内藤朝雄さんの懺悔 [無断転載禁止]©2ch.net
内藤朝雄さんは葵龍雄とパオロ・マッァリーノという名前を
使い分けていました。今度はなんてお名前かな? ★「有平が死んだとは思えない。どうしても実感できない」と語る昭平さんの言葉は、
私の言葉にも重く響きました。(ママ)
※ここで内藤さんに申し上げたいことがあります。・・・
以上の言葉は、中学校に通う生徒が帰宅して、午後6時には、英語塾に向かうはずの息子
の安否確認を駆け足1分で往復出来る直ぐ近くの中学へ直に確認をすれば良いのに、
当然のようにもう勤め先の中学から帰宅していただろう時間ですが、大事な我が子の部活
顧問の教師宅に直接に、時も夜分という時刻でしょうと、息子の安否確認を電話でした。
・部活教師は、当日からその中学では3年生の受験のための補習に繰り出される等、部活外
用事もあったと部活に顧問が監督に出ていない理由を語ったとの非難が『被害者の人権』
(後にn明記)に在ります。次ぎにした我が子への行動は当該中学校で地域のスポーツ少年団
の活動をしていると当該顧問から聞いて、今度は目と鼻の先の中学に電話と・・・。
遺体となった有平君発見をしると始めて中学に駆けつけ蘇生術を試みる教師を「お前が
やったのか!」と殴りつけ、その場にいた生徒達は凍り付いたうにショックを受けた。・・
※ここで内藤さんに申し上げたいことがあります。・・・
なぜ内藤さんは児玉昭平氏の言い分に何の疑問も持たなかったのか?です。 内藤さんは、ご自分の子供を学校のいじめに奪われた人物、学校制度と戦う同士と
思われたのだ。・・・これは違います!
もしかしたら、この内藤朝雄的間違いの方向性でまだ大人になれない命が失われたり
損なわれたりしきいる可能性を感じます。・・・
この点も『内藤朝雄のいじめ学』の懺悔をし
頂きたい気がしています・・・・。 【憲法に定めた義務教育】
憲法第26条第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、
その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
義務教育は、これを無償とする。
内藤さん、
義務教育はその親の親権者とし国民とし負わなければ成らない義務なのですよね。・・・
その責任・義務は親権者がするものでしょう。・・・ 1993年1月17日
この日は児玉有平君の葬儀の日でした。
葬儀会場は、にわか仕立てでしょうが記者会見場が設けられました。
この葬儀の喪主は、怒りをこめた厳然とした口調で下記のように語りました。
『死ぬのは当たり前です。殺したんです。だから、教育の場で平然と
リンチと殺人が行われていたんです。』
義務教育の被害者遺族としてです。・・・・
遺体で発見された児玉有平君の発見者は、1993年1月13日に沼田スポーツ・
少年団22名が、中学1年生2人です。
その少年達は沼田小学校区の任意団体に所属するバトミントン競技の練習をして
いました。事、物事の責任制を問われれば、この事実を記載した当該事件当時の
明倫中学校校長の記述分類が正しいはずです。
この峯コ明は、この記録を残し新庄市から一家揃って足跡を辿れない人々となりました。 180 名前:和泉眞理 ◆JipapmwsMY 2017/04/24(月) 12:12:35.24
※ここで内藤さんに申し上げたいことがあります。・・・
なぜ内藤さんは児玉昭平氏の言い分に何の疑問も持たなかったのか?です。 内藤さんは、児玉昭平氏とある意味真逆な人間として育ってます。
別の言い方をすると、全く別の教育を受けていられる、それぞれとして育っている
そのことに、内藤さんは気づかずに山形県新庄市で出会うことになってしまっています。・
内藤さんは自分の受けた家庭教育に不満でした。・・ ※内藤さんは自分の受けた家庭教育に不満でした。・・
東郷高校に入学させられる前からでしょう・・・。
さて、本当に内藤家の教育に全面的に不満だったはずがありませんよね・・・
内藤家では「自然科学」という分野に関心を持つ朝雄少年の成長に、着目し、
より良くその長所をしてあげたいものだと【「いじめ学」の時代】P62には
理科だけは大好きな長男のために、「当時クラスでただ1人、私だけが自分専用の
顕微鏡を持っていました。ビーカーやフラスコなど、主だった実験用具は小学四年の
頃までは一通り揃えてもらさていたし、丸善で分子模型を買って貰ったことがあります。
当時将来思い描いていた夢は、父と同じように科学者になることでした。(ママ)
これが実現しなかった理由が【父からの虐待】という項目とつづきますがこれが?で
あり、児玉昭平氏に内藤さんが抱いていた『被害者の人権』のゴーストライターとして
書籍を書くのは法に触れることでは無いとして、司法判断を歪めてしまった事実は、
事実として残っています。・・・ 後日述べたいことがあります。・・・ 承前がありますので、まずその確かめをしてからです!
186 名前:和泉眞理 ◆JipapmwsMY 2017/04/27(木) 08:30:13.02
※内藤さんは自分の受けた家庭教育に不満でした。・・
東郷高校に入学させられる前からでしょう・・・。
内藤さんは内藤さんとんしての親子関係を書いておられる訳ですが、私は、
児玉有平君も、家庭という小さな社会に、ただ同調する良い子を脱したいとの
成長の悩みを抱えていたと推察する点があれこれあり、それは後述したいと願って
います。彼、児玉有平君は、個としての表現の自由を・いじめ・という不当な
学校集団の加害を受けていたというより、家族からの自由を欲してそれの表現が
出来ず胎内回帰のようにもがき苦しみからの発見の遅れの事実があったように
感じて、それを訴えると言えば出過ぎたことかと思いながら・・・
年齢の違いがあっても、同時代を生きたまだあまりに若かった方への鎮魂と、
苦しみの感受感を伴う気持ちで綴りたいとずーと思って来ています。・・
内藤さんには、お父様への同情心というか、大人を生きていた限界の足りなさの
受容の幅の度量はもう大部広がられているようにも思っていますヨ!・・・。 @児玉有平君の鎮魂と生きた証のために・・・・
こないだタクシーに乗車して、運転手さんとの会話は、奇妙なものでした。
私はオッサンに見えるようになった長男と同乗していました。・・
長男と小学校に東京から転居して来たっけねと話をしていて「沼田小学校へ
転校だったねっ。」のような話に会話を一緒に楽しんでいてくれていた運転手さん
が自分の出身中学の話を避けているという様子でした。・・・
私は「ああ、あの学年とど真ん中?あ、分かったからもう良いよ!でも、本当の
ことは、必ずみんなに分かって貰える日が来るよ。・・・」と会話を閉じました。
『被害者人権』児玉昭平著・ゴーストライト・内藤朝雄・これは、書店にもう出回って
いませんし小学館あたりが著作権侵害で私をお訴え頂くことになれば、私として、私として
あれは冤罪です。という主張の場が与えられる事となろうかと注釈付きで、タイピングして
目に触れた人に読んで貰おうと思いました。・・・
『被害者り人権』の著者が家庭裁判書に回答したという体裁の文章です。
『被害者人権』児玉昭平著・ゴーストライト・内藤朝雄・これは、書店にもう出回って
いませんし小学館あたりが著作権侵害で私をお訴え頂くことになれば、私として、私として
あれは冤罪です。という主張の場が与えられる事となろうかと注釈付きで、タイピングして
目に触れた人に読んで貰おうと思いました。・・・
『被害者り人権』の著者が家庭裁判書に回答したという体裁の文章です。 『被害者の人権』第2章P53
(山形家庭裁判所新庄支部から照会書3通が児玉家に届いて)児玉昭平氏として
当時・東京大学相関社会学院生である内藤朝雄による山形家庭゛
裁判所に出した回答書です。
児玉昭平氏として「私が家裁に送付した回答」と記された文章の写しです。
1、翌日(翌日平成5年1月14日)の朝刊で事件の概要を知りました。未だもって明倫
明倫中学校、新庄中学校、新庄市教育委員会、山形県教育委員れた会より事件の説明は受
けていません。私達が知り得たのは新聞報道のみでした。
1人の人間が殺されたという事実に対して、責任は何処も感じていないように思われ
ます。対応する人が自分の家族を失ったのであれば、このような態度はとれないよう
にと思われます。(ママ)
確かに、平成5年1月13日、山形県新庄市立明倫中学校の体育館用具室で巻いて立てて
あった体育用マットの中心部頭から潜り込む形で死亡して発見さた中学1年生の死亡原因が
事件か事故かを見極めるのは警察と検察そして司法の判断が必要でしょう・・。 下記の文章『被害者の人権』は1人の中1少年の死の発見と謎の解明は「いじめ」だ!
これが全ての真実であり、それに背くことは許されないと語った書籍です。加害者を
差し出せが全てで物事を動かそうとする、それ以外は非国民扱いは、平気だ!!
沼田スポーツ少年団22名の生徒達とその監督にあたった2人の男女教師が発見しました。
まず被害者ありきですが、中学で死亡した事案は必ず加害者ありきは、随分乱暴な話です。学校は閉鎖的で人間は同調作用を持ち、それ
が原因でいじめが起きる。これは必然だ!この路線が明確化されたのが『いじめ学』と
いう理論だとする内藤朝雄氏が提唱した『いじめ学』というのだそうです。
そのセオリー意外の可能性は皆無なのでしょうか?
1翌日(翌日平成5年1月14日)の朝刊で事件の概要を知りました。未だもって明倫
明倫中学校、新庄中学校、新庄市教育委員会、山形県教育委員れた会より事件の説明は受
けていません。私達が知り得たのは新聞報道のみでした。
1人の人間が殺されたという事実に対して、責任は何処も感じていないように思われ
ます。対応する人が自分の家族を失ったのであれば、このような態度はとれないよう
にと思われます。(ママ) 『江戸仕草』がマナーとして在ったや無しを判別して絶対無いと言う人がいて
そんなのどっちでも良いなんて言えば大変失礼なことなのでしょう。・・
ですが、必ず『いじめ』は、こう起きるとして、科学性を無視して起きえない
ことを起きたとするのは、在っては成らないことだとおもいます。・・ 『被害者の人権』第2章53n児玉昭平氏として
「私が家裁に送付した回答」と記された内藤朝雄さんの文章の写しです。
2、出棺(平成5年1月15日)の際には学校側(教職員、生徒共)、少年側誰1人
見送りせず、怒りと抗議の電話が地元マスコミ各社に夜分まで続いたそうです。
葬儀(平成5年1月17日)の際には最初有平と同じクラスの生徒だけ出席が、
1年生全員、それが、全校生徒になり、それと明倫中学校教職員全員が列席しました。
しかし、それが特別加害者側としての弔意を示すものでなく、他の人が出るので自分も
という様子でした。学校側、少年側共個人の冥福を祈るという態度でなく義務感で列席
しているように思われました。このような心情だから学校内でもそれも学校の管理下に
おいて、このような事件が発生したのだと思いました。
このような無責任な学校に入学させなかったらと、今でも悔やまれてなりません。 >>192に抜けがりました。
(少年側の態度も被害者遺族の親としては言語道断、一切の情状酌量の余地が無いと
思っています。) >>192
出棺(平成5年1月15日)は、出棺時の次第は、放映されたのは、地域のテレビ局
ばかりだったのでしょうか?ワイドショウという様式の番組では、全国ネットでも
流されたのだと思います。・・・
池上彰氏のこの事件を扱った番組では、明倫中学の体育館内の映像が流れ、
「この事件のことをまだ覚えている人もいらっしゃるでしょう」のようなコメントを
池上氏が語っておられました。 ・葬儀は静かに滞りなく終了したようですね。・・・
内藤理論のいじめ事件の葬儀で、学校の管理が、義務感が
生徒達を静粛にさせられますか?
・内藤朝雄さんへ、
『全能感希求』とか『ノリは神聖にして侵すべからず』とかが明倫中学で行われて、
その犠牲に児玉有平君がなり、リンチで体育館用具室で巻いて立ててったマットの中心に
有平君いれて8人で、ノリであの狭い用具室で頭から突っ込んだと本当に思えますか? 『被害者の人権』第2章53n児玉昭平氏として
「私が家裁に送付した回答」と記された内藤朝雄さんの文章の写しです。
3、学校側、少年側との今後の話し合いは、今までの経過に鑑み考えられません。
話し合いのテーブルにつくということは対等の立場でとなります。かたや管理責任を
感ぜず、かたや人を殺しておいて何の罪も感ぜず従来通りの中学校生活を送っている
少年側とイーブンの立場で話しあうことは全く考えられません。
又、示談等についても論外という他ありません。
そして、現在の処どこも責任や罪の重さを感じていない証として弔慰金の申し入れ
は一切ありません。 訂正をいれて改めて以下を貼り出します。(nの訂正です)53nを以下のように・・。
『被害者の人権』第2章54n児玉昭平氏として
「私が家裁に送付した回答」と記された内藤朝雄さんの文章の写しです。
3、学校側、少年側との今後の話し合いは、今までの経過に鑑み考えられません。
話し合いのテーブルにつくということは対等の立場でとなります。かたや管理責任を
感ぜず、かたや人を殺しておいて何の罪も感ぜず従来通りの中学校生活を送っている
少年側とイーブンの立場で話しあうことは全く考えられません。
又、示談等についても論外という他ありません。
そして、現在の処どこも責任や罪の重さを感じていない証として弔慰金の申し入れ
は一切ありません。 『被害者の人権』第2章54n児玉昭平氏として
「私が家裁に送付した回答」と記された内藤朝雄さんの文章の写しです。
4、我が息子有平が、彼ら少年達に何をしたというのでしょう。難癖をつけて惨殺し、
挙げ句のはて、自首するどころか、我が身の保身のためにのみ憂き身をやつし、罪
の重さも感ぜず、私達の心痛、呆然自失の体を嘲笑うが如き少年達を厳罰に処さないで
真の法治国家と言えるでしょうか。又私達家族に対する悪意に満ちた誹謗中傷こんなこ
んなことが許されてよいこの世は闇です。
去る8月23日に不処分になった3人の少年達においても、有平の中学校入学以来、
一回でもいじめたことはなかったのですか。もし一回でも何かあったとすれば、私達
から見て「非行の事実あり」です。 「被害者の人権」児玉昭平著という体裁で書かれた、山形家庭裁判所への
実質的著者内藤朝雄の裁判所への行った【示威行為】です。
>>189
>>192
>>197
>>198 ・・・・児玉昭平氏は『被害者の人権』という著作物を・・・・
現・明治大学文学部準教授・内藤朝雄氏に書かせました。
これは司法に対する圧力として《効果てきめん》でした。
これを知った私としてのの行動は、《論より証拠》が機能しない事態の証拠を
残すための裁判を提訴して・科学性より示威行為が司法を曲げる事実
事例を証拠として裁判所に納める行為を果たすことが出来ました。
このことを、ここに改めて記述いたしますの宣言です。・・・
http://yoshimine.dreama.jp/blog/146.html(所轄警察署作成の現場見取り図あり)
遺体検案書は自他為不詳の判定があり、このことを無視しての、いじめ致死・殺人等は
科学者の発する言葉とすることは本来あり得ないことのように思えます。・・・ (万が一にも事件性が無かったとする余地が無かったのだろうか?か)
>>189・平成5年1月13日、翌日について。
>>192・出棺(1月15日)・葬儀(1月17日)に付いてにつてい。
>>197・家裁調査中の事件に付いて学校側、少年の家族と話し合いの余地が無い。
>>198・我息子有平が、彼ら少年達に何をしたというのでしょう。
↑の他に5とナンバーが付いた文章があります。
次ぎに再現させて頂きます。・・・ =「被害者の人権」児玉昭平著という体裁で書かれた、山形家庭裁判所への内藤書面。=
5、学校側に対しては仲間内で穏便に済まそうとしないで、その事件の原因を探し出し
即ち(ママ)真相解明に努力し反省すべき点は謙虚に反省し、その原点より改善す
べきことを今更持ち出すまでもなく、大人(保護者)の歪んだ心が子どもに投影さ
れないような啓蒙運動の展開並びに大人の意識改革。
少年達に対しては嘘偽りの申し立てや証言した場合、例えば少年でも厳罰に処す
ことが出来たら今回の事件の展開は違ったものに成ったと思われる。
6、私達は何も望みません。唯々有平を返して欲しいのです。人生この年になるまで自分
が死ぬよりもつらく、生身の肉体を切り刻まれるより苦しい思いをするとは思いませ
んでした。我が子有平に何の罪があったのでしょう。真面目に将来を展望し、地道な
努力をいとわず人にやさしく親切な我が子がなぜこんな残酷なめに遭わなくてはいけ
ないのでしょうか。そして事件後8ヶ月にならんとしているのに真相さえ解明されない
まま過ぎようとしています。
司法の一角として真相究明に努力して頂きたいと思っております。 児玉昭平氏が以下の内容を裁判所に提出したことになりますが。
※学校側に対しては仲間内で穏便に済まそうとしないで、その事件の原因を探し出し・・
1993年1月13日に児玉家からの電話で有平君を校舎内探索し、沼田スポーツ少年団
22名も動員してマットの中に潜り込む形の有平君を発見して救命活動をしていた
中学教師が、当の児玉昭平氏に殴られるのを見ていた少年達の家族がそのクレームを言いた
かったとしてそれはあり得ることだったと思えます。・・・
それが午後5時01分児玉家へのクレーム電話となった可能性も潰し遺族への忖度で司法が
犯罪ありの結果を出してはいませんか?と内藤朝雄さんに問いたい思いがありますよ。 >>202
>私達は何も望みません。唯々有平を返して欲しいのです。
英語の塾に行かなかった我が子を心配なさっての、部活顧問の問い合わせの電話だった
のでしょうが、そこでまだ中学に我が子がいる可能性を受け取ったのだとしても、8時
過ぎまで、スポーツ少年団の顧問にお腹がすいているだろう我が子の安否確認をまかせ、
我が子への管理責任を中学側へ賠償金を課すやり方は、素朴に疑問です。
>その事件の原因を探し出し
という内容がどうして書けたか疑問で成りませんでした。
内藤さんなら知らない事実もあっただろうと思えますが、史実としてはキチンと真実を
明らかにして欲しいと願っています。
内藤さんが出来えるあり得べき姿の実現だと思います。
私としては、この実現をズーと望み続けています。社会学者として望まずにいられない
エールなのです。・・・ >>205
>それが午後5時01分児玉家へのクレーム電話と×
↑削除してお読み下さい。 >>207
>飛び降り自殺の中2男子「悪口言われた」といじめ訴える
まずこのスレッドにニュースを貼り出して下さったことありがとうございます。 >>207の報道からすれば、
>2年生の男子生徒は26日午前10時15分ごろ、自宅近くのマンションから飛び降り、
>同日午後0時ごろ、搬送先の病院で死亡が確認された。
>中学校が調査した結果、学校が昨年6月と11月に実施したいじめに関するアンケートに、>
>亡くなった男子生徒が同じクラスの男子生徒から悪口を言われ、冷やかされていると回答。
>担任の聞き取りで同じクラスの男子生徒が亡くなった生徒に「バカ」「うざい」などと言っ
>たと答えたという。
この死亡した少年は、中1の6月と11月に実施したいじめに関するアンケートに、いじめを
受けている兆候を記載しているとされ、その亡くなった少年は、この26日は登校日だった
のに学校に行かず近くのマンションから飛び降りた・・・。
この中2少年には、誰も寄り添える存在がなかったのだろうか?
犬でも猫でも・・・寄り添い合える人間はいなかったのだろうか?合掌・・・。 =「被害者の人権」児玉昭平著という体裁で書かれた、山形家庭裁判所への内藤書面。=
6、私達は何も望みません。唯々有平を返して欲しいのです。
巻いて収納してあった体育用長マット
死亡した生徒の両親が少年7人と新庄市に対し1億9400万円の損害賠償を求める
民事訴訟を起こされました。
そして「兄ちゃん殺されてうれしいか?」と言ったとされる少女のお兄さんは、
夕方からのバトミントンの練習に出かけ、有平君を教師と一緒に探した22名の
沼田スポーツ少年団員の1人です。体育館用具室の巻いて立ててあったマットの
中心部に頭から潜り込んでいた有平君を引っ張りだし懸命に蘇生させようとした教師
の活動を懸命さを見つめていた1人です。
なぜその教師は児玉さんに殴られなければならなかったのでしょうか?
>>205が児玉昭平氏名で、送付されることになったのでしょうか?この真相は、
【いじめ学】の時代の著作者が解明できるはずのことです。・・ 社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ!
学者やジャーナリストが情報操作したら、コワイでぇ! 【内藤朝雄さんらしい文章となっています。】
又死因も納得できません。窒息死となっていまず、その前の暴行を受けた段階
(頭蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)で意識不明となったのを、
少年達は死んだと思い恐ろしくなり、マットに突っ込んだのではないでしょうか。
だから誰も後から見に来ることもせず、平然と家に帰りアリバイ工作に奔走してた
のではないでしょうか。いくら中学生でも生きている人間をマットに突っ込んだのなら
心配でどうなっているかを見に来るはずです。少年達が帰宅した時間有平はまだ生きて
訳ですから。引っ張り出せば助かり何もアリバイ工作に奔走する必要はありません。
再度繰り返しますが、少年達は意識不明となった有平を死んでしまった(殺してし
まった)と思いマットに突っ込んだとしか考えられません。故に死亡原因から再度
調べて貰いたいと思います。
以上が家裁の照会文に対する私の回答書でした。この照会文の受け取りに先立つ8月
23日、家裁は逮捕された3少年に対する処分(無罪)を決定しています。私の回答は
この処分を意識して記したものです。 >>214
>又死因も納得できません。窒息死となっていまず、その前の暴行を受けた段階
>(頭蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)で意識不明となったのを、
その前の暴行を受けた段階と書いてありますが、
『被害者の人権』の著者児玉昭平氏は、現場見ていないことは明らかです。
『被害者の人権』194nにこうあります。
★99年7月29日、裁判所は相手方弁護士の主張をいれ、現場視察を行うことに
なりました。私は行きませんでした。有平が命を絶たれたマット室の内部など正視に
絶えません。(ママ) http://yoshimine.dreama.jp/blog/146.html
(頭蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)で意識不明となったのを、
少年達は死んだと思い恐ろしくなり、マットに突っ込んだのではないでしょうか。
だから誰も後から見に来ることもせず、平然と家に帰りアリバイ工作に奔走してた
のではないでしょうか。いくら中学生でも生きている人間をマットに突っ込んだのなら
心配でどうなっているかを見に来るはずです。少年達が帰宅した時間有平はまだ生きて
訳ですから。引っ張り出せば助かり何もアリバイ工作に奔走する必要はありません。
再度繰り返しますが、少年達は意識不明となった有平を死んでしまった(殺してし
まった)と思いマットに突っ込んだとしか考えられません。故に死亡原因から再度
調べて貰いたいと思います。
http://yoshimine.dreama.jp/blog/146.htmlこの図面の左奥が有平君発見のマットです。
マット室に発見した有平君を引っ張り出し肩に抱えて踏み倒したマットの乱れです。 【遺体司法解剖医・鈴木司鑑定】
では頭蓋骨陥没骨折等は一切所見されていません。
顔面右眉部にある浮腫はマットの中に落ちていたラケットが当たったとの判定・
山形家庭裁判所新庄支部に
≪以上が家裁の照会文に対する私の回答書でした。≫と送付した故の内藤朝雄氏自身が
果たすべき事です。
☆死亡原因から再度調べて貰いたいと思います。☆ 内藤さんらしい文章だと書いてタイプミスは失礼かと。以下直しておきました。
『被害者の人権』56n
又死因も納得できません。窒息死となっていますが、その前の暴行を受けた段階
(頭蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)で意識不明となったのを、
少年達は死んだと思い恐ろしくなり、マットに突っ込んだのではないでしょうか。
だから誰も後から見に来ることもせず、平然と家に帰りアリバイ工作に奔走してた
のではないでしょうか。いくら中学生でも生きている人間をマットに突っ込んだのなら
心配でどうなっているかを見に来るはずです。少年達が帰宅した時間有平はまだ生きて
いた訳ですから。引っ張り出せば助かり何もアリバイ工作に奔走する必要はありません。
再度繰り返しますが、少年達は意識不明となった有平を死んでしまった(殺してし
まった)と思いマットに突っ込んだとしか考えられません。故に死亡原因から再度
調べて貰いたいと思います。
内藤さん死亡原因から再度調べて貰いたいと思います。 388 :明輪中学事件レポート ◆JipapmwsMY :2007/10/31(水) 09:05:50 0
葵君へ、君も、もう気がすんだのじゃないのかな?
やりたかった実験は、もう充分に果たせたのじゃないのだろうか?
上出来だったと思いますよ!
それにしても、2ちゃんねるが好きなんだねぇ、混沌という場の
パワーは、刺激的で魅力に満ちているものね!
混沌が沸騰し怪物化していくのを、核として仕掛けるのは
スリリングなものだと思います。
君の音楽は、そうしたタイプの音楽なのだろうか?
本当に聞いてみたい・・・。 428 :和泉真理です。 ◆JipapmwsMY :2006/10/15(日) 22:51:39 0
>>426
私がここで住所氏名を出していないのは、私人の私が
自分をそこまで売り込む必要が無いから・・ただそれだけの理由です。
別に自分の住所が公に示されても何の痛痒も感じません。
私が「被害者遺族冒涜行為」をしているというのなら、それこそ
しかるべき方が訴え出たら宜しいだけです。
あなたの住所にも実名にも何の関心もありません。 6 名前: 御披露目の半次 投稿日: 2000/08/13(日) 04:32
少年犯罪板とニュース板に実名をコピペしまくってたら
saki鯖の全ての板にカキコできなくなっちゃった。
まいったね。 山形マット殺人の実名は2chから?
1 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/08/11(金) 21:44
なんだかインターネットの掲示板から流出した実名5名のところに
東京の消印でかみそりなどが送られたって話(NHKニュースより)
だけど、
「怒らないからやったものは正直に名乗り出なさい」 【山形マット死事件】加害者の現在がヤバすぎる…新庄市立明倫中 『被害者の人権』事実上の著者内藤朝雄氏の事件への理解度に付いて
又死因も納得できません。窒息死となっていますが、その前の暴行を受けた段階
(頭胃蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)で意識不明となったのを、
少年達は死んだと思い恐ろしくなり、マットに突っ込んだのではないでしょうか。
だから誰も後から見に来ることもせず、平然と家に帰りアリバイ工作に奔走してた
のではないでしょうか。いくら中学生でも生きている人間をマットに突っ込んだのなら
心配でどうなっているかを見に来るはずです。少年達が帰宅した時間有平はまだ生きて
いた訳ですから。引っ張り出せば助かり何もアリバイ工作に奔走する必要はありません。
再度繰り返しますが、少年達は意識不明となった有平を死んでしまった(殺してし
まった)と思いマットに突っ込んだとしか考えられません。故に死亡原因から再度
調べて貰いたいと思います。
↑の件は内藤朝雄さんオリジナルな思考ですよね! 児玉昭平氏は、
当時の山形県警本部長から「これは事件です必ず犯人を逮捕・補導します。」
と挨拶されて以下の記者発表をしました。↓
『死ぬのは当たり前です。殺したんです。だから、教育の場で平然と
リンチと殺人が行われていたんです。』 これを記者達は真に受けて映像とし
全国ネットで放映して国民は、信じ受け取った! さて、児玉氏と我らが内藤朝雄氏の知性の差が出ます。
児玉氏の発信:『死ぬのは当たり前です。殺したんです。だから、教育の場で
平然とリンチと殺人が行われていたんです。』 でした。
我らの内藤朝雄氏は、ここに突っ込みをいれました。
:「又死因も納得できません。窒息死となっていますが
(頭胃蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)」と突っ込みを
入れています。これは、児玉さんが狭いマットの中で4時間あまり頭を逆さにして
いた有平君の鬱血した顔面を見ての感じ方を内藤さんに伝えたことにより、内藤さん
はそのことを真実だと受け取ってしまった結果だと思えます。
児玉氏は、県警本部長の「これは事件です。必ず逮捕補導します。」という言葉の材料
から『死ぬのは当たり前です。殺したんです。だから、教育の場で平然とリンチと殺人が
行われていたんです。』と被害者としての自己アピールをしました。 我らの内藤朝雄氏は、ここに突っ込みをいれました。
:「又死因も納得できません。窒息死となっていますが
(頭胃蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)」と突っ込みを
入れています。これはマットの中心部に暴行を加えていれた。これの強調です。
我らが内藤さんはこう続けます。少年達は死んだと思い恐ろしくなり、マットに
突っ込んだのではないでしょうか。だから誰も後から見に来ることもせずと
つなげます。゛ただ、中学生が学校から帰ってめいめいの家庭でアリバイ工作の
必然が私にはわかりはしません。それぞれの家庭の事情員数の違いもあり、余程の
脚本家がいてもアリバイ工作が放課後の帰宅後のしなりをは難しいかと思えます。
脚本家と監督そして、下校距離の時間経過もと考えますと無理だらけの気がします。
ただ、生きている有平君をマットに入れて、そのままに出来るだろうか。この疑問を
我らが内藤朝雄さんは知性的に考えたのです。 我らの内藤朝雄氏は、ここに(頭胃蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)
ほどの暴行が何しろ必要だったのです。只の窒息死ではない暴行の事実がいじめ事件と
して行われている必然があったのでしょう。少年達は意識不明となった有平を死んでし
まった(殺してしまった)と思いマットに突っ込んだとしか考えられません。
ですから児玉氏書簡(内藤作)には、投函にさかのぼる8月23日の無罪は断じて
納得がいかず、その決定をした少年審判に対して『故に死亡原因から再度調べて貰いたい
と思います。』と書かざるを得なかったと断言させて頂きます。 我らの内藤朝雄氏は、ここに突っ込みをいれました。
ただ、誠に残念なことは、証拠となる事実関係が欠けていたことです。
内藤朝雄さんは、児玉さんの言う事をそのまま真実と受け取り過ぎました。
『死ぬのは当たり前です。殺したんです。だから、教育の場で平然とリンチと殺人が
行われていたんです。』と被害者としての自己アピールをしました。
それをマスコミは、一切の矛盾を感じず信じ込みました。
これが問題です。『死ぬのは当たり前です。殺したんです。だから、教育の場で平然と
リンチと殺人が行われていたんです。』これは実は児玉昭平氏としては言っていけない
の言葉だったはずです。児玉氏は、他でもない現在にも続く地域教育責任者としての
当事者である認識・意識が全く無いのは問題ありの人物のはずなのです。 ※当事者である認識・意識が全く無いのは問題ありの人物のはずなのです。
通常であれば、地域の教育者として、我が子の安否確認に抜けがあったのではと、
逡巡する場面が全く無い。それが、それを通用させてしまった才能がある人物。
これが児玉昭平氏だと私として、現在・今日もう言わせて頂き時だと決心しています。 ちょこっと横道を
(http://yoshimine.main.jp/yamagatamat%201.pdf)
↑のURLは中身が空っぽです。なぜこの現象が起きたか?
これは 【『いじめ学』の時代 】の学たる《中間集団全体主義》が
この資料を見ると全く当てはまらない。マット死事件犯人集団の形成が
書いてあったから、これは不都合と思う人が消した犯罪行為です。
《中間集団全体主義》には濃密な人間関係が形成されているはずです。
@犯人とされた少年達7人は、2年生3人が同じクラスでしたが、
後4人は同じ学年が2人づつ、
Aそしてクラブ活動は野球1・バスケ3・バトミントン1・サッカー1・ 卓球1
そして勿論クラスと部活もシャッフル状態を想定下さい。
のように《中間集団全体主義》に該当しないのです。
=================================== どなたか自己アピールとか、一芸が認められての大学入試の始まりに
付いて記憶していらっしゃる方、又は調べる方法がお有りな方はご教示を
お願いいたします。
私の記憶違いがあるやもしれませんので、お願い致します。 ※再度ですが、
地域の教育者であるか方が、半径200b圏内の中学校でご自分のお子さんを
亡くされたとして全くの被害者と言い切れるのだろうかと、やはり思います。
お子さんは普段なら塾に行く時間なのに、帰ってこないどころか、塾の時間の
開始時間を1時間たったも帰宅しない。どうしたのだろうとクラブ活動の先生の
自宅に電話して訊いてみた。
直ぐ近くの中学校に連絡したのではなく、クラブ活動の先生宅にです。
その先生が「地域のスポーツ少年団が夕方から練習しているはず」だと聞き
中学に母親が中学に電話したら、電話を受け取った先生が探してみます。と、
言ったので任せた。
これが、地域の教育関係者、地域の小学校のPTAの会長さんのお宅の出来事でした。
その小学校校の大部分が必然的に進学する中学校だったのです。 承前
中学1年生だった男子が体育館用具室の巻いて立てて収納してあった体育用マットの
中心部に頭から突っ込んだ形で発見され、発見が遅かったのでしょう人工呼吸をし
救急搬送されましたが、死亡診断されました。 承前
中1男児は、なぜマットの中に頭を突っ込んだ形で発見されたのでしょう。
隣のマットの中には、体育用上履きも入っていたとのことでした。
同じ年頃の男の子を持つ私としては、何か心の引っかかりが卓球のラケットと
上履きをポーンと放り投げさせ、それを取ろうとして卓球のラケットをマット
マットから拾おうとしていた途中に誰かが用具室の扉を閉めてしまった不幸が
有ったかもしれないと長年思ってきました。何しろ、その用具室の前では、
バトミントン部が部活をしていて、何しろバトミントンのシャトルは軽く用具室の
扉がちょっとでも開いていたらシャトルが入り込まないように扉を閉めてしまった
可能性があると考えていました。 承前
この卓球部の少年は、卓球部の部活が終わる頃から姿を見た記憶がその体育館に
いた生徒達には無いとのことでした。
卓球部のその日の練習メニューは、2人組みのラリーだったそうです。
その日は、悪しきことに、2人ずつ組むと1人があぶれ、マットから発見された
少年はラリーを組む相手からあぶれ、1人で壁打ちをしていたのを記憶する部員も
いましたようなのですが、卓球台やネットの片付けの作業中の当該の少年の姿を
見た最後なのかの記憶がなかったとの様子を耳にしました。 承前
卓球部の終了時間とバトミントンの開始時間があり、体育館の用具室側は
その交代の時間5分ほどで、50名ほどが入り乱れていた時間だったそうです。
その交代の時間に何か不測の出来事がおきたのだと思えます。
警察の取り調べもこの日1993年1月13日4時40分頃に起きたと
されていますが、何が起きたとしてもクラブ活動の交代時間は5分ほどでした。
明倫中学体育館用具室は何しろ広く開ければ中丸見えですが閉じれば真っ暗な
灯り取りがない構造です。 >>233の件です。
中央線沿線の大学で自己アピールの入試が評判だったと記憶しています。
私の知り合いがその大学に勤務していたのですが、新庄市に家族で引っ越した
当時に児玉昭平さんがそこの学校の出身だと耳にした覚えがあります。
内藤さんは、そのこと知っていますか? 学校に入る。学校を選ぶ。
そうしたことは大切なことなのでしょうね。 これはどういうことだろうと自分自身なんの意味をもった出会いだったのだろうと
奇妙な体験をすることがあります。
その1つにある警察官僚経験者との遭遇があります。
私の人生は、時々奇妙な出会いをしていることで、自分自身なぜこう珍しい
体験をするのだろうと思うことがあります。
その1つなのかもしれませんが、児玉昭平氏の学歴がとても珍しいと思えたことが
あります。 ある意味内藤さんと真反対のようでもあり、奇妙な一致感も覚えます。
どうしてこうなっているのだろうと記述しておこうと思います。
内藤さんには児玉昭平さんは都会的な人と写りましたか?
私の記憶が間違っていなければ、村山という地域のどこかから山形大学付属小学校に
越境入学で高校は山形○高等学校で、大学は中央線沿いの大学と耳にしたとき、珍しい
選びだなぁと感心したのを覚えています。何か大きな無駄をしているような感じで、
少なくと周囲では全くいない感じの選択を生きていられる感じがしました。 東京から家族4人で引っ越してきたときに、PTA総会だとかに子ども達のため出席し
ておこうと小学校の体育館で遠目に児玉先生のお話を伺いました。
前年度かの報告をなさっておられ「昨年は沖縄まで行き、」などとご活躍ぶりを
伺いましたが身振りも大きく「PTAみなさんのために努力を惜しみません。」の
ようなお話だったと思いだしています。何かみなさんと歌を歌わなければならなくて
会長さんは音楽の先生とちょっとしたやりとりが大きな身振りの方だったの印象でした。
とても疲れて家に帰りました。 内藤さんは、小学生になったころ、その辺を走り回る朝雄ちゃんだったそうですが
きっと児玉昭平氏は真逆な感じを周囲に発して育たれたのかな?
成人なさって自己ピーアールに長けた方となられたように感じました。
人間は多様な生き物だからその多様さは自由なわけだけど、
有平君はどう生きたかったのだろう?テレビの画面で「有平が生きていたら仕事を
手伝って貰えたのに。」と児玉氏はいってられましたが、授業が終わると他教室に
とびこんで黒板消しをし漫画を描くような屈折のない、生き方をして欲しいかった
と他人の余計な見方でしたよね。ゴメンナサイ! >>241に警察官僚のことを書いたのは、警察というネットワークの凄さは
現実にあるようだと覚えを書いてみました。 『いじめ学』の時代 に【警察がこんなにバカだとは】129nにあったので
そう見えた時は、きっとその敏腕ぶりを隠していた時の気がしたのです。 ココナッツ島とかの領主の方だかの書き込みを見て
余計なことですが、自分の審美眼を信じる人がいるのに安心をしました。
人間はこれぞ大切と思う選びをもてるかで、生きていける価値観を自分の
内に育てることが出来そうに思えます。
学校選びも上層だとか下層だかの分類は分かりませんが、自分が選んだ学校の
価値基準は他者から見てどうであれ、自分がこれで良いという生き方に出会えれば
私はそれで良いと思えます。 私が知り得た児玉有平君には、彼自身の美意識が芽生え始めていたような
感触を持ちました。彼は自分が何者として生きるかの葛藤を覚え始めて
いた感触を以ていたように思え始めました。
きっと私も3人兄弟の2番目で親の引いた線路をいくだけに満足できたかを
思います。私は私の独自を探したかった気がします。
これはやっかいなことで、どう自分のたてた計画どうりに生きるかを単純に
これだと、決めるには焦点の定め方に少しか挫折感、とかを持つこともあったの
ではないかと思えました。 ちょうど有平君の亡くなった日、1月13日の1月前に新庄駅の近くの
結婚式場で児玉先生の幼稚園の15周年記念の祝賀会が開かれていて、
その席割りの都合で児玉家のご親族と同じテーブルに座った人が、こう言って
ました。「兄弟の内で有平君だけがなにか屈託ありげだった。」と聞きました。
それは、内藤朝雄さんが、新庄に情報調査に出向かれた時に、宿となさった、
名古屋時代の友人の許婚の方、もうそのときはご結婚で、現在の御消息は知りませんが
有平君が亡くなった当日に行くはずだった塾の先生をなさっていた方が奇しくも結婚式場
での幼稚園の15周年記念の祝賀会日での有平君の様子に付いて、同じ言葉を言っていた
ことが私の記憶の中で引っかかりと成っています。
「有平君は何か屈託ありげだった。」です。
同じ意見を有平君の亡くなった日のちょうど一月前の日に
言われていました。「有平君は明るいお子さんだと言われていましたが私にはなにか
屈託があったように見受けられた。」とテレビの画面で述べられた言葉です。 折しも、児玉先生の幼稚園15周年記念の祝賀会の日とそのちょうど一月目が、
1993年1月13目が、児玉有平君のお亡くなりに成られた日となりました。
この時系列の間に、有平君はどんな心情を生きられたのでしょうが、何かの符丁
何かの因果関係を私に感じさせました。
屈託があるように見えたという、その屈託の原因は何かです。
学校での・いじめというのとは、違う何かが感じられる『屈託』という言葉です。
有平君はいじめの末の死亡とされていますが、既出しましたように、いじめと捉える
には有平君の・中間集団全体主義・的な濃密な集団の要素が薄いのです。
ただ、有平君は自分からステージに登り一発芸をやっていたことは事実ですが、
それを強要されてエスカレートし、用具室に連れ込んで暴行は、用具室の大きさが実測
的に無理な話なのですです。
1993年1月13日の放課後、中学の二階窓から校庭掃除をしている有平君に「また
あれやれよ。」と言った声をかけた少年の記録を目にした覚えがあります。 承前
有平君に「またあれやれよ。」と言った声をかけた少年の記録を目にした覚え
があります。
この記録は、なぜか気になって私の手元に2000年頃に私の手元に届いたものですが
処分せずに残っているかもと、探してみます。
有平君はきっぱり「今日はやらない。」と返事したとありました。
その前後の様子を「なんだ生意気な」と思ったと書いてあり、いつもと違うなと感じた。
の筆記を目にした覚えが私にはあります。 = 『いじめ学の時代』147n【 〈欠如〉のはじまり 】 =
私たちは、ひとりひとり固有の世界を開きながら生きています。
これは、わたしたちが生きて行くための地図、生の地図なのです。
しかし「世界が開かれている」感覚は、常に我々とともにあるわけではありません。
残念ながらこの感覚から壊れてくる瞬間から、我々は自分という存在を見失う危険に
肉薄することになります。「貧乏」も「愛情の不足」も「多忙」も「災難」も「不名誉」も
同時並行で「世界がうまく開かれて」いればこそ耐えられるものです。
それに対して、「世界がうまく開かれていない」状態は、輪郭のぼやけた「苛立ち」
「ムカつき」「落ち着きのなさ」「慢性的な空虚感」といった形で、私達のうちに現れます。
つまり何が問題で、どうすれば充足できるかもわからないままに、ただ「何かが足りない」
という危機の感覚だけが昂ぶってしまうのです。私はそのような条件で起きる意味の定まら
ない生が根腐れしてしまった感覚、いわば存在的な不安定を総称して〈欠如〉と呼んでいます。
〈この内藤朝雄さんの記述が、有平君に見られた屈託ありげに見えた事かと。〉 内藤朝雄さんの【〈欠如〉のはじまり】を引用してみました。
なぜかと問われるならば【被害者の人権】は「殺された」が有平君の尊厳である。
「人の権利」である事に、どうしても賛同できないからです。
児玉有平君はも少年として成長し始め、小柄な少年が突然、背が伸びたり、
挫折も希望も味わい、可能性の可能性故の定型的な変化では無い、全く別な
生きる意味とか、他者への有形無形の分かち合いかそれ加害されたであり殺され
たである事で『絵に描いた餅』となり、それを有形化することで、事件の真相の
究明などは必要でなくなってしまったのかが、私には分からないのです。
児玉有平君を被害者として固定化し・リンチ殺人だと断定し『賠償金が絵に描いた餅』に
ならないようにお金を受け取ることが最良のことなのか。私には、有平君が
抱いていたと思える当時の欠如感の実態を少しでも理解できたらの思いがあるのです。
事件の真相究明の裁判への意志はどこに行ったのだろうと。 民事公訴理由:2009/02/23(月) 11:31:53 ID:RQv0fjNz0
【又原判決は、有平が生前受けていたいじめと本件事件において有平に加え
られた暴行との間には「著しい隔たりがある」とする。
しかしこれは明らかに事実誤認である。捜査段階における被控訴人少年らの
供述によっても、被控訴少年らが有平に加えた暴行は、思い切り力一杯殴ら
れるというような強度のものではなく、押したり、プロレス技をかけたりす
る(それもマットもの上に落とす)などの比較的軽い程度のものであったこ
とが認められるのであり、「執拗かつ危険な」暴行であったとする認定は誤
りである。むしろその暴行の形態や程度は、生前に有平が受けていた暴行と
同程度もしくはそこから派生することが十分に考えられる程度のものであった。 @以下は、民事仙台高裁の控訴理由です。
【又原判決は、有平が生前受けていたいじめと本件事件において有平に加え
られた暴行との間には「著しい隔たりがある」とする。
原判決と↑にはありますが、これをもってすればとても奇妙な控訴理由となります。 【児玉昭平氏と内藤朝雄さんま関係性】
※少年審判の照会事項への回答との乖離は、同一人物の手になるとは思えません。
・山形マット死事件・仙台高裁に出された控訴理由は以下の通りですが、
『被害者の人権』の立場はどこへ行ったのでしょう。
以下・『仙台高裁控訴理由』
捜査段階における被控訴人少年らの
供述によっても、被控訴少年らが有平に加えた暴行は、思い切り力一杯殴ら
れるというような強度のものではなく、押したり、プロレス技をかけたりす
る(それもマットもの上に落とす)などの比較的軽い程度のものであったこ
とが認められるのであり、「執拗かつ危険な」暴行であったとする認定は誤
りである。むしろその暴行の形態や程度は、生前に有平が受けていた暴行と
同程度もしくはそこから派生することが十分に考えられる程度のものであった。 >>257・・さんま、が泳いでいたので、↑訂正を↓へ
〜 〜 〜
【児玉昭平氏と内藤朝雄さんとの関係性】
※少年審判の照会事項への回答との乖離は、同一人物の手になるとは思えません。
・山形マット死事件・仙台高裁に出された控訴理由は以下の通りですが、
『被害者の人権』の立場はどこへ行ったのでしょう。
以下・『仙台高裁控訴理由』
捜査段階における被控訴人少年らの
供述によっても、被控訴少年らが有平に加えた暴行は、思い切り力一杯殴ら
れるというような強度のものではなく、押したり、プロレス技をかけたりす
る(それもマットもの上に落とす)などの比較的軽い程度のものであったこ
とが認められるのであり、「執拗かつ危険な」暴行であったとする認定は誤
りである。むしろその暴行の形態や程度は、生前に有平が受けていた暴行と
同程度もしくはそこから派生することが十分に考えられる程度のものであった。 『被害者の人権』は1999年発行です。
1993年1月13日明倫中学校体育館用具室で死亡して発見された
児玉有平君のお父さん児玉昭平氏の著作物です。
その『被害者の人権』の人権の、犯人とされた少年達への審判では、我が子がマット
の中心部で窒息死と報じられたのを不服と、7人の内月齢順に3人をその年の8月には
非行事実なしとの審判だったので他害による致死を鮮明にするために以下の内容を
少年審判へ送付しています。犯罪少年達はよってたかって暴行の上でで意識不明となった
のを(頭胃蓋骨陥没、骨折、顔面のあざ等多数の暴行の跡あり)として、もう一度真相を
解明して貰いたいと、少年審判へ回答書を送付したというのです。 >>259の内容
これが無かったら、山形家裁新庄支部・少年審に >>259の内容が届き
そして、その御遺族の怒りのあまりの強されたに共犯だとされた少年達は
少年院送致・当時あった教護院送致にしてしまった。
この照会状に対する少年審判の影響は、とても重要重大だったのでしょう。 児玉有平君は
日頃どんな暴行を受けていたのでしょう?
事件があったとされる日までは痣1つ作って学校から帰っていない。
(被害者の人権29nに記載)とのことです。
>捜査段階における被控訴人少年らの
>供述によっても、被控訴少年らが有平に加えた暴行は、思い切り力一杯殴ら
>れるというような強度のものではなく、押したり、プロレス技をかけたりす
>る(それもマットもの上に落とす)などの比較的軽い程度のものであったこ
>とが認められるのであり、「執拗かつ危険な」暴行であったとする認定は誤
>りである。むしろその暴行の形態や程度は、生前に有平が受けていた暴行と
>同程度もしくはそこから派生することが十分に考えられる程度のものであった。
※痣1つつくって帰って来たことが無い暴行って、勿論マットに入いれても
気を失うことは決して有平君だったということです。 ↑訂正
>気を失うことは決して有平君だったということです。×
気を失うことは決して無い有平君だったということです。 児玉有平君は、マットの中心部に頭から潜り込み死亡した。
発見潜り込む形になったのは、午後4時40分頃で死亡推定時間が午後7時から
8時と解剖医の所見です。
有平君は苦しみもがきながら、なぜ死ななければならかったのでしょう。
『被害者の人権』の著者は、生きながらマットの中で苦しむ有平君を、
「引っ張りだして上げれば死なずにすんだ。」としています。
仙台高裁控訴理由は、遺体解剖結果に即した控訴理由にはなっています。
これだと裁判書で戦えることは確かでしょう。
民事裁判は損害賠償請求が第一義の訴訟です。
事件の真相などは成るだけ塞がなければならない裁判でした。 児玉有平君は、マットの中心部に頭から潜り込み死亡した。
発見潜り込む形になったのは、午後4時40分頃で死亡推定時間が午後7時から
8時と解剖医の所見です。
有平君は苦しみもがきながら、なぜ死ななければならかったのでしょう。
『被害者の人権』の著者は、生きながらマットの中で苦しむ有平君を、
「引っ張りだして上げれば死なずにすんだ。」としています。
仙台高裁控訴理由は、遺体解剖結果に即した控訴理由にはなっています。
これだと裁判書で戦えることは確かでしょう。
民事裁判は損害賠償請求が第一義の訴訟です。
事件の真相などは成るだけ塞がなければならない裁判でした。 ※事件の真相などは成るだけ塞がなければならない裁判でした。
>思い切り力一杯殴ら
>れるというような強度のものではなく、押したり、プロレス技をかけたりす
>る(それもマットもの上に落とす)などの比較的軽い程度のものであったこ
『被害者の人権』の著者は上記のような具合の犯行だったら、後どうなったか
様子を見に来るはずとの回答書を家裁少年審判部に、もう少し調べて欲しいと
熱い要望を郵送しています。
内藤朝雄さんは、
社会学の研究者として山形県新庄市にフィールドワークのために
出かけました。
そこで研究の対象として出会った人物が何を自己アピールしたのでしょう。
【『いじめ学』の時代】の127nには『「理想主義的なことを真顔で話す。
いまどき珍しいタイプ」というものでした。』 内藤朝雄さんは、
山形県新庄市で・自己アピールの専門家と出会われたのだと思います。
児玉昭平氏です。 【全国ネットで山形県に生じた重大事案★1992年度】
山形県新庄市の中学校内で死亡事案発生の報がが、夜9時頃に県警本部に
入ると直ちに県警本部は相当の員数を新庄市に送り出しその捜査に加えました。 【現在の世相】を後世の人々はどう呼ぶのでしょう!
==きっと大きな変動が起きて居て人間社会の大きな節目としても社会改革も必然=
==として起きることだとつくづく思わされる日々を私達は共有している。 =
さぁ、どのように何を選び何をしましょうか? 内藤朝雄さんに是非質問したいことを書いておきます。
お答えを必ずよろしくお願いいたします。
@ 【『いじめ学ま時代』128nに】
『私が児玉家で1番したかったことは、新聞に出た「兄ちゃん殺されてうれしいか?」の
出来事が本当にあったのかどうかーー。しかし、それはすぐに児玉さんの詳しい証言に
よって確認できました。』
※どのように確認したのかを是非教えて頂きたいと願ってのます。
Aしかも、地元で悪口を言っている人のほとんどが、実は面識のないような人達である
ことが昭平さんの証言から分かりました。
※どういう具合にわかったのですか? >>271
内藤朝雄さんは、
山形県新庄市で・自己アピールの専門家と出会われたのだと思います。
児玉昭平氏です。
↑は和泉眞理という固定ハンドルが記述しましたが私は児玉先生の役職とは
別に、ご自分をアピールするに長けているお方だとの感想を、自分の子どもの
PTA会長さんから受けましたが、そのことを誰かに話したことはありません
でした。そんなことを気楽に言える私では有りませんでした。
現在、キチンと言ってみようと書き込みしています。 >>276
@ 【『いじめ学ま時代』128nに】 の件ですが、現在読み返して伺おうと
思い立ちました。
児玉昭平さんによれば、逮捕・補導された少年の親、親族そうしたネガティブ
キャンペーンを流しているのではないかということでした。無言電話や嫌がらせの
電話がかなり来ていていました。
当時昭平さんは警察に電話の逆探知を頼んだのですが、それに対する警察の答えは
「人権問題に触れてしまうから、逆探知はできない」だったそうです。
逆探知をすれば一発で確証を得られ、それによって事件の真相に辿りつく手がかりも
得られるはずですが、その程度のことすら出来ないでいる警察の無策ぶりには、聞い
ている私としても信じられない思いがしました。」ひょっとして山形県警には逆探知
する能力もないのだろうか?」という思いが浮かんだほどです。
この『いじめ学の時代』前ページが127nが『「理想主義的なことを真顔で話す。
いまどき珍しいタイプ」というものでした。』という内藤さんの記載です。
いまどき珍しいタイプ」というものでした。』
という内藤朝雄さんの児玉昭平氏評です。 ↑遂行ミス部分削除の上お読み頂くことになります。
いつも申し訳ございません。
そして【警察がこんなにバカだとは】129nと続きます。
内藤朝雄さんは、児玉昭平氏を信じ切って絶対に事故である可能性は無いと信じ
その捜査に警察は杜撰で学校は、学校を閉鎖しても徹底的に捜査証拠集めをすべき
とし、学校はダラダラと授業を続けるとの非難が記載されていますが、体育館
用具室には髪の毛数本が採取できただけで、後は尊いご遺体という証拠にあたって
います。それは司法監察医視と鑑識課がすべ
きことで済ませ。授業は淡々となされて
いたことを内藤さんが中学校校長と面会後随分たってからお会いしています。