>>880
教える側と教えられる側はパートナーシップ?
それはこれまで子供中心主義の教育論者・実務家によってずっと唱えられてきました。
そこから一歩踏み込んで、フレイレの言うように、教える側より教えられる側の方が詳しいこともあれば、そうでないこともあるとし、
生徒と教師を共に学びあい教え合う、役割分業の流動的な関係等とらえるのがいいのでは。

社会を有機体と捉えて無機的・機械的・事務的な冷たさ・硬直を避けようとするのは、ナチスからそれの迫害したシュタイナー教育まで主張している点です。
社会のファシズム化を促進しかねない社会有機体説の雛形としての学校(学級)有機体説はやめた方がいい道です。
というのは、それで皆と滑らかに一体化しない子らは障がい児であれ、個性的な文章表現の子であれ、排除されやすくなるからです。
かならず有機的でなくてもいい、無機的には平等や情動的なピアプレッシャーの弱さを達成してくれる長所もある。
放っておいても人間、有機体。コミュニティもそうなりがちです。
そこに過度のなれ合いや同調圧力に歯止めをするものとして、あえて無機的、または有機性にこだわらないコミュニティ運営のあり方が求められています。