないでいるの??? ただの被害者のオヤジしばき芸じゃないのソレ
オバハンの父親を投影したハナシを
展開しまくってるの?? ==============
第五章 山形マット死じけん
【[山形マット死事件]とは、 】
(1993年1月13日〜)
2015年9月6日 (2002年3月19日)
7年にわたる審理の末、山形地方裁判所の手島徹裁判長は原告の
訴えを棄却。捜査段階でなされた7名の自白については、保護者の
立ち会いが排除された状態で長時間行われた結果のもので「正当性なし」
との判断。
有平君の父、昭平さんは、記者会見の席上、直ちに控訴の意向を示す。
(出典・いじめ学の時代)内藤朝雄著・
2015年9月6日