いじめ学の時代 9
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立てておきます。 ココナッツ島のおbさあんたちとは違うね。もう二人目のおばさん、こんばんわ! 内藤朝雄さんへ
なぜアナタは怪物に成ったのですか?
自分は、そうしたそしりを他者から受ける覚えは一切ない、
そういえる存在ですか?
これは、心情的な好悪感で言っているのでは有りません。
事実関係のことです。
アナタが「いじめ学を確立した」という土地に一区画が全部表札と
住所表示をはずしている地域があると前述しています。・・
アナタはそれに対して些かの人間としての(人・という文字)
痛みを感じることがないのでしょうか? アナタには「兄ちゃん殺されてうれしいか?」という言葉を
吐かなければ成らなかった小学生の少女の傷ましさに何の
責任もない、「人が怪物と成った一例だ・・」とでも定義して
何の訂正もかる気が起きないのでしょうか?「裁判で負けただろう」
これですか? 内藤さん、なんでこうした事を書かなくてはならないのだろうと
心折れる思いがします。私は清い者でも無い、正しい者でも無い
ただ、癒やしが起きることを望んでいるだけの者なのです。・・・
ゴメンナサイ!新しい年を迎えようとする今、ご両親との和解があれば
と祈っています。
>>90に
>おばさん愛してるよ!
と書いて下さった方がいました。
内藤さんにも向けられた言葉だと思います。
私からも、内藤さんに、その言葉を申し上げさせて下さい・・
ご迷惑でしょうけど・・・
>>90にも・・
>>90に
>おばさん愛してるよ! 連投ゴメンナサイ・・
「医者を必要とするのは健康な人では無く、病人である。私の来たのは
正しい人を招くためでは無く・・・」と記された書物があります。
もし、出来ました内藤さんにお会い頂きたい方がある。と以前、書きました。
相手の方の息子さんは、長いこと引きこもっていられ自死をなさったとのこと・・
政治学がご専門だそうです。
アナタが今現在、お困りま件、諦めずに戸を叩く私にお困りでしたら
政治学的解決方法を伝授してくださる方だと思えます。
私に少々のツテがありはしますが、ご自分でその方の戸を叩いて見られたら
と存じます。ネット社会ですもの・・・
東京のどこかでお互いの時間がが宜しければ・・又は、その方のご指定に
沿われたらと願います。祈っています。・・・ 山形マット死事件の主犯格は「その時間はガールフレンドと神社にいた」と証言したものの・・
嘘と判明・・だったな。 >山形マット死事件の主犯格は「その時間はガールフレンドと神社にいた」と証言したものの・・
>嘘と判明・・だったな。
どこからの情報ですか?
該当する神社は確か「虫稲荷神社」という名称が書かれていました。
境内の無い、神社の大きさは二畳ほどの広さに見えましたけど・・・
確かに、その場所で待ち合わせをし、そこからガールフレンドと、
そのお宅な出かけたとの事です。
そのアリバイについては、現・山形県知事・吉村美栄子氏のご主人が
家裁から、扶助弁護士として依頼を受け、母子家庭に育った彼の足取りを丹念に
辿り、アリバイを実証しました。
家裁無罪ですし、民事地裁無罪です。警察が弱い立場の少年を犯人に仕立て
日頃付き合いも無い少年達を名簿を「これか、これか」といった手法で
その少年を頷かせ、共犯者にしたてました。
お暇だったら、新庄までおいで下さい・・・ >>97
>山形マット死事件の主犯格は「その時間はガールフレンドと神社にいた」と証言したものの・・
>嘘と判明・・だったな。
これって、ドラマの取調官の台詞みたい、そうしたご職業の方? >>99そうでした。
現場検証をする分けでも無く・・・
特に少年法の範疇ですと、少年の育成の為ということで、短い期間に
判断を迫られ、この案件でも、主犯格とされた少年の他2人の三名は
無罪で他四名は、審判の事件切れで、無罪判がかけず、自白のみで
有罪としました。
七名そろわなければ成り立たない、警察主導の判決文なのに、主犯が
抜ける自白では格好が付かないのに・・・
大人の裁判なら有罪にならなかった事例です。
少年事件には、こうした騒ぎに成らず、えん罪は沢山あるのだろうと
容易に想像が付く事態ですねっ。 そうだらあ。内藤氏も「山形の警察はアホではないか」と・・・ >>101
審判の(事件)切れで、無罪判がかけず
↓
時間 >>103
それをいうなら警察は管理主義、全体主義の処だとは言えると
思います、個々の方々をアホは無いと思います。
司法もお役所主義で、書類さえ整っていれば事実関係より書類を
重視する処だと、残念ながらそうでした・・・
少年法には(裁判員制度の導入はあり得ませんし)内藤氏のように
「解決は警察に」と言ったり自分の都合でアホだと言ったり・・・
私にも沢山欠けがありますけれど・・・ というか・・・、貴方は内藤氏の『いじめ学の時代』
ちゃんと読んでいる?? >>105
ハイと言えると思います。
ただ、事件そのもののことで書き急いで、自白供述調書のことで
明らかな文章的ミスをしています。ゴメンナサイ!
そのことに関して、訂正をしようと思いましたが止めます。ゴメンナサイ!
ちゃんと読んでいますよ、何冊も買い、以前の物も買い読んでいます。
内藤さんは事件を知ろうとしないで、書いていられることは事実です。 その根拠は?
内藤氏は二度、現地調査に入ってるよ。 二度ではないはずですよ・・・もっと・・・
事件を知らないでという答えも当該の本に答えがありまかよ・・・
内藤さん自身に関しては、我が家では家族の一員のように思って
いる節があります。・・・
あのー随分時間をかけてしまいました。
お休みしますね・・・ 主犯とされたA少年のアリバイについてはかなり訳の分からない事になってるよ。
まず、A少年の言い分としては、当日放課後は少女Bとデート、
その通り道で本件で補導されたC少年の母親D女に出会ったと言ってる。
C少年は補導されて身柄拘束後かなり長い間犯行を認めていて、
C少年の両親もC少年が釈放されて自白を撤回するまで遺族に謝罪の意を示していた。
だから、江川紹子氏の取材に対しても、D女は
我が子が犯人であってもA少年が犯人なのはあり得ない、
それは警察にも言い続けたけど調書を作ってくれなかったと言っている。
続きあり >>109の続き
少年審判でA少年のアリバイ主張が本格化してから、
山形県警は送致時資料に倍する補充捜査結果を家裁に送りつけたんだけど、
その中で、県警はD女の証言は否定できないと認めた上で
A少年はD女と出会った後で学校に引き返して犯行に加わったと言っている。
だけど、それを認めた場合、本来であれば詳細に作られたとされる
A少年の自白調書が吹っ飛ぶ筈。
余りの不自然さにA少年を直接審理した山形家裁も民事の一審山形地裁も
そんなふざけた主張は認めず結局の所A少年の関与は認定できないと判断した。
本件で一緒に補導された別の少年を担当して保護処分を言い渡した山形家裁の決定があって、
少年の抗告を受けた仙台高裁は不処分となったA少年を含む逮捕補導組全員が関与したと
強制力の無い傍論で認定してる。
だけど、D女の証言は否定されていない。
遺族側は一貫して犯人一味の証言が何故信用出来ると主張して、
民事の一審山形地裁はC少年の自白中、D女が謝罪している間も一貫して
A少年のアリバイを主張していた事等も考慮してD女の証言を信用している。
初めてD女の証言が否定されたのは、なんと民事の高裁判決と言うとんでもなく後になってから
そこで初めて、過去の司法判断全てや山形県警すら認めたD女の証言を否定して
全部のアリバイ証言は信用出来ず、最初からA少年が犯行に関与したと当初のストーリーに先祖返りした。 >>110に続けて
山形地裁の民事一審判決によると、
訴えた遺族側自身、D女の証言自体を否定していない。
犯行の前の時間に学校外で会っただけだからアリバイとは言わないと主張してる。
だけど、山形地裁では、D女の証言は信用出来るし
その場合A少年の自白調書に一度学校外に出た事の発言がないのがおかしい。
そもそもわざわざ学校に戻る理由も無いし
もちろん自白調書にもその理由が記載されていないと
その不自然さをストレートに認定してる。
民事の高裁判決では非常に微妙な書き方が為されていて
簡単に言えばD女の主観として本当の事を言っている、
その事を否定する理由は無い。
但し、その内容が犯行の前日の事か当日の事か
証言の中に前日の出来事の可能性があるファクターがある、
当日と確定出来る証拠が無いから
どちらの可能性も否定できないのでアリバイの成立は認めないと言う書き方。
つまり、日付が「勘違いかも知れない」からアリバイは認めないと言う認定。 >>109
>C少年は補導されて身柄拘束後かなり長い間犯行を認めていて、
この件に関しては、身柄拘束という縛りは、児童相談所に
>遺族側は一貫して犯人一味の証言が何故信用出来ると主張して、 >>111に追加
C少年は任意聴取の段階から犯行を認めていて
身柄拘束前にC少年の父親と伯父が犯行内容を聞き取ったメモも存在する。
但し、C少年の後の主張では任意聴取段階から警察から厳しく自白を強要され、
帰宅後に聴取したC少年の父親も
警察の調べ引いては息子の犯行に間違いがないと確信した上で聞き取ったために
犯行を否定する事が出来なかった。
児童相談所による身柄拘束から解放されて後、
信頼する別の親類女性に初めて容疑を否認したと言う流れで、
逆に言うと、否認する迄の間、C少年の母親であるD女は
我が子が犯人だと言いながらA少年の関与は無いと一貫して主張した事もあって、
民事の仙台高裁、その上の最高裁以外は、山形県警も含めてD女のアリバイ証言を信用した。
仙台高裁も勘違いを示唆しても決定的に否定はしていない。
このC少年のメモについては、
民事の一審判決の中で供述調書に比較して具体性がある訳でもなく、
客観的な現場の状況からはむしろ矛盾していて
あるもの無いもの見えるもの見えないものに問題があるため
自白の強要の影響下での虚偽自白と言う主張は否定できない、
証拠として使えないと評価されている。 >C少年は補導されて身柄拘束後かなり長い間犯行を認めていて、
この件に関しては、身柄拘束という縛りは書類送検ということで児童相談所に
に送致なので、そのことは宜しく・・
>遺族側は一貫して犯人一味の証言が何故信用出来ると主張して、
この件に関しては、C少年とD女は親子なので犯人一味だというくくり・・
>江川紹子氏の取材に対しても、D女は・・
この件のソースということに、付いて教えて下さい。
私は、江川氏の文章を我が家の移動等の為に丁寧に読んでいません。
ただ、江川氏の民事高裁に付いての判断について「まだ事故か犯罪かの判断も付いていない」
とのことを主張しておられたその部分は、キチンと記憶しては居ます。
宜しく・・何処での取材だったのでしょう? >>114
江川紹子氏は少年審判で
山形家裁、仙台高裁の決定が出た時期に
「諸君!」で本件をフォローしています。
司法記者出身で冤罪事件に詳しい江川氏ですが
判断の割れた案件で保護処分決定の少年からの抗告を受けて、
一人の聞き取りも行わず保護処分決定を維持したばかりか
不処分となった他の少年の犯行関与すら認定した仙台高裁の決定に就いては
自分の知る裁判所の判断の中でもワーストの決定だと激怒しています。 >>116追加
正確に言うと、
D女の発言は
D女が江川氏に語ったか
D女が故・吉村弁護士に語った事を
吉村弁護士が江川氏に伝えたか、
この正確な部分は現在未確認
但し、D女は息子であるC少年が犯行を認めている間にも
C少年の犯行を認めて謝罪しながら
A少年の犯行を否定する証言を続けている。それは確か >>116
わざわざアリガトウ御座います。
確か「諸君」に書いておられるとの記憶はありましたが二度書いていられる
わけですね・・
確か最高裁賠償命令失効は10年だったはずだと聞いていましたが民事法改正
があったのかなーと民事訴訟法をチラチラ見ています。
この件どうなっているかお教え頂けないでしょうか? >>117
>D女が故・吉村弁護士に語った事を
>吉村弁護士が江川氏に伝えたか、
私の知る限りでは、故・吉村弁護士からの情報である可能性の方が確かだと思
えます。出来たら、江川氏に現地取材をして欲しかったと思います。
現地の取材としては監察医の内藤先生は新庄まで来ておられて、体育館用具室も
確かめられている様子ですが、これも江川氏は、内藤監察医からの伝聞があると
思えます。
そこに、内藤朝雄氏が友人が新庄にいるのでと、現地入りして全く違った内容
を流してしまった。江川氏が来ているということでの、内藤朝雄さんへのセーブ
が掛かっていたらと残念に思います。 Amazonに
【あなたはやっていない―法医鑑定医五十年の経験から 】内藤道興著
もうご高齢です。ご病気で有られることを知ってから何年も経ちました。 江川紹子氏としては、テレビで顔がしれている方だから
一定の地域での少年法に関する取材については遠慮なさったのだろうと
解しては居ます。
ただ、事件の実態を抜きに、加熱した報道で知った内容を元にした内藤朝雄氏
の流した影響は、ナチスの形成、形態と似た現象が日本でも起きるという証明
でもあると言えると思います。
新庄市役所に関係者が勤務しているとか、書き込んで居た人が現実にこの
板にもいたのですから・・・
こうした過ちに陥り安いのが人間だと自分自身も自戒しつつ、内藤朝雄さんの
今後に期待を本気でしています。
109から書いて下さって、様々教えて下さった方!
今後のお仕事に期待しています!!! 自分の知る限り江川紹子氏は現地入りしてる筈。
あの学校の生徒達から地元の教育関係者に
警察の調べがひどいと苦情が入っていて
その事も江川氏は聞き込んで記事に書いていたと記憶。
江川氏が山形の事件で詳しい記事を書いたのは
地下鉄サリン事件の前だから
それ程顔は売れていなかったと思う >>122
>自分の知る限り江川紹子氏は現地入りしてる筈。
ありがとう・・
私は「諸君」の高裁判決後の記事を時間のないまま要点として
「激怒している」という文章だと受け取りました。
実は、中越で地震があった翌年に、江川氏に手紙を書いています。
その時に、7名の内の一人の親も、手紙を書いて出したはずです。
来た手紙は全部読むとのことでした。
私の事件の理解が足りなかったこともあるでしょうし、私自身の環境が
地震のことや、夫の病気があり、で、でも何かしたいと、7名の内の一人
の親御さんの手紙をも、どう受け取られたかはしりません。
反応すべきだと思われなかったことかと察します。
この案件について、支援する会がありましたが、今は活動していないようです。
私に流れてくる情報は、そうした現地からの生の声が有ったわけですが、弁護士
の一人の新幹線への飛び込みが有ったころから、動きが途絶えています。
いつの時点ですか山形で江川氏の講演会があった様子ですが、それも詳細は
知りません。この案件にふれることがあったのか?疑問です。 私が前回新庄に住んでいたのは1994年夏までで、2007年1月に再び
新庄に住むようになりました。
その間、民事地裁地裁での傍聴に縁あって何度も出向いています。
こうした条件下で私自身と江川氏の接触は、一方的なものでした。
江川氏にも個人的な条件の変化があり、接点が重ならなかったことでしょう。
何かしらのえん罪事件としての関係者との接点は、聞こえて来ませんでした。
私は直接的支援団体活動をせずにましたが、動向は承知しとてていました。
その流れで四国在住中に、内藤朝雄氏が、正義の人として私に突然電話を
くれ、このえん罪・実名晒しがどう起きたかを、じっくり何をどうかべきか?
何をどうすべきかを考え、内藤さんにキチンと責任を取って貰う方策をと
行き着いて今です。
新しいジャーナリズムに期待をしています。
朝日新聞支局の方には、1994年の初春にお会いして 投稿ミスになってしまいました。
朝日新聞支局の担当記者の方には1994年の初春?にお会いしています。
それは、太郎次郎社からの出版前です。
>>122
勝手に報道関係の方と思っています。ゴメンナサイ・・・
良いときに良い記事をと本当に期待しています、
内藤朝雄さんのご健康を心配しています。
良い出会いが内藤朝雄さんに有りますように・・・ 内藤さんはこのマット死事件で被害者一家を嘲笑う弁護士を見て
「人権派左翼」と決別して右でも左でもないリベラルの道を進むことを決意したんだよな。
それに内藤氏はこの事件に新庄市だけに特別に起きた問題ではないと書いている。 東郷の1回生である有名なタレント兵藤ゆき姉が中日新聞で
「厳しい校風と違う、ものわかりのよい生徒思いの先生」と
書いていた恩師の実情はまったく正反対です。
私はこの松本某の授業を1年間受けましたがまさしく
「もっとも東郷的な教師」でした。
質問して答えらない生徒に嫌味たっぷりに馬鹿にする。
特に印象的なのはある授業。
「生徒を全員床に正座させて質問に答えた生徒だけ椅子に座らせる」
とても教育者の仕業とは思えません。
それとも1回生の時は「いい先生」だったが
東郷的な教師に変換されて行ったのだろうか? >>126
>それに内藤氏はこの事件に新庄市だけに特別に起きた問題ではないと書いている。
内藤氏は、全能なのかな?
ピットラーの政治だから正しいと一時期ドイツはどれほどの人々を
ゲットーに送り、密告政治と、大虐殺をしたのだろう? >>126
内藤氏の著書で読んだ所では、
山形の事件に就いて自分でマットに顔を突っ込んだと言う
「あり得ない主張」をした事が
「人権派弁護士」と距離を置いた動機だと言ってましたね。
但し、そもそも論として、司法解剖医からして
「自他為負傷、但し他為を証明する積極的所見無し」(要旨)
と結論付けていて、
遺体写真等を鑑定した別の専門医が他人の関与は無かったと見るのが相当との結論を出してる
尚、7人全員の犯行関与を認定した仙台高裁民事も、
暴力事件との結論を出した更に別の専門家の意見も含めて検討した結果、
遺体から他人の関与は立証出来ないけど他の証拠や経験則からして事件性はあったのだろうとの結論
当時の検面調書の中にも、
当時の生徒の中で用具室でマットに顔を入れる遊びはあったとの記述あり
山形地裁判決民事が指摘してる事で、
山形県警は発覚直後から事件性を疑って当時体育館にいた生徒から徹底した聴取をしてるけど
その時点では目撃者が出て来なかった。
山形県警本部長が早期から事件性を断定してたのは、
葬式の時に本部長から事件以外あり得ないと言われたと遺族も証言してて、
この当時の本部長は後に「週刊新潮」で何度も慎重に聴取した、自白の強要はあり得ないと
元少年を犯人とするコメントを繰り返してる。
少なくともあの事件を受任した弁護士として放置出来る論点では無かった訳ですね。 >>129訂正
「自他為負傷」
を
「自他為不詳」
「週刊新潮」
を
「週刊新潮」他
つまり、山形県警は発覚直後の段階から
トップである本部長を先頭に事件以外あり得ないと言う前提で突っ走った訳ですね。
にも関わらず、当初の段階では目撃証言は出て来なかった。
地域性とか少年側の口止めとかそんなチャチなもんじゃない
本当にあった事に就いて全員が何かの作為で否定するには
人数が多すぎて時間が早すぎると
山形地裁も疑問視して事件性そのものを疑うに至る 世の中の情勢がこうだからと、丸呑み鵜呑みで
客観的視点をもたず「いじめで殺された英雄とその家族」という括りで
「わが子の帰りが遅すぎる」と、電話一本で駆け足1分半で往復
出来る距離を探しにこず。、実際死亡して発見した沼田スポーツ少年団の
生徒らも動員一緒に探した教師達の存在を見ようともしない。
ようやく発見、駆けつけた教師が蘇生しようと人工呼吸を懸命に施していた。
勿論発見した少年団の生徒達が、発見された少年を案じて寝かされていた
少年と、覆い被さって人工呼吸を施していた先生を駆けつけた親御さんが
殴ってしまい、その一部始終を取り囲んで見ていた生徒達の心の傷に何の
配慮も無い。勿論、そこには電話だけで事実を見ていなかった親御さんの
誤解があったわけだが、実際に翌日に歯医者に行く怪我を負った教師は
ずーと堪えて、救急車に自分を殴った親御さんと少年の傷ましさの全てを
支える形で対応を続けた。こうしとた事実等も全く見ようとしない内藤氏
に、問題を感じる弁護士がいても仕方ないとは思いますよ・・ 人権派弁護士という言い方のレッテル付けは変だなと思います。
本当に人権を大切に思わない人間が弁護士をやって貰っては困ります。
現・山形県知事の夫君、故・吉村弁護士は民事に関わることなく
癌の為、亡くなっていますが、吉村弁護士は、少林寺拳法だかの
使い手で、日本男児だという誇りを持って生きた人物です。
東大から当時優良企業の呼び声の高かった、東京海上火災とかに
勤め、両親の老後を見るため、地方で働くなら、弁護士だと、
出世コースから外れ、司法試験を新たに受験する処から出発した
弁護士の方で、お金が無いから弁護士を雇えないという人々のため
扶助制度というものを山形県に作った方です。
その人がこの事案の主犯格とされた母子家庭に育った元少年の
弁護をなさいました。吉村弁護士は、この元少年だ、誰からも
引き離されて、一人代用監獄に入れられていたと、の怒りを
書いた文章があります。この弁護士の存在に全国の弁護士が
注目したという事実があり、政治的色での内藤氏の色眼鏡が
実名晒し等の不正行為を助長したことは否めません。 >>129
>>130
客観的資料をありがとうございます。 >>132
吉村弁護士はあの事件当時
日弁連の機関誌「自由と正義」で
代用監獄を批判する連載に寄稿していて
そこで吉村弁護士が書いた事として、
本件で担当した少年の調書見ると
勾留中は合宿みたいでセンゼンタイシタコトナカッタヨとか
いやいやねーよ作り過ぎにも程があるふざくんなと
砕けて再現するとこんな感じの文章が残ってる訳です。 >>134
私が読んだのは吉村弁護士の遺稿集からです。
政治的立場を超えて、法廷で戦うこともあったという方々が
寄稿し、編纂しています。
私が吉村弁護士の存在を知ったのは、一橋大学の近くに住む高校まで
ズーと同級生だったという人の処で、その人に送られて来たばかりだ
というその遺稿集です。
昨年少し手元に置きたくて「気の済むまで持ってて良いよ」と言って
くれていてお借りしたモノです。
どういう訳か、ダイレクトにこの事件に関すること出会うことが
多いのです。江川さんとはすれ違っていますが・・。。
>>134
是非この事件のこと書いてください! 大人のいじめられっこにはうんざりさせられる。
胸さわられたとかっていって警察沙汰にしたり、
嫌なこと言われたっていって裁判沙汰にしたり、
子供のいじめられっこなんてもっと耐えてるわ。
子供のいじめられっこに学びなさい! 国民が安心して自分の国に住むことを保証されて良いはずです。
個人情報も守られなければ成らないはずです。
それが、この「いじめ学の時代」の著者によって個人情報を
晒され、この掲示板上いま現在もその個人情報のURLが他板に
貼り出されています。
このことの責任は、やった方自身に取って頂く必要があります。
それがないと、新しい道が付かないと思います。
勇気を出して、責任を取ってください・・ 内藤氏が人権派と距離を置いた理由は彼らの振る舞いから・・
「被害者の父親は教師に暴力を振るった、どう思う」と言ったり
内藤氏の取材の妨害したり・・・ >>137
日本で唯一、感情的や道徳的でなく、いじめの冷静な分析ができ
有効な提言ができる社会学者に向かって、どう責任を取れと・・・ >>139
>日本で唯一、感情的や道徳的でなく、いじめの冷静な分析ができ
内藤朝雄氏の著作物(いじめ学>の時代)133ページに
「だいたい私は、最初から真相究明にもノータッチでいようと決めて
いました。 」と記述しています。
彼は、何を調査しに新庄に入ったのか?
真相究明の無い、事実関係の精査の無い、風聞を採取して回った。
という事なのでしょう。それ以外の何が彼の書いたものにあるのか?
>日本で唯一、感情的や道徳的でなく、いじめの冷静な分析ができ
>有効な提言ができる社会学者に向かって、どう責任を取れと・・・
風聞で、亡くなった少年がリンチを恒常的に受けていたとなんの科学的根拠
も無く書き散らしていますが民事裁判でいつも一緒にお風呂に入っていた
という亡くなった少年の実の兄がいつも弟は痣一つ無かった。
と証言しています。それは、監察医務官の解剖所見でも暴行の痕が無かったと
科学的に証明されています。 私は、該当する民事損害賠償請求の膨張をしました。
当該の中学の教頭先生の証人尋問をも傍聴しました。
その先生は「事件直後は当校にいじめは無いと、言って居りましたが
狭義の意味で、暴力を伴ういじめは無いと信じて来ました。現在も
そのことには変わりありませんが、いじめというものを広義では、受ける
側が、暴力等が伴わなくとも不快に感じるということは全ていじめなのだ
と捉えるようになりました。」という証言をしています。
アナタは、内藤氏がいういじめと、明倫中で起きたことがどう合致
すいるといわれるのですか? >>138
>内藤氏が人権派と距離を置いた理由は彼らの振る舞いから・・
>被害者の父親は教師に暴力を振るった、どう思う」と言ったり
>内藤氏の取材の妨害したり・・・
以上の事実関係が、客観的事実であるか提示してください。
その上で、内藤さんの言い分の正当性を立証してみて下さい。 内藤氏の欠点はルサンチマンが先行してしまうことがある点かな。 朝倉泉という少年の遺書がさらに理論武装して表現されたのが内藤氏の一連の著作ではないか。
稲葉氏も見抜いていたが・・・ 一行ですか、それでまとまりますか・・・
私は、徳島県に在住していた時、内藤さんの電話を受けて
「東大の内藤です」と名乗られた時に、失礼ですが、嫌悪感を
感じました。少なくとも自分が所属を名乗る時に相手に自分の
印象を良くするためにも、所属する場の品位を高める必要が
あると、普通に育った方は感じて、謙遜さを感じさせる丁寧な
名乗り方をするものだと思います。直ぐさま「学生さんですか?」
と言いましたらこちらの語調もあったことでしょう「大学院生です」
と返答された時は、用事を聞いても良いか・・と少し思えました。
彼の別な本にルサンチマンという言葉を書いていたのを読んで、文章上
の違和感を感じてなんでだろう・・と思いました。>>143この一行の
生でですねっ。
つつけます。 かぶってしまいました。
私自身は学者の一族を持ち、文学をする人が周囲にいても
ハングリーな意識を持つことが出来ないで、実際は定時制
高校に行ったのは裕福な家に育ってなかったからです・・・
ただ、粗末な食卓でも父親が、食事の時はわざわざキチンと上着を
着て背筋を伸ばして、感謝の祈りをしてという家だった
ことが、周囲の人達と違う自分を感じて、どこか誇りみたいな
モノが付いて周り、どうも自分は他の人と馴染めないと親への
反抗はしても、どうしても競争心とかが持てず、上級学校とか
への欲望がもてなかったので、ひょっとして日本人の感性が
無いのかと自分について思い、他の人と違うということは
仕方の無いことだと極小さい時から思っていました。
外国に生まれていれば違和感なかったかもと思ったりしてました。 内藤さんの書いていることに賛同を覚えたことはありません。
ただ、ズーと内藤さんの書くモノを読んだりしていて、自分の
現在の家族も全く裕福では無いけれど、賛同をできもしないけど
一緒に彼の問題をクリアー出来たらと心底覚えて度々内藤さんの
ことを家族に語ることが有って「どうも内藤さんのこと家族の
一員と思っている気がするけど、どう思う」と家族に聞くと
家族も「そうなんじゃない?」アンビバレンツなことだとは
自分の書き込んでいる内容だし思うのですが・・・
アンタの日記を書く処では無い・・・ハイ!
>朝倉泉という少年の遺書
読ませて頂きたいのですが、手に入りますか? >>147
インターネット上の検索エンジンで検索すればみつかると思う。 >>148
読ませて頂きました。
ご紹介の朝倉君の文章は、誰かの文体に似せて書いたとありましたが
内藤さんとそっくりと思うところがありなるほどと思いもしました。
そして開成高校事件も連鎖で読みました。、
それぞれに人間の命の期限というものは確かにある・・
との思いで鎮魂を祈りました。私が、この方達を知ったのは、一つの
連鎖ですから、朝倉君の願いが一つの家族の鎮魂に連鎖したのだと朝倉君の
願いが繋がったことの感謝もあります。。
>>148さんアリガトウ・・
内藤さんが、健康を取り戻して、新しい真実の連鎖が生じ
和解の連鎖が力強く生じますようにと願いを新しくしました。 >>「東大の内藤です」と名乗られた時に
別に普通でしょ。例えば東郷高校の岩渕先生が電話するときは
「東郷高校の岩渕ですが・・・」でしょ。
それに144等を初め、少年の実名がフルネームで出てくるが
(内藤氏の著書ではAとかFとか仮名になってる。
あの東郷教師ですら同じくなのに・・・何故か8回生の学年主任のみフルネームで実名)
これこそプライバシーの侵害でしょ。
自称:ココナッツ島のおばさん。 で、結局は150さんはマット死事件にどう関係してるのかな?
加害少年の家族か親戚か関係者なのかな。
そこを書くと「読む人」にも伝わると思う。
それに貴方の書き込みは総花的でまとまりがない。
一体、何が問題なのか具体的に書いたほうが訴求力が高まりますよ。 >>151わざわざお出ましありがとう・・・
>「東大の内藤です」と名乗られた時に
この文章と ↑↑、の文章には、明らかな相違があります。
>「東郷高校の岩渕ですが・・・」でしょ。
下の文章は、・・・の部分に文字が付くと思います。
上は、突然の全く未知の人物からの電話でした。音声にしたら「トウダイ◯◯です」
で切れ文字にしたら燈台かもしれない相手です。「引っ越したんです
ねー▲▲に電話しましたよー」口調は上から下への口調でしたよ・・
用件を聞く前でした。それでカチンだったと今思い出しました。
全体を思い出せば、学生の身分で電話料金が掛かったという言い分
があったのかもしれません。そんなことを未知の人物に言う言われ
はありません。そうではないでしょうか?それとも、そこの学校は
フィールドワーク事前教育とかが、ああした対応と教育なさって
いるのでしょうか??? 私は東郷という高校のことは知りません。 >>152ご忠告をありがとうございます。
>で、結局は150さんはマット死事件にどう関係してるのかな?
同じ地域の市民です。他にもそれこそ総花的説明なら花盛りが書けます。
私としては、内藤朝雄さんかに流した情報の責任を取って貰いたい
これが第一義ではあります。 >>152
>加害少年の家族か親戚か関係者なのかな?
総花的で悪いのでしょうが。犯罪を犯していないと未だに主張して
いる人達の側だと書いたらどんな目にあうのだろうと想像して
しまい、新庄市民は皆口をふさぎます。地域が起こした事件と書かれ
て、反論をするのにどれだけの勇気がいるだろうと想像できますか?
加害者側のという言葉をどんなおつもりで書かれましたか?
どうかココナツ島からでもご返答お出来と思いますのでお待ち
申し上げます。 総花的な返答で良ければ、病気というのには・・・?
健康でないとは思います。・・・
私のことで神田警察に相談の上8人の弁護士の実印付きで所属する
法人の理事長名で内容証明付きの通告文を送付して来た元気があれば
下記の内容の文章を書いた私を名誉毀損で告訴なさるはずだと思います
個人の住所・氏名・保護者名・電話番号を、犯罪を犯した者たちとして
ネット上晒したのはアナタだ根拠は、亡くなって発見された生徒の
父親から受け取った教育委員会のから流出した名簿だ。(短く書く都合で
理由は既出)お金が動いたとと考えられると書いたのに何のリアクション
もありません。訴えられたら、出向かねばと覚悟して待ってます・・・
図星だったら・・?いずれ、この問題解決には和解という手段が多方面
とする必要が内藤さんにはあるはずです。これをクリアーするには、
誰かを味方をつけたら良いと思うと提案中です。
その相手が誰か、分からなかったのかなー?
ヒントがまだ必要かなー? いじめられっこに安楽死の権利を?
ttp://www.youtube.com/watch?v=JY6Je1mLcRQ >>158 いじめって私には分からないのかもしれません。
自分の人生の誕生を自由に出来ず、その人生の終わりを自由に出来るか
に付いて考えれば・・・そう簡単に自分の人生の終わりの決定権を持つ
自由を法制化などして貰っては困る気がします。
例えば私の出生は、ある年の11月1日生まれですが、翌年の3月5日の
午前中に私を出産した母は死亡しました。病死です。ですから生後
丁度四ヶ月目といえる時に、まだ極赤ん坊の時に母に死亡され、別な
母に育てられたわけです。私は病弱な子で、育てて呉れた母がいたから
実際、仮死状態になった時も蘇生され、生き延びたと聞かされて育ち
ました。別にほっといて呉れれば、この世に生きずに済んだのにと、その
事を知るように成って、誰かの恩を受けて育ったことに成る私は、生きて
居なくて良いなぜ生きていなければ成らないのだろうと悩んで悩んで来ました。
実母に育てられた訳では無いのにと、苦しんできました。
育ての母親は、幼い時から才女でセンス良く、こんな田舎町に過ごさなければ
超一流の女性としての活躍が約束されていたようです。
私は小さい時から自殺を始終考えましたが、私が自殺をするということは親へ
の当てつけだろうと思い、それをする権利は無いという理由で生きて来ました。
せめて出来るのは、これ以上親の恩には成るまいという意思だけで、勉強
の出来る良い子とかに成ってやる義理はないという反抗をして生きて来て
いまで死なないで来た人生を、自分で死ぬことの自由など作られたら蛇足
ですからこの辺で・・・・まあ反対だってことですかぁ・・・ あら、上げるつもりが無かったのに・・・
>>159
>こんな田舎町に過ごさなければ
と言っていた母が>> 152の方が言う処の
>加害少年の家族か親戚か関係者なのかな。
に該当するかは知りませんが、加害したとされる少年を
知っていて「あの子がそんな事をするハズが無い」と断言しました。
私は、その少年を直接知りませんし「母に新聞にそう書いてある」と
決めつけて言いました。新庄という土地の墓地に現在母は眠っています。
最晩年の母を苦しめたと後悔の気持ちが現在あります。
私は、地位とか名誉とか、お金とかと縁が無く、失うものがないので
あまり怖いものがありません。
そして、私の悪い癖で、既成の学門に余り尊敬がないのです。
ただ真実は、究明したいという意思が強くあります。
それなら、真実・真相を調べようと今日まで来たわけです。
母は、そんな私に、「余り無茶しないで」と心配して言ってくれ
亡くなりました。よくよく親不孝な私だと反省しながら
あれほど反抗していた母を大切に思っている自分があるのに
ようやく気づかされています。
内藤さんのあり方も、人間ととして知ろうとして来ました。
チョコッと親の気持ちに似たモノを持ってしまっているらしく
それだけに譲れない気持ちで、アンビバレンツに心配している様子の
自分があります。 いじめって言葉は幼く感じるが、
その本質は生物共通の排他精神
どの場所どの時間でも起こりうる
侮ってはいけない >>161さん、いじめって私には分からないのかもしれません。と>>159に書きました。
ですが、私は一種のマイノリテイーとして新庄市という処を出生地として生き成長してきました。
(キリスト教の牧師の家の子です。・・・)親を子供は選べません。
これは迷惑な話です。親の宗教の影響下で育てられるのです。
でも、宗教の自由は基本的に親子でも個人が選べるものですが、
親の宗教で育てられた方が決定付けられたりすることが有ります。
いじめ、ということを分からないと書いていますが、
排他ということならさんざん受けて生きてきています。
三歳頃、四歳に成っていたでしょうか私は1人熱を出して安静の為でしょう。
個室に寝かそれていました。その日「神様なんていない」という自我の目覚めをしたのです。
これは私にとって、多分後の人生に決定的なやっかいでは有りますが
有益な経験だったのだと思います。
多分、この板に書いても大丈夫、何かの参考になると思います。
つづけます 私が1人寝かされている部屋に、1人のご婦人が来て、寝かされている私に
こう言いました「神様がいつも一緒にいてくれてるから大丈夫」だというのです。
「こんな処に1人で寝かされてかわいそうに」と・・・確かに、その時に気がついたのですが、
楽しげな笑い声が聞こえていました。
とっさに私は「神様って何処にいるの?どこどこ」と、小さな部屋中を探し、
熱に浮かされ形容をすれば、気違い(きちがいって変換キーで出てきませんでした)
のように騒いだのを覚えています。
つづけます 私が「神様なんていない」」と言い放った時は丁度、私の育った家では、新しい母に
赤ん坊が生まれたばかりの時でした。私に自我を植え付けたこのご婦人は、
父方の親戚筋の方でキリスト教徒でした。
私に何を言いたかったのかと考えますとその時1人疎外されて寝かされているという、
意識は無く、安静にさせて貰っているのに侵入して来て、幼い子の平穏を邪魔された。
これだけで、敢えて言えば都会から来た新しい母にあてこすりが有ったのだろうと想像できます。
父方の親戚筋の、父の後添えとして「姉から託されたから」と、私と三歳上の兄の母となることに決めた
母の存在は新庄という地域にとって、鬱陶しい存在だったようです。
新庄の親戚筋は、才気活発で都会丸出しの母とは相容れなかったのか、別の人との結婚を勧めていて、
既に婚約者の居た新しい母の決心は疎ましかったようです。
母は、遠く会津から嫁いできた生母の妹として、新庄で新しく出会ったキリスト教の教えに、
生き方が変えられたのだというのでしょうか。アメリカからの宣教師が我が家に寄宿したりと、
新しい経験を沢山こなし、それなりの充実があったようです。ただ、母方の実家としては、
東京の良家の婚約を破棄して田舎牧師との結婚に賛成では無かったようです。
私が、生母を亡くしていることを知ったのは、7歳近く成ってからです。父も生母と育ての親が
違うことを周囲から何となくという形で聞かされました。
父の生母は父の数え年二つの時に鉄道自殺をしています。
名字帯刀を許された家に庶子で父親の分からない人として、私にとって祖父に嫁ぎ、
所謂いじめ尽くされて幼い子供2人を残し、自分の生まれた処と反対方面の鉄道沿いを1人歩き、
踏切自殺をした。・・・
私の父は、そうした一切を誰に聞くことも無く、生涯を生き抜きました。キリスト教の牧師として・・
私が自分で戸籍を辿り、父の実母の戸籍を調べ辿り、調査が上手な人間になりました。
いじめ・・ということなら、現実にあり苦しみ死んだ人を知っているわけです。
私という人物は誰かに扱われるような事とは対抗して来たようです。
ここまでとしますねっ・・・・ >>161さん、改めてご忠告をアリガトウ御座います・・・
私はどうも悪いヤツだなーと反省中です・・心折れる気持ちがあります・・
目から鱗と語源の人物の書いた書簡の中にこういう言葉が有ります。
「空を打つような拳闘はしない」という言葉で、本来の意味は違う
のでしょうに、誰かを論破出来ると思い上がりが出てしまっている自分に
恥じています。私の母は、優秀な人でした。その優秀ぶりが、人前で褒め
られることが好きな人だったので、それが嫌でした。人に褒められること
に慣れててそれが嫌でした。それで反対の生き方をするのだと思っていました。
誰かを論破出来るなんて、そのこと事態になんの価値もありはしないのに・・
と、自分を恥じています。母は純真な魂を持った人だったのです。
それなのに、人に賞賛されることが平気な人だからと、母とよくケンカに
なりました。母と似たところがある人と出会ったと思った私は、自分の高慢さ
今日恥じています。こうした私に助言を下さっていることを、心から感謝し
たいと思う切っ掛けを下さり心から感謝です。ありがとうございました。 連投するつもりが無かったのですが、 書かせて頂きます。
もう8日ですねっ、14年前の9日は、土曜日でした。
この日、新庄市内の小中学校は、三学期の始業式でした。
体育館用具室で体育用長マットから足だけ出した形で発見形で発見
された少年は日曜を挟んで月・火・水と3日だ授をうけ、その水曜日に
は、そのまま自宅に帰る事無く、木曜日に山形大学で司法解剖され
ご遺体となってその日にようやくご自宅に帰ったわけでしょうのようです。
私の父は、小中学校の始業式の日に、脳梗塞で入院しました。
その日、始業式の日◯君は、クラスで一番だという女子生徒に「今年は
追い越からね」と言ったそうです。
休み時間になると大急ぎで他教室に入り込み、その教室の黒板消しをし
して、そこにマンガを描いていたそうです。
家では決して大好きなマンガを描かず、他教室でマンガを描いていた
少年は、職人さんという職業の家に遊びに行きたかったのだそうですが
「そういう家の子とは遊ばないように」家から言われていたのだそうです。
そこの家の母親は憤懣やるかたなかったのでしょう。
内藤朝雄さんは、そこのお母さんの聞き取りをしていて確かルサンチマンと
そのお母さんを表現していたと思います。
現在、そこのご主人は◯君のお父さんの経営する保育園で用務員を
していると聞きます。キッと良い関係が築かれていることと思われます。 この季節になると、毎年あの日の事を思い出します。
この寒い中、直ぐ側にバトミントンの練習をしたていた生徒達がいたのに
誰にも気づかれず巻いて立ててあった体育用長マットの中心部でもがき苦しんで
いた◯君を思うと胸詰まる思いがします。
誰からも気づかれず助けて貰えず亡くなった◯君の孤独を思うとご家族の
無念さを思わずにはいられません。・・・む ここに、何がしたくて書き込んで来たかを自己検証して見ようと改めて考えました。 内藤朝雄さん、どんな事件でも、現行犯か、確たる証拠が無ければ冤罪は
起きると思います。>>129の方の情報は、実に客観性のある資料です。
あらかじめ、こんな事をするはずが無いとの決めつける、予見を廃して
今では、客観的視点でと、思っていられると信じます。
この方達に再審の道は閉ざされています。裁判は本当は互いに和解する
ためにあるハズです。この事を成就出来るのは内藤さんだけです。・
奇跡を起こして下さい!期待しています。 >>168
立派だわ。
どこかのスレを6年も荒らしている
ゴクツブシの頭のおかしい、人間のくずの社会の害虫、汚物たる
「引きこもりクン」とは大違いなわけ〜 ↑かわいがられる・・ということなら確かに、迷惑な酷いはなしです・・。
2007年のこと、相撲界でかわいがりと称する集団いじめ事件で
稽古とは言えないリンチのため死亡した力士の父親が、キチンと
した死亡原因が知りたいと、新潟大学医学部に息子の遺体解剖を
願い出、死亡原因の究明をしたという事件がありました。
私には、因縁話がつきまとうのですが、2006年12月13日に新潟県
中越地方で同居していた母が死亡して献体のため新潟大学医学部に
搬送されて解剖の順番を待つか期間に名古屋場所の稽古中に変わり
はてた17歳の遺体の検死解剖が母の遺体の保管されている処に
時を同じくあったのです。 皇后美智子というかたが1998年のインド・ニューデリーで行なわれた
国際児童図書評議会の基調講演で「でんでん虫の悲しみ」を紹介されました。
新見南吉という人のつくった詩に近いお話です。興味のある方は検索を
どうぞ、悲みは誰にでもある。自分の悲しみは、自分が背負っていかな
くてはならない。そういう生き方をしてお出での皇后様が、天皇陛下
への暴漢行為者事件の連動のように、どこかの市立中学の事案が、警察の
手柄として、連動したとなっているなら、恣意的な事柄としての解決をせず
事柄の真相を明らかにして頂きたい・・・
そのまま風化させてはいけないと思えるのです。 山形マット死事件と言われた、山形県新庄市という地域の市立中学で
起きた、中学一年生の死亡事故について・・・
なぜ「死亡事故というか」それは、どんな案件であれ、市立中学で
起きた事柄を、教育委員会に報告書として提出する時の名目は事故
報告書というのだそうです。もう21年も前の出来事です。・・
この日、1993年1月13日この時、私は遺体が搬送された病院の玄関
ロビーで、その時点での校長先生が病院の玄関から「ご両親は霊安室ねっ」
と言いながら、小雪と一緒に玄関口から入って来るのと遭遇しました。 176
私の父の同室者は、1993度の、その、当時・1月にはまだ先の分か
らない偶然の一致なのですが、4月から当該の市立中学に転任する
こととなる、黒◯先生という校長先生のお父さんと2人部屋でした。
こんな偶然がなぜあるのだろうと、悩まされる始めです。
私は、内藤朝雄氏が後に、この中学校に出向き、この校長先生に聞き取りに
行かれたことをこの校長先生から当該中学で直に聞いています。 【お前の日記では無い・・・・申し訳ありません。】
名前の欄に「蟄居中・・解放を望んで」と書き出してあるのは、
東京に本部のある学校法人が、組織変革をしたそうです。
その組織変革と、私の住まい方が、連動してまるで玄関が閉ざされ
自由に外に出ることが困難な事情になってしまいました。
(比喩ではありません)再び、これが回復はしない状況です。
せめて新庄という地域が「いじめ学の時代」の内容を改めて貰うとか
しか対外的に解放して貰えないなーとの我が家の実感があります。
東京では都知事選ですか?都知事選は大きなことです。
オリンピックもある東京だし、日本の田舎の問題ではありません。
『明日世界が終わりになっても私はリンゴの木を植える』 >>179
読ませて頂きました。
犯罪が未然に防げるといい・・この願いに賛同いたします。 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1389674518/
26 :名無しさん@13周年:2014/01/14(火) 14:26:05.08 ID:ohKavLRGO
将軍様、滋賀県大津市と山形県新庄市はテポドン打ち込んでも良いですよ
私はたった今、山形県新庄市でタイピングしています。
昨日1月13日は、21年前に1人の少年の不審な死が発見された日です。
このことで、山形県新庄市に何の責任があるのでしょう・・・
確かに私はその日も山形県新庄市にいました。 丁度この時間も、その日当該の中学の体育館でに居合わせ、
「まだ家に帰っていないとい」という少年の家からの電話で
自分達も、夜分帰るのが遅く成ってるのに、教師達に協力して
家に帰っていないという少年を探索した生徒達が警察の聴取を
受けています・・・・
未だに、こうした書き込みをなぜされる必要があるのでしょう。・・
内藤さん・・・ 内藤朝雄様
私は、人の善意というものが、いかに危険で有るかをかを見聞きしています。
善意と悪意は両極に振幅するから危険な気がします。
正義は我に有りというのは最も危険なことだと思います。
複眼的に出来事を見るということを妨げるのではないでしょうか?
あなたの学門だとする立場は、この危険を立脚点にしているようで心配です。
政治も善意でされたりしたら、その振幅が恐ろしい・・・
その反省がドイツにはあるようです。
アナタは正義心で山形県新庄市に調査として入り、教育委員会から
出された資料を手に入れ晒し行為として、この掲示板に貼り出しましたね。
このことで、私を、是非名誉毀損罪で私を訴えることをお薦めしました。
『明日世界が終わりになっても私はリンゴの木を植える』 内藤朝雄様
アメリカは、人種隔離政策では無く、奴隷制度を実際に行使して
いた歴史があり、その悪から自分達が間違いを犯す存在だと知っている
人々の集合体だと知っている国のようです。
ヨーロッパの国々もそれぞれ植民地を持ち、それを手放すという歴史を
重ねているわけです。間違いを認めざるを得ない国も学門も、そうした
基盤の積み重ねで、可塑性を保ちつつ、進歩発展をして来ているようです。
そしてたゆみなく歩んでいるのだと思います。
『明日世界が終わりになっても私はリンゴの木を植える』 神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
ラインホールド・ニーバー ある日、電話が掛かって来て「ホーキング博士が、地球は滅びるって
確実なことだと言ってるよっ」という電話をくれたひとが居ました。
「そりゃそうだと思います。地球の表層の人間社会が滅びるなんて当然
でしょう。今までだって何度も地球の主人公は滅んで化石遺産を残して
いるし、地球が滅びるんで無くて地球の表層に張り付いている人間なんて
早晩滅びて不思議はないはず・・チョコッと地球の表層が身震いした
だけで、バラバラと表層の人間界は振り落とされないようにと必死になる・・」
こんな会話をした後に、あの3.11を経験しました。
人間が全てに優位するって無いよねっ・・・と私には思えます。
『明日世界が終わりになっても私はリンゴの木を植える』 私は、自分が親として失格だと思っています。
子供達との関係は、まず自分のしたいことが優先でした。
ゲームにはまっていて、ドラクエのシリーズは全部しました。
クロノトリガーは好きでした。ファイナルファンタジーは、好きに
なれずポケモンも好きで無かったのでしませんでした。
アーケードゲームの類いは器用でないのでしませんでした。
母親はどうして良いのか親から学ばなかったので、母親かな?でした。
食べ物を用意するのは好きでしたので、それはしました。・・
後はガキ大将だっただけで、子供達への目配りはしてきたと思って
いました。上の子は絵を描き始め、下の子はパソコンをいじり陸上
部に入って走っていました・・・。
下の子が牧師になりたいと言って、神学とかの学校に入りました。 親元から離れた下の子は、大学に適応で来ませんでした。
私は、牧師に下の子が成りたいということに反対しました。
でも行きたいというので、それしか選択肢を出してこないので
行く事になりました。彼の父親。つまり私の夫は、小平市にある
美大に在籍していましたが、突然キリスト教会に行き牧師に成った
人です。周囲の人々が次々自死したことが違う道に進む、こととなった
ようです。美大に7年在籍しとたそうです。そして神学校の卒業時に
どうした訳か、この人はどんな牧師になるのだろう?と、会って五ヶ月
後に結婚しています。夫は、学校始まって以来の卒論の成績だったそう
で、私も、頭が悪くないかもしれないと思われていたようで、その息子が
神学大学を受験するというのに、応分な成績だろうと、過剰期待をされた
のか、下の子は、山の手線に頭からのめり込んだようです。
【前頭葉部頭蓋骨陥没骨折】で救急搬送されました。 もし、自死をしたかったら、自殺体の片付けを他の人にさせるのは申し訳
ないから予告してと言ってあったのに・・・
そんなに事を言える自分ではまるでなかった
そう言っていた私の心境は、息子は生きていたのに自分でも信じられない喪失感で立ち上がることも出来ないというみっともなさでした。
無事だったのに、こんなに取り乱すのだから、本当にわが子を失った人の気持ち
はどんなにだろうと身にしみて思いました。
私の側の親族が学長をしていた学校へ、行かせたのが間違いだったと
思いました。皆さんの言う一種のアカハラという現象が下の子の周辺に生じて
いたのだと息子の話を聞いて思いました。・
この4月には、また、東京へ下の子は出て行くようです。
頭の中には損傷は無かったのです。やはり牧師に成ると言っています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています