ひどい地方的コミュニティがあると、「逃げるな!」と倫理をぶつ人が出る。
あえてそのコミュニティに留まるか、一旦逃げてもまた戻って、コミュニティ改善のため働く人が賞賛されたりもする。
だけど、実際に、それで何がどこが良くなったの?
別のコミュニティとの差は埋まらず、失敗するリスクもある。
個人の選択肢はなくなるか減り、人生は犠牲になる。
変えたい。その気持ちは分かる。だけど、それは傲慢じゃないか。そっちこそ動機は名声欲では。
ピアプレッシャーから脱出できなかったのでは?

世の中、逃げるほかないし、何もしないことが一番の解決策ということもある。

島のねずみ騒動という極限的な例から、それは理解できる。そもそも、そこは、人の住むところではなかったのだ。そこに住むこと自体、間違い。
管理教育の学校も、いや、普通の学校も、子どもにとってはこの島の環境じゃないんだろうか。生きていくのに適さない。個人の力ではどうしようもない。たった数年で片づく課題でもない。
そんな時に、あえてコミュニティにとどまって解決のため動け。気づいているならコミュニティサービスのため働けと滅私奉公を期待する言説は、やはり、あまりできのいいものではない。