残念な事として既出していますが、児玉昭平氏は、昨年新しく勝訴しました賠償命令
延長の裁判時に「有平が生きていたら、仕事を手伝って貰えたのに」の言葉は有平君の
将来の希望では無く、親の仕事の継承への希望でした。
現在ホントに目と鼻の先に、社会福祉法人の新庄保育園も設立し、残された遺族全員が
それぞれの園長となりと家父長制度の成功者となっておられます。
山形県の幼稚園・保育園会の代表会長だそうです。
有平君の妹さんは、地域で、ご自分を発散されて居るだろうか?とご様子に、ちょっと
胸が詰まります。