《いじめ学》の時代P135
☆児玉家の人々を悪く感じる体験になるようあらかじめ身構えていました。
有平君達一家がタクシーで外出したとき、その現場を隣近所の子供達から観察されてい
ました。後日、有平君と有平君の兄は、他の子供達から「どこに行ったのか?」と問い
詰められ、結局フランス料理を食べに行ったことを答えさせられました。
「フランス料理を食べに行ったんだ」という答えは、嫉みに燃える子供達の中で「お前ら
には食えないだろう」という意味に自動的に変換されてしまい〜中略〜
私的には、小学生・中学生が通りすがる場所で、家族でお出かけするという人目に
付きそうなことをなるだけ避ける。皇室のお出かけじぁないのですから。・・・・・
食事のテーブルマナーを親達が子供に伝えるのになんの差し障りがありません。
うした機会は家族として逃さずが良いはず・・・。
ただ、人目に付かぬような細心さは成金趣味と誤解されたくない家族の抜かってはたしなみ
だった1990年代だった記憶があります。
そうした縛りからの自由こそが内藤朝雄さんの目指す【自由】だったのでしょうか?
どうもそのようです。・・・