村上龍 「13歳のハローワーク 」 [転載禁止]©2ch.net
哲学板の方に社会学板向けだよと誘導されたので、こちらにスレを立たせていただきます。
一昔前に流行った村上龍の「13歳のハローワーク」そのテーマは好きな事を仕事にするというものでした。
私は読書や言語学が好きでしたが、今の仕事は全くそういったものとは無縁の仕事です。
13歳のハローワーク的考えでは、私のチョイスはあまり良いことではないとも言えるし、天職でないともいえます。
ここから疑問なのですが、今の仕事を私は気に行っています。好きでないことが仕事だけど、それが楽しい。ならそれは好きな事を仕事にしているんだよ。と言えるのでしょうか。
説明が下手で申し訳ないのですが、例えば、算数嫌いが数学教師になっても、時空列を無視して事後的に好きになってしまえば、それは好きな事を仕事にしたと言えて、彼の天職であるといえるのでしょうか? ノンノン
ムラリュウの言うことは「サバイブすること」の一言に集約されてる。
まあムラリュウって商業主義の人だから、あまり信じないほうがいいと思う。 >>2 確かに「半島を出でよ」とかほかの小説もそんな感じかもです。
商業主義かぁ。 村上龍信者ではないけど、まだ社会人二年目の自分にとって、彼の言う天職という
言葉はとても気になります。 ドラッグやってた不良中年が
子供の心配したり、定年後の老人の心配して本を書くことが恥ずかしいことじゃない?
(あんな仕事情報を紹介するだけの本は、本人は何も書いてないと思うが)
好きな仕事は局地戦だからグローバルな戦略はたてられないと思う。 就労移行支援事業所は、利用者1名×1日で行政から1万円前後の補助金が出てるんだよね。。 ワタミの過労死自殺の件でこの人のカンブリアのコピペが張り付け回られてたけど
調子に乗って自分の動画で「僕は競争するよりもパンを美味しく食べる人が好き」
って語ってたが、世界的にかっこよく見えるアップルも中国の下請けを奴隷みたいに
使って毎年自殺者を出してるんだよ。
そのことに関しては絶対言及しないだろうね。
90年代後半から投資銀行を絶賛しまくって、経済について語りだして今のカンブリアの
仕事をもらったんだろうけど、そこまで意地汚く稼ぎたいのかな。
AV女優にでもなったら大金を稼げるけどプライドがあるから誰もしないが、この人は
経済のAV男優といえる。 エクソダスの小説みたいにありえない設定でテロ起こすより
10年前のライブドアみたいにテレビ局買収するほうが、ある意味効果的な日本改造のテロだよね。
洗脳装置の一つを買収されるほど日本にとって痛いもんはないよ。
特別会計のこと放送されたりしてごらんよ。
なぜか革命家ムラリュウはライブドアのテレビ買収を「テレビと言う古臭い媒体を
買収するというなんも夢がないことを見せ付けてくれた」って言ってたけど。
夢で商売なんてやってらんないのは、マイクロソフトもそうじゃない?
「競争よりパンを美味しく食いたい」ならあわただしい出版業界から身を引かないと。 「自意識小説より自意識をぶっ飛ばしてくれる小説を書きたい」って
爆笑のラジオで言ってたけど、それで戦争小説書くなら
今なら戦争3Dゲームがあるんだから、そっちのほうがいいよね。
それでこの人は日本の何が好きなの?
俺?
嫌いだね日本って国が。
でもナカータは好きだ。 最終的には人間の携わることは全て論理的ではないのは自明なんですが、
その境地にいたるまでは、やっぱり論理が必要で、
結局、その輪廻に絡まって身動きできなくなるのは、ほとんどの場合が、BOY達なんですよ。
女の子は普通に「宮本〜!」「コウタ〜!」
とかいってりゃいいわけですから。
これは無邪気に「ナカタ〜」とかいいながらスターシステムで色どられたオリンピック世代とかを応援している青少年達にも当てはまる。
ただし、彼等の最大のネックは、
「飽きやすい」こと。
多分彼等は、スラムダンクとかがはやっている時は、やっぱりコビーとか言ってた訳で。
いわゆる日本サッカー界にとって、最も必要な層、いわゆる「コア」なサポーターというのは、誤解を恐れずに言えば、「女」的な発想からは、産まれん訳です。
自分の精神の脆弱さをなげきながら、ネットで粘着質にコテハンにはりつくような
そんな奴。
1歩間違えれば、ナイフを持って繁華街をうろつく奴。
そんな奴の居場所は、実は、フットボールのスタジアムなのです。 闘うということは、狂うということだ。
急所をつき、相手の財産を奪いとる
冷徹に、そして当然のように、自らの権利の行使のタメに相手の息の根を止めることができる奴とは、すなわち、自らも同様に地獄を味わってきた自覚があるやつだ。
最近、私の地元ではよく夏祭りが開催されていまして、たまに盆踊りとかもやってまして、老若男女踊りくるう訳なんですが、
彼等は、自分の心を殺して日々の退屈な日常を忍び、そして、ハレの舞台を用意され、踊り狂っている訳です。
しかし、その日常において自分の心を殺せない人間がいることも、事実だ。
日常で自分の心が殺せないから悩む訳で、
だから、ハレの舞台でも、そこに自分の日常は、ない。
当然、今の日本代表応援団にも、ない。
最もコアなサポーターになる因子を持つ奴らが、現状の日本代表からは、弾かれている。
今、スタジアムで日本代表を応援している奴らは、単なるサブカルチャーッ子達だ。
だから彼等は、
日本代表が旬なら日本代表を応援し、
野外ロックフェスが旬ならロック好きになり、
スマップが好きなら、ドーム興行にいく。
レアルがきたら、レプリカを着て応援する。
当たり前のように中、高、大と経てサラリーマンになり、たまに、ハレの舞台を用意されれば、踊る。 だから、ほとんどの人は、真のところで共感できない。
モノを売るために用意されたヒーマニズムやスポーツマンシプが脳裏をよぎる。
しかしそれは、自らの存在を賭して闘う選手達に、全く失礼な話しだ。
だから、乗れない。
だから、そこには、必然性が産まれない。
だから、負ける。
だから、魂のかかった試合にならない。
くだらん理屈を追求するだけ追求し、考えられる全ての遠回りをする。
他人からみれば、バカそのものだった自分の道程。
それらが、鮮やかに昇華される瞬間。
ゴール。
苦しんだ人間のみが達することができるサッカーの境地。
しかしそんなゴールも、サッカーに、W杯に興味のない人間には、単なる一スポーツのイチ得点に過ぎない。
しかし、そのゴールで救われたと思える人間、
おれの声援が日本を救ったと大見得を切れるくらいぶっとんだ奴。
そいつらこそが、サッカーの深淵に触れることができる資格を持つ。
そして、サッカーの最もすばらしいところは、
サッカーが、エンターテイメントだということ。
つまり、帰るべき日常が、ちゃんとある。 「キモくて金のないおっさん」が増加中? 彼ら「弱者男性」に居場所はないのか #BLOGOS http://blogos.com/outline/113882/ 日本にいる多くの人間にとって人生の選択とは、
サラリーマンになるか、否か。
です。
そう言う意味においては、
プロサッカー選手もキチガイ
外国のサッカーサポーターもキチガイ
芸能人もキチガイ
創業者もキチガイ
職人もキチガイ
武士もキチガイ
日本代表選手は、キチガイの最たるもの
W杯は、世界のキチガイ達が集う世界最大のキチガイの祭典
有名コテハン野郎は、
キチガイ道の伝道者なんです。
つまり、私も、あなたも。
追伸、
さすがの私も、自分の所信をあなたに押しつけるほど厚顔ではないので。その点は了承して下さいませ。
私の表現については、私が一般的に関西人といわれるカテゴリーに属することを考慮して頂きたく存じます。