『被害者の人権』第2章53n児玉昭平氏として
「私が家裁に送付した回答」と記された内藤朝雄さんの文章の写しです。

2、出棺(平成5年1月15日)の際には学校側(教職員、生徒共)、少年側誰1人
  見送りせず、怒りと抗議の電話が地元マスコミ各社に夜分まで続いたそうです。
  葬儀(平成5年1月17日)の際には最初有平と同じクラスの生徒だけ出席が、
  1年生全員、それが、全校生徒になり、それと明倫中学校教職員全員が列席しました。
  しかし、それが特別加害者側としての弔意を示すものでなく、他の人が出るので自分も
  という様子でした。学校側、少年側共個人の冥福を祈るという態度でなく義務感で列席
  しているように思われました。このような心情だから学校内でもそれも学校の管理下に
  おいて、このような事件が発生したのだと思いました。
このような無責任な学校に入学させなかったらと、今でも悔やまれてなりません。